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ホラーゲームの問題点
むかーし電撃PSに書いた文章なのだけど、ホラーゲームについて、ある意味ホラー大好きな僕がずっと思っていることなので、前半部の歴史の部分を切り捨てた後半部を、少しブラッシュアップして載せておく。

ホラーゲームのテーマは当然「恐怖」。これが疑いもなく最優先される。
プレイヤーに怖さを味わってもらうことが最大の目標だ。怖くないホラーゲームなんてホラーじゃないし、やる価値もない。
これは誰もが納得するだろう。
お話の面白さとか、そういうのなんてのは、ともかく怖さがあってからだ。
ホラーと銘打たれているが、全然怖くはなく、でもお話は面白いなんてゲームがあったとして、これを「ホラーを味わいたい人が買うのか?」と考えれば、そう言い切るのも理解出来るだろう。

ところで、ほとんどのホラー(恐怖)映画は、一度見ると怖くなくなる

恐怖の大半は「次になにが起こるか分からない」からで、何かが起こるか知っていれば、生理的な嫌悪感のある場面でもない限りは、怖いと感じることはまずないのは当たり前だ。

そしてそれが理由でホラーを沢山見ると、次の予測が簡単に立つようになって、ちっとやそっとでは怖くなくなる。ホラーマニアはその怖くないのすら楽しんでしまうのだけど、これはおかしい楽しみ方と言われてもしょうがないと思う。


ところで、当然の話だけど「(たいていの)ゲームにはゲームオーバーがある」。
つまりゲームオーバーになって、再度プレイをして学習することで、より先に進む通常のゲーム形式では何度でも同じシーン、同じ恐怖を体験することになる。

特にアクション形式のゲームではその傾向が強くなる。
ところでRPGは一見ゲームオーバーがないように見えるが戦闘による敗退→再度バトルとか、戦闘によるリソース減少で撤退といった現象はゲーム的にはゲームオーバーに近い。

すなわちゲームは、自分で操作できる疑似体験の観点からすると、映画や小説よりも感情移入が強い分、恐怖は大きくなり得るが、その構造の特徴上、何度も同じ所をなぞるために、恐怖感が薄れやすい欠陥があるわけだ。

ここからが本題になる。

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|| 22:39 | comments (3) | trackback (0) | ||

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ペッ…ペッ…ペルソナ~
今、VITAは延々ペルソナ4・ザ・ゴールデンマシンとして動き続けているのだけど、とてもとてもとても面白いゲームなのだけど、いつでもゲームをやる時間を厳密に管理している僕がもう80時間以上も投入していて、全くどうしてくれよう、この時間食いと思わずボヤきたくなってしまう。

うち30時間ぐらいは飛行機の中。P4Gは実に素晴らしいニュージーランド=日本の航空路の友なのだ。


で、ハマりにはまって、ゲームは終局に向かいつつある(ほぼ終った)ところなのだけど(しかも2周目も絶対にやろうとか思っているザマだ)、発売前の話をすると、P4Gというゲーム、買うか買うまいかを迷っていた。
というのもだ。
僕にとっては『ペルソナ』ってシリーズは面白い・詰まらないを超えた、ある種のトラウマになっているシリーズで、そしてそれがゆえにプレイするかすまいか本当に迷っていたからだ。

なぜトラウマになったのか…それは、1996年の話になるのである。

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|| 19:02 | comments (5) | trackback (0) | ||

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ゲームレビューについて(6/終)
ようやく最後までたどり着いた。

ゲームレビューについて(1)
ゲームレビューについて(2)
ゲームレビューについて(3)
ゲームレビューについて(4)
ゲームレビューについて(5)

前回、アートと技術の両面を持つものを評価するシステムとして、スケートなどがあり、これは「テクノロジーを使った商品としてのゲーム」の評価に応用できるって話を書いた。
では、これらの競技の採点の「なに」がレビューに応用できるのか?

なにより考え方。
これらの競技の採点の最大のポイントは「アートと技術を分離する」ことだ。
もちろん完全に分離できるわけではないので、常に問題がつきまとっているのだけれど「いかにアートなものを採点していくのか?」という考え方としてはとても役に立つ。

ちなみに現在のフィギュアスケートの点数評価には、昔あった芸術点はない。
でも、体系化されてはいるが似たような機能を持つものはあり、それがテクニカルな要素とは別の側面を評価している。

「わかりやすさ」を考えたとき、レビューの得点は必要だけど、その得点に採点基準や意味が取れなければ、誰にも役に立たない不幸なものになってしまう。
そう考えたとき、第一にはっきりしない採点基準をなんとかしなければならない。そのために、まず明白に分離可能で採点可能な要素を切り出そう、という発想だ。

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|| 19:55 | comments (1) | trackback (0) | ||

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ゲームにムービーは必要なものか?
これは天外2の制作メモから派生したネタで、ずっと書きたいと思っていた話題だったので、ほぼ仕上げまで書いたところで放置していた文。なんとなくふっと仕上げてアップロードすることにした。

問いは「ゲームにムービーは必要なものか?」
と、こういうことだけど、この問いを議論する前に前提となる、ムービーの定義。

プリレンダもしくは実機レンダをプリレンダリングとして取り込んだもの、もしくはリアルタイムレンダリングで、基本的には一連のシーケンシャルな映画の数カットと似た構造を持つ、最大数分程度のアニメーションパートであるとしておこう。
まあ、これでほとんどの「ムービー」は定義できているだろう。

さて、ゲームにムービーは必要なものか?
答えは簡単。「必要ない」だ。
プリレンダだろうがなんだろうが必要ない。
ムービーを使わなくても説明可能だし、省略してもたいていなんとかなる。
それこそ数枚の紙芝居でもいいぐらいだ。

ただし、ここで「ほらみろムービーいらねだろ?」というようなアホっぽい話を書く気はない。
なぜなら、ムービーどころか、純粋にゲームの理屈を追求すると、およそほとんどのゲームにおける『演出』はほとんど必要ないことになるからだ。

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|| 19:11 | comments (16) | trackback (0) | ||

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誰にとっていいゲーム?
僕の大嫌いな言葉に「いいゲームを作れば売れる」とか「面白いゲームを作れば売れる」って言葉がある。

どうしてこの言葉が大嫌いなのか?
何も考えずに読むと、正しそうに見えるくせに全く間違っていて、しかも有害な言葉だと思っているからだ。
どうして有害だと思うのか?
これは本質的には、作り手に向けて使われる形の言葉だけど、重要な要素がいくつか致命的に抜けているからだ。

まず、なにより最初に抜けてる要素は売れるってのはいったいどれぐらいなのか? だ。
この言葉、どれぐらい売れれば成功なのかについては、何も定義していない。
黒字ならいい? いやあ、違うだろう。こういう書き方をされるときには「ものすごく売れる」のが前提、つまり50万・100万といった単位だ。つまりいいゲームでないから、50万売れないわけだ。
いったいそんだけ売れるゲームが年間何本あると思ってるんだ、と突っ込みたくなるが、さすがに50万は激しいので「いいゲームを作れば、最低20万は売れる」ことにしよう。

しかし、これを定義しても、まだ抜けているとんでもない重要な要素がある。
それは「誰にとっていいゲームなのか?」だ。

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|| 19:26 | comments (0) | trackback (0) | ||

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