2011-06-17 Fri [ 昔のこと::古の技術 ]
僕の古くからの知り合いに飛田さんという人がいる。
今でもハドソンにいる人で、有名なところでは桃太郎伝説などのさくま先生の一連のシリーズを手がけている天才肌のプログラマーなんだけど、この人が約20年前に発売された『月間PCエンジン』の付録の『ハドソン全科』(1990年初頭と思われる)がたまたま発掘されたということで、それをスキャンしてPDFにしてくださった。
この中に、今までいくら探しても見つからなかったハドソンの作った開発ハードHu7とHu7CD、さらに和泉さんが作ったDF(グラフィックエディタ)の写真が載っていたので、そこを切り出して、簡単な解説を加えて、資料として残しておきたい。
なおDFについては、それだけで1記事になってしまうので、別記事で。
■関連記事
■PCエンジンの開発環境(ROM)
■PCエンジンの開発環境(CDROM)
■PCエンジンの開発環境(補足)
■Hu-7■
プログラム開発用ハード。これをNECのPC-9801シリーズとCバスで接続して、デバッガでプログラムをアップロードすることで、プログラムの実行&デバッグをしていた。主要なパートに番号をつけたので、それぞれについて解説おきやす
1)ROMカード
Hu-7をHu-7として動作させるためのモニタ用のROMが載っているカード部分。CD開発システムではこの部分がインターフェースユニットの底板をなくして、鉄板をつけたような代物に変更になった。結構インターフェースユニットはでかくて邪魔になった。
2)リセットスイッチとかのパネル
リセットスイッチ。結構ぶっとんだので、そんときはこれを押してリセットしてた。また横の小さなランプはデータを転送するときチカチカ光ったりしてた。
3)PCエンジン本体
市販品と全く同じ物なので壊れたら交換可能だった。
一番最初にセットアップするときは市販品のPCエンジン+Hu-7って構成になっていて、市販品を箱から引っ張り出してHu-7にぶっさしていた。ちなみにHu-7の向かって右側にはAVアダプタを通すための穴が開いており、そこを通してAVケーブルを接続していたが、CD-ROMの場合には、そこを使うとADPCMやCDDAが鳴らなくなってしまうので、インターフェースユニット側と接続しなければならなかった。
4)RAM(実はROM)
ROM領域にマップされているRAM。このRAMにデバッガからプログラムがアップロードされてROMのフリして動いていた。
5)PC-9801シリーズとのパラレルインターフェース
この当時はクロックが遅く同期を取るのが簡単だったので、パラレルインターフェースの方が簡単に高速に出来た時代だ。だからパラレルインターフェースで接続されていた。
■Hu-7CD■
ただの白い安っぽい箱に見えるが、この箱の中に当時(1988-89)としては途方もない大容量384メガバイトのSCSIハードディスクが最低1台入っている。CDROM目一杯の開発になると2台で768メガバイトセットになる。
ちなみにイースのときに書いたけれど、僕自身は384メガバイト版を使ったことは一度もない。
1)電源
まあただの電源スイッチ。ただし、入れる順序があって、最初にこのハードディスクを立ち上げておいて、次にHu7を立ち上げ、最後に98を立ち上げてから、Hu7をリセットする。この順序を守らないとSCSIバスが不安定になったりした。
(昔はそういうのが結構大事だったんデスヨ)
2)アクセスランプ
最大2台のハードディスクそれぞれのアクセスランプ。リード・ライトはわからなかった。ちなみに上でも書いたけれど384メガバイト版を使ったことがないので、両方のハードディスクが点灯するの以外見たことない。ちなみにエミュレーションをするとき2台の切り替え部分にオーディオあったりすると大変だったらしい。
3)Exabyte社の8ミリMTドライブ
ここに8ミリビデオカセットぶち込んで、書き出してべリファイしてエラーがなければマスター。あとバックアップにもガンガン使っていた。
4)ハードディスク格納部
バカでかい電源とハードディスクがここに入っていた。技術の頭目だった野沢さんの話によると、当時、このハードディスクは結構熱を発したらしくて、隙間がないとやばかったとのこと。
この2つ以外に音屋/グラフィック屋用のHu-7Dというハードがあったのだけど、これはインターネットを検索すると手に入れた人がいたり…w どっから出てきてるんだこーいうもの、と思ってしまうw
というわけで、こうして載せておけば、インターネットアーカイブとか、いろんな形で資料として残るだろう…って、まあこんな資料がなんの役に立つかは分からないがw
あと、ハドソン全科は少なくとも1989末~90年初頭までのハドソンの主要メンバーの写真がほぼ載っていることもあり、ものすごく価値のある資料なので、出来れば拡散したいぐらいなのだけど…あまりに(c)の問題が不明なので…
今でもハドソンにいる人で、有名なところでは桃太郎伝説などのさくま先生の一連のシリーズを手がけている天才肌のプログラマーなんだけど、この人が約20年前に発売された『月間PCエンジン』の付録の『ハドソン全科』(1990年初頭と思われる)がたまたま発掘されたということで、それをスキャンしてPDFにしてくださった。
この中に、今までいくら探しても見つからなかったハドソンの作った開発ハードHu7とHu7CD、さらに和泉さんが作ったDF(グラフィックエディタ)の写真が載っていたので、そこを切り出して、簡単な解説を加えて、資料として残しておきたい。
なおDFについては、それだけで1記事になってしまうので、別記事で。
■関連記事
■PCエンジンの開発環境(ROM)
■PCエンジンの開発環境(CDROM)
■PCエンジンの開発環境(補足)
■Hu-7■
プログラム開発用ハード。これをNECのPC-9801シリーズとCバスで接続して、デバッガでプログラムをアップロードすることで、プログラムの実行&デバッグをしていた。主要なパートに番号をつけたので、それぞれについて解説おきやす
1)ROMカード
Hu-7をHu-7として動作させるためのモニタ用のROMが載っているカード部分。CD開発システムではこの部分がインターフェースユニットの底板をなくして、鉄板をつけたような代物に変更になった。結構インターフェースユニットはでかくて邪魔になった。
2)リセットスイッチとかのパネル
リセットスイッチ。結構ぶっとんだので、そんときはこれを押してリセットしてた。また横の小さなランプはデータを転送するときチカチカ光ったりしてた。
3)PCエンジン本体
市販品と全く同じ物なので壊れたら交換可能だった。
一番最初にセットアップするときは市販品のPCエンジン+Hu-7って構成になっていて、市販品を箱から引っ張り出してHu-7にぶっさしていた。ちなみにHu-7の向かって右側にはAVアダプタを通すための穴が開いており、そこを通してAVケーブルを接続していたが、CD-ROMの場合には、そこを使うとADPCMやCDDAが鳴らなくなってしまうので、インターフェースユニット側と接続しなければならなかった。
4)RAM(実はROM)
ROM領域にマップされているRAM。このRAMにデバッガからプログラムがアップロードされてROMのフリして動いていた。
5)PC-9801シリーズとのパラレルインターフェース
この当時はクロックが遅く同期を取るのが簡単だったので、パラレルインターフェースの方が簡単に高速に出来た時代だ。だからパラレルインターフェースで接続されていた。
■Hu-7CD■
ただの白い安っぽい箱に見えるが、この箱の中に当時(1988-89)としては途方もない大容量384メガバイトのSCSIハードディスクが最低1台入っている。CDROM目一杯の開発になると2台で768メガバイトセットになる。
ちなみにイースのときに書いたけれど、僕自身は384メガバイト版を使ったことは一度もない。
1)電源
まあただの電源スイッチ。ただし、入れる順序があって、最初にこのハードディスクを立ち上げておいて、次にHu7を立ち上げ、最後に98を立ち上げてから、Hu7をリセットする。この順序を守らないとSCSIバスが不安定になったりした。
(昔はそういうのが結構大事だったんデスヨ)
2)アクセスランプ
最大2台のハードディスクそれぞれのアクセスランプ。リード・ライトはわからなかった。ちなみに上でも書いたけれど384メガバイト版を使ったことがないので、両方のハードディスクが点灯するの以外見たことない。ちなみにエミュレーションをするとき2台の切り替え部分にオーディオあったりすると大変だったらしい。
3)Exabyte社の8ミリMTドライブ
ここに8ミリビデオカセットぶち込んで、書き出してべリファイしてエラーがなければマスター。あとバックアップにもガンガン使っていた。
4)ハードディスク格納部
バカでかい電源とハードディスクがここに入っていた。技術の頭目だった野沢さんの話によると、当時、このハードディスクは結構熱を発したらしくて、隙間がないとやばかったとのこと。
この2つ以外に音屋/グラフィック屋用のHu-7Dというハードがあったのだけど、これはインターネットを検索すると手に入れた人がいたり…w どっから出てきてるんだこーいうもの、と思ってしまうw
というわけで、こうして載せておけば、インターネットアーカイブとか、いろんな形で資料として残るだろう…って、まあこんな資料がなんの役に立つかは分からないがw
あと、ハドソン全科は少なくとも1989末~90年初頭までのハドソンの主要メンバーの写真がほぼ載っていることもあり、ものすごく価値のある資料なので、出来れば拡散したいぐらいなのだけど…あまりに(c)の問題が不明なので…
コメント
若い力の会ってのは、当時の1989年、イースを作っていたときちょうど新入社員だった技術の5人のことですね。
メンバーは芳賀、蝦名、佐橋、沢口、杉本ですけど…今でも消息を知ってるのは芳賀と蝦名だけですね。
メンバーは芳賀、蝦名、佐橋、沢口、杉本ですけど…今でも消息を知ってるのは芳賀と蝦名だけですね。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 11/06/18 02:41 | jaRFLg4s |
はちすけが表紙の冊子ですか。
家のどこかにある気がします・・・こういうのを見ると無性に読みたくなって困りますねw
当時は専門誌の中で月刊PCエンジンを愛読していました。
イースの付録は当時からずっとすぐに読める場所に置いていたので、こちらのブログでイースのことを読んだときに引っ張り出して読んだわけですが、改めて発行日の記載などで20年以上経過したんだと思い知らされて感慨深いです。
イースの付録内で「若い力の会」と呼ばれていた方々は現在もハドソンに在籍されているのでしょうか?
ご存じでしたらお答えください。
家のどこかにある気がします・・・こういうのを見ると無性に読みたくなって困りますねw
当時は専門誌の中で月刊PCエンジンを愛読していました。
イースの付録は当時からずっとすぐに読める場所に置いていたので、こちらのブログでイースのことを読んだときに引っ張り出して読んだわけですが、改めて発行日の記載などで20年以上経過したんだと思い知らされて感慨深いです。
イースの付録内で「若い力の会」と呼ばれていた方々は現在もハドソンに在籍されているのでしょうか?
ご存じでしたらお答えください。
| も | EMAIL | URL | 11/06/17 23:56 | 8JnsR7G2 |
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