2010-03-22 Mon [ Ysを作った頃 ]
前回はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。
前回、ハドソンとの打ち合わせでチームの準備は出来つつあったけれど、いくつか問題があった…というところまで書いたわけだが、どこに問題があったのかというと…
CDDA(CD Digital Audio、いわゆるCDで鳴らす音のこと)のアレンジャーをどうすればいいのか、本当に困っていた。
当時ファルコムの曲のアレンジをよくやっていたのは難波弘之さん。
およそほとんどのファルコムのゲームミュージックのアレンジャーとしてアレンジを行っていて、公式に近いイメージだった。だから難波さんにアレンジしてもらえば、大きな文句は出ないのはわかっていたが、僕には不満があった。
なぜなら、難波さんのアレンジはヘビーロック系に寄っていて、それがイース…というかファルコムのゲームミュージックの傾向と合っているとは思えなかったからだ。
僕自身はイースはもっとメロディアスでポップなアレンジの方が似合っていると考えていて、どうにも難波さんとはイメージが合わないと思っていた。
またもう一つポップ系の方がいいと思っていた理由があった。
シューティングやアクションならいざ知らず、RPGのマップの曲は一つの曲を長時間に渡って聞くことになる。そのとき延々ロックアレンジだと結構厳しいだろう、どちらかというとイージーリスニング…とまでは言わないが、長時間聞きやすい音を作る人の方がありがたく、その点でも難波サウンドには疑問符がつくと考えていた。
ただ、音楽はゲームの中でかなり独立したセクションで、スタートしてからある程度までは経ってからでも構わないのはわかっていたので、難波さんが出すという「プラスミックス」を聞いてからにしようと思っていた。
それよりもっと大きな問題はアニメの絵コンテとテクニカルだった。
僕は、当時話題をさらい、賞をとりまくっていたPC版のイースIIのオープニングアニメと同じかそれ以上のクオリティのアニメをオープニングで2本(タイトルロール・ゲームのイントロ部)、1と2の間、エンディングの4本を最低用意するつもりでいた。
コンテ自体は自分でもきれるが(ちょっとした理由があってコンテを読むことも書くことも出来る)、もちろん専任の誰かが欲しかった。たまたまコンテの読み書きが出来る素人より、ちゃんとしたアーティストの書くコンテの方がいいに決まっていた。
だが、問題は単純にコンテが書ければいいというわけではなく、加えてゲームマシンの技術に明るくなければならない=コンテを書く人間はゲームマシンのアーティストでも無ければならなかった。
なぜなら当時のコンテは今でいうムービーではなくプログラムで駆動されるグラフィックのデータの塊で、専用プログラム+データで表示される代物だったので、ゲームマシンの制約や容量を意識できる人間でなければ、とてもコンテを書けなかったのだ。
もちろんハドソンのスタッフを使ってもよかったが、問題はハドソンの人間はアニメの事を良く知らないし、コンテを書いたことも読んだこともほとんどないことだった。
当たり前だが、これは1988-89年、史上初めてCDROMが家庭用ゲームマシンに登場した当時の話だ。だからコンテが必要なほどのアニメーションがゲームに入ったことなどなかったし音声(声優)の演技指導が行われたこともなかった。
だからハドソンにアニメや音声の経験をしたことがあるスタッフはほぼいなかった(ちなみに天外1では広井王子さん率いるレッドが、アニメや演技指導の問題は全部カバーしていた)。
そんなわけで、うーん音楽とコンテはかなあ…と、凄ノ王のマスターがあがり、イースの制作をスタートするまで半月ほど間を東京に戻って過ごしながら、グダグダと考えていたとき、小峯徳司君から電話があった。
彼 - ビショップ小峯とはちょっとしたこと(飲み屋で)知り合った。初めて出会ったときは、僕はまだ最初の会社でCD-Iの研究をしていて、小峯君はアーケードメーカーの麻雀制作チームにいた。
そのあと僕が退職し、次に、小峯君も退職して、角川メディアオフィスでマル勝のライター仲間兼飲み友達として遊んでいた(ちなみに当時、僕はBeep!のレギュラーライターをやっており、角川メディアオフィスのマル勝ではたまに仕事をもらう程度だった)。
電話口で小峯君がいった。
「ファルコムを最近辞めた、山根ともおってヤツがいるんだけどさ、そいつがイースの移植をするって聞いて、会いたがってるんだけど、会えるかな?」
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。
前回、ハドソンとの打ち合わせでチームの準備は出来つつあったけれど、いくつか問題があった…というところまで書いたわけだが、どこに問題があったのかというと…
CDDA(CD Digital Audio、いわゆるCDで鳴らす音のこと)のアレンジャーをどうすればいいのか、本当に困っていた。
当時ファルコムの曲のアレンジをよくやっていたのは難波弘之さん。
およそほとんどのファルコムのゲームミュージックのアレンジャーとしてアレンジを行っていて、公式に近いイメージだった。だから難波さんにアレンジしてもらえば、大きな文句は出ないのはわかっていたが、僕には不満があった。
なぜなら、難波さんのアレンジはヘビーロック系に寄っていて、それがイース…というかファルコムのゲームミュージックの傾向と合っているとは思えなかったからだ。
僕自身はイースはもっとメロディアスでポップなアレンジの方が似合っていると考えていて、どうにも難波さんとはイメージが合わないと思っていた。
またもう一つポップ系の方がいいと思っていた理由があった。
シューティングやアクションならいざ知らず、RPGのマップの曲は一つの曲を長時間に渡って聞くことになる。そのとき延々ロックアレンジだと結構厳しいだろう、どちらかというとイージーリスニング…とまでは言わないが、長時間聞きやすい音を作る人の方がありがたく、その点でも難波サウンドには疑問符がつくと考えていた。
ただ、音楽はゲームの中でかなり独立したセクションで、スタートしてからある程度までは経ってからでも構わないのはわかっていたので、難波さんが出すという「プラスミックス」を聞いてからにしようと思っていた。
それよりもっと大きな問題はアニメの絵コンテとテクニカルだった。
僕は、当時話題をさらい、賞をとりまくっていたPC版のイースIIのオープニングアニメと同じかそれ以上のクオリティのアニメをオープニングで2本(タイトルロール・ゲームのイントロ部)、1と2の間、エンディングの4本を最低用意するつもりでいた。
コンテ自体は自分でもきれるが(ちょっとした理由があってコンテを読むことも書くことも出来る)、もちろん専任の誰かが欲しかった。たまたまコンテの読み書きが出来る素人より、ちゃんとしたアーティストの書くコンテの方がいいに決まっていた。
だが、問題は単純にコンテが書ければいいというわけではなく、加えてゲームマシンの技術に明るくなければならない=コンテを書く人間はゲームマシンのアーティストでも無ければならなかった。
なぜなら当時のコンテは今でいうムービーではなくプログラムで駆動されるグラフィックのデータの塊で、専用プログラム+データで表示される代物だったので、ゲームマシンの制約や容量を意識できる人間でなければ、とてもコンテを書けなかったのだ。
もちろんハドソンのスタッフを使ってもよかったが、問題はハドソンの人間はアニメの事を良く知らないし、コンテを書いたことも読んだこともほとんどないことだった。
当たり前だが、これは1988-89年、史上初めてCDROMが家庭用ゲームマシンに登場した当時の話だ。だからコンテが必要なほどのアニメーションがゲームに入ったことなどなかったし音声(声優)の演技指導が行われたこともなかった。
だからハドソンにアニメや音声の経験をしたことがあるスタッフはほぼいなかった(ちなみに天外1では広井王子さん率いるレッドが、アニメや演技指導の問題は全部カバーしていた)。
そんなわけで、うーん音楽とコンテはかなあ…と、凄ノ王のマスターがあがり、イースの制作をスタートするまで半月ほど間を東京に戻って過ごしながら、グダグダと考えていたとき、小峯徳司君から電話があった。
彼 - ビショップ小峯とはちょっとしたこと(飲み屋で)知り合った。初めて出会ったときは、僕はまだ最初の会社でCD-Iの研究をしていて、小峯君はアーケードメーカーの麻雀制作チームにいた。
そのあと僕が退職し、次に、小峯君も退職して、角川メディアオフィスでマル勝のライター仲間兼飲み友達として遊んでいた(ちなみに当時、僕はBeep!のレギュラーライターをやっており、角川メディアオフィスのマル勝ではたまに仕事をもらう程度だった)。
電話口で小峯君がいった。
「ファルコムを最近辞めた、山根ともおってヤツがいるんだけどさ、そいつがイースの移植をするって聞いて、会いたがってるんだけど、会えるかな?」
コメント
はじめまして。
後を継いでシリーズを作った人が考えた設定ですから、紛い物だとは思いませんが、初期の宮崎・橋本・山根君が考えた設定とは違うのは事実です。
で、この文では一応、自分が聞いた「彼らはナニを考えていたのか?」について、出来るだけ書くつもりです。
後を継いでシリーズを作った人が考えた設定ですから、紛い物だとは思いませんが、初期の宮崎・橋本・山根君が考えた設定とは違うのは事実です。
で、この文では一応、自分が聞いた「彼らはナニを考えていたのか?」について、出来るだけ書くつもりです。
| 岩崎啓眞 | EMAIL | URL | 10/03/24 00:08 | 2OXmdoFs |
はじめまして、88版をオンタイムで冒険した古参の赤毛です。
現在進行形のイ○ス正史は、私にとってはただの紛い物でしかありませんので、湾曲されていない真実の歴史をお伺い出来れば幸いです。
宮崎さん、橋本さんを初めとするオリジナルスタッフの方々が、そこにどんな夢を紡ごうとされておられたのかを知りたい。あの無垢だった赤毛の少年が、本当の旅を知りたい。
期待しております!
現在進行形のイ○ス正史は、私にとってはただの紛い物でしかありませんので、湾曲されていない真実の歴史をお伺い出来れば幸いです。
宮崎さん、橋本さんを初めとするオリジナルスタッフの方々が、そこにどんな夢を紡ごうとされておられたのかを知りたい。あの無垢だった赤毛の少年が、本当の旅を知りたい。
期待しております!
| 1987 | EMAIL | URL | 10/03/23 21:10 | mqLt294M |
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