2010-04-03 Sat [ Ysを作った頃 ]
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ
2アーティクルにわたって文句をつけたwikipediaのイースシリーズの続き。
今回で一段落するが、前2回とはちょっと違う。
Wikipediaの間違いの指摘である。
もちろん、Wikipediaの精神を鑑みて、自分が直してもいいわけだが、誰かこれを書いた人間が記事を読んで訂正するのが筋というものだろう。
というわけで、間違いを指摘するのはココ。
何を書いているのかといいたくなる、ひどい間違い。
続きを読む▽
過去記事の集合体はコレ
2アーティクルにわたって文句をつけたwikipediaのイースシリーズの続き。
今回で一段落するが、前2回とはちょっと違う。
Wikipediaの間違いの指摘である。
もちろん、Wikipediaの精神を鑑みて、自分が直してもいいわけだが、誰かこれを書いた人間が記事を読んで訂正するのが筋というものだろう。
というわけで、間違いを指摘するのはココ。
レベル制限
レベルが上昇すると、同じ敵を倒した場合でも獲得できる経験値が減少するため、過剰なレベル上げは困難である。一方で一定のレベルにならないと敵にダメージを与えられない(これはボスにも適用される)ため、極端に低レベルでストーリーを進めることも不可能である。これによって常に適正レベル前後の成長段階でストーリーを進める事となり、「優しいけれど易しくはない」と言われるゲームバランスを実現している。
レベルが上昇すると、同じ敵を倒した場合でも獲得できる経験値が減少するため、過剰なレベル上げは困難である。一方で一定のレベルにならないと敵にダメージを与えられない(これはボスにも適用される)ため、極端に低レベルでストーリーを進めることも不可能である。これによって常に適正レベル前後の成長段階でストーリーを進める事となり、「優しいけれど易しくはない」と言われるゲームバランスを実現している。
何を書いているのかといいたくなる、ひどい間違い。
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2010-03-30 Tue [ Ysを作った頃 ]
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ
前回、文句をつけたwikipediaのイースシリーズの続き。
今回もバリバリと文句をつけていく(笑)
これは僕が聞いた話ではちょっと違う。
続きを読む▽
過去記事の集合体はコレ
前回、文句をつけたwikipediaのイースシリーズの続き。
今回もバリバリと文句をつけていく(笑)
■■■
なお『I』が作られた当時、日本ファルコムでは『ザナドゥ』がメイン商品であり、この制作者である木屋がスタープログラマー・ゲームデザイナーであって、橋本と宮崎は決してメインとは言える状況にはなかった。この為、「後の伝説はともかく『I』が売れなければ『II』は作られなかっただろう。」との旨を当時のスタッフが語っている。
これは僕が聞いた話ではちょっと違う。
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2010-03-27 Sat [ Ysを作った頃 ]
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ
山根ともおが出てきたところで、文句をつけておきたいのがwikipediaのイースシリーズの項目だ。
Wikipediaの出典がどのようなルールになっているのか知らないが、ここに書かれていることの大半は、かなり真実なのは間違いない。
でもWikipediaは出典がないというだけの理由で嘘扱いしていてムカつくので、以下に転載し、ちょっとコメントを加えていこう。
ぶっちゃけ、これが書きたくてこの項目を始めたようなもんだ。
Wikipediaの検証可能性とやらは、あまりに問題が多い。
このカテゴリの最初に書いたとおり
杓子定規に検証可能性だの信頼性だのを言い出すと、結局、今回のイースシリーズの話のように、数の少ない人間だけが知っている真実などまで抹殺する可能性があるということに気がつかないのかといいたくなる。
集合知は、屑や信頼性のないところまで含めて集合知である。Wikipediaの草刈りをしている人間には猛省を促したい。
と、思い切り文句を書いたところで--
今回の内容は、20年前に書けば差し障りのある話だったのは間違いないが、今はもう時効だろうと考え、結構あけすけに書かせてもらう。
続きを読む▽
過去記事の集合体はコレ
山根ともおが出てきたところで、文句をつけておきたいのがwikipediaのイースシリーズの項目だ。
Wikipediaの出典がどのようなルールになっているのか知らないが、ここに書かれていることの大半は、かなり真実なのは間違いない。
でもWikipediaは出典がないというだけの理由で嘘扱いしていてムカつくので、以下に転載し、ちょっとコメントを加えていこう。
ぶっちゃけ、これが書きたくてこの項目を始めたようなもんだ。
Wikipediaの検証可能性とやらは、あまりに問題が多い。
このカテゴリの最初に書いたとおり
だいたいWikipediaの主張する検証可能性なんて話を始めると、この当時のゲームを作っていた人間の話なんて、みんな検証不可能だ。
ほとんどは口伝の伝説みたいなもんである。
検証可能な話と出来ない話は腑分けして「これは検証不可能で、もしかしたら嘘かも知れません」と但し書きをつけておけばいい
ほとんどは口伝の伝説みたいなもんである。
検証可能な話と出来ない話は腑分けして「これは検証不可能で、もしかしたら嘘かも知れません」と但し書きをつけておけばいい
杓子定規に検証可能性だの信頼性だのを言い出すと、結局、今回のイースシリーズの話のように、数の少ない人間だけが知っている真実などまで抹殺する可能性があるということに気がつかないのかといいたくなる。
集合知は、屑や信頼性のないところまで含めて集合知である。Wikipediaの草刈りをしている人間には猛省を促したい。
と、思い切り文句を書いたところで--
今回の内容は、20年前に書けば差し障りのある話だったのは間違いないが、今はもう時効だろうと考え、結構あけすけに書かせてもらう。
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2010-03-25 Thu [ Ysを作った頃 ]
前回はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。
さて、小峯君に「ファルコムを最近辞めた、山根ともおってヤツがいるんだけどさ、そいつがイースの移植を岩崎がするって聞いて、会いたがってるんだけど、会えるかな?」
と聞かれた僕は、一も二もなく会うといった。
なにせイース1では「グラフィック」として一人で名前が載り、イースIIのオープニングを作り、原案に名前を並べている男だ。
つまり、設定のことを知っていて、かつ絵コンテが書けて、かつマップが書けて、ゲームの事がわかっている男だ。いるといないとで、全くゲームの出来が変わるのは明らかだった。
当時、僕は東高円寺に住んでおり、山根が住んでいたのは荻窪だった。近いので荻窪のバスロータリー側のJR入口で待ち合わせようという話になったのだが…
続きを読む▽
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。
さて、小峯君に「ファルコムを最近辞めた、山根ともおってヤツがいるんだけどさ、そいつがイースの移植を岩崎がするって聞いて、会いたがってるんだけど、会えるかな?」
と聞かれた僕は、一も二もなく会うといった。
なにせイース1では「グラフィック」として一人で名前が載り、イースIIのオープニングを作り、原案に名前を並べている男だ。
つまり、設定のことを知っていて、かつ絵コンテが書けて、かつマップが書けて、ゲームの事がわかっている男だ。いるといないとで、全くゲームの出来が変わるのは明らかだった。
当時、僕は東高円寺に住んでおり、山根が住んでいたのは荻窪だった。近いので荻窪のバスロータリー側のJR入口で待ち合わせようという話になったのだが…
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2010-03-22 Mon [ Ysを作った頃 ]
前回はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。
前回、ハドソンとの打ち合わせでチームの準備は出来つつあったけれど、いくつか問題があった…というところまで書いたわけだが、どこに問題があったのかというと…
CDDA(CD Digital Audio、いわゆるCDで鳴らす音のこと)のアレンジャーをどうすればいいのか、本当に困っていた。
当時ファルコムの曲のアレンジをよくやっていたのは難波弘之さん。
およそほとんどのファルコムのゲームミュージックのアレンジャーとしてアレンジを行っていて、公式に近いイメージだった。だから難波さんにアレンジしてもらえば、大きな文句は出ないのはわかっていたが、僕には不満があった。
なぜなら、難波さんのアレンジはヘビーロック系に寄っていて、それがイース…というかファルコムのゲームミュージックの傾向と合っているとは思えなかったからだ。
僕自身はイースはもっとメロディアスでポップなアレンジの方が似合っていると考えていて、どうにも難波さんとはイメージが合わないと思っていた。
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この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。
前回、ハドソンとの打ち合わせでチームの準備は出来つつあったけれど、いくつか問題があった…というところまで書いたわけだが、どこに問題があったのかというと…
CDDA(CD Digital Audio、いわゆるCDで鳴らす音のこと)のアレンジャーをどうすればいいのか、本当に困っていた。
当時ファルコムの曲のアレンジをよくやっていたのは難波弘之さん。
およそほとんどのファルコムのゲームミュージックのアレンジャーとしてアレンジを行っていて、公式に近いイメージだった。だから難波さんにアレンジしてもらえば、大きな文句は出ないのはわかっていたが、僕には不満があった。
なぜなら、難波さんのアレンジはヘビーロック系に寄っていて、それがイース…というかファルコムのゲームミュージックの傾向と合っているとは思えなかったからだ。
僕自身はイースはもっとメロディアスでポップなアレンジの方が似合っていると考えていて、どうにも難波さんとはイメージが合わないと思っていた。
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