CALENDAR
S M T W T F S
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30    
<<  2025 - 04  >>

PROFILE
同人誌 電子書籍版
Re:ゼロから始める
ゲームシナリオ


ライトニング伝説


さよならハドソン


ドラクエとFFと
ToHeart


誰得ゲームライフ


ときめきメモリアル
の時代

イースI・II製作メモ

頒布ページ
LINKS
NEW ENTRIES
CATEGORIES
COMMENTS
    イースⅠ・Ⅱ通史(3):『リグラス』から『ロマンシア』
  • タムロ (02/03)
    イースⅠ・Ⅱ通史(1):PC88MkⅡSRの発売
  • tamuro (01/05)
  • おお! (01/03)
TRACBACKS
OTHERS
SEARCH BOX
POWERED BY
POWERED BY
ぶろぐん
DESIGN BY
ブログンサポート

F2Pの最初の3分間(2)
カナーリ前、F2Pの最初の3分間について書いたのだけど、これはその続き。
ものすげーめんどくさい内容で続きを書くのもめんどくさかったのだけど、書くのである。
というのも、某所の飲み会だったかで「続き書け」と脅迫されたのだw

前回の内容は「F2Pの最初の3分はコンソールゲームと違って、ユーザーのロイヤリティがゼロであり、どちらかというとアーケードに似ている。だから最初の3分でユーザーにゲームを教え、心をつかむことが恐ろしく大事だ」という内容を書いた。

では、チュートリアルはどのような要素が含まれて、どのようにして進めて行くことが望ましいのか?
そしてKPIのチュートリアル突破率を追うことが本当に正しいのか?

という文を書いて終わったわけだけど…続きを書く前に、どうして「F2Pの最初の3分間」ってタイトルなのかについて書いておきたい。
前回の最後でちょろっと触れたのだけど、ゲームロフトで教えられたことがこのゲームのタイトルになっている。

どんなことだったのかというと、それはDirective Tutorial、すなわち矢印を出して「アレやれ、これヤレ」と指示するチュートリアルは clearlyで definitely でなければならない、そして3分以内に終わらなければならない、ってゲームロフトの鉄の掟。

だから、F2Pの最初の3分間、なんてタイトルにしたわけ。

続きを読む▽
|| 21:11 | comments (0) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
F2Pの最初の3分間
F2PのゲームについてtwitterやFBでイロイロ書いていたところから話は始まる。

それでF2Pのゲームとチュートリアルについての同人誌を書かないかとかアホなことを言ってきた人がいて「書くのがスゴい大変だからイヤだ」と言ったのだけど、なんだかやたら欲しいという人が現れたので、モノは試しに…あんまり具体的な数字とかNDA的にヤバソーなことなく書けるか、ちょっと試してみようというわけだ。
それで、うまく書けそうだったら、続けて書いていってみようかというムチャな試みであるw

ところで一応書いておくけれどF2PはFree To Play、すなわち日本で言う「基本プレイ無料」ってヤツの略だ。
つまりダウンロード無料・基本的なプレイに対してお金はかからず、アイテム課金などの小額決済でお金を儲けていくシステムを持ったゲームのことと思えばいい。
そして、あと10年ぐらいでゲームの95%はF2Pと、メディア(マーケット)で考えられるほぼ最低価格(200円以下)+少額課金(コンティニューなど)になると考えている…すなわち、ゲームの未来は好むと好まざると、ほぼF2Pになってしまうと考えている。

と、まあ、原理的なところはともかく、まず書いておきたいF2Pの大原則がある。
「F2Pでは、ユーザーがダウンロードしてインストールしてプレイをはじめても、それはまだ(固定された)ユーザーではない」
これがF2Pと買いきりのコンソールの一番の違いだと、僕は思っている。

続きを読む▽
|| 21:31 | comments (0) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
続・近代的なゲームミュージックの使い方
なんだか「近代的なゲームミュージックの使い方」を書いたら、イロイロな人がイロイロなことを書いているので、ついでに書いて行きたい。

まず、この技法の発祥についてはいつかはわからない。
ただ、昔の話を始めると、初期のゲームには音楽がついておらず(スタート時のファンファーレなどが関の山)、そこから曲がつくようになっていったという流れがある。
言い換えるなら、昔はゲーム中には環境音しかなっていなかった(無音も多かったが)。これがNEWラリーX(1981)、マッピー(1983)あたりから、普通に音楽が鳴るようになり「プレイしている間、鳴り続けるゲームミュージック」ができていくので、この技法は「古きに戻った」って言い方ができなくもない。
つまり、ずっとあった手法なのは間違いない…が意識して技法として使われていたわけではないってことだ。

自分の記憶の範囲でしかないが、と前置きをした上で。
「曲」と呼べるものをゲームで聞いたのは『ピエロと風船(サーカス/Excidy/1977)』が初めてだったと思う。そのあと、スペースインベーダーのコピー基板だったはずの『ミュージックインベーダー』で曲が鳴っているのを聞き、『ギャラクシアン』でスタートファンファーレ+背景音がつき…とこんな感じでゲームミュージックは出来ていったってのが歴史の記憶だ。

ちなみにコメントにもあったが特定の領域に近づくと曲が変わる・特定の何かがあると曲が鳴るなんて技法は当然の事ながら、いろいろなゲームで使われている。だいたいシューティングの面あボスで曲が変わるんなんてのも、そういう例だ。
では、特定のジャンル、具体的にはオープンフィールドだのTPSだので、この技法が主流になったのがいつか? については微妙で、僕としてもわからないとしか言えない。ただ『ワンダと巨像』は強烈な音楽の対比があったので印象的だったのは確かだし、もちろん、コメントなどにもあったがネットワークゲームが関係したのも間違いがないところで、そしてネットゲームやオープンフィールドゲームやTPSやFPSが中心になるのはPS2世代からなので、その周辺なのはほぼ間違いないだろう。

と、技法の歴史について知り限りのことを書いた所で、ガイドラインや技法そのものについて。


続きを読む▽
|| 22:02 | comments (2) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
近代的なゲームミュージックの使い方
意識し始めたのがこの数年(PS3/X360以降)で、ゲームロフトで論理的に教えてもらったことで、かつ結構、自分的に印象的だったのが「ゲームミュージックの使い方」だった。

日本ではゲームミュージックと言われたら、例えばワールドマップなら、ある曲がずっとリピートしてなっている…そうドラクエの曲みたいなイメージが普通だと思う。
だけど、海外のゲームではこのやり口はアウトで「同じ曲をリピートで鳴らしてはいけない」ってことになっている。
つーか、少なくともゲームロフトの標準ガイドラインではそう書かれている。
じゃあ、どんな風に鳴らすのかというと…


続きを読む▽
|| 23:46 | comments (5) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
ホラーゲームの問題点
むかーし電撃PSに書いた文章なのだけど、ホラーゲームについて、ある意味ホラー大好きな僕がずっと思っていることなので、前半部の歴史の部分を切り捨てた後半部を、少しブラッシュアップして載せておく。

ホラーゲームのテーマは当然「恐怖」。これが疑いもなく最優先される。
プレイヤーに怖さを味わってもらうことが最大の目標だ。怖くないホラーゲームなんてホラーじゃないし、やる価値もない。
これは誰もが納得するだろう。
お話の面白さとか、そういうのなんてのは、ともかく怖さがあってからだ。
ホラーと銘打たれているが、全然怖くはなく、でもお話は面白いなんてゲームがあったとして、これを「ホラーを味わいたい人が買うのか?」と考えれば、そう言い切るのも理解出来るだろう。

ところで、ほとんどのホラー(恐怖)映画は、一度見ると怖くなくなる

恐怖の大半は「次になにが起こるか分からない」からで、何かが起こるか知っていれば、生理的な嫌悪感のある場面でもない限りは、怖いと感じることはまずないのは当たり前だ。

そしてそれが理由でホラーを沢山見ると、次の予測が簡単に立つようになって、ちっとやそっとでは怖くなくなる。ホラーマニアはその怖くないのすら楽しんでしまうのだけど、これはおかしい楽しみ方と言われてもしょうがないと思う。


ところで、当然の話だけど「(たいていの)ゲームにはゲームオーバーがある」。
つまりゲームオーバーになって、再度プレイをして学習することで、より先に進む通常のゲーム形式では何度でも同じシーン、同じ恐怖を体験することになる。

特にアクション形式のゲームではその傾向が強くなる。
ところでRPGは一見ゲームオーバーがないように見えるが戦闘による敗退→再度バトルとか、戦闘によるリソース減少で撤退といった現象はゲーム的にはゲームオーバーに近い。

すなわちゲームは、自分で操作できる疑似体験の観点からすると、映画や小説よりも感情移入が強い分、恐怖は大きくなり得るが、その構造の特徴上、何度も同じ所をなぞるために、恐怖感が薄れやすい欠陥があるわけだ。

ここからが本題になる。

続きを読む▽
|| 22:39 | comments (3) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加