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ハドソン本を頒布記念でイロイロ
ハドソン本の頒布を記念して、いろいろと。

えーと、まず頒布予定については
■サンクリ(予定)
■コミケ82
は変わりません。
ただ、イチで思ったよりたくさんの方に持っていかれてしまったので、夏コミでの頒布数は、かなり少なくなってしまうのではないかと思います。
通販については現時点では予定していません。
通販は、あいざわひろしがやるときにコバンザメでやらしてもらうものなので。

と、簡単に現状の話を書いたところで、以下、いろいろ落ち穂拾い。

まずコメントで一度書いてあった「中本さんは高校時代ずっととんかつ弁当を食べていた」って、ハドソン秘密攻略法とかいう本に載っていた話は本人に確認したところ本当だったw
コレは絶対にウソだと思って聞いたら、本当だといわれたので、全く驚いた。
どうして、そんなことをしたのかについては聞いてない。
僕もびっくりしたのだけど、本人が本当だっていってるんだから信じるしかあるまい。


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|| 19:51 | comments (2) | trackback (0) | ||

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ハドソンがファミコンに参入するまで(補足)
書き上げたあと、自分的にとても気に入っているのと、やっぱブログで書いたのは構成が気に入らない…連載みたいなもので、あとからあーこうしたらとか、こんな事実が! みたいなのがあって、4月の終わりにあるコミックイチで本にしちゃおうと思って、現在、構成を組み立てなおしながら、資料なども追加しつつ、書いているところ。

で、書いてるうちにわかった細かいことなどを、ちょっとメモ書き代わりに残しておきたい。

1982年のX1での協力で、ハドソンではX1は安く買えたということだった。だから一時、ハドソンはX1だらけになっていたとのことだった。僕がハドソンにいった1988年にはもうX1は開発では使われていなくて、飛田さんとか一部人たちの机の上に残っていた程度だったので、さっぱりわからなかった。

X1でゲームを書き始めた最初の頃、本迫(もとさこと読む)さんが作ったX1用のBASICコンパイラがあり、それを使ってゲームを開発していたらしい。
らしいというのは、開発していた人たちはそう言っているのだけど、開発した当の本人であるはずの本迫さんに確認したところ全く覚えておらず「俺そんなことしたっけ!?」だったから、真偽が全く不明なのだ。
当時の数少ないハドソンのメンバーでこの真偽を覚えている人はいないだろうかw

ところがBASICコンパイラは当たり前のことながら、当時のコンパイラなのでランタイム(動かすときに必要なライブラリ)が大きい・コンパイル効率が悪くコードが大きい・速度が遅い(フルアセンブラより遅い)、案外他機種への移植が大変…といった問題があり、互換ライブラリを作ってフルアセンブラ(オールマシン語)の方向に話は進んだ、ということらしい。

それで、最初のフルアセンブラゲームがなんだったのかというとボンバーマン。
中本さんが1日で書いたのが最初だったと僕は聞いた。
単純なゲームだけど、それでも1日で書くってのはスゲエ…つってもライブラリは既に大量にあったろうから、1日でコア部分を書いたってことだろうけど。
当時の主流はZ80だったので、結局X1で書いたアセンブラのゲームを他のマシンへ移植するのは互換ライブラリがあれば楽だった、ということなのだろう(今で言うPS3/X360のマルチよりたぶん楽だったと思う)。

あとナッツ&ミルクとロードランナーの発売日が7/20説と、7/28&7/31で2説あるのについては確認が取れた。当時の流通の都合で3日ずれでばらけて発売されたように見えるけれど、ハドソンの公式な発売日は7/20だそうだ。
つまり、ロードランナーがナッツ&ミルクよりも後に見えるのは、当時の流通の都合でしかない、ということだ。

僕の想像だけど、当時は流通も小売も、今のように発売日を厳密に管理していなかったので、7/20に流通に出荷され、実際に売りに出されたのがナッツ&ミルクが7/28ごろ、ロードランナーが7/31になったということなのだろう。

かくして、ハドソンのファミコンデビュー作は同日発売になったのだった。

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ハドソンがファミコンに参入するまで(5/終)
これは1983年春に始まり、1984年7月に終わる、ハドソンが史上初のサードパーティとして、ファミコンに参入するときの物語だ
たくさんの当時の(がつくのが残念だが)ハドソンの方の協力を得て、ほぼ正しい歴史として記述できていると思いたい。
ただし、残念なことに、かなりの方から「自分の名前が文の中に出てくるのは歴史的なことだからいいけれど、誰が言ったかは分かるのはいやだ」といわれてしまったので、最初に名前を出してしまった野沢さん以外はハドソン関係者、ということで伏せておきたい。

さて本文。
1983年の秋までファミコンの売れ行きを見たハドソンは、これならイケるということで、サードパーティとしてファミコンに参入するべく、まずファミコンソフトの開発ツールを開発してから、任天堂との交渉に臨むことにした。


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|| 18:38 | comments (7) | trackback (0) | ||

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ハドソンがファミコンに参入するまで(4)
これは1983年春に始まり、1984年7月に終わる、ハドソンが史上初のファミコンのサードパーティに参入するときの物語だ。たくさんの当時の(がつくのが残念だが)ハドソンの方の協力を得て、ほぼ正しい歴史として記述できていると思いたい。
ただし、残念なことに、かなりの方から「自分の名前が文の中に出てくるのは歴史的なことだからいいけれど、誰が言ったかは分かるのはいやだ」といわれてしまったので、最初に名前を出してしまった野沢さん以外はハドソン関係者、ということで伏せておきたい。

ところで、何人かから質問されたけれど、今回の話がハドソンの解散に重なったのは全くの偶然だ。
どうしてこんなことを調べだしたのかといえば、たまたまTwitterでM2のほりいさんたちとハドソン参入前後の話になり、自分が雑に当時聞いた話をしゃべったところで「待てよ、これは本当なんだろうか?」と思ったのが最初だ。
ハドソンの連中が昔はなんでも解析してたのもICEぶっさしてたのも知ってたし、確かファミリーベーシックを書いたのも知ってたし、だいたいどんな風に参入したのかの話も聞いたことはあったけれど、そこらへんの知識が自分の中で入り混じって、どこまで正しいか自信がなくて、ちょっと当時のハドソンの中核メンバーにお気楽に聞きはじめたのが最初だ。
いざ調べだすと、当時のPC事情や、実はハドソン東京が本格的な開発拠点を持っていたこと、参入の流れが自分が思っていたのとゼンゼン違うことなどなど、いろいろわかってきて、これは残しておかないとダメだろうと思って、このシリーズが書かれたわけだ。
マジメな話として、たまたま自分が当時のハドソンの中核メンバーと一緒に仕事をしていた、そして当時のメンバーとfacebook、linkedin、Twitterなどのソーシャルメディアを経由して連絡を取れるようになった、この2つの条件がうまく整っていたおかげで、このシリーズは書けている。ソーシャルメディアさまさまだ。


以下、本文。

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|| 19:20 | comments (3) | trackback (0) | ||

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ハドソンがファミコンに参入するまで(3)
さて、1983年にいよいよ、任天堂からの開発機がハドソンにやってくる…
というわけで、ハドソンがいつ、どのようにして、ファミリーベーシックを作ることになったかについて今回は書いていきたい。
しかも、嬉しい事に、当時のハドソンの開発メンバーの大半から話を聞くことが出来たので、前回までの細かい事情を修正しつつ、本文を書いてく。
ただし、残念なことに、かなりの方から「自分の名前が文の中に出てくるのは歴史的なことだからいいけれど、誰が言ったかは分かるのはいやだ」といわれてしまったので、最初に名前を出してしまった野沢さん以外はハドソン関係者、ということで伏せておきたい。

ちなみにハドソンがファミコンに参入する話はコロコロのマンガや、ハドソンが監修したらしいマンガに載っているのだけど、どちらも一切ファミリーベーシックに触れておらず「MSXより売れると思った」といった社長の慧眼にされていたりして、伝説を作るのに一役買っている。
まあこの当時の本では間違ってもファミリーベーシックについて触れるわけにはいかないわけで、こんな風な話になってしまうのも仕方がないのだけど、後の史実を研究する人たちにとってはただの妨害にしかならないだろう、と思ってしまう。

また、ゲーム史のことを少し書いたとき、危惧していた事は結構真実になりつつあって、この30年ほど前の記憶は風化が甚だしく、複数の関係者から聞いた結果、主に時系列について矛盾した事実がすでにあちこちにあるのだけど、これに関しては僕の一存で「こうだったろう」と決めている。

以下、本文。

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|| 18:22 | comments (3) | trackback (0) | ||

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