2012-02-11 Sat [ 昔のこと::ハドソン関係 ]
これは1983年春に始まり、1984年7月に終わる、ハドソンが史上初のファミコンのサードパーティに参入するときの物語だ。たくさんの当時の(がつくのが残念だが)ハドソンの方の協力を得て、ほぼ正しい歴史として記述できていると思いたい。
ただし、残念なことに、かなりの方から「自分の名前が文の中に出てくるのは歴史的なことだからいいけれど、誰が言ったかは分かるのはいやだ」といわれてしまったので、最初に名前を出してしまった野沢さん以外はハドソン関係者、ということで伏せておきたい。
以下、本文。
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ただし、残念なことに、かなりの方から「自分の名前が文の中に出てくるのは歴史的なことだからいいけれど、誰が言ったかは分かるのはいやだ」といわれてしまったので、最初に名前を出してしまった野沢さん以外はハドソン関係者、ということで伏せておきたい。
ところで、何人かから質問されたけれど、今回の話がハドソンの解散に重なったのは全くの偶然だ。
どうしてこんなことを調べだしたのかといえば、たまたまTwitterでM2のほりいさんたちとハドソン参入前後の話になり、自分が雑に当時聞いた話をしゃべったところで「待てよ、これは本当なんだろうか?」と思ったのが最初だ。
ハドソンの連中が昔はなんでも解析してたのもICEぶっさしてたのも知ってたし、確かファミリーベーシックを書いたのも知ってたし、だいたいどんな風に参入したのかの話も聞いたことはあったけれど、そこらへんの知識が自分の中で入り混じって、どこまで正しいか自信がなくて、ちょっと当時のハドソンの中核メンバーにお気楽に聞きはじめたのが最初だ。
いざ調べだすと、当時のPC事情や、実はハドソン東京が本格的な開発拠点を持っていたこと、参入の流れが自分が思っていたのとゼンゼン違うことなどなど、いろいろわかってきて、これは残しておかないとダメだろうと思って、このシリーズが書かれたわけだ。
マジメな話として、たまたま自分が当時のハドソンの中核メンバーと一緒に仕事をしていた、そして当時のメンバーとfacebook、linkedin、Twitterなどのソーシャルメディアを経由して連絡を取れるようになった、この2つの条件がうまく整っていたおかげで、このシリーズは書けている。ソーシャルメディアさまさまだ。
どうしてこんなことを調べだしたのかといえば、たまたまTwitterでM2のほりいさんたちとハドソン参入前後の話になり、自分が雑に当時聞いた話をしゃべったところで「待てよ、これは本当なんだろうか?」と思ったのが最初だ。
ハドソンの連中が昔はなんでも解析してたのもICEぶっさしてたのも知ってたし、確かファミリーベーシックを書いたのも知ってたし、だいたいどんな風に参入したのかの話も聞いたことはあったけれど、そこらへんの知識が自分の中で入り混じって、どこまで正しいか自信がなくて、ちょっと当時のハドソンの中核メンバーにお気楽に聞きはじめたのが最初だ。
いざ調べだすと、当時のPC事情や、実はハドソン東京が本格的な開発拠点を持っていたこと、参入の流れが自分が思っていたのとゼンゼン違うことなどなど、いろいろわかってきて、これは残しておかないとダメだろうと思って、このシリーズが書かれたわけだ。
マジメな話として、たまたま自分が当時のハドソンの中核メンバーと一緒に仕事をしていた、そして当時のメンバーとfacebook、linkedin、Twitterなどのソーシャルメディアを経由して連絡を取れるようになった、この2つの条件がうまく整っていたおかげで、このシリーズは書けている。ソーシャルメディアさまさまだ。
以下、本文。
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2012-02-07 Tue [ 昔のこと::ハドソン関係 ]
さて、1983年にいよいよ、任天堂からの開発機がハドソンにやってくる…
というわけで、ハドソンがいつ、どのようにして、ファミリーベーシックを作ることになったかについて今回は書いていきたい。
しかも、嬉しい事に、当時のハドソンの開発メンバーの大半から話を聞くことが出来たので、前回までの細かい事情を修正しつつ、本文を書いてく。
ただし、残念なことに、かなりの方から「自分の名前が文の中に出てくるのは歴史的なことだからいいけれど、誰が言ったかは分かるのはいやだ」といわれてしまったので、最初に名前を出してしまった野沢さん以外はハドソン関係者、ということで伏せておきたい。
また、ゲーム史のことを少し書いたとき、危惧していた事は結構真実になりつつあって、この30年ほど前の記憶は風化が甚だしく、複数の関係者から聞いた結果、主に時系列について矛盾した事実がすでにあちこちにあるのだけど、これに関しては僕の一存で「こうだったろう」と決めている。
以下、本文。
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というわけで、ハドソンがいつ、どのようにして、ファミリーベーシックを作ることになったかについて今回は書いていきたい。
しかも、嬉しい事に、当時のハドソンの開発メンバーの大半から話を聞くことが出来たので、前回までの細かい事情を修正しつつ、本文を書いてく。
ただし、残念なことに、かなりの方から「自分の名前が文の中に出てくるのは歴史的なことだからいいけれど、誰が言ったかは分かるのはいやだ」といわれてしまったので、最初に名前を出してしまった野沢さん以外はハドソン関係者、ということで伏せておきたい。
ちなみにハドソンがファミコンに参入する話はコロコロのマンガや、ハドソンが監修したらしいマンガに載っているのだけど、どちらも一切ファミリーベーシックに触れておらず「MSXより売れると思った」といった社長の慧眼にされていたりして、伝説を作るのに一役買っている。
まあこの当時の本では間違ってもファミリーベーシックについて触れるわけにはいかないわけで、こんな風な話になってしまうのも仕方がないのだけど、後の史実を研究する人たちにとってはただの妨害にしかならないだろう、と思ってしまう。
まあこの当時の本では間違ってもファミリーベーシックについて触れるわけにはいかないわけで、こんな風な話になってしまうのも仕方がないのだけど、後の史実を研究する人たちにとってはただの妨害にしかならないだろう、と思ってしまう。
また、ゲーム史のことを少し書いたとき、危惧していた事は結構真実になりつつあって、この30年ほど前の記憶は風化が甚だしく、複数の関係者から聞いた結果、主に時系列について矛盾した事実がすでにあちこちにあるのだけど、これに関しては僕の一存で「こうだったろう」と決めている。
以下、本文。
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2012-01-28 Sat [ 昔のこと::ハドソン関係 ]
前回、1983年に任天堂が…というところまで書いたのだけど、ハドソンと任天堂の関係が出来る話に入る前に、もう少しこの当時のハドソンについて話をしておきたい。
というのも、ツイッターで、どうしてハドソンがシャープと仲がよかったのか、どうしてX1を使っていたのか、当時どんな会社だったのかみたいなことを聞かれて気がついたのだけど、結局当時のことを、今の人が知るわけもない。そしてこの話は、当時のパソコン市場や、ゲーム市場、さらに開発環境などがどんなものだったのかをわかってもらわないと、うまく繋がらない。
というわけで、ハドソンや当時のことについて、今回もう少し書いていきたい。
以下本文。
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というのも、ツイッターで、どうしてハドソンがシャープと仲がよかったのか、どうしてX1を使っていたのか、当時どんな会社だったのかみたいなことを聞かれて気がついたのだけど、結局当時のことを、今の人が知るわけもない。そしてこの話は、当時のパソコン市場や、ゲーム市場、さらに開発環境などがどんなものだったのかをわかってもらわないと、うまく繋がらない。
というわけで、ハドソンや当時のことについて、今回もう少し書いていきたい。
以下本文。
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2012-01-25 Wed [ 昔のこと::ハドソン関係 ]
これは1984年に、ハドソンが初のサードパーティとして、ファミコンに参加するときの物語だ。
前のポストで、野沢さんの証言を元にブログを書いたら、いろんな人から細かい情報が集まって、どんな風にハドソンがファミコンに参入したのか、そのプロセスはどういうものだったのかを、ようやくその全貌が正しく明らかになったと考えられるようになったので、再度具体的に書いていきたい。
ところで、この記事は、前の物とかなり激しくかぶるのだけれど、前のものを消すとどのように変化したか? が分かりにくく、かつ前回のに付け加えをするには、あまりに多すぎるので、あえて新しい記事としてアップロードすることにした。
あと今回、何人か名前を出して欲しくないといわれた関係者が現れてしまったので、野沢さんの言葉と一緒に、当時のハドソン関係者と、今のところは伏せておくことにしたい。
…って考えてみたら、野沢さんの名前出していいかどうか聞いてなかった(;´ω`)
また新しい記事はたぶん3回ぐらいに分けて書くことになると思うのだけど、時代背景などまで含めて出来るだけ丁寧に書いていきたいと思っている。
というのも、インターネットを検索すると分かるのだけど、後の歴史的事実「ファミコンが圧勝した」って事や、当時書かれた任天堂礼賛本の内容のひどさ(本当に噴飯モノの本がかなりたくさんあった)、さらにくだらないゲームハード戦争がらみで下らない事を書く人がいるせいで、現実の歴史からかけ離れている事が多いので、そこらへんも出来るだけ正しながら、この歴史を紐解いていきたいと思っている。
以下、本文。
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前のポストで、野沢さんの証言を元にブログを書いたら、いろんな人から細かい情報が集まって、どんな風にハドソンがファミコンに参入したのか、そのプロセスはどういうものだったのかを、ようやくその全貌が正しく明らかになったと考えられるようになったので、再度具体的に書いていきたい。
ところで、この記事は、前の物とかなり激しくかぶるのだけれど、前のものを消すとどのように変化したか? が分かりにくく、かつ前回のに付け加えをするには、あまりに多すぎるので、あえて新しい記事としてアップロードすることにした。
あと今回、何人か名前を出して欲しくないといわれた関係者が現れてしまったので、野沢さんの言葉と一緒に、当時のハドソン関係者と、今のところは伏せておくことにしたい。
…って考えてみたら、野沢さんの名前出していいかどうか聞いてなかった(;´ω`)
また新しい記事はたぶん3回ぐらいに分けて書くことになると思うのだけど、時代背景などまで含めて出来るだけ丁寧に書いていきたいと思っている。
というのも、インターネットを検索すると分かるのだけど、後の歴史的事実「ファミコンが圧勝した」って事や、当時書かれた任天堂礼賛本の内容のひどさ(本当に噴飯モノの本がかなりたくさんあった)、さらにくだらないゲームハード戦争がらみで下らない事を書く人がいるせいで、現実の歴史からかけ離れている事が多いので、そこらへんも出来るだけ正しながら、この歴史を紐解いていきたいと思っている。
以下、本文。
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2012-01-15 Sun [ 昔のこと::ハドソン関係 ]
以前にTwitterでちょっと書いた、ハドソンがファミコンのサードパーティに参加する前後の事情について。
これは1982-83前後のコンソールゲーム業界がまさに始まろうとしていた前後の話だ。
当時ハドソンにいた、野沢さんに詳しく聞いたところ、30年前の記憶なのでうろ覚えなところがあるけど、と前置きで返事をもらったので、以下いろいろ。
このあたりはfacebookで、古いハドソンのメンバーと現在つながるようになっているので、また聞いて、証言を加えていく予定。
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これは1982-83前後のコンソールゲーム業界がまさに始まろうとしていた前後の話だ。
当時ハドソンにいた、野沢さんに詳しく聞いたところ、30年前の記憶なのでうろ覚えなところがあるけど、と前置きで返事をもらったので、以下いろいろ。
このあたりはfacebookで、古いハドソンのメンバーと現在つながるようになっているので、また聞いて、証言を加えていく予定。
ちなみに野沢さんは、野沢勝広さん。
I/OでMZ-80K用のTiny fortran コンパイラFORMなんかを発表したり、スターソルジャーのプログラマだったり、チャレンジャーのシステム作ったり、PCエンジンのハードがらみの設計したり、ともかく当時のハドソンの技術の中心人物の1人といっていい人だ。
I/OでMZ-80K用のTiny fortran コンパイラFORMなんかを発表したり、スターソルジャーのプログラマだったり、チャレンジャーのシステム作ったり、PCエンジンのハードがらみの設計したり、ともかく当時のハドソンの技術の中心人物の1人といっていい人だ。
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