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続・ゲームとシナリオの奇怪な関係
ルーク・スカイウォーカー問題
ゲームとシナリオの奇怪な関係

上記2つの記事でゲームとシナリオの関係について書いてきたけれど、整理もかねてまとめておきたい。

ドンパチやってる⇒死ぬ⇒舌打ち⇒途中からコンティニュー⇒今度は倒す
パズルとしては全く正しいが、途中からコンティニューは体験としておかしいじゃないかという指摘だ。
体験とは本質的には時系列順に並んでいる一回性のもののはずなのに、それが(一本道の)ストーリーやパズルメカニクスと組み合わさった結果、学習することで先に進む構造になっている。これはパズルとして見れば問題ないが、ゲームを体験とみなした時、本来あるべき体験の一回性や連続性が壊れているではないか、根本的なゲームと(ストーリー)体験の関係性が破綻しているではないかという指摘だった。

これが最初のルーク・スカイウォーカー問題で取り上げた、ゲームを体験とみるのか、それともストーリーをある程度の自由性を持ってなぞるものなのかという、クロフォードの議論だ。
確かにクロフォードの指摘と考えてたことはスゲえと思うのだけど「だからAIによってオチまでコントロールされる1回性の体験こそがゲームの未来じゃあ!」と言われると「いやいやいやいや、強い(基本は一本道の)ストーリーがあるのもいいもんですよ」と、いくら尊敬するクロフォード先生の言葉でも異議を唱えたくなってしまう。
「あの名場面をもう一度見たい」とか、そんな理由で、何度クリアしたかわからないFF10みたいなゲームもあるわけで、そういった方向の再現性が低くなるAIコントロールがすべてを満たすとも思えない。
だから体験至上主義的なクロフォードの思想は尊重しつつも、失敗してのやり直しの繰り返し構造(学習による上達)による概ね一本道の進行も、ゲームである以上は認めようというのが、第一の考え方。

そうすると「クライマックスの難易度はどうするのか?」という問題が現れる。

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