2011-04-12 Tue [ 転載物::商業誌 ]
『電撃王』や『電撃プレイステーション』に載せていたコラムの中で思い入れが深いものを、細かくアップトゥデートして載せていくシリーズ。
マイクロソフトが発売した『HALO』は「好きか嫌いか」はともかくとして、疑いもなく非常に優れたゲームなのは確かだ。
難易度は高いとは思うが、グラフィックは素晴らしいし、ゲームの仕掛けも良くできているし、マルチプレイヤーでの戦闘は途方もなく楽しい。実にいいゲームだと思う。
では、ここで次の問い。果たして、それは日本で受け入れられるのだろうか?
「売れる・売れない」について言うなら、この号が出ているときに答えは出ているわけだが、売れるとは思わない。
なぜなら、XBOX(初代)はDVDの傷問題でイメージに大きな痛手を受けていて、現在のところは不調もいいところで、しかもすぐにユーザーがハードを買ってくれるとは思えない。だから、売れたところで、運が良くて10万ちょっとが限界なのはわかっている(奇跡的な運があれば20万が出る可能性はゼロではないわけだが)。
だから、問題なのは「受け入れられるか?」なわけだ。
では、なぜ「受け入れられる」という疑問なのかというと『HALO』は「FPS」、いわゆる自分の視点から見るシューティングだが、ともかく日本で「この視点しかないゲーム」が売れたことは、全くといっていいほどない…というか、この「自分視点」のスタイル自体がほとんど存在しないからだ。
日本ではカーレースだろうと、フライトシミュレータだろうと「自車(自機)が表示できないゲーム」は、実質的になく、さらに「標準の画面表示では自車(自機)が表示される」パターンであることが多いわけだ(極めて数少ない例外として、フロムソフトの「キングスフィールドシリーズ」などがある)。
ところがアメリカのゲームは、そうじゃない。
フライトシミュレータは黙っておけば、必ずといっていいほど「パイロット視点」で(他の視点も用意されている事が多いが)、パイロットでないのは「家庭用ゲーム」ぐらいのものだし、その他の3Dゲームの大半もご同様。
そして、これの集大成のように『DOOM』の大ヒット以来続いているFPSと呼ばれるジャンルでは「画面の中に主人公が出てくることは、基本的にはない」わけだ(人によっては、このジャンルの創始者は『DOOM』ではなく『ウルフェンシュタイン3D』だと言うかもしれないが)。
つまり、どう考えてもアメリカでは「自分視点が好まれ、日本では第三者視点が好まれる」わけだ。これは間違いないと思う。
これは、実は日米のゲーム観の違いを表しているからだろう。
アメリカでは、テーブルトークRPGの影響もあり、プレイヤーは特別な役割が与えられることはあっても、基本的には「他のNPCと同じように、その世界の中で生きている」と考える。
すなわちプレイヤーの分身がゲームの世界の中にいると考えるわけだ。
そうするとテレビはプレイヤーの視界になるので、モニタの中に自分が写ることはおかしいという考え方になるわけだ(写るのはあくまでゲーム的な便宜でしかないことになる。また、その視点から見れば、プレイヤーもタダの人であることが多いので、あっさり死ぬのも当たり前ということになる)。
それに対して、日本では、マリオなどの第三者視点から見るアクションゲームの伝統が強いことに加え、伝統的なテーブルトークRPGの伝統がなく、RPGやアドベンチャを作っているので、そのたぐいのゲームは「映画のようなストーリーの主人公に自分がなれる」ととらえる向きが多い。
そのアプローチからすると「自分視点」は劇的な演出をするためには必須の映画的なカットと相性が悪く、あまり使いたくないものになってしまう。
すなわち、アメリカでは「プレイヤー=自分」だが、日本では「プレイヤー=自分が操作しているキャラクタ」というわけだ。
そして、この伝統に加えて、自分視点は視界などの問題で難易度が上がりやすいので、日本では受けなかったのではなかろうか(ちなみにアメリカ人はゲームを挑戦と受け取る人が多く、難易度は高めの方が好まれる)。
これから考えると『HALO』がいかに優れたゲームであろうと、ちょっと日本では受け入れられないのではなかろうか、と予測出来てしまうわけだ。
だが、こればかりは、もうゲーム文化の違いなので、いかんともしがたいことだろう。
電撃王の2002年5月発売号に書いたテキスト。
初代XBOXのHALOをプレイして、そのあまりの面白さに感心すると同時に「こりゃー日本では厳しいだろうなあ」と思いながら、書いたコラム。
これを、今回載せた理由は、このあとの話を書きたかったからだ。
2002年にこう書いたわけだが、欧米ではバイオハザード・マリオワールド64・Devil May Cry・MGSなどの日本が生み出した誇るべきサードパーソンビュー作品群によって、第三者視点のゲームは受け入れられていき、それら日本の作品を咀嚼した、God Of War、アンチャーテッド、Gears Of War、スプリンターセルなどなど、あまたのTPSの名作が生み出されていく。
対して日本では…というと、2011年現在、相変わらずFPSは受け入れられたとは言いがたいのを見ると、ゲームというエンタテイメントの枠を決め、壁を作って狭量なのは日本なのではないか…と思ってしまう。
そして、このエッセイに書いた分類は、いまだもって欧米では意味をなしていてる。
だから、FPSに代表される1人称のゲームはプレイヤー=主人公の視点(しかも一本の時も場所も変える複雑なストーリーをそれで語るために主人公を次々取り替え、場合によってはプレイヤーの操作する主人公が最後には死ぬなんてことまで起こる新しいスタイルまで生み出した)でゲームは展開される、いわば「プレイヤー自身の経験として体験するストーリー」が展開されるのに対して、TPS型のゲームでは「プレイヤーはあくまで<劇中の俳優を演技される位置>に立っていて、第三者視点から「演劇/映画」的にストーリーを体験する、とゲームのスタイルによって作り方が違うところまで、ゲームの表現は進歩している。
■■■
マイクロソフトが発売した『HALO』は「好きか嫌いか」はともかくとして、疑いもなく非常に優れたゲームなのは確かだ。
難易度は高いとは思うが、グラフィックは素晴らしいし、ゲームの仕掛けも良くできているし、マルチプレイヤーでの戦闘は途方もなく楽しい。実にいいゲームだと思う。
では、ここで次の問い。果たして、それは日本で受け入れられるのだろうか?
「売れる・売れない」について言うなら、この号が出ているときに答えは出ているわけだが、売れるとは思わない。
なぜなら、XBOX(初代)はDVDの傷問題でイメージに大きな痛手を受けていて、現在のところは不調もいいところで、しかもすぐにユーザーがハードを買ってくれるとは思えない。だから、売れたところで、運が良くて10万ちょっとが限界なのはわかっている(奇跡的な運があれば20万が出る可能性はゼロではないわけだが)。
【注】ここで分からない人のために。
初代XBOXはトレイの設計に問題があって、DVDを入れると外周部に薄い傷がつく問題が発生した。
ところがこの傷は結構付く個体はあるけれど、DVDやCDの再生には問題がないもので、マイクロソフトは問題ないといってしまい、かえって大問題になり、XBOXのイメージは極めて悪くなった。
このコラムはその問題が起きた直後に書いていたので、それについて触れているわけだ。
初代XBOXはトレイの設計に問題があって、DVDを入れると外周部に薄い傷がつく問題が発生した。
ところがこの傷は結構付く個体はあるけれど、DVDやCDの再生には問題がないもので、マイクロソフトは問題ないといってしまい、かえって大問題になり、XBOXのイメージは極めて悪くなった。
このコラムはその問題が起きた直後に書いていたので、それについて触れているわけだ。
だから、問題なのは「受け入れられるか?」なわけだ。
では、なぜ「受け入れられる」という疑問なのかというと『HALO』は「FPS」、いわゆる自分の視点から見るシューティングだが、ともかく日本で「この視点しかないゲーム」が売れたことは、全くといっていいほどない…というか、この「自分視点」のスタイル自体がほとんど存在しないからだ。
【注】ここで「FPS」とカッコつきで書いているのは、当時、PCで遊んでいる人間ならともかく、コンソールゲーマーには馴染みのないゲームスタイルだったから。
日本ではカーレースだろうと、フライトシミュレータだろうと「自車(自機)が表示できないゲーム」は、実質的になく、さらに「標準の画面表示では自車(自機)が表示される」パターンであることが多いわけだ(極めて数少ない例外として、フロムソフトの「キングスフィールドシリーズ」などがある)。
ところがアメリカのゲームは、そうじゃない。
フライトシミュレータは黙っておけば、必ずといっていいほど「パイロット視点」で(他の視点も用意されている事が多いが)、パイロットでないのは「家庭用ゲーム」ぐらいのものだし、その他の3Dゲームの大半もご同様。
そして、これの集大成のように『DOOM』の大ヒット以来続いているFPSと呼ばれるジャンルでは「画面の中に主人公が出てくることは、基本的にはない」わけだ(人によっては、このジャンルの創始者は『DOOM』ではなく『ウルフェンシュタイン3D』だと言うかもしれないが)。
つまり、どう考えてもアメリカでは「自分視点が好まれ、日本では第三者視点が好まれる」わけだ。これは間違いないと思う。
これは、実は日米のゲーム観の違いを表しているからだろう。
アメリカでは、テーブルトークRPGの影響もあり、プレイヤーは特別な役割が与えられることはあっても、基本的には「他のNPCと同じように、その世界の中で生きている」と考える。
すなわちプレイヤーの分身がゲームの世界の中にいると考えるわけだ。
そうするとテレビはプレイヤーの視界になるので、モニタの中に自分が写ることはおかしいという考え方になるわけだ(写るのはあくまでゲーム的な便宜でしかないことになる。また、その視点から見れば、プレイヤーもタダの人であることが多いので、あっさり死ぬのも当たり前ということになる)。
【注】このプレイヤー=主人公の視点、すなわちFirst Personの視点は、アメリカのゲームデザイナーの一つの夢だったらしく、PCエンジン末期、アメリカのゲームデザイナー、ロー・アダムス(ウィザードリィIVやウルティマIVのシナリオを書いたので有名)と会って仕事が出来るかも…となったとき、彼がほぼFPSに近いゲームシステムを作れないかなとずっと喋っていたのが印象的だ。
それに対して、日本では、マリオなどの第三者視点から見るアクションゲームの伝統が強いことに加え、伝統的なテーブルトークRPGの伝統がなく、RPGやアドベンチャを作っているので、そのたぐいのゲームは「映画のようなストーリーの主人公に自分がなれる」ととらえる向きが多い。
そのアプローチからすると「自分視点」は劇的な演出をするためには必須の映画的なカットと相性が悪く、あまり使いたくないものになってしまう。
すなわち、アメリカでは「プレイヤー=自分」だが、日本では「プレイヤー=自分が操作しているキャラクタ」というわけだ。
そして、この伝統に加えて、自分視点は視界などの問題で難易度が上がりやすいので、日本では受けなかったのではなかろうか(ちなみにアメリカ人はゲームを挑戦と受け取る人が多く、難易度は高めの方が好まれる)。
これから考えると『HALO』がいかに優れたゲームであろうと、ちょっと日本では受け入れられないのではなかろうか、と予測出来てしまうわけだ。
だが、こればかりは、もうゲーム文化の違いなので、いかんともしがたいことだろう。
■■■
電撃王の2002年5月発売号に書いたテキスト。
初代XBOXのHALOをプレイして、そのあまりの面白さに感心すると同時に「こりゃー日本では厳しいだろうなあ」と思いながら、書いたコラム。
これを、今回載せた理由は、このあとの話を書きたかったからだ。
2002年にこう書いたわけだが、欧米ではバイオハザード・マリオワールド64・Devil May Cry・MGSなどの日本が生み出した誇るべきサードパーソンビュー作品群によって、第三者視点のゲームは受け入れられていき、それら日本の作品を咀嚼した、God Of War、アンチャーテッド、Gears Of War、スプリンターセルなどなど、あまたのTPSの名作が生み出されていく。
対して日本では…というと、2011年現在、相変わらずFPSは受け入れられたとは言いがたいのを見ると、ゲームというエンタテイメントの枠を決め、壁を作って狭量なのは日本なのではないか…と思ってしまう。
そして、このエッセイに書いた分類は、いまだもって欧米では意味をなしていてる。
だから、FPSに代表される1人称のゲームはプレイヤー=主人公の視点(しかも一本の時も場所も変える複雑なストーリーをそれで語るために主人公を次々取り替え、場合によってはプレイヤーの操作する主人公が最後には死ぬなんてことまで起こる新しいスタイルまで生み出した)でゲームは展開される、いわば「プレイヤー自身の経験として体験するストーリー」が展開されるのに対して、TPS型のゲームでは「プレイヤーはあくまで<劇中の俳優を演技される位置>に立っていて、第三者視点から「演劇/映画」的にストーリーを体験する、とゲームのスタイルによって作り方が違うところまで、ゲームの表現は進歩している。
コメント
FC Z ガンダムと大きく差がない頃だと思いますが、ナムコはスターラスター、ASCII はコスモジェネシス (PC 移植で、元タイトルは 3D ウガウガだったかな?) とかもあったかと。
フライトシミュレーター系で、特に戦闘があるものでは古い時代でも普通に一人称視点はありましたね。PC-98 ではシステムソフトがエアーコンバットシリーズを出していますが、MSX 時代にも F-16 とかありました。
FC の光線銃シリーズなんかはそのまんまというか。
ある意味……という点では、Ultima や Wizardry (前者は 1 だとダンジョンのみ) や DQ の戦闘シーンなどのような対面型の戦闘においては、視点の在り方という一点からのみ見た場合は一人称視点になりますね。
Might and Magic はずっと一人称視点を貫いた RPG の系統に属するのかな? VI からは半リアルタイムのシューティングゲーム化しましたけど。
フライトシミュレーター系で、特に戦闘があるものでは古い時代でも普通に一人称視点はありましたね。PC-98 ではシステムソフトがエアーコンバットシリーズを出していますが、MSX 時代にも F-16 とかありました。
FC の光線銃シリーズなんかはそのまんまというか。
ある意味……という点では、Ultima や Wizardry (前者は 1 だとダンジョンのみ) や DQ の戦闘シーンなどのような対面型の戦闘においては、視点の在り方という一点からのみ見た場合は一人称視点になりますね。
Might and Magic はずっと一人称視点を貫いた RPG の系統に属するのかな? VI からは半リアルタイムのシューティングゲーム化しましたけど。
| 近藤@古代図書館 | EMAIL | URL | 11/06/02 03:23 | FBPQlkC. |
ガンダムといえば、これは今ではあちこちで語られていることですが、「機動戦士Zガンダム・ホットスクランブル」。今で言うFPSだったけれど、最初に遠藤氏が持ち込んだ「作品」が、小学生のテストプレイチームに自機(つまりZガンダム)が出ないことを酷評されて、遠藤氏はノータッチの、横スクロールの「要塞面」を追加したバージョンが、実際に「商品」として出たという一件。
「電車でGO!」にしても、停車時に外部視点の演出を入れたり、「山陽新幹線編」では走行中も視点が切り替えられるようになっていたりしますね(本物もそうだけど、基本的に新幹線は停車時以外はノッチ入れっぱなしで操作は単調だからかもしれない)。
「電車でGO!」にしても、停車時に外部視点の演出を入れたり、「山陽新幹線編」では走行中も視点が切り替えられるようになっていたりしますね(本物もそうだけど、基本的に新幹線は停車時以外はノッチ入れっぱなしで操作は単調だからかもしれない)。
| 雪兎 | EMAIL | URL | 11/04/17 18:56 | 7Gyiq7qU |
個人的な印象ですけど
ネットで名前も顔もバンバン出してる欧米と
名前や顔はなるべく出すべきじゃない、特に女子どもは。みたいな風潮の日本
ってのと関係あるのかなーなんて思いました。
ネットで名前も顔もバンバン出してる欧米と
名前や顔はなるべく出すべきじゃない、特に女子どもは。みたいな風潮の日本
ってのと関係あるのかなーなんて思いました。
| shin1 | EMAIL | URL | 11/04/16 19:10 | FlTfGbMg |
>> atsu 様
ガンダム…は戦場の絆を見てわかるとおり、なんと驚くべきコトに、1人称視点の壁を越えてしまったのです。
もちろんアーケードで、マニア度は高いですが、それでもあれだけ売れたのはスゴいことです。
>>Chunck 様
バルダーズ・フォールアウト1はともかくとして、ハーフライフを近代FPSの始祖とするのは、微妙な抵抗感があるなー
「近代グラフィックス」の始祖だとは思いますが。
日本のクリエイターに影響を与えたゲームは、ちょっとブログに書きますw
>> take 様
もちろんないわけではありません。スターフォックスもそうですし、エースコンバット1にもあります。
問題なのは「そのどちらがデフォルト」なのか、という点や、あと数(一般性)です。
ガンダム…は戦場の絆を見てわかるとおり、なんと驚くべきコトに、1人称視点の壁を越えてしまったのです。
もちろんアーケードで、マニア度は高いですが、それでもあれだけ売れたのはスゴいことです。
>>Chunck 様
バルダーズ・フォールアウト1はともかくとして、ハーフライフを近代FPSの始祖とするのは、微妙な抵抗感があるなー
「近代グラフィックス」の始祖だとは思いますが。
日本のクリエイターに影響を与えたゲームは、ちょっとブログに書きますw
>> take 様
もちろんないわけではありません。スターフォックスもそうですし、エースコンバット1にもあります。
問題なのは「そのどちらがデフォルト」なのか、という点や、あと数(一般性)です。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 11/04/15 10:08 | Eeem.i3Y |
SFCの「スターフォックス」にはパイロット視点モードがありましたよ。ただし自機表示モードとの切り替え式で、宇宙空間のみで惑星上では使えないとかの制約がありましたが。当時としてはポリゴンも含め斬新だな~という印象を受けました。それ以外だと「電車でGO」とかがありますがアレは例外ですかねw
| take | EMAIL | URL | 11/04/14 22:46 | J7PFIC/E |
いつも興味深い記事を書いて下さって 本当に有難うございます!、 そちらの本を買いたくて堪らない!。
さて一つ質問と二つのコメント
1.よく1998は現代の洋ゲームの始まると言われています
その年 バルダーズ・ゲート(バイオウェア/ 今:Dragon age・ Mass Effect)
とフォールアウト1(現代の洋RPGの原型達)や
ハーフライフ(現代のFPS形の原型)が発売されていた。
2.Gears Of Warというと、 Epic Gamesやクリフ・ブレジンスキー初めての大ヒット作はJazz Jackrabbit(1994) .
クリフ・ブレジンスキーによると第一インスピレーションは日本のジャンプアクションゲーム(特にソニック)だった
だが近年に限って確かにバイオハザード4は洋ゲに可也の刺激を当たったと思われています。
あと: よく日本人ゲームクリエーターのインタビューにおいて、 ウィザードリィIやウルティマIはインスピレーションとして言及されています。 いつも疑問を思いってそれ以来のPCゲームは日本ゲーム産業に影響を及びましたでしょうか?? 例えば
バーズテイル、 マイト・アンド・マジック、 ウルティマアンダーワールド 近年になると バルダーズ・ゲートとか。
さて一つ質問と二つのコメント
1.よく1998は現代の洋ゲームの始まると言われています
その年 バルダーズ・ゲート(バイオウェア/ 今:Dragon age・ Mass Effect)
とフォールアウト1(現代の洋RPGの原型達)や
ハーフライフ(現代のFPS形の原型)が発売されていた。
2.Gears Of Warというと、 Epic Gamesやクリフ・ブレジンスキー初めての大ヒット作はJazz Jackrabbit(1994) .
クリフ・ブレジンスキーによると第一インスピレーションは日本のジャンプアクションゲーム(特にソニック)だった
だが近年に限って確かにバイオハザード4は洋ゲに可也の刺激を当たったと思われています。
あと: よく日本人ゲームクリエーターのインタビューにおいて、 ウィザードリィIやウルティマIはインスピレーションとして言及されています。 いつも疑問を思いってそれ以来のPCゲームは日本ゲーム産業に影響を及びましたでしょうか?? 例えば
バーズテイル、 マイト・アンド・マジック、 ウルティマアンダーワールド 近年になると バルダーズ・ゲートとか。
| Chuck Franklin | EMAIL | URL | 11/04/14 01:03 | sjCII1Nk |
「ガンダム」であれば、TPSだろうがFPSだろうが
受け入れる余地がこの国にはあるのではないか。
・・・と思っているんですが、どうでしょうか。
視点としては、コクピットかラジコン(プラモ)か、
みたいな話になってしまうのかな。
受け入れる余地がこの国にはあるのではないか。
・・・と思っているんですが、どうでしょうか。
視点としては、コクピットかラジコン(プラモ)か、
みたいな話になってしまうのかな。
| atsu | EMAIL | URL | 11/04/13 23:39 | jB3nOvqE |
この記事のトラックバックURL :
トラックバック