2011-10-19 Wed [ ゲームについて::歴史のこと ]
■日本のアドベンチャの第一次黎明~衰退期
さて、アメリカでのアドベンチャブームを受けて、日本でもアドベンチャが登場することになる。
登場したのは1982年4月と思われる。思われる…というのは、文献や資料が不足で、自分の記憶ではということだから。
その日本初(と思われる)アドベンチャは、フルテキストの『表参道アドベンチャ』という、PC-8001用のアスキーの増刊に発表されたゲームだ。少なくとも、僕はコレよりも前に日本製の「Adventure Game」をプレイした記憶はない。また商用Adventure Gameの嚆矢がアメリカでは1980年の"Mystery House"で、Infocomの"Zork 1"が1981、IBM-PC用のマイクロソフトのテキストアドベンチャ"microsoft Adventure"が1981。
ア・スキーのこれは1982年4月と考えると、ほぼ「最新のゲーム」なわけで、これより以前に日本製のアドベンチャゲームがあった可能性は極めて低いと思う(雑誌の当時の〆切を考えると、完成は1982年の2月だったと思われるので、アメリカから1年遅れていないわけだからスゴいものだ)。
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さて、アメリカでのアドベンチャブームを受けて、日本でもアドベンチャが登場することになる。
登場したのは1982年4月と思われる。思われる…というのは、文献や資料が不足で、自分の記憶ではということだから。
その日本初(と思われる)アドベンチャは、フルテキストの『表参道アドベンチャ』という、PC-8001用のアスキーの増刊に発表されたゲームだ。少なくとも、僕はコレよりも前に日本製の「Adventure Game」をプレイした記憶はない。また商用Adventure Gameの嚆矢がアメリカでは1980年の"Mystery House"で、Infocomの"Zork 1"が1981、IBM-PC用のマイクロソフトのテキストアドベンチャ"microsoft Adventure"が1981。
ア・スキーのこれは1982年4月と考えると、ほぼ「最新のゲーム」なわけで、これより以前に日本製のアドベンチャゲームがあった可能性は極めて低いと思う(雑誌の当時の〆切を考えると、完成は1982年の2月だったと思われるので、アメリカから1年遅れていないわけだからスゴいものだ)。
余談に近い内容だが、勘違いしやすいので書いておく。
この掲載された増刊は"年間Ah!Ski"。後に年間ア・スキーがエイプリルフール増刊号として本当に発売されるようになるが、最初のうちは雑誌内雑誌で、表参道アドベンチャが掲載された号ももちろん雑誌内雑誌だ。ちなみに第一号は1981年で"EARTH TREK"が掲載されていたりする。
またプログラムはアセンブラのダンプリストを入力しなければならなかったのだけど、これがとんでもない最密充填ダンプリストとかいう代物で、入力は超きつかったのだけど、このダンプリストで初めて"Check sum"が登場した気がするのだけど、ここらへんをフォロー出来る人はいないだろうか…いないよなあ。
またこの次のア・スキーでは「南青山アドベンチャ」という名前の新しいゲームが登場するのだけど、これは当時出たところだったrogue likeな表示が行われている。作者はrogueの影響を受けた可能性が少しはある気はする(だがSTAR TREKのショートレンジセンサーであった可能性も否定出来ないw)。
またIBM-PC用に発売されたmicrosoft adventureは「海外ではビジネス用に発売されたハードでも知的に楽しめるアドベンチャが発売されるのだ」というような内容の記事がアスキーに書かれたりした。
この掲載された増刊は"年間Ah!Ski"。後に年間ア・スキーがエイプリルフール増刊号として本当に発売されるようになるが、最初のうちは雑誌内雑誌で、表参道アドベンチャが掲載された号ももちろん雑誌内雑誌だ。ちなみに第一号は1981年で"EARTH TREK"が掲載されていたりする。
またプログラムはアセンブラのダンプリストを入力しなければならなかったのだけど、これがとんでもない最密充填ダンプリストとかいう代物で、入力は超きつかったのだけど、このダンプリストで初めて"Check sum"が登場した気がするのだけど、ここらへんをフォロー出来る人はいないだろうか…いないよなあ。
またこの次のア・スキーでは「南青山アドベンチャ」という名前の新しいゲームが登場するのだけど、これは当時出たところだったrogue likeな表示が行われている。作者はrogueの影響を受けた可能性が少しはある気はする(だがSTAR TREKのショートレンジセンサーであった可能性も否定出来ないw)。
またIBM-PC用に発売されたmicrosoft adventureは「海外ではビジネス用に発売されたハードでも知的に楽しめるアドベンチャが発売されるのだ」というような内容の記事がアスキーに書かれたりした。
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2011-10-16 Sun [ ゲームについて::歴史のこと ]
遥か遠い昔に書いたadventureに関する歴史の文が出てきたので、今の最新の知識でアップデートして、再度公開するココロミ。
歴史の中身としては"Text Adventure"から"Graphic Adventure"が登場し、これが日本にやってきて最終的にサウンドノベルやビジュアルノベルに至るまでの話。バイオハザードの文を書いたときの副産物だったりする。
■1970年代初頭-パソコン以前
もともと――コンピュータゲームが出てきたのは1970年代初頭。
その頃のコンピュータは、今の電卓よりマシンパワーがない代物だった。
だいたいUNIX(とおっても有名なOS。linuxのご先祖様)からして、RAMが16キロバイト(間違いではないぞよ)、ハードディスクが10メガバイト(同じく間違いではないぞよ)とか、まあ信じられないほどショボいハードの上で動いていたぐらいなのだ。
このハードウェア構成で想像がつくとおり、当時のコンピュータゲームはまずミニコン(ミニコンピュータの略。小さくはないコンピュータってな意味合い)~大型コンピュータの上で動作する、一部の研究者、特にアメリカの大学の研究者のもので、そしてグラフィックもなければ音もない(あったとしてもbeep音の『ピッ』止まり)、テレタイプというプリンタの化け物のようなものを介してプレイされる代物だった(UNIXの"/dev/tty"なんてのは、このテレタイプの略だったりする)。
1981年に登場した"rogue"はテレタイプではなくTV端末を利用する"@"がマイキャラ、"D"とかがモンスター、"+"や"-"や"|"が迷路の構成パーツなんて具合に文字で状況を表現するRPGだが、この貧弱なグラフィックですら、マニュアルに大半のUNIXのゲームよりもビジュアル指向であるなんて書いてあるほどだ。
他のソフトは推して知るべし。
グラフィック的にはないも同然のお寒い限りの代物だったのだ。
この大学で研究が行われるぐらいにコンピュータがメジャーになってはいるけれど、マシンは非力だった1970年代半ばに登場したのがテーブルトーク"RPG"って奴だ。
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歴史の中身としては"Text Adventure"から"Graphic Adventure"が登場し、これが日本にやってきて最終的にサウンドノベルやビジュアルノベルに至るまでの話。バイオハザードの文を書いたときの副産物だったりする。
■1970年代初頭-パソコン以前
もともと――コンピュータゲームが出てきたのは1970年代初頭。
その頃のコンピュータは、今の電卓よりマシンパワーがない代物だった。
だいたいUNIX(とおっても有名なOS。linuxのご先祖様)からして、RAMが16キロバイト(間違いではないぞよ)、ハードディスクが10メガバイト(同じく間違いではないぞよ)とか、まあ信じられないほどショボいハードの上で動いていたぐらいなのだ。
このハードウェア構成で想像がつくとおり、当時のコンピュータゲームはまずミニコン(ミニコンピュータの略。小さくはないコンピュータってな意味合い)~大型コンピュータの上で動作する、一部の研究者、特にアメリカの大学の研究者のもので、そしてグラフィックもなければ音もない(あったとしてもbeep音の『ピッ』止まり)、テレタイプというプリンタの化け物のようなものを介してプレイされる代物だった(UNIXの"/dev/tty"なんてのは、このテレタイプの略だったりする)。
1981年に登場した"rogue"はテレタイプではなくTV端末を利用する"@"がマイキャラ、"D"とかがモンスター、"+"や"-"や"|"が迷路の構成パーツなんて具合に文字で状況を表現するRPGだが、この貧弱なグラフィックですら、マニュアルに大半のUNIXのゲームよりもビジュアル指向であるなんて書いてあるほどだ。
他のソフトは推して知るべし。
グラフィック的にはないも同然のお寒い限りの代物だったのだ。
この大学で研究が行われるぐらいにコンピュータがメジャーになってはいるけれど、マシンは非力だった1970年代半ばに登場したのがテーブルトーク"RPG"って奴だ。
ちなみに勘違いされないうちにはっきりさせておくが、テーブルトークRPGは日本でコンピュータRPGとそうでない紙と鉛筆で行われるRPGを区別するために作られた言葉である。
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2011-10-07 Fri [ ゲームについて::イロイロ ]
このメーカーはどこまでレビューに干渉できる? 誰も語らなかった「メーカーチェック」の表と裏とはで「メーカーはどこまでレビューに干渉出来る」と銘打たれながら、実際にレビューをやっているライターの意見や声が具体的な形で載っている部分が少ないことが気になったので…そして書きにくいのも分かるので、実際やっていた人間が経験を書いておく(当たり前だが、現役でレビュワーやっている人間がヘタにそういうことを書くこと自体が物議を醸すのは明らかだろう)。
※ 推敲中に「具体的な形で載っている部分が少ない」ってのを削ってしまっていたのを付け加え直した。
さて、ゲームのレビューはBeep!で勝手にやってたのから、今までだからかれこれ25年ぐらいやっていることになる。
このうち、いわゆるゲームに点数をつけるレビュワーをやってたのは1988-1999の11年間。PCエンジンとPS1で、記事で話題になっているのはもちろんコレの事なので、点数をつけていたときの事を書く。
もちろんメーカーからのクレームで点数に若干調整が入ったり、編集部からの要請で単語を修正したりということはあったが、100点つけろだの、0点にしろだのといった圧力なんてものはなく、おおむね自由にやらせてもらっていた。
修正は具体的には【話にならない】という文を【問題がある】程度に直してくれないか、みたいな感じだったり、点数であと5点なんとかなりませんか? みたいな感じ。メーカーだって出来の悪いゲームの時は分かっているのだから、点数に期待はしない。
当たり前だが、点数が良くて評価もいいときは修正はたいていいらなくてダメなときになんとかならないかと聞かれるイメージだった。そしてダメなゲームはメーカーだってわかっているので「話にならない」→「問題を感じた」程度に柔らかくしてくれないかとか「こういういいところがあんだから+5ぐらいなんとかなんね?」ぐらいのものだった。つまりどちらかというとお願いだ。
(点数が良くても修正を受けたことは数回あったが、それはレビューで書いた要素をメーカー側に「伏せてくれ」と言われたのが、そのほとんどだった。簡単に書けば、それは書いて欲しくないってところを書いたってことだ)
ごく希に(10年やってて2回程度だったと記憶がある)ほぼ書き直してくれと言われたことはあるけれど、これはメーカーチェックではなく編集部からの要望で「僕のレビュワーの立ち位置からすると、このレビュー内容はいただけない」だった。端的に書けば、編集部からボツを食らっただけで、メーカーから文句を言われたわけではない。
当たり前だが、数人いるレビュワーにはそれぞれゲームの見方の立ち位置があり、その立ち位置からのレビューを要求されている。ゲームに対して適当な自分の感想文、それも悪口と揚げ足取りを書けばクールだと勘違いしてる、掃いて捨てるほどある自称評論とは違うのだ。
また一部で噂されている「点数を買う」なんてのは、僕の知る限りではない。もちろん、自分は一度もそんなことは要求されたことはない。他の雑誌でもないと思う。あれば狭い業界だ、噂は広がる。
この手の陰謀論はどんだけ否定しても信じたい人は勝手に信じるので、言ってもしょうがないで放置するのが一番早いのだけど、仮に点数を金で買えるなら、僕はゲームを作る側でもあったのだから絶対に知っている。だいたい金で点数買えるなら、もっと点数の変なソフトいくらでもでてくるし、天外2とかエメドラとか作ってるときに、広報対策でその話が出てくる。出てこないのが、金で買えない証拠だ。だいたい金でレビュー調整出来るなんて、雑誌としては自殺行為だ。やるわけない。
むしろレビューをやっているうえで問題になったのは未完成ソフトが来たときと致命的なバグがあったときだった。ぶっちゃけそういうときはレビューを止めて欲しくなるのだけど、だいたい代えが効かないのでレビューすることになる。
こういう問題はPCエンジンでCDROMになって、マスターの提出から発売までの期間が短くなって起こるようになった。ROMの時代なら、デバッグして、ほぼバグも取れた最終段階のROMがサンプルで来たのが、生産期間が短くなったモノで、作ってる途中のモノが来るようになったわけだ。
もうどうしようもないバグを見つけて、思わずレビュー担当に
「このバグ、残ってたら致命傷で、とてもまともな点はあげられないよ?」
「メーカーは大丈夫だと言っています」
担当だって問い合わせてくれているわけで、大丈夫だと言われたら、信じてバグはないのを前提にしてレビューを書くしかない。蓋を開けてみたら、発売されたら残っていて、当たり前だけどバグは取れているのが前提だから書くわけにもいかないので、レビューでも当然触れていない。全く読者を裏切った気分になって、ガッカリしたこともある。
この手の事には結構悩まされて、プレイしていてあんまりひどいバグなので「レビュー版ではXXXというバグがあり、ひどい目にあった。製品版では当然取れていると思うが」という文を入れさせてくれと編集部に言ったこともあるし、編集部判断で急遽ソフトが入れ替えになったことすらあったりする。
ROM時代が終わり、光学メディア時代になってからあとのレビューのソフトは、だいたいデバッグしている途中のモノが来るのが当たり前で、バグがあるだの、読み取りが遅いなんて事も多く、とんでもないときには製品版とまるでバランスが違ったり、操作法が追加されてるなんてことすらあったりした。それらをある程度「製品はこうなるのだろう」と推測してプレイせざるを得ないところがあり、これが難しいところだったわけだ。
そんなわけで、若干の修正をお願いされることはあったが、おおむねレビューは自由に書かせてもらえるのが真実で、むしろバグや未完成なソフトの問題に悩まされることの方が多いのだ。
(あ、あと特殊な入力デバイス前提のものも辛い。たいていサンプルが一個しかないので、レビュー出来る期間が短くてとても厳しいのだ。特にパチンコなんてあのコントローラか通常コントローラかで面白さがまるで違うと思うので、全く困らされた)
点数をつけるレビューからは引退して久しいが、ライターは今でも現役だし、状況はあまり変わってないのは知っている(ツールが面倒になって昔よりレビューが面倒になったぐらい)。レビューで悩むことは、普通の人が想像するのは全く別なところなのだ。
※ 推敲中に「具体的な形で載っている部分が少ない」ってのを削ってしまっていたのを付け加え直した。
さて、ゲームのレビューはBeep!で勝手にやってたのから、今までだからかれこれ25年ぐらいやっていることになる。
このうち、いわゆるゲームに点数をつけるレビュワーをやってたのは1988-1999の11年間。PCエンジンとPS1で、記事で話題になっているのはもちろんコレの事なので、点数をつけていたときの事を書く。
もちろんメーカーからのクレームで点数に若干調整が入ったり、編集部からの要請で単語を修正したりということはあったが、100点つけろだの、0点にしろだのといった圧力なんてものはなく、おおむね自由にやらせてもらっていた。
修正は具体的には【話にならない】という文を【問題がある】程度に直してくれないか、みたいな感じだったり、点数であと5点なんとかなりませんか? みたいな感じ。メーカーだって出来の悪いゲームの時は分かっているのだから、点数に期待はしない。
当たり前だが、点数が良くて評価もいいときは修正はたいていいらなくてダメなときになんとかならないかと聞かれるイメージだった。そしてダメなゲームはメーカーだってわかっているので「話にならない」→「問題を感じた」程度に柔らかくしてくれないかとか「こういういいところがあんだから+5ぐらいなんとかなんね?」ぐらいのものだった。つまりどちらかというとお願いだ。
(点数が良くても修正を受けたことは数回あったが、それはレビューで書いた要素をメーカー側に「伏せてくれ」と言われたのが、そのほとんどだった。簡単に書けば、それは書いて欲しくないってところを書いたってことだ)
ごく希に(10年やってて2回程度だったと記憶がある)ほぼ書き直してくれと言われたことはあるけれど、これはメーカーチェックではなく編集部からの要望で「僕のレビュワーの立ち位置からすると、このレビュー内容はいただけない」だった。端的に書けば、編集部からボツを食らっただけで、メーカーから文句を言われたわけではない。
当たり前だが、数人いるレビュワーにはそれぞれゲームの見方の立ち位置があり、その立ち位置からのレビューを要求されている。ゲームに対して適当な自分の感想文、それも悪口と揚げ足取りを書けばクールだと勘違いしてる、掃いて捨てるほどある自称評論とは違うのだ。
また一部で噂されている「点数を買う」なんてのは、僕の知る限りではない。もちろん、自分は一度もそんなことは要求されたことはない。他の雑誌でもないと思う。あれば狭い業界だ、噂は広がる。
この手の陰謀論はどんだけ否定しても信じたい人は勝手に信じるので、言ってもしょうがないで放置するのが一番早いのだけど、仮に点数を金で買えるなら、僕はゲームを作る側でもあったのだから絶対に知っている。だいたい金で点数買えるなら、もっと点数の変なソフトいくらでもでてくるし、天外2とかエメドラとか作ってるときに、広報対策でその話が出てくる。出てこないのが、金で買えない証拠だ。だいたい金でレビュー調整出来るなんて、雑誌としては自殺行為だ。やるわけない。
むしろレビューをやっているうえで問題になったのは未完成ソフトが来たときと致命的なバグがあったときだった。ぶっちゃけそういうときはレビューを止めて欲しくなるのだけど、だいたい代えが効かないのでレビューすることになる。
こういう問題はPCエンジンでCDROMになって、マスターの提出から発売までの期間が短くなって起こるようになった。ROMの時代なら、デバッグして、ほぼバグも取れた最終段階のROMがサンプルで来たのが、生産期間が短くなったモノで、作ってる途中のモノが来るようになったわけだ。
もうどうしようもないバグを見つけて、思わずレビュー担当に
「このバグ、残ってたら致命傷で、とてもまともな点はあげられないよ?」
「メーカーは大丈夫だと言っています」
担当だって問い合わせてくれているわけで、大丈夫だと言われたら、信じてバグはないのを前提にしてレビューを書くしかない。蓋を開けてみたら、発売されたら残っていて、当たり前だけどバグは取れているのが前提だから書くわけにもいかないので、レビューでも当然触れていない。全く読者を裏切った気分になって、ガッカリしたこともある。
この手の事には結構悩まされて、プレイしていてあんまりひどいバグなので「レビュー版ではXXXというバグがあり、ひどい目にあった。製品版では当然取れていると思うが」という文を入れさせてくれと編集部に言ったこともあるし、編集部判断で急遽ソフトが入れ替えになったことすらあったりする。
ROM時代が終わり、光学メディア時代になってからあとのレビューのソフトは、だいたいデバッグしている途中のモノが来るのが当たり前で、バグがあるだの、読み取りが遅いなんて事も多く、とんでもないときには製品版とまるでバランスが違ったり、操作法が追加されてるなんてことすらあったりした。それらをある程度「製品はこうなるのだろう」と推測してプレイせざるを得ないところがあり、これが難しいところだったわけだ。
そんなわけで、若干の修正をお願いされることはあったが、おおむねレビューは自由に書かせてもらえるのが真実で、むしろバグや未完成なソフトの問題に悩まされることの方が多いのだ。
(あ、あと特殊な入力デバイス前提のものも辛い。たいていサンプルが一個しかないので、レビュー出来る期間が短くてとても厳しいのだ。特にパチンコなんてあのコントローラか通常コントローラかで面白さがまるで違うと思うので、全く困らされた)
点数をつけるレビューからは引退して久しいが、ライターは今でも現役だし、状況はあまり変わってないのは知っている(ツールが面倒になって昔よりレビューが面倒になったぐらい)。レビューで悩むことは、普通の人が想像するのは全く別なところなのだ。
2011-09-29 Thu [ ゲームについて::歴史のこと ]
教養のゲーム史について書いたとき、ちょっとカーレースについて触れたら、もっとカーレース…特に2D時代のセガとタイトーのカーレース黎明期のつばぜり合いについて書いておきたくなったので、ここに記しておく。
この話は、僕が9歳からスタートし、最後は18-9歳あたりまで続く、当時2つのゲームメーカーがカーレースについて張り合っていたら、そこに第三のメーカーが現れ、あっつーまにジャンルそのものが過去の遺物になってしまうまでの物語だ。
さて。
僕がテレビゲームと出会ったのは、1973年。2泊3日のハワイ旅行のホテルだった。
小学校4年の夏休みだったので、多分10歳になっていたのだろうと思う。
ホテルに置かれていたのは PONG! 。ただしアップライトではなくカクテル筐体バージョンだった。カクテル筐体だったので上がスモークの茶色のアクリルになっていて、恐ろしくハイテクな印象だった。これがATARIのオリジナルなのか、それともATARI コピーだったのかは残念ながら覚えていないが、ハワイの海よりこのゲームの事を良く覚えているのだから、よほど衝撃的だったのだろう。
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この話は、僕が9歳からスタートし、最後は18-9歳あたりまで続く、当時2つのゲームメーカーがカーレースについて張り合っていたら、そこに第三のメーカーが現れ、あっつーまにジャンルそのものが過去の遺物になってしまうまでの物語だ。
さて。
僕がテレビゲームと出会ったのは、1973年。2泊3日のハワイ旅行のホテルだった。
小学校4年の夏休みだったので、多分10歳になっていたのだろうと思う。
ホテルに置かれていたのは PONG! 。ただしアップライトではなくカクテル筐体バージョンだった。カクテル筐体だったので上がスモークの茶色のアクリルになっていて、恐ろしくハイテクな印象だった。これがATARIのオリジナルなのか、それともATARI コピーだったのかは残念ながら覚えていないが、ハワイの海よりこのゲームの事を良く覚えているのだから、よほど衝撃的だったのだろう。
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2011-07-20 Wed [ ゲームについて::イロイロ ]
電撃プレイステーション300号記念で2005年の2月ー3月あたりで書いた文章。
2号連続載せた文をまとめて一つにした。
文体に気に入らないところがあったので、若干書き直したところがあるけれど、基本的な論旨や内容は変わってない。
本来はカテゴリは転載物にしたいのだけど、これについてはイロイロ書きたいことがあって、追加を大幅にするのもあって、カテゴリがいつもと違うところに置かれている。
300号を記念して、何か最近のゲームについて思うことを書いてくれ…というので、最近考えている非常に重大な問題について、今回は書いてみることにしてみた。
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2号連続載せた文をまとめて一つにした。
文体に気に入らないところがあったので、若干書き直したところがあるけれど、基本的な論旨や内容は変わってない。
本来はカテゴリは転載物にしたいのだけど、これについてはイロイロ書きたいことがあって、追加を大幅にするのもあって、カテゴリがいつもと違うところに置かれている。
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300号を記念して、何か最近のゲームについて思うことを書いてくれ…というので、最近考えている非常に重大な問題について、今回は書いてみることにしてみた。
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