CALENDAR
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31     
<<  2024 - 12  >>

PROFILE
同人誌 電子書籍版
Re:ゼロから始める
ゲームシナリオ


ライトニング伝説


さよならハドソン


ドラクエとFFと
ToHeart


誰得ゲームライフ


ときめきメモリアル
の時代

イースI・II製作メモ

頒布ページ
LINKS
NEW ENTRIES
CATEGORIES
COMMENTS
    イースⅠ・Ⅱ通史(3):『リグラス』から『ロマンシア』
  • タムロ (02/03)
    イースⅠ・Ⅱ通史(1):PC88MkⅡSRの発売
  • tamuro (01/05)
  • おお! (01/03)
TRACBACKS
OTHERS
SEARCH BOX
POWERED BY
POWERED BY
ぶろぐん
DESIGN BY
ブログンサポート

ゲームと学力ドリルの似ているところ
2004年の11月に発売された電撃PSに書いた記事。
例によって、今読み直すと、面白いことがあったので転載。

■■■

現代のゲームには様々な顔がある。
例えばRPGやAVGのストーリーやムービーや演出、はたまたフライトシムやカーレース、それともリアル系のスポーツゲームのリアルを追求した画像、アクションのド派手な画面など、ぱっと考えただけでも全く違う顔を見せる。
実際、現在の格闘・アクション・シューティング・RPG・フライトシム・カーレースなど、様々なゲームジャンルの画面やシステムを比較して見たとき、それらが同じ「テレビゲーム」と思えないほどのバリエーションを持っているのは、誰でも理解出来るだろう。
しかし、それら全てのゲームに共通する要素が、コントローラとテレビ(モニタ)を使うという以外に、もう一つある。
それは「学習することでうまくなる」、すわなち、およそゲームと呼ばれるものほぼ全てにはパズルというか、「ゲームデザイナーから問題が提出され、それを解決する」、いわば問題集の要素が組み込まれている。

続きを読む▽
|| 20:42 | comments (1) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
HALOに見る、日米のゲーム観の違い
『電撃王』や『電撃プレイステーション』に載せていたコラムの中で思い入れが深いものを、細かくアップトゥデートして載せていくシリーズ。

■■■

マイクロソフトが発売した『HALO』は「好きか嫌いか」はともかくとして、疑いもなく非常に優れたゲームなのは確かだ。
難易度は高いとは思うが、グラフィックは素晴らしいし、ゲームの仕掛けも良くできているし、マルチプレイヤーでの戦闘は途方もなく楽しい。実にいいゲームだと思う。
では、ここで次の問い。果たして、それは日本で受け入れられるのだろうか?
「売れる・売れない」について言うなら、この号が出ているときに答えは出ているわけだが、売れるとは思わない。
なぜなら、XBOX(初代)はDVDの傷問題でイメージに大きな痛手を受けていて、現在のところは不調もいいところで、しかもすぐにユーザーがハードを買ってくれるとは思えない。だから、売れたところで、運が良くて10万ちょっとが限界なのはわかっている(奇跡的な運があれば20万が出る可能性はゼロではないわけだが)。

【注】ここで分からない人のために。
初代XBOXはトレイの設計に問題があって、DVDを入れると外周部に薄い傷がつく問題が発生した。
ところがこの傷は結構付く個体はあるけれど、DVDやCDの再生には問題がないもので、マイクロソフトは問題ないといってしまい、かえって大問題になり、XBOXのイメージは極めて悪くなった。
このコラムはその問題が起きた直後に書いていたので、それについて触れているわけだ。


続きを読む▽
|| 21:13 | comments (7) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
今も昔もマシン論争
PS3がいいのX360がいいのといったハード論争を延々と繰り広げる方々がいるが、だいたい発売された年代が似たようなものなら(フォーカスが全然違わなければ)、性能も似たような物だ。
実際にそれでプログラムを書くことも、それを対象にしてゲームデザインをすることもなかろうに、なんで口角泡を飛ばすのか…と、見ているうちに1995年頃に電撃王に書いたコラムをふと思い出して、読み直したら、結構面白かったので、コマゴマ付け加えて、転載することにした。
以下、本文。

■■■

 今まで何度も書いてきたけれど、僕がパソコン(マイコン)を使い出して、17年が過ぎるうちに『値段は17年前と変わらないか、ヘタしたら安いぐらいで、速度で1000倍、メモリで2000倍以上、グラフィックに至っては<ある>と<ない>で比較の対象にもならないぐらい。記憶装置も値段は100分の1、速度は1000倍』なあんて、当時から思えばただの夢物語にしか過ぎないようなムチャな機械ばかりになってしまった。(苦笑)

【注】もちろんこれまた94-95年と1978-80年頃を比較しての、の話だ。この当時のマシンはだいたいメモリが256メガバイトも積まれていれば多い方だった。今(2011)はノートパソコンですら4ギガ(16倍)載っているのが「当たり前」の世界になっているのだから、ここからの性能向上も推して知るべし。

 あんまり進歩が速いもんで、17年前にマイコンを始めた当時に覚えて、今でも役に立っているのはキーボードのレイアウトぐらいのもんだ。
 当時に比べれば、随分キーの数は増えたけどね。(これはホントに覚えてよかったと思っている)
 当然、ソフトもケタが変わってしまって当時はベーシックを動かすのが目標で、今じゃ、Windowsが動くのは当たり前。
 なんとサイズで軽く100000倍。複雑さに至っては、話にもならないぐらいの差なわけ。
 ところが、それを使う人は今も昔も変わらないとみえて、17年前とまーるで同じことを繰り返している、面白いことが一つある。
 というわけで、今も昔も変わらないマシン論争の話。
 ただし、1977年版。

【注】ここでマシン論争と書いているのはAT(IBM-PC)系と、PC-9801(NEC)系、Macintosh、FM-TOWNS(富士通が出していた独自規格のパソコン系列)、X68K(正式名称はX68000。シャープが出していた独自規格のパソコン)などのいわゆるPCだ。
それぞれにファンがいて、それぞれに自分のマシンが最高だと主張していた。


続きを読む▽
|| 20:37 | comments (4) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
ピンボールって知ってる?
去年、ワールドカップ前後に書いた電撃プレイステーションのコラムの大幅増量&改訂版。
余りに中身が変わったので、カテゴリを迷ったけど、本当はこれぐらい書きたかったコラムだったので転載でいいやと思ったw

さて。
ピンボールは、このブログ読んでいる人の大半にとっては「名前を知っているが、プレイしたことがないゲーム」の一つではなかろうかと思うので、簡単に内容を説明しておこう。
左にあるような筐体の、結構大きな2メートル近いサイズの様々なギミックが載っているゲームボードの上を転がってくる金属製のボールをフリッパーと呼ばれる2本のバットのような物で打ち返し、出来るだけ長い時間ボールを落とさず、かつギミックを狙って、役を作っていくことで高得点を目指すゲーム。ちなみに左の画像は今回取り上げたゲームにも含まれているBlack Knightというピンボール。
…と書いても、さっぱりわからないだろうなあと、このコラムを書いたときは思っていたので、ここはインターネットの力で拾ってきた画像とともに、デジタルピンボール初期のマルチボール(複数のボールが同時に出る)ピンボールの最高傑作のひとつと信じて疑わないSTERNのFLIGHT 2000を例に取って「実際に、どんな風にプレイをするものだったのか?」を説明したい。

ちなみにピンボールをテレビゲーム…というか、コンピュータでやろうとする試みはとても古くからあり、アップルIIの伝説的に有名なビル・バッジの『ピンボールコンストラクションキット』あたりから始まり、アーケードでブロック崩しの変形、ナムコのGeeBee、ファミコンで任天堂から発売されていた『ピンボール』、PCエンジンとメガドライブで結構ヒットした『エイリアンクラッシュ』&『デビルクラッシュ』、Kazeの名作デジピン『ラストグラディエイター』・『パワーレンジャー』、Windowsに付属してた『Space Cadet』などなど、結構歴史もあって、それなりに遊んだ人もいると思うが、それでもマイナーなのは間違いないだろう。


続きを読む▽
|| 20:12 | comments (10) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
静かなプリンタ
これは『電撃王』や『電撃プレイステーション』に載せていたコラムの中で思い入れが深いものを、細かくアップトゥデートして載せていくシリーズ。

■■■

初めて、マイコンにプリンタを繋げるようになったころ、放電プリンタというタイプがプリンタの主流だった。
放電プリンタ‥と言われても、今の人は誰も見たことないだろうから(見たことある人いるかぁ?)説明すると、表面にアルミニウムをコーディングした特殊な用紙に放電で穴を開けて文字を作っていくって代物だった。
どうしてこんな異様なプリンタを使っていたかというと、放電で穴を開ける構造上、可動部分が少なくて、安い価格で作れたからなんだよね。まあ、安いと言っても、ケースもついていない、剥き出しの機械で、当時の価格で5、6万なんていう、今から考えれば「ふざけた値段」だったけどね。
【現在の注】当時の大学生の初任給が10万円前後、現在の初任給が20万円ちょい程度なので、多分、感覚的には2倍強ぐらいで、10-15万円の間だろうと思う。ただしモノとしての価値を考えると、100倍ぐらいの差があるだろう。
なんせ、当時売られていたモノはハード的な話をすると、基板むき出し・電源なし(外部供給)・しかも一般化されたインターフェース(セントロニクスなど)がないので、I/Oは自作でよろしく。繋ぐのはオール自己責任、当然プリントするソフトも自作と、なにもかも自作づくめの時代だ。おまけに印刷されるロールペーパーはせいぜい幅数センチー10センチ程度の代物で、可読性も話にならない、USB接続のフルカラーインクジェットプリンタが1万円も出せば買えてしまう今の時代の感覚からするとガラクタ同然の代物だ。



続きを読む▽
|| 20:03 | comments (3) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加