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大きいことはいいことか?(1)
電撃プレイステーション300号記念で2005年の2月ー3月あたりで書いた文章。
2号連続載せた文をまとめて一つにした。
文体に気に入らないところがあったので、若干書き直したところがあるけれど、基本的な論旨や内容は変わってない。
本来はカテゴリは転載物にしたいのだけど、これについてはイロイロ書きたいことがあって、追加を大幅にするのもあって、カテゴリがいつもと違うところに置かれている。

■■■

300号を記念して、何か最近のゲームについて思うことを書いてくれ…というので、最近考えている非常に重大な問題について、今回は書いてみることにしてみた。



さて、ゲームと映画の類似性というのはよく言われることだ。
確かに、いろいろなところが似ている。ストーリーを語るメディアと「語れるメディア」であり、技法的にも同じ物が使うことが出来(これはテレビでも同じ事が言えるわけだが)、基本的には1本で販売されているところも妙に似ている。
さらに言えば、PS2の場合にはDVDのパッケージが同じだの、メディアが同じだの、まあさらに変なところもあるわけだが、そういうところはともかくとしてだ。

300号記念は2005年だったのでPS2と書いている。とはいっても、PS2後期で、そろそろPS3が見えている時期だった。

逆に、違うところと言えば、ゲームはインタラクティブに動く要素が多々あるが、映画はない…以外に、実は大きく違うところがある。
そして、それは映画とゲームのビジネスの違い、ひいてはゲーム業界そのものの問題にまで関わっていることだ。
と、本題に入る前に、映画館でのお金の回収システムについて話をしておこう。
およそほとんどの商業用の映画は短い物で1時間半程度(子供用の2本立てなどでもっと短いものもあるが、そういうのは少々特殊な例なので除外する)、長い物で2時間20分ぐらい。非常に長い物でも3時間を超えることはほとんどない。

もちろん馬鹿馬鹿しく長い映画や3時間を超える映画もある。例えば近年の大ヒットロード・オブ・ザ・リングは、1・2はロードショー版ですらほぼ3時間に近く、3は映画館ですら3時間を超えている。
だけど、大半の映画は1時間30分~2時間20分程度の中に収まると考えていい。

これは椅子に座っているのが苦痛…なのも、むろん少々はあるが、もっと大きなビジネス上の理由がある。それは「映画館の回転率」の問題だ。
話をわかりやすくするために100人入れる(そしてそれ以上は入れない)映画館があり、この映画館は不思議なことに毎日、毎回、必ず満員だとしよう。
言うまでもなく、1日は24時間しかなく、土曜のオールナイトを除けば、映画館はだいたい朝の10時ぐらいから始まり、夜の10時には閉まる。つまりだいたい12時間、一日の半分開いているのが普通の映画館だ。
そこで、この映画館も12時間開いていることにしよう。そして映画と映画の間の休憩時間はかならず30分(話をわかりやすくするためにそう設定しておく)とし、余った時間は絶対に映画は上映せず、映画館を閉じてしまうとしよう。
こんな設定をしたとき1時間30分の映画なら1日6回上映出来るが、2時間の映画は1日5回になるし、3時間になると3回だ。この上映出来る回数が回転率と呼ばれるものだ。
ところで、映画の入場料は大ざっぱに2000円で、毎回この映画館は満員なのだから(笑)、1時間30分の映画なら、1日2000円×100人×6で、120万円の売り上げがあるが、2時間の映画なら100万円、3時間の映画なら60万になってしまう。
つまり、映画の長さによる回転率は、1日に映画館に入ってくる金の量を文字通り決定してしまう非常に大きな要素だ。
ここで大事なポイントが1時間30分と2時間の間には、それほど大きな差はないが、3時間と2時間では大きく違うと言うこと。
そして、この例は、案外現実に近い。だから、ほとんどの映画は2時間前後の長さになっており、それは「お話を語るために必要な時間」と「映画館の人たちが暮らしていくために現実的に必要なお金」のバランスから決まっているわけだ。
そのために、映画ではいらないと思われるシーンをバッサリとカットし、思い切ってお話を切りつめ、まとめていく作業が行われる。
だからこそ無駄なく語られる作品となり得ると僕は思っているわけだが、そうしてカットされたのを残念に思う作り手側と、それをDVDのセールスに結びつけたい売り手側、さらにはカットされた部分を見てみたいファンの心が一致してDVDでは良く「ディレクターズカット版」が発売されたり「未公開シーン」が収録されていたりするわけだ。
これは当然の事ながらDVDには回転率は実質なく、あるのはせいぜい収録時間からくる枚数の増大程度なので、それよりむしろ売れてくれるために必要と思われる盛りだくさんな要素を載せることを考えるからだ。
と、あまりゲームと関係がなさそうな話を延々続けてきたのには理由がある。この映画館の例で出てきた「回転率」は、実は全く同じ問題がゲームにもあり、そして、それは年々、ある意味悪い方向に進み続けているからだ。
それは「一通りクリアするまでのプレイタイム」だ。
なぜ事情が悪くなっているのか?
僕が初めてプレイしたドラクエ1は、15~20時間そこそこでクリアで、これはドラクエ6あたりでも、あまり変わらず20~30時間に伸びた程度だった。
ところがドラクエ7では、容量制限が大幅にゆるくなったのもあり、一気に100時間近くなっている(平気で100時間行くと思う)し、ドラクエ8も7ほどではないとはいえ、かなりの物だ。
また、昔はアクションだろうとなんだろうと数時間も遊べば、それなりの所に進めたのに、今では数時間というと、まだゲームの序の口なのも当たり前。100時間のプレイタイムに驚く事もなくなってしまった。
その最たる物がネットワークゲーム。例えば、僕が延々やり続けているFFXIなど、もう2000時間とか3000時間プレイしているのは間違いない(放置している時間も長いわけだが)。

FF XIは、2011年現在、まだアカウントを置いてはいるが実質引退状態になっている。たまーにログインしようと思っているのだけど…

まあネットゲームは極端な例にしても、一本あたり「普通にクリアするまでに必要なプレイタイム」は、10年前(この文は2005年に書かれたので1995年あたり)の2-3倍になっているのは間違いあるまい。
さて、長く遊べるのはいいことじゃないかと、みなは思うかも知れないが…これはゲーム業界にとっては大問題だ。
当たり前の事だが、プレイヤー個々のゲームで遊べる時間は決まっている。一本のプレイ時間が伸びるということは「一人がゲームをやる本数が減る」、映画館の例に例えるなら、映画の上映時間がどんどん伸びているに等しい状態だ。
控えめにクリアするまでの時間が10年前の2倍としても、プレイ出来る本数は半分。ところがゲームの値段はせいぜい1000~1500円程度しか上がっていないのだから、業界全体の収入は数十パーセントの単位で減るに決まっている。
このしわ寄せがどこに行くのかというと「新規のシリーズ」や「小さなメーカーが出したソフト」。当たり前のことながら、プレイ出来る本数が少なくなればなるほど話題作以外は売れなくなっていく。年に40本の映画が見られるなら、実験映画も見に行けるが、年に4本しか映画が見られないなら、誰だってはずれそうにない超大作を選ぶに決まってる。
さらにプレイタイムが伸びるのは別の問題も引き起こしている。当たり前だが、1日にゲームをやれる時間は決まっているのにプレイタイムが伸びると、一本のゲームをプレイする期間が伸びると言うことだ。
そして人は昔の事を忘れる。露骨に書けば、お話を忘れてしまうのだ。これが本なら粗筋を読んだり、ちょっと前のページに戻って確認するなりすればいいが、ゲームはそうはいかない。そうなれば、やっている当のゲーム自体だって詰まらなくなってしまい、すなわちゲームが面白くないって事になり、あげくの果てにはROMで容量が小さくて、どうしても削らざるを得ないDSやGBAのゲームが「PS2のゲームよりも密度が高くて面白いように感じてしまう」なんて妙な逆転現象が起こってしまうのだ。

携帯ゲームの方が強い理由の一つに「携帯性」がある。携帯出来ること=ヒマな少し空いた時間でプレイ可能=通勤・通学などの時間にプレイ可能=ゲームに接している時間が長い=忘れにくい。

つまり、僕は今のゲームは大きくなりすぎて、業界自体が自分で自分の首を絞めていると思うのだ。
じゃあどこらが適当なのかと言われると、個人的にはプレイタイムは最大でも20-30時間程度で、あとはいわゆる「やり込み要素」で遊んでください、ぐらいがベストではないかと思っている。
これなら1日1時間でも、せいぜい1ヶ月もあればクリア出来るし、実際はたいてい1~2週間ぐらいでクリア出来るだろう。さらに言うなら、今と同じ開発の努力を、そのプレイタイムの中に凝縮すれば、面白さもずっと増すという物だ。
長くダラダラとしたゲームをやるより、短くても高密度の面白さの方が個人的にはずっと嬉しいし、ゲームそのものの回転率の問題もある。
ゲームを大きくして、ただサイズとプレイタイムでユーザーを引きつけようとするのでなく、その内包している面白さで引きつけるようにして、ゲームをコンパクトにしていかないと、業界全体が、どんどん困った方向に進んでしまうのではないか?
僕は最近、本当にこれを怖く思うようになっているのだ。

■■■

これを書いたのは2005年で、2年ほど前から、会社(メディアワークス)で「これからのゲームは軽いネットゲームを携帯/ブラウザで無料アイテム課金もしくは低価格なサブスクリプションでプレイするのが主流になる」と主張して、鼻で笑われていたw
ところで、この文ではあえて書かなかったことがある。
それは、どうしてこんなにプレイタイムが伸びたのか? ということだ。
一つにはもちろんコストパフォーマンスの問題だが、もう一つの決定的な理由は中古に尽きる。
ともかくプレイタイムが短ければ中古に売られてしまう。一度中古に売られたらメーカーにはそこから資金を回収する手段はない。すなわち、メーカー側が利益を大きくする選択は中古に流れにくくする=プレイタイムを延ばす、以外に答えがない。
この中古問題は世界のコンソール市場で最初に日本で本格的に起こり、市場の圧力からたちまち日本のゲームは変化していった。
具体的な書き方をすると、最低でも50-60時間を投入するのが当たり前にするために「素材を集め、合成して、何度も同じ作業をしないとクリアできない」、「クリアしてもいろいろなパーツをかき集めないと、真のエンディングは見られない」、「1キャラ毎に違うストーリーがあり、全部見るためには膨大な時間が必要」などなどの方法で、ともかく長時間保たせる方向にゲームは変化したわけだ。
もちろん、これはメーカーとユーザーの駆け引きで結果的に起こった、いわば多数のユーザーが望んだモノで、「ユーザーの望むゲーム」になれなかったジャンルは消えたも同然のニッチに落ち込んでいったわけだが…この中古について、いろいろと思うことはある。
コストパフォーマンスの話を始めたとき、10時間と考えても1時間500円~800円程度で、20時間なら200-400円。そこで手に入る面白さを考えると、全く十分ではないかと思うし、だいたい中身の変化が基本的にないのに果たして「中古」と呼んでいいのかなんて、本当に思ってしまうが、そのあたりは語るとまたえらく長くなるので、いつか別項で。

また最初に日本で本格的に…と書いたが、大市場だったアメリカでは中古の影響が出るのが遙かに遅かった。
だからPS2後期までバリュー価格帯と呼ばれる低価格・軽い内容のゲームが成り立つ余地があり、中小のデベロッパーがそこで暮らせていたし、メーカーも中古対策はほとんどしなかった(ただしアメリカ市場ではもともとプレイタイムを極端に重視する傾向はあったので、長く遊べるゲームが好まれたのは事実)。
ところがPS2末期から急速に中古市場が大きくなりはじめ問題になりはじめ、HDマシンになって開発費の高騰と絡んで、たちまちのうちにバリュー価格帯のゲームは消滅同然になり、デベロッパーも大量消滅した。
そしてアメリカでは売られないようにするために(長時間拘束可能な)オンラインマルチプレイに注力した結果、マルチプレイの出来ないジャンルが激減する現象が起こった。(日本とは違う形で中古の影響が出たわけだ)
ところがオンラインマルチプレイはメーカー側に運営費がかかるサービスなので、中古を購入したプレイヤーはそのサービスにただ乗りしていることになる。
そして、その負担に耐えかねたメーカーは中古対策としてオンラインプレイやDLC用のコードを付属させ、コストを回収できるシステムを作ろうとしているのが、今の流れなわけだ。

つまり日本ではオンラインマルチプレイが一般的でなかったために、中古対策はコレクション要素に偏り、アメリカでは中古対策がオンライン要素に偏った、というのが今のところの流れで、そしてそれの極限形の回答の一つがモンハンということになる(コレクション要素とオンラインの両者が合体した代物だ)。

ところで、これらの問題の行く先はどうなるか?
実は答えを出してしまっている国がある。
それは韓国だ。
そして韓国を見れば、最終的にコンソールゲームはこうなってしまうのではないか…という推測が立つのだが、その未来はどうにも嬉しいものには思えない。
…というところで、えれー長くなったので、いったん終了。
|| 21:25 | comments (3) | trackback (0) | ||

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コメント
中古で売られないようにするためのオンラインマルチプレイ。
でも、それそのものが、次のゲームを買わなくさせてますよね。
オンラインが無料であればなおのこと。

もっとも、それが日本の市場に及ぼす影響は、今となっては
限定的とは言いませんが、そこまで問題ではないと考えます。

おそらく消費行動のパターンは決まっているので、
それらオンラインゲームユーザーもとっくに住み分けが済んでいるのかな、と。
(例えばアイテム課金のMMOするような層(ごく一部が大金を投じて、
大半はお金を持ってない??)は早い時期からそうしていたでしょうし、海外にしたってXBOXが開拓した北米中心のFPSプレイヤーも元々の市場には居らず、この先もFPSを主に買い続けるのではないかと)

この2年3年はオンラインよりもiPhoneとかソーシャルとか、
少子化やデフレ化や所得の減少の方が遙かに大きな問題ですよね。
ニコニコ動画の隆盛を見るに、これからお金のない若者が増えてくると思われますが
持ってない人から大金はどうやっても取れないわけでして。


閑話休題。

長年。どんなに少ない時でも35本、多い時は50~60本買っていたゲームソフトですが、
今年になってぱたっと買わなくなりました、秋口に発売ラッシュが控えているとはいえ、
このままでは恐らく年間20本行かないでしょう。
(代わりに買うようになったのがアニメのBDです)

それというのも全ては遊ぶ時間がないからです。
これまでも、殆どが積むばかりで、プレイするソフトも発売されてから数年経ってから…
ということばかりでしたが、金銭的な余裕も前ほどは無い今、以前よりも早く
リリースされるベスト盤や完全版商法に、ついに我慢ならなくなり、
「遊ぶ時に買えばいいか。」と思うようになりました。

そして私にとってゲームは時間つぶしではなく、
大切な冒険の思い出であり、アルバムのようなものです。
だからこそ、中古では買いたくないですし(当然予約買い)、
遊び終わった後も売りたいとは思わないわけでして。

買う本数が激減したと言っても、やはり積みまくっていることに変わりはないのですが
そんな今の私にとってはプレイ時間の短さ、確実に消化できること、が何よりの価値です。
(コストパフォーマンスはそれほど気にしません。)

3時間5時間では困りますが、10時間から15時間で終るくらいが手を出そうという気になりますし、
助かります。(もちろん音声は基本スキップです)

そんな私は特別な方だと思いますが
ゲームファン(いわゆるコア)向けのソフトでそういう積みゲー需要(遊ばないけど買って持っておきたい)。
崩壊しつつあるそこの市場は、そのあたりも看過できないものがあったのではないかと…。

パッケージ販売。ゲームを所有するというスタイル自体、時代が許さなくなってきているのかもしれませんが、
古い人間なので、オン専門や限定認証とかは勘弁して欲しいですね。

itunesストアは別として、DLソフトも数が増えると管理できなくなってくるので。
| michikusa | EMAIL | URL | 11/07/26 19:19 | aL2dJzPM |
実はゲームのプレイ時間を表記したとても初期のゲームに天外2があります。

天外2でプレイ時間を表記したのはもともとはロード画面です。どうして表記したのかというと「セーブファイルのどれが新しいのか?」を分かりやすくするためでした。
これをエンディングで表記したら「どんだけ遊んだかわかるじゃん」と思ったのは僕でした。
天外2はとても大きなゲームだったので「こんなに君は遊んだんですよ」と表記するのは、お得感を演出するうえで効果的であると同時に「タイムアタック」としての面白さも出るなと思って表記しました。
またそのうち書きますが、デバッグしててほぼ最後につけたものでした。
で、この時間が強く意識されるようになったのは、天外2あたり、つまり92年前後からと思います。これは家庭用ゲームがアーケードから完全に分離して別物になったからでしょうね。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 11/07/23 19:54 | VSOORaGc |
ゲームの価値判断に「プレイ時間」が重視されるようになってから
ゲーム自体の作りも変わってきたように思いますね。(因果としては逆ですかね?)

コンテンツとしてのストックとフロー、というか、アーケード主体だった時代は
インカム率ありきの1回性、度々の不確定な行動、遊びを重視した内容だったようにも。
重視した、というよりも表現技術向上等による結果論なのかもしれませんが。

ゲーム上のステータスでプレイ時間が表示される背景には
色々な意図があるんだろうなあ、とは思います。
(クリアの速度という価値観と、いわゆる「やりこみ」、及び商品自体のC/Pという価値観の提供でしょうか)

話は変わりますが、「ゲームと映画の類似性」については、「新明解ナム語辞典」のまえがきにあった
「ゲームにはニュートラルな視点がない」という指摘を思い出しました。
これは現在もあまり変わってないのかなあ?
| atsu | EMAIL | URL | 11/07/21 12:20 | jB3nOvqE |
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