2011-10-19 Wed [ ゲームについて::歴史のこと ]
■日本のアドベンチャの第一次黎明~衰退期
さて、アメリカでのアドベンチャブームを受けて、日本でもアドベンチャが登場することになる。
登場したのは1982年4月と思われる。思われる…というのは、文献や資料が不足で、自分の記憶ではということだから。
その日本初(と思われる)アドベンチャは、フルテキストの『表参道アドベンチャ』という、PC-8001用のアスキーの増刊に発表されたゲームだ。少なくとも、僕はコレよりも前に日本製の「Adventure Game」をプレイした記憶はない。また商用Adventure Gameの嚆矢がアメリカでは1980年の"Mystery House"で、Infocomの"Zork 1"が1981、IBM-PC用のマイクロソフトのテキストアドベンチャ"microsoft Adventure"が1981。
ア・スキーのこれは1982年4月と考えると、ほぼ「最新のゲーム」なわけで、これより以前に日本製のアドベンチャゲームがあった可能性は極めて低いと思う(雑誌の当時の〆切を考えると、完成は1982年の2月だったと思われるので、アメリカから1年遅れていないわけだからスゴいものだ)。
そして次々と(商用)アドベンチャゲームが登場するのだけど、日本のアドベンチャゲームはアメリカのアドベンチャゲーム以上に言葉の壁に激しく当たることとなった。
これは英語と日本語の単語と文章構造と使われている文字の多さの違いのせいだ。
英語はともかく主語+動詞、例えば"get driver"で意味が通じるが、日本語は「トル ドライバー」なのか「ドライバー トル」なのか、それともはたまた「ドライバ トル」なのか…ともかく表記も入力もワケがわからなくなってしまう。
しかも日本語にはさらに大きな問題があった。
初期のPCでは漢字を扱うことが全く出来ず、使えるのはアルファベットとカタカナだけ。ひらがなすら使えなかった。
漢字がそんな状態なのだから、もちろんまともな日本語変換もなかったし、だいたい漢字でメッセージが表示される事そのものもなかった。そして書いたとおり文法解析が難しかったのもあって『ドライバトル』では『ドライバトル はわかりません』なんて返事が返って来てしまうことになる(正確には「ドライバトル ハ ワカリマセン」だがw)。
日本語入力では使い物にならないとなれば英語。今度は単語が分からない。つまり日本語では入力が難しく、英語では単語がさっぱりわからない。
結果として、日本ではアメリカ以上にアドベンチャゲーム=理不尽な言葉探しというイメージを与える作品になっていた(そして英語以上の文法解析の難しさと漢字かな交じり文、そして同音異義語の多さからinfocomの登場は望むべくもなかった)。
この閉塞状況に決定的な解答を与えたのが堀井雄二氏。
氏は、氏のアドベンチャーの代表的な作品「オホーツクに消ゆ」で選択メニュー形式を作り出したのだ(なお、これは明らかにWizardryかUltimaのアイテム系のメニューから思いついたと思われる。構造が同じなのだ)。
また、あまり言われないことだが、選択型アドベンチャは完全に日本オリジナルのスタイルである。アメリカのようにキーボードが普及していない、アルファベットでない文化がこれを生み出したのだが、結果としてはコンシューマへの移植が可能などのメリットも多々現れることになる。
■ 『選択肢を選ぶだけで謎が解ける』 ■
これは疑いもなく決定的な方法だった。
そして、この選択肢方式により、ユーザーは言葉探しを忘れ、謎解きに専念出来るようになったのだが――結果として、これは違った形の大きな問題を引き起こした。
理屈の上から選択メニュー方式はコマンド総当たりで解ける。テンキーをバンバン叩くだけでサルでも解けてしまうゲームになってしまう(パソコンでは入力はテンキーが多く、そしてアドベンチャはコンシューマ機が大容量化するまでパソコンの物だった)。
逆の書き方をするならば、謎が難しくなると(そして選択肢が増えると)プレイヤーは謎を解こうと考えるのではなく、総当たりで機械的に謎を解いてしまう事が出来、そして下手に謎について悩むぐらいならその方法で解く方が楽なのだ。
機械的に解いてしまわれたのでは、とても楽しんでプレイしたと言えるようなものではない。言い換えれば、機械的に解かなければ分からないような謎は避けなければならないが、これは逆に謎の難易度が低下することになり、簡単に解けてしまうことになる。
言葉探しがなくなった分――お話と謎解きに集中出来るというと聞こえはいいが、ゲームのプレイタイムや難易度の観点からは選択肢方式は問題だらけだったのだ。
これを解決しようと、さまざまなメーカーがさまざまな方法をテストしていた。
例えば『スナッチャー』(コナミ)ではアクションシーンと若干の文字入力を加えることによって推理の必要な部分やアクションシーンを演出しようとしていたし『J・E・S・U・S』(エニックス)では音階を入力させること、パズルゲーム(文字通りパズルゲーム)を入れることによって、やはり謎解きと緊張感を演出しようとしている。
――というように、様々なメーカーがいろいろなアプローチをしていたのだが、この中で、他とは大きく違うアプローチをしたメーカー(ソフト)があった。
それがシステムサコム制作、故多摩豊氏・ゲームデザインのノベルウェアシリーズ。
他のアドベンチャゲームが「選択式メニューを使いつつゲームとして謎解きを演出しよう」としていたのに対し、氏は逆の発想でノベルウェアを作り出した。
簡単に言えば、氏は――文字情報を多くして、読みごたえを出す代わりに選択肢を絞り、なおかつ、プレイする時の選択肢によってゲーム展開は変化し違うエンディングに行き着くこともあるアドベンチャゲームを作り出したのだ。
これは氏に直接聞いたことではないが、氏のストーリーテリングに対する思考と当時流行していたスティーブジャクソンのゲームブックなどが頭の中で組合わさった結果だったのだろう思う。
さて、ここで初めて、ストーリー、それもどちらかというと、小説のような読みごたえのあるストーリーを主題としたゲームが登場することになる。
そして、これこそが――今の日本のアドベンチャの主流をなす選択肢方式・ストーリー型アドベンチャゲームの元祖中の元祖だ。
スタートは同じで、ストーリーがツリー構造(完全なツリーではないが)となっていて、選択肢によってストーリーが変化すること、絵が挿絵的な使い方であること(文字がメイン)、効果音がゲーム的に使用されることなどなど…似ている部分を取れば枚挙のいとまがない。ゲームの基本構造的にはなんら進歩をしていないと言っても間違いではないほどだ。
では、当時の閉塞感のあったアドベンチャゲームがこのノベルウェアでブレイクしたのかというと―――これが全然。
一部で注目されはしたが、あっさりと消滅してしまったのだ。
なぜか? 答えはファミコンとRPGにある。
ノベルウェアが登場した時代は既にファミコンが全盛期にさしかかろうとしている時代。なおかつRPGも大ブーム。その新しいスタイルにみんなが飛びついており、既にアドベンチャの時代は終焉を迎えようとしていたのだ。
この時代にあって、ノベルウェアは余りに登場するのが遅く、評価されることなく消えていくこととなった(ちなみに多摩氏がシナリオまで書いた作品を挙げておくと『ソフトでハードな物語』、『38万キロの虚空』の2作である)。
というところで続く。
さて、アメリカでのアドベンチャブームを受けて、日本でもアドベンチャが登場することになる。
登場したのは1982年4月と思われる。思われる…というのは、文献や資料が不足で、自分の記憶ではということだから。
その日本初(と思われる)アドベンチャは、フルテキストの『表参道アドベンチャ』という、PC-8001用のアスキーの増刊に発表されたゲームだ。少なくとも、僕はコレよりも前に日本製の「Adventure Game」をプレイした記憶はない。また商用Adventure Gameの嚆矢がアメリカでは1980年の"Mystery House"で、Infocomの"Zork 1"が1981、IBM-PC用のマイクロソフトのテキストアドベンチャ"microsoft Adventure"が1981。
ア・スキーのこれは1982年4月と考えると、ほぼ「最新のゲーム」なわけで、これより以前に日本製のアドベンチャゲームがあった可能性は極めて低いと思う(雑誌の当時の〆切を考えると、完成は1982年の2月だったと思われるので、アメリカから1年遅れていないわけだからスゴいものだ)。
余談に近い内容だが、勘違いしやすいので書いておく。
この掲載された増刊は"年間Ah!Ski"。後に年間ア・スキーがエイプリルフール増刊号として本当に発売されるようになるが、最初のうちは雑誌内雑誌で、表参道アドベンチャが掲載された号ももちろん雑誌内雑誌だ。ちなみに第一号は1981年で"EARTH TREK"が掲載されていたりする。
またプログラムはアセンブラのダンプリストを入力しなければならなかったのだけど、これがとんでもない最密充填ダンプリストとかいう代物で、入力は超きつかったのだけど、このダンプリストで初めて"Check sum"が登場した気がするのだけど、ここらへんをフォロー出来る人はいないだろうか…いないよなあ。
またこの次のア・スキーでは「南青山アドベンチャ」という名前の新しいゲームが登場するのだけど、これは当時出たところだったrogue likeな表示が行われている。作者はrogueの影響を受けた可能性が少しはある気はする(だがSTAR TREKのショートレンジセンサーであった可能性も否定出来ないw)。
またIBM-PC用に発売されたmicrosoft adventureは「海外ではビジネス用に発売されたハードでも知的に楽しめるアドベンチャが発売されるのだ」というような内容の記事がアスキーに書かれたりした。
この掲載された増刊は"年間Ah!Ski"。後に年間ア・スキーがエイプリルフール増刊号として本当に発売されるようになるが、最初のうちは雑誌内雑誌で、表参道アドベンチャが掲載された号ももちろん雑誌内雑誌だ。ちなみに第一号は1981年で"EARTH TREK"が掲載されていたりする。
またプログラムはアセンブラのダンプリストを入力しなければならなかったのだけど、これがとんでもない最密充填ダンプリストとかいう代物で、入力は超きつかったのだけど、このダンプリストで初めて"Check sum"が登場した気がするのだけど、ここらへんをフォロー出来る人はいないだろうか…いないよなあ。
またこの次のア・スキーでは「南青山アドベンチャ」という名前の新しいゲームが登場するのだけど、これは当時出たところだったrogue likeな表示が行われている。作者はrogueの影響を受けた可能性が少しはある気はする(だがSTAR TREKのショートレンジセンサーであった可能性も否定出来ないw)。
またIBM-PC用に発売されたmicrosoft adventureは「海外ではビジネス用に発売されたハードでも知的に楽しめるアドベンチャが発売されるのだ」というような内容の記事がアスキーに書かれたりした。
そして次々と(商用)アドベンチャゲームが登場するのだけど、日本のアドベンチャゲームはアメリカのアドベンチャゲーム以上に言葉の壁に激しく当たることとなった。
これは英語と日本語の単語と文章構造と使われている文字の多さの違いのせいだ。
英語はともかく主語+動詞、例えば"get driver"で意味が通じるが、日本語は「トル ドライバー」なのか「ドライバー トル」なのか、それともはたまた「ドライバ トル」なのか…ともかく表記も入力もワケがわからなくなってしまう。
しかも日本語にはさらに大きな問題があった。
初期のPCでは漢字を扱うことが全く出来ず、使えるのはアルファベットとカタカナだけ。ひらがなすら使えなかった。
漢字は当時はオプションの周辺機器で特殊なROM(漢字ROMと呼ばれ、たいていボードの形になっていた)が必要で、なおかつ途方もない値段だった(当時の中心機種であるNEC PC88シリーズ、初期のNEC PC98シリーズ、富士通のFMシリーズなど)。漢字がオプションでなくなったのはPC-88Mk2 SRおよびPC-9801E/Fシリーズが発売されたあたり。
このあたりの入力や表示の問題は漢字の問題 に書いている。
このあたりの入力や表示の問題は漢字の問題 に書いている。
漢字がそんな状態なのだから、もちろんまともな日本語変換もなかったし、だいたい漢字でメッセージが表示される事そのものもなかった。そして書いたとおり文法解析が難しかったのもあって『ドライバトル』では『ドライバトル はわかりません』なんて返事が返って来てしまうことになる(正確には「ドライバトル ハ ワカリマセン」だがw)。
日本語入力では使い物にならないとなれば英語。今度は単語が分からない。つまり日本語では入力が難しく、英語では単語がさっぱりわからない。
結果として、日本ではアメリカ以上にアドベンチャゲーム=理不尽な言葉探しというイメージを与える作品になっていた(そして英語以上の文法解析の難しさと漢字かな交じり文、そして同音異義語の多さからinfocomの登場は望むべくもなかった)。
この閉塞状況に決定的な解答を与えたのが堀井雄二氏。
氏は、氏のアドベンチャーの代表的な作品「オホーツクに消ゆ」で選択メニュー形式を作り出したのだ(なお、これは明らかにWizardryかUltimaのアイテム系のメニューから思いついたと思われる。構造が同じなのだ)。
また、あまり言われないことだが、選択型アドベンチャは完全に日本オリジナルのスタイルである。アメリカのようにキーボードが普及していない、アルファベットでない文化がこれを生み出したのだが、結果としてはコンシューマへの移植が可能などのメリットも多々現れることになる。
コマンド選択式の最初が「ポートピア連続殺人事件」と良く勘違いされているが、オリジナルの「ポートピア連続殺人事件(PC-6001/PC-8801)」は、キーボードから入力する方式で、ファミコン版で選択方式になったのだ。
ただし、コマンド選択式を堀井氏が思いついた理由の一端はPC-6001版に出ていると思う。というのもPC-6001/8801版では良く使うコマンドはファンクションキーに登録されており、ファンクションキー一発で入力可能だった。このアイディアからコマンド選択式へは一歩だし、堀井氏はポートピアをプレイしたときには既にAPPLE版のWizardryをプレイしているのも確かなので、この2つが組み合わさって出来上がった方式なのだろう。
実際ポートピアのオリジナルをプレイしたとき、ファンクションキーから大半のコマンドが入力可能なのでものすごくプレイが楽なのに感動した。
また、これは推測にしか過ぎないがポートピアで使われた「同行している(頭の悪い)ヤツに命令する」形式は、多分堀井氏の創作ではなく、ペンギンソフトウェアのAdventure、"The Quest"(1983 / AppleII)。これは自分は勇者と一緒に旅をする参謀役という設定で勇者にいろいろ命令を与える形でゲームが展開していく。作っている途中でこれを見たと考えると、とても理解できる。
なお最後のトリックは間違いなく堀井氏のオリジナルだと思う。
ただし、コマンド選択式を堀井氏が思いついた理由の一端はPC-6001版に出ていると思う。というのもPC-6001/8801版では良く使うコマンドはファンクションキーに登録されており、ファンクションキー一発で入力可能だった。このアイディアからコマンド選択式へは一歩だし、堀井氏はポートピアをプレイしたときには既にAPPLE版のWizardryをプレイしているのも確かなので、この2つが組み合わさって出来上がった方式なのだろう。
実際ポートピアのオリジナルをプレイしたとき、ファンクションキーから大半のコマンドが入力可能なのでものすごくプレイが楽なのに感動した。
また、これは推測にしか過ぎないがポートピアで使われた「同行している(頭の悪い)ヤツに命令する」形式は、多分堀井氏の創作ではなく、ペンギンソフトウェアのAdventure、"The Quest"(1983 / AppleII)。これは自分は勇者と一緒に旅をする参謀役という設定で勇者にいろいろ命令を与える形でゲームが展開していく。作っている途中でこれを見たと考えると、とても理解できる。
なお最後のトリックは間違いなく堀井氏のオリジナルだと思う。
■ 『選択肢を選ぶだけで謎が解ける』 ■
これは疑いもなく決定的な方法だった。
そして、この選択肢方式により、ユーザーは言葉探しを忘れ、謎解きに専念出来るようになったのだが――結果として、これは違った形の大きな問題を引き起こした。
理屈の上から選択メニュー方式はコマンド総当たりで解ける。テンキーをバンバン叩くだけでサルでも解けてしまうゲームになってしまう(パソコンでは入力はテンキーが多く、そしてアドベンチャはコンシューマ機が大容量化するまでパソコンの物だった)。
逆の書き方をするならば、謎が難しくなると(そして選択肢が増えると)プレイヤーは謎を解こうと考えるのではなく、総当たりで機械的に謎を解いてしまう事が出来、そして下手に謎について悩むぐらいならその方法で解く方が楽なのだ。
機械的に解いてしまわれたのでは、とても楽しんでプレイしたと言えるようなものではない。言い換えれば、機械的に解かなければ分からないような謎は避けなければならないが、これは逆に謎の難易度が低下することになり、簡単に解けてしまうことになる。
言葉探しがなくなった分――お話と謎解きに集中出来るというと聞こえはいいが、ゲームのプレイタイムや難易度の観点からは選択肢方式は問題だらけだったのだ。
これを解決しようと、さまざまなメーカーがさまざまな方法をテストしていた。
だいたい当の堀井氏自身がこの問題はわかっていたと思われる。だから初代88版の『オホーツクに消ゆ』は「はまり」が用意されているのだと思う。
なお初代88版のマニュアルには僕の名前が記載されているが、これは圧縮アルゴリズムとグラフィックエディタとプロテクトに関わっているからで、ゲームには関わっていない。
なお初代88版のマニュアルには僕の名前が記載されているが、これは圧縮アルゴリズムとグラフィックエディタとプロテクトに関わっているからで、ゲームには関わっていない。
例えば『スナッチャー』(コナミ)ではアクションシーンと若干の文字入力を加えることによって推理の必要な部分やアクションシーンを演出しようとしていたし『J・E・S・U・S』(エニックス)では音階を入力させること、パズルゲーム(文字通りパズルゲーム)を入れることによって、やはり謎解きと緊張感を演出しようとしている。
マルチエンドもあった。それを売りにしたゲームを期待して買ったらダメダメで凹んだ覚えがある。
――というように、様々なメーカーがいろいろなアプローチをしていたのだが、この中で、他とは大きく違うアプローチをしたメーカー(ソフト)があった。
それがシステムサコム制作、故多摩豊氏・ゲームデザインのノベルウェアシリーズ。
他のアドベンチャゲームが「選択式メニューを使いつつゲームとして謎解きを演出しよう」としていたのに対し、氏は逆の発想でノベルウェアを作り出した。
簡単に言えば、氏は――文字情報を多くして、読みごたえを出す代わりに選択肢を絞り、なおかつ、プレイする時の選択肢によってゲーム展開は変化し違うエンディングに行き着くこともあるアドベンチャゲームを作り出したのだ。
これは氏に直接聞いたことではないが、氏のストーリーテリングに対する思考と当時流行していたスティーブジャクソンのゲームブックなどが頭の中で組合わさった結果だったのだろう思う。
さて、ここで初めて、ストーリー、それもどちらかというと、小説のような読みごたえのあるストーリーを主題としたゲームが登場することになる。
そして、これこそが――今の日本のアドベンチャの主流をなす選択肢方式・ストーリー型アドベンチャゲームの元祖中の元祖だ。
スタートは同じで、ストーリーがツリー構造(完全なツリーではないが)となっていて、選択肢によってストーリーが変化すること、絵が挿絵的な使い方であること(文字がメイン)、効果音がゲーム的に使用されることなどなど…似ている部分を取れば枚挙のいとまがない。ゲームの基本構造的にはなんら進歩をしていないと言っても間違いではないほどだ。
では、当時の閉塞感のあったアドベンチャゲームがこのノベルウェアでブレイクしたのかというと―――これが全然。
一部で注目されはしたが、あっさりと消滅してしまったのだ。
なぜか? 答えはファミコンとRPGにある。
ノベルウェアが登場した時代は既にファミコンが全盛期にさしかかろうとしている時代。なおかつRPGも大ブーム。その新しいスタイルにみんなが飛びついており、既にアドベンチャの時代は終焉を迎えようとしていたのだ。
この時代にあって、ノベルウェアは余りに登場するのが遅く、評価されることなく消えていくこととなった(ちなみに多摩氏がシナリオまで書いた作品を挙げておくと『ソフトでハードな物語』、『38万キロの虚空』の2作である)。
ここには推測が入っている。
故多摩氏がノベルウェアを2作作ったのは事実だし、企画&ゲームデザインに絡んでいたのも間違いない事実だし、ノベルウェアというアイディアを良く理解していたのも間違いないし、ゲームにおけるストーリーテリングなどに深い関心を持たれていたのも事実だが「ノベルウェアというアイディア」がどこまで多摩氏のもので、どこからがシステムサコムのモノなのかはわからない。
ただDOME(第一作)の事から良く知っておられたので、中核にいた人なのは間違いないと思うのだけど…
両者がお互いに影響を与えあって出来た作品なのは間違いないとは思う。
故多摩氏がノベルウェアを2作作ったのは事実だし、企画&ゲームデザインに絡んでいたのも間違いない事実だし、ノベルウェアというアイディアを良く理解していたのも間違いないし、ゲームにおけるストーリーテリングなどに深い関心を持たれていたのも事実だが「ノベルウェアというアイディア」がどこまで多摩氏のもので、どこからがシステムサコムのモノなのかはわからない。
ただDOME(第一作)の事から良く知っておられたので、中核にいた人なのは間違いないと思うのだけど…
両者がお互いに影響を与えあって出来た作品なのは間違いないとは思う。
というところで続く。
コメント
書き間違いをまとめて修正しときました。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 11/10/26 12:15 | MuKlOJD6 |
「ジーザス」のスペルが違いますよ。
『J・E・A・S・U・S』ではなく『J・E・S・U・S』です。
http://www.retropc.net/fm-7/museum/softhouse/enix/030502800.html
『J・E・A・S・U・S』ではなく『J・E・S・U・S』です。
http://www.retropc.net/fm-7/museum/softhouse/enix/030502800.html
| 通りすがり | EMAIL | URL | 11/10/26 07:29 | UcSvnWA. |
おおう、思いきり間違ってますねw
「どーむ」って日本語から反射的に\"doom\"を打ってしまう自分がいるわけですねw
IDサイコー、カーマック最高…とあえて言っておきましょうw
「どーむ」って日本語から反射的に\"doom\"を打ってしまう自分がいるわけですねw
IDサイコー、カーマック最高…とあえて言っておきましょうw
| 岩崎 | EMAIL | URL | 11/10/25 23:06 | MuKlOJD6 |
>DOOM(第一作)
……DOOMって……世界的に大ヒットしたもの凄いものを作ったのかぁーっ!!!(笑)
と、ひとり思わず大笑いしてしまいました。
夏樹静子原作のDOMEの間違いですね。
……DOOMって……世界的に大ヒットしたもの凄いものを作ったのかぁーっ!!!(笑)
と、ひとり思わず大笑いしてしまいました。
夏樹静子原作のDOMEの間違いですね。
| すがる | EMAIL | URL | 11/10/24 23:39 | YcsmW5oE |
>> sobagagi 様
ありがとうございます。
実資料のあるなしはともかく、堀井氏はそういうことは書いていたんですね。
やはりあのハマりは問題だと考えておられたのでしょう(実際プレイするとPC版のハマリは簡単にハマるんですよね…)。
ありがとうございます。
実資料のあるなしはともかく、堀井氏はそういうことは書いていたんですね。
やはりあのハマりは問題だと考えておられたのでしょう(実際プレイするとPC版のハマリは簡単にハマるんですよね…)。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 11/10/24 12:53 | MuKlOJD6 |
コマンド選択式の問題については、「オホーツクに消ゆ」
FC移植の際に、堀井氏がログインの連載で述べていたと記憶しています。
確か「総当たりになってもクリアできないよりはエンディングまで行けた方がいい。
総当たりは余計な手順を踏んでいて、言い換えればそれだけ苦労しているので
はまりを入れるのもやめた」という内容だったかと。
引用したかったのですが本を見つけられず、覚え書きですみません。
FC移植の際に、堀井氏がログインの連載で述べていたと記憶しています。
確か「総当たりになってもクリアできないよりはエンディングまで行けた方がいい。
総当たりは余計な手順を踏んでいて、言い換えればそれだけ苦労しているので
はまりを入れるのもやめた」という内容だったかと。
引用したかったのですが本を見つけられず、覚え書きですみません。
| sobagaki | EMAIL | URL | 11/10/23 11:34 | GPNcwZ0c |
>> atsu様
惑星メフィウスはですね、この歴史の中では取り上げていませんが「グラフィックアドベンチャの人気の頂点」といってもいい一作なのです。
また多分ですが「ちゃんとペイントされたアドベンチャ」のほぼ走りでもあります(ライン&ペイント方式)。
ただ、今回の歴史の中ではアドベンチャのグラフィック面については重きを置いてないので、取り上げていないのです。
惑星メフィウスはですね、この歴史の中では取り上げていませんが「グラフィックアドベンチャの人気の頂点」といってもいい一作なのです。
また多分ですが「ちゃんとペイントされたアドベンチャ」のほぼ走りでもあります(ライン&ペイント方式)。
ただ、今回の歴史の中ではアドベンチャのグラフィック面については重きを置いてないので、取り上げていないのです。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 11/10/20 10:01 | MuKlOJD6 |
T&E社の惑星メフィウスなんかはどうだったんでしょうね。
ベーマガの広告では良く見てましたが、私はマイコンを持ってなかったし、
持ってた周りの友人も手を付けてた奴はいなかったように思います。
前回の「Rogueはビジュアル志向」あたりで、電波のテキスト表現のマッピーを
思い出しました。盗品が「モナリザ」とかテキストなんですよね。(MZ-80版でしたっけ?)
あれは当時でも衝撃的だったなぁ。
ベーマガの広告では良く見てましたが、私はマイコンを持ってなかったし、
持ってた周りの友人も手を付けてた奴はいなかったように思います。
前回の「Rogueはビジュアル志向」あたりで、電波のテキスト表現のマッピーを
思い出しました。盗品が「モナリザ」とかテキストなんですよね。(MZ-80版でしたっけ?)
あれは当時でも衝撃的だったなぁ。
| atsu | EMAIL | URL | 11/10/19 23:02 | jB3nOvqE |
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