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ハドソンがファミコンに参入するまで(1)
これは1984年に、ハドソンが初のサードパーティとして、ファミコンに参加するときの物語だ。
前のポストで、野沢さんの証言を元にブログを書いたら、いろんな人から細かい情報が集まって、どんな風にハドソンがファミコンに参入したのか、そのプロセスはどういうものだったのかを、ようやくその全貌が正しく明らかになったと考えられるようになったので、再度具体的に書いていきたい。

ところで、この記事は、前の物とかなり激しくかぶるのだけれど、前のものを消すとどのように変化したか? が分かりにくく、かつ前回のに付け加えをするには、あまりに多すぎるので、あえて新しい記事としてアップロードすることにした。
あと今回、何人か名前を出して欲しくないといわれた関係者が現れてしまったので、野沢さんの言葉と一緒に、当時のハドソン関係者と、今のところは伏せておくことにしたい。
…って考えてみたら、野沢さんの名前出していいかどうか聞いてなかった(;´ω`)

また新しい記事はたぶん3回ぐらいに分けて書くことになると思うのだけど、時代背景などまで含めて出来るだけ丁寧に書いていきたいと思っている。
というのも、インターネットを検索すると分かるのだけど、後の歴史的事実「ファミコンが圧勝した」って事や、当時書かれた任天堂礼賛本の内容のひどさ(本当に噴飯モノの本がかなりたくさんあった)、さらにくだらないゲームハード戦争がらみで下らない事を書く人がいるせいで、現実の歴史からかけ離れている事が多いので、そこらへんも出来るだけ正しながら、この歴史を紐解いていきたいと思っている。

以下、本文。

ファミコンにハドソンが参入したのは1984年7月(正確には発売されたのは7月)、またハドソンと非常に関係が深いファミリーベーシックが発売されたのも1984年6月だけど…話は1981-83年あたりから始まる。

この時期はマイコンが飛躍的に性能を伸ばし、テレビに接続して、カラーでグラフィックを出し、音を出すぐらいぐらいなら比較的低価格(といっても数万円以上だけど)で発売出来るようになった時代だ(そして僕の愛機が古臭く見えるようになって悲しかった時代でもある)。
まあ、飛躍的に…といっても、恐ろしいことにこのあとも飛躍的に進化しつづけているわけだけど…テレビにつなぐのも難しかったのがテレビに普通に繋がり、カラーでグラフィックが出せるようになるのは「ない」が「ある」になったわけで、とても劇的なジャンプといえるだろう。
これと同じレベルで劇的なジャンプはコンピュータの歴史の中でもほとんどないと思う。

これが飛躍的に簡単になった背景にはビデオ専用の半導体とオーディオ専用の半導体が売り出されたことによる。
有名なのはサウンドではTI(テキサスインスツルメンツ)の作ったチップで76489ってのと、GIのAY-3-8910ってチップ。
ビデオではTMS9918ってMSXなどで使われたものがものすごく有名。

そしてパソコンがご家庭にあるテレビに普通に繋がるようになり、しかも低価格になって購入が難しくなくなったこと、当時、マイコンによる家電製品の制御が流行していたのなどが組み合わさって「ホームオートメーションだ!」だの「家計簿もなにもかもマイコンでやる時代が来る」だのといった予測が盛んにされていた。
そして、こういった「ご家庭に一台あって、テレビに繋がっていて、ホームオートメーションや家計簿やエンタテイメントをやってくれるコンピュータ」「ホームコンピュータ」と呼び「これからはホームコンピュータの時代だ!」ということになっていた。

このあたりは、僕が電撃王に書いたものを転載した 「ああ、夢のホームコンピュータ」でも読んでくれると、ちょっと雰囲気がつかめたりすると思うのだけど、ともかくホームコンピュータ&オートメーションはX兆円市場になる、みたいなバラ色の未来図が描かれ、そしてどの電器メーカーもそれを結構信じていて「ホームコンピュータの覇者」になろうと、次から次へと家庭狙いの廉価なPCが発売されていた時代だった。
では、どれぐらいホーム狙いのPCだのゲームマシンが発売されていたのかと言うと

ハード
1981カセットビジョン(エポック)、PC-6001(NEC)、JR-100(松下)、VIC-1001(コモドール)
1982ぴゅう太(トミー)、M5(SORD/タカラも販売)、マックスマシーン(コモドール)
1983MSX(各社)、ATARI-2800(アタリ)ファミコン(任天堂)、SC-3000/SG-1000(セガ)、PC-6001Mk2(NEC)、PV-1000/2000(カシオ)、RX-78(バンダイ)、バンダイ・アルカディア(バンダイ)光速船(輸入・バンダイ)
1984スーパーカセットビジョン(エポック)、JR-200(松下)
1985MSX2、PC-6001Mk2SR(NEC)、セガ・マークIII(セガ)
と、それなりに売れたり有名だったりするホーム(ホビー)狙いのハードを並べるだけでも、こんなにズラズラと並んでしまうほどの機種がある。もちろんこれが全部ホームコンピュータ狙いではなくて、ホビー用…つーかゲームマシンも含まれている(太字がゲームマシン、と僕が判断しているもの)けれど、少なくともテレビゲームだって、ご家庭に売り込もうとしていたデジタルハードウェアって点ではお互い様だ。
加えてMSXは複数の会社から発売されていたので、電気屋のパソコン・ゲームコーナーはまさにあらゆるハードが並んでいる百花繚乱の状態になっていた

ここで勘違いしてもらったら困るので、一つ書いておく。
上記機種は、今のパソコンと違って互換性はカケラもない。だからJR-100ではVIC-1001のソフトは動かなかったし、M5用に書かれたソフトはもちろんMSXでは動かなかった。つまり上記のパソコンは、本当にまったく違う機械ばかりで、今でいうならマックとウィンドウズが山のようにある状態だった。

そして上記のホビー狙いのPC/ゲームマシンは
  • 低価格(高いものでも10万円以下)
  • 基本的にご家庭のテレビに接続可能(RF接続もしくはビデオ接続を標準で持っている)
  • たいていスプライトを数枚+グラフィックを表示可能
  • たいていROMカートリッジを差すだけでソフトが起動する
という特徴を持っていた。
どうしてカートリッジなのかというと、これまた理由がある。
当時、最高に容量があって、いろんなことに便利だったのは間違いなくフロッピーディスクだったけれど、なんせドライブが高い。10万円以下はありえなかった。これではホームコンピュータにするにはムツカシイお値段になってしまう。本体は5万円だけどディスクドライブは10万円では話にもならない。
しかもフロッピーがいくら速いといっても、カートリッジと比べたとき、速度でも扱いの簡単さでもかなわない。
ちなみにハードディスクは民生としては売り出した初期。数十万円以上するのが当たり前の時代(どっかの誰かは8インチフロッピー+5メガバイトのハードディスクを39万円で購入した)。CDは1982年にようやく登場した夢のオーディオメディアでCD-ROMは規格すらまだ完成していない。
実質的にまともな値段でソフトを供給できる媒体はカートリッジもしくはオーディオカセットテープしかなかったのが真相だ。
そしてオーディオカセットは安いけれど遅いし扱いづらい。だからROMカートリッジなのは消去法で出てくる方策だった。ちなみにROMカートリッジはバッテリバックアップも可能なのでデータの保存が簡単に出来るメリットもあった。

加えてほとんどのマシンがBASICを標準で搭載もしくは拡張で使用可能で、ホームコンピュータを標榜するマシンはキーボードを搭載していた。これまた理由があり、BASICは「コンピュータを理解するための入門用の言語」として搭載されていた。最高とされていたのはマイクロソフトベーシックだけど、当時すでにマニアだった僕は「ケッ」って感じだったw
当時可能な範囲に入りつつあったワープロや家計簿はホームコンピュータの要素として当然考えられたのでキーボードも搭載されていたわけだ。

感覚的な話をすると、5万円を越えるあたりからゲームも出来るホームコンピュータの位置づけになり、それより安いとゲームマシンなんだけど、キーボードを搭載してホームコンピュータにもなりますよ、みたいな雰囲気だったと理解するといいだろう。

そして1983年はホームコンピュータ元年と呼ばれ、当時のパソコン業界御三家といわれたビッグシェア持つ3つのメーカー、王者NEC(PC-6000/8000/8800/9800シリーズ)、富士通(FMシリーズ)、シャープ(MZ/X1シリーズ)に「家電業界の有力メーカー1?社が連合してMSXで挑む、果たして勝つのは誰か!?」が最大の注目ポイントだった。
そして、任天堂はというと、誰も気にしていなかった。

ここで、はっきりと意識しなければいけないのは、家庭用テレビゲーム業界は、まだこの時点では実質的に存在していない事実だ。
テレビゲーム…というかコンピュータゲームとかかわりを持っていた業界は3つ。
一つ目が最大最強でアーケードゲーム業界。次がパソコンゲーム業界。
おもちゃ業界はテレビゲームはテレビテニスなどで普及が始まって、数年は経っていたが、おもちゃメーカーのメインはあくまでオモチャで、テレビゲームはまだまだ商売として大きなものではなかった。
そして、当時の任天堂の立ち位置は「アーケードでは結構なヒットメーカー、家庭用テレビゲームではあまり存在感がなくて、ゲーム&ウオッチのメーカー」ってイメージだった。
僕自身も当時の家庭用テレビゲームマシンといえば、エポックの印象が一番強かった。そして両親はテレビゲームマシンを買ってくれなかったので「コンピュータの勉強に役に立つマイコン」を購入してもらい、それでテレビゲームを書いたわけである。

この時代を背景として、ハドソンは最終的にファミコン初のサードパーティになるわけなのだけど、では当時のハドソンはどのような会社だったのか?
当時のハドソンは「パソコンソフトメーカー」だった。そして、もちろんいろいろなパソコンにゲームを出していたが、それ以外に、たとえばMZ-80シリーズ用の"H-DOS"の開発・販売をしたりというような、「システムソフト屋」としての側面も強くあった。

ただ、当時からハドソンの売り上げの大半はゲームからで、どんな風にして仕事をしていたのかというと…

■ハドソン関係者
ハドソンは、ファミコン開発直前、いわゆるマイコンのソフト開発をしていた
売り文句の一つとして 「オール マシン語」だった。
開発基本ターゲットは X1で 他PCでは X1 を シミュレートするライブラリが有った
このライブラリのおかげで 移植が Z80系で 半日 FM-7などの 09系でも1日で出来た
09系には Z80->6809 のソースコンバータ なるものがあった。これはヘクターが作ったもの。
でぜにらんど サラトマ まる狂シリーズ とか。
そのときの開発環境は、 X1に FDDユニットを 付けた CP/M80 マシンであった。
アセンブラは 何を使ったかは覚えていない。
エディタは WordMaster を使っていた。
ファミコン開発開始あたりから このシステム は使われなくなった。

つまり、オールマシン語は「高速&技術」の代名詞みたいなものだったので、それをウリにしつつ、移植作業自体はシステマチックに行うことで、当時の御三家全部にソフトを出す…ということをしていたわけだ。

そんなハドソンに、1983年、ファミコン発売の少し前だったらしいが、シャープから一つの話がやってくる。
(続く)
|| 18:06 | comments (7) | trackback (0) | ||

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コメント
通りすがりのウェストンの方ですか!w

ウェストンとハドソンも関わりは深くて、本当にいろんなウェストン作品が(たいていはキャラを変えて)移植されてますよね~

ちなみにスペースサターンはぶっちゃけひどい出来の映画でファラ・フォーセットがオッパイ見せる以外に売りはないみたいないわれ方をよくしますw
| 岩崎 | EMAIL | URL | 12/02/17 11:49 | jL2fvUUo |
通りすがりのものですが、ヘクターさんのあだなの理由をはじめて知ったので感激ついでに書き込んでます。
この映画みたことないのですが、いま調べてみたらキャストが豪華で内容も面白うそうですね。バイオロイド「ヘクター」のダイレクトインプットがキネクトみたいでイケてます。

http://robot111.web.fc2.com/spacesaturn.html
| NishizawaRyuichi | EMAIL | URL | 12/02/16 13:01 | pnG5juq6 |
なんでヘクターかというと、スペース・サタンという映画に出てきたロボットの名前が元
最初の頃、色々と命令されて従っていた状態だったので、そのニックネームで呼ばれるようになったのです
| tobi | EMAIL | URL | 12/01/29 19:25 | U0S0GJjU |
>開発基本ターゲットは X1で 他PCでは X1 を シミュレートするライブラリが有った
>このライブラリのおかげで 移植が Z80系で 半日 FM-7などの 09系でも1日で出来た

この辺の話は、当時の日本でのWizardry移植に関しても似たような話を(どこかで)読みました。
非互換ですが、割と似たようなハード設計でもあったようにも思えるんですが
多様な機種間でソフト供給を展開することのリスクって(今と比べると)どうだんたんでしょうか。
| atsu | EMAIL | URL | 12/01/28 12:01 | jB3nOvqE |
おおっ、情報源はこちらでしたか!
過去記事も読ませて頂きます。
| ryuzou | EMAIL | URL | 12/01/28 07:22 | fPDzjrCw |
そのヘクターがメインプログラマのあだ名だという情報はたぶんうちのブログからだと思いますw

最初はヘクターさんの開発だからコードネームがヘクターだったのですが、結構はまっちゃってたもので、結局そのまま使われたというのが真相です。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 12/01/26 06:05 | jL2fvUUo |
ヘクターって、ヘクター\'87のヘクターですか!?
と、気になってwikipediaを見てみたら、何と
メインプログラマーのあだ名だったんですね。
ゲームのタイトルが意外と適当にネーミングされてて面白いですw

ヘクター\'87といえば、FM音源の原曲版のCDをキノコさんに
分けて戴いて、今も時々聴いています。
| ryuzou | EMAIL | URL | 12/01/26 00:25 | fPDzjrCw |
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