2011-06-25 Sat [ 昔のこと::古の技術 ]
質問に答えをコメントしてたんだけど、それだと読みづらいし、書きたいことも書ききれないので、一つの記事になると思うものをまとめておくことにした。
20年も前のゲームマシンの開発環境のこと書いて、思い出すのに一生懸命になるとは想像もしてなかったw
なお、コメントされた方の名前は今回は省略させていただくことにした(見られるのでw)。
まず、なにより一番大きな補足がTwitterで教えてもらったこと。
この『ハドソン全科』は小学館の月刊PCエンジン、90年5月号の付録だそうだ。
飛田さんが作ってくださったPDFには奥付らしきものが全くなかったために、推測でしかなかったのだけど、一応裏づけが取れた格好だ。
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20年も前のゲームマシンの開発環境のこと書いて、思い出すのに一生懸命になるとは想像もしてなかったw
なお、コメントされた方の名前は今回は省略させていただくことにした(見られるのでw)。
まず、なにより一番大きな補足がTwitterで教えてもらったこと。
この『ハドソン全科』は小学館の月刊PCエンジン、90年5月号の付録だそうだ。
飛田さんが作ってくださったPDFには奥付らしきものが全くなかったために、推測でしかなかったのだけど、一応裏づけが取れた格好だ。
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2011-06-21 Tue [ 昔のこと::古の技術 ]
というわけで、前のアーティクルで書いたとおり、今回はDFの話。
ところで、ちょっと聞かれたのでここに載せておくけれど、ハドソン全科の小冊子の表紙はこれ。
どこにも月刊PCエンジンとは書いていないのだけど、どうして小学館と思ったかというとレイアウトが徳間のPCエンジンファンでも角川のマル勝PCエンジンでもないから。結構、それぞれの出版社で個性があって、これは間違いなく小学館だと思う。
■関連記事
■PCエンジンの開発環境(ROM)
■PCエンジンの開発環境(CDROM)
■PCエンジンの開発環境(補足)
■PCエンジンの開発環境(写真)
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ところで、ちょっと聞かれたのでここに載せておくけれど、ハドソン全科の小冊子の表紙はこれ。
どこにも月刊PCエンジンとは書いていないのだけど、どうして小学館と思ったかというとレイアウトが徳間のPCエンジンファンでも角川のマル勝PCエンジンでもないから。結構、それぞれの出版社で個性があって、これは間違いなく小学館だと思う。
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■PCエンジンの開発環境(補足)
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2011-06-17 Fri [ 昔のこと::古の技術 ]
僕の古くからの知り合いに飛田さんという人がいる。
今でもハドソンにいる人で、有名なところでは桃太郎伝説などのさくま先生の一連のシリーズを手がけている天才肌のプログラマーなんだけど、この人が約20年前に発売された『月間PCエンジン』の付録の『ハドソン全科』(1990年初頭と思われる)がたまたま発掘されたということで、それをスキャンしてPDFにしてくださった。
この中に、今までいくら探しても見つからなかったハドソンの作った開発ハードHu7とHu7CD、さらに和泉さんが作ったDF(グラフィックエディタ)の写真が載っていたので、そこを切り出して、簡単な解説を加えて、資料として残しておきたい。
なおDFについては、それだけで1記事になってしまうので、別記事で。
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今でもハドソンにいる人で、有名なところでは桃太郎伝説などのさくま先生の一連のシリーズを手がけている天才肌のプログラマーなんだけど、この人が約20年前に発売された『月間PCエンジン』の付録の『ハドソン全科』(1990年初頭と思われる)がたまたま発掘されたということで、それをスキャンしてPDFにしてくださった。
この中に、今までいくら探しても見つからなかったハドソンの作った開発ハードHu7とHu7CD、さらに和泉さんが作ったDF(グラフィックエディタ)の写真が載っていたので、そこを切り出して、簡単な解説を加えて、資料として残しておきたい。
なおDFについては、それだけで1記事になってしまうので、別記事で。
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2011-06-11 Sat [ 昔のこと ]
天外2ともイースとも絡む、山根ともおという男についてちょっと書きたい。
というのも、ずっと行方不明だったのをFacebookで見つけて──連絡を取るのがまだ少し怖くて、フレンドにはなったのだけどメッセージなどは送っていないのだけど、嬉しくて思わず、書いてしまうことにした。
彼は疑いもない天才、超越的なドット屋+α、今で言うならアートディレクターだったと思う。
また反面、本当に社会人としてはダメなやつで…例えば、彼と初めて会ったときの話は 山根ともおとの出会い に書いたけれど、本当にそこに書いてあるとおりで、全く社会人の常識をわきまえていない…というか、気にしていないというか、まあ困った男だった。
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というのも、ずっと行方不明だったのをFacebookで見つけて──連絡を取るのがまだ少し怖くて、フレンドにはなったのだけどメッセージなどは送っていないのだけど、嬉しくて思わず、書いてしまうことにした。
見つけたのは山田真木で、進藤司がそれを伝えてくれたのにも何か縁のような物を感じる。本当にありがとう。
彼は疑いもない天才、超越的なドット屋+α、今で言うならアートディレクターだったと思う。
また反面、本当に社会人としてはダメなやつで…例えば、彼と初めて会ったときの話は 山根ともおとの出会い に書いたけれど、本当にそこに書いてあるとおりで、全く社会人の常識をわきまえていない…というか、気にしていないというか、まあ困った男だった。
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2011-05-16 Mon [ 昔のこと ]
星恵太君のことへのコメントを返そうと書いたら、投稿1本分ぐらいになってしまい、読みにくくなってしまったので、コメントを引用しながらの投稿ということで。
■To KeroberosJP 様
まさに言い得て妙で「ゲーム音楽」だったのはギリギリPS1までかなーと。PS2からあとの世代、具体的には1999年以降は「ゲーム音楽」ってジャンルは消滅したのではないかと、個人的には思っていたりするのですよね。
そして、実はそんな思い出感覚で書いたブログのエントリもあったりw
ゲームミュージックが好きだった
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■To KeroberosJP 様
昔は「ゲーム音楽」。今は「BGM」になっちゃって、少し寂しい気がしているのも事実。
まさに言い得て妙で「ゲーム音楽」だったのはギリギリPS1までかなーと。PS2からあとの世代、具体的には1999年以降は「ゲーム音楽」ってジャンルは消滅したのではないかと、個人的には思っていたりするのですよね。
そして、実はそんな思い出感覚で書いたブログのエントリもあったりw
ゲームミュージックが好きだった
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