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ゲームと学力ドリルの似ているところ
2004年の11月に発売された電撃PSに書いた記事。
例によって、今読み直すと、面白いことがあったので転載。

■■■

現代のゲームには様々な顔がある。
例えばRPGやAVGのストーリーやムービーや演出、はたまたフライトシムやカーレース、それともリアル系のスポーツゲームのリアルを追求した画像、アクションのド派手な画面など、ぱっと考えただけでも全く違う顔を見せる。
実際、現在の格闘・アクション・シューティング・RPG・フライトシム・カーレースなど、様々なゲームジャンルの画面やシステムを比較して見たとき、それらが同じ「テレビゲーム」と思えないほどのバリエーションを持っているのは、誰でも理解出来るだろう。
しかし、それら全てのゲームに共通する要素が、コントローラとテレビ(モニタ)を使うという以外に、もう一つある。
それは「学習することでうまくなる」、すわなち、およそゲームと呼ばれるものほぼ全てにはパズルというか、「ゲームデザイナーから問題が提出され、それを解決する」、いわば問題集の要素が組み込まれている。

シューティングやアクションなら敵の出てくるパターンやボスの攻撃を覚え、対抗方法を考えるのがそれだし、RPGなら敵の持っている特殊な技を覚え、対抗策を考えることや、シナリオの謎の解決を解くことがまさにそれ。
パズルゲームはタイトルがまさに言うまでもなく全てを表しているし、AVGも完全なシナリオ主導型の読むことが中心のゲームですら、例えばシナリオの分岐条件などにやはりそういう要素は(難易度は低いながらも)あるわけだ。
逆の言い方をするなら、これらの要素「こそ」がゲームをゲームたらしめているもので、まさにゲームの本質的な要素の一つなわけだが、これは極論するなら、ゲームの大半は学力ドリルと構造的には何も変わらないことを意味している。
最初は簡単な問題(弱い敵、単純な謎)から始まり、クリアするたびに徐々に難易度が上がっていき、応用問題が登場し、そして終了する。まさに、構造的には学力ドリルと何も変わらないわけだ。
では学力ドリルと比べて何が楽しいのかと言われたら、問題が解けたときのご褒美が遙かに嬉しいからというのと、問題自体も味気ないものではなく演出され、エンタテイメントするように努力しているからだろう。
さて、学力ドリルに解答集やアンチョコ(今でもこの言い方をするのか?)があるように、ゲームにも攻略本や攻略記事がある。例えば、この雑誌(電撃プレイステーション)の攻略記事やデータ集なんかは明らかにアンチョコと同じ機能だし、ましてや攻略本なんかアンチョコそのもので、違うところは攻略本の内容はテストには出ない…程度のものだろう。
ここで面白いのが、学力ドリルをアンチョコで解けば(解いた気になれば)、当然実力はさっぱり上がらないのと同じで、ゲームでも攻略記事や本を見て解けば、ほとんどの場合には実力は上がらない(ほとんどの場合にはというのは、アクション・シューティング・格闘などは、攻略をみようが『攻略と同じように動けないとダメ』だからで、それが出来るなら問題解決能力はともかく、アクションの実力は上がっていることになる)
特にRPGなどで、事前に最短コースを決定でき、なおかつ敵の行動やそれに対する作戦を知っていれば、はっきり言ってしまえば「負ける方が恥ずかしい」ぐらいだ。カンニング完全オッケーの試験で0点取るのと同じぐらい恥ずかしい。
と、ここまでこんな話を書いてきたのには理由がある。
確かに、一部の隠しアイテム、特殊な経路、特別な隠しキャラクタなどは攻略を見たくなるのも当たり前だし、なければとても出せるとは思えないような代物がだらけなのも間違いないが、基本的な部分はたいていのゲームでは、そんな情報はなくてもプレイ出来るように作ってあるのだ。
それに攻略本も攻略記事もネタバレしないように注意深く作られているが、それでもある程度の情報は漏れてしまうので、ゲームのストーリーやイベントについての予備知識が得られてしまい、面白さを削いでしまうは間違いない。
ドラクエ8の発売も近いことだし、ここらで一度「攻略記事や本は買っても、出来るだけ見ないようにして楽しむ」ことをしてみてはどうだろうか?
そうすれば、自分で解くゲームの面白さが再発見出来るのではなかろうか。

■■■

と、2004年にはこんな風に書いたわけだが、これを載せたのは理由がある。
このときは「ゲームは学習ドリルと似ている」ってのは、ゲームを作る側にとっては当たり前でも一般ユーザーには結構「エー?」だったから、こんなコラムを書いたのだけど、この直後に世界が激変するからだ。
その世界の激変ぶりを理解してもらうために、コトの起こりから書いていきたい。

もともとゲームは学習と相性がいいってのはわかっていたので、パソコンの黎明期から、教育用ソフトってのはあった。
初期には算数だのなんだのドリルの移植が多く、黎明期に僕自身も移植を請け負ったことがあったりするが(高校生で5000円の移植料金を喜んでいたのだから、全くバカだ。今から考えれば騙されていたことがわかる)…それはともかく、ホームコンピュータ構想だの子供向けのPCだのが考えられるたびにこの手のソフトは登場した。
たとえばMSXのコナミの『わんぱくアスレチック』だの名作『夢大陸アドベンチャー』のベースになった、そしてほとんどの人は知らないだろうがアーケードにもなっている『けっきょく南極大冒険』なんかは、実は教育ソフトとして発売されていたりする。
教育ソフトは大ヒットしたファミコンの世界でも、何作か登場している。
たとえば当のご本尊たる任天堂が初期に『ポパイの英語遊び』だの『ドンキーコングジュニアの算数遊び』だのを発売していたりするし、ディスクシステムでも『アイアムアティーチャー』シリーズなんかが出ていたりするし、ファミリーベーシックだって意味合い的には教育用と位置づけられていたはずだ。

もちろん、これらのソフトはそれほど売れることなく、結局のところ教育用というジャンルはソフトを売る人たちの皮算用とは裏腹に一大ジャンルになることなく、比較的近年一度大ヒットした「タイピング練習ソフト」ぐらいがスマッシュヒットと呼べる程度だった。
言い換えるなら「ゲームと学習ってさ相性いいんだよね、と作り手が思って仕掛けても、教育ソフトはさっぱり売れないのが当たり前」だったわけだ。
これが激変するのが、このコラムを書いた直後、2005年になってから。

実は2004年末はDSの発売された年で、そして2005年、この教育系の常識を変える、途方もないメガヒット…そうあの『東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太教授監修 脳を鍛える大人のDSトレーニング』が登場し、脳トレブームを巻き起こし、任天堂DSはPSPの挑戦を退けて、携帯ゲームの王者につくことになる。
そして以降「ゲームと学習」が再評価され、たとえば海外ではシリアスゲームと呼ばれるリハビリや病気の治療にゲームを使う試み…なんてのが、はじまり、日本でも教育系のさらに広い年齢層に向けた知育ソフトが一般化することになる。

そして、僕はこんなコラムを書きはしたが、教育ソフト系については、うまくやれば売れるのかもしれないが、売る方法を思いつかないな…と思っていた。
その意味でDS固有のタッチペンインターフェースや音声認識をうまく利用した脳トレは実に見事な作品だったといえる。
|| 20:42 | comments (1) | trackback (0) | ||

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コメント
「わんぱくアスレチック」と「けっきょく南極大冒険」、懐かしいですね。
父親が買ってきてくれて兄弟で遊んでいましたが、ある日教育シリーズだという事に気付きました。
でも「けっきょく~」はまだ納得出来る部分(南極に基地を持っている国が分かる?)があったものの、ゲームでアスレチックやったところで教育というには厳しいんじゃないか、と思っていたのを思い出しました。
| も | EMAIL | URL | 11/05/07 05:44 | 8JnsR7G2 |
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