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Roe R. Adams III がやったこと(1)
さて。
ロー・アダムズ(正確には Roe. R. Adams IIIで、ロー・R・アダムズ3世っていう、日本人からすると大層に感じるのが本名。以降はローと書く)が、ゲームの世界で活躍したのは1979年ごろから始まり1990年代初頭まで。
というのも、1989年にウッドヘッド(Wizardryの作者の一人)と立ち上げたanimeigoという、日本のアニメに字幕をつけて売ったりする会社がメインの仕事になってしまい、90年代半ばからは、ゲームとのかかわりは薄くなってしまうからだ(今でもanimeigoにいるらしい)。

彼とウッドヘッドは大変な日本アニメのファンで、それを本業にしてしまったわけである。
ちなみにローに「なんの日本アニメにハマったんだ?」と聞いたら、彼は"Star Blazers"、初代の『宇宙戦艦ヤマト』のアメリカ版だと言っていた。見て「マジ感動した」と言ってた

ではローは何をやったのか?
ローの最大の功績は、現代につながるゲームの中での近代的なシナリオ構造を確立したことに尽きる。
今のゲームではごく当たり前になっている、CRPGでシナリオを語る方法を、ローはUltima IV Quest for Avatar(1985/Apple II) で決定的な形でプレゼンテーションして確立して、ともかく彼が確立した形があまりに決定的だったもので、以降のあらゆるCRPG…というか、まあちょっとでもマップとナゾがあるようなゲームなら、必ず使われる代物になっているのだけど、前の記事でもちょっと書いたけれど、ローがやったことがなんだったのかが、あまり知られていないので、90年代前半に故・多摩豊さんとともに聞いたローの話を、彼がUltima IVより前に何をやっていたのか、どうしてあんなゲームにしたのかまで含めて、自分が覚えている限り書いておこうというわけである。

なお、それなりに資料で確認して補強はしているけれど、自分が聞いた(とおぼえている話)と資料が食い違っているときは、アメリカの資料の場合にはアチラの方が自分の記憶より精度が高いってことで、資料に書いてあることを優先している…のだけど、そもそも資料に複数の説があったりするので、そんなときは、できるだけ複数の説を書くようにしている。

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|| 21:15 | comments (0) | trackback (0) | ||

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Roe Adams IIIとSeer "Hawkwind"のこと
4gamerのWizardryは,連綿とつながる文化の鎖の1ピース――生みの親,狂王ことRobert Woodhead氏に聞く,その源流と80年代アニメの話で、ローアダムス(Roe Adams III)のことについて出ていたので、ちょっと自分の知っていることを記録として残しておきたい。

Roe Adams III は、『ウィザードリィIV』と『ウルティマIV』のシナリオを書いた、ゲーム史上不滅の天才シナリオライターだ。
およそ今のCRPGでの常識、町や村やいろんなところにいる人から話を聞いて、その話をつなぎ合わせると謎が解けるという構造そのものを"Ultima IV"で作ったのがRoe Adams なんだから、どんだけ偉いかわかろうというものだ。彼がいなくても同じような形式はできたと思うけれど、"Ultima IV"の卓越した構造がなかったら、シナリオ構造が一気に進歩することはなかったと思う。
ついでに書くと、彼はもう超越的な謎解きの天才で、"Dead Line"というゲームでとんでもない解法を見出してinfocomの連中をぶっ倒れさせたり、CGDC(GDCの前身)で"LOOM"を持ってきたブライアン・モリアーティの目の前で「面白い、面白い」といいながら、あっという間に解いて、会期じゅうぼやかせたりと、もうとんでもない逸話だらけのヤツだった。
そんな彼がエキスパート向けの難易度ってことで、好き放題に作った"Wizardry IV"だから、とんでもない謎を作っていて、しかもその謎が英語の構造に根差したナゾだったりしたものだから、故・多摩豊さんが翻訳するのに死ぬほど苦労した、って話をRoeと多摩さんからメシ食いながら聞けたのだから、僕は全く幸せだと思う。

と、それはともかくとして、アメリカ版のWikipediaにも、それどころかあらゆるサイトにどうやら書かれていないことで、知られていないらしい、自分の記憶に残っていることを一つ書いて、記録として残しておきたい。
Roe AdamsはUltima IVのシナリオを書いたとき、彼自身をひそかにゲーム内に登場させることにした。それがSeer(予言者) "Hawkwind"。
どうして"Roe Adams"ではなく"Hawkwind"だったのかというと、これは彼のD&Dのキャラクタから来ているんだ、と彼は言っていた。

20年以上前の自分の記憶だが、どこかで記録として残っていくように、ここに記録として残しておきたいと思うのである。

追記:
こういうことは書くものだと思った。ライターの西田宗千佳さんから、このようなフォローがありました。



追記その2:
BirdBard's taleがらみで検索すると、チョロチョロ見つかるらしいです。
教えてくれた方のtweet
Bard's だよ! はるか昔からずっとやってる間違いをまたやってしまった…

|| 19:53 | comments (1) | trackback (0) | ||

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続・ゲームとシナリオの奇怪な関係
ルーク・スカイウォーカー問題
ゲームとシナリオの奇怪な関係

上記2つの記事でゲームとシナリオの関係について書いてきたけれど、整理もかねてまとめておきたい。

ドンパチやってる⇒死ぬ⇒舌打ち⇒途中からコンティニュー⇒今度は倒す
パズルとしては全く正しいが、途中からコンティニューは体験としておかしいじゃないかという指摘だ。
体験とは本質的には時系列順に並んでいる一回性のもののはずなのに、それが(一本道の)ストーリーやパズルメカニクスと組み合わさった結果、学習することで先に進む構造になっている。これはパズルとして見れば問題ないが、ゲームを体験とみなした時、本来あるべき体験の一回性や連続性が壊れているではないか、根本的なゲームと(ストーリー)体験の関係性が破綻しているではないかという指摘だった。

これが最初のルーク・スカイウォーカー問題で取り上げた、ゲームを体験とみるのか、それともストーリーをある程度の自由性を持ってなぞるものなのかという、クロフォードの議論だ。
確かにクロフォードの指摘と考えてたことはスゲえと思うのだけど「だからAIによってオチまでコントロールされる1回性の体験こそがゲームの未来じゃあ!」と言われると「いやいやいやいや、強い(基本は一本道の)ストーリーがあるのもいいもんですよ」と、いくら尊敬するクロフォード先生の言葉でも異議を唱えたくなってしまう。
「あの名場面をもう一度見たい」とか、そんな理由で、何度クリアしたかわからないFF10みたいなゲームもあるわけで、そういった方向の再現性が低くなるAIコントロールがすべてを満たすとも思えない。
だから体験至上主義的なクロフォードの思想は尊重しつつも、失敗してのやり直しの繰り返し構造(学習による上達)による概ね一本道の進行も、ゲームである以上は認めようというのが、第一の考え方。

そうすると「クライマックスの難易度はどうするのか?」という問題が現れる。

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|| 21:28 | comments (0) | trackback (0) | ||

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