2010-03-18 Thu [ Ysを作った頃 ]
前回はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
さて本文。
イースの移植を始める前から「どんなゲームにするか?」の方針は決まっていた。
CD-Iを丸2年扱って、CDROMのメリットは容量とサウンドで、デメリットはアクセスタイムとわかっていた。
逆の書き方をするなら
と、これを満たせば、買った人は、とてもハッピーになれるわけだ。
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この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が聞いた話で、伝聞情報もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。2)僕が聞いた話で、伝聞情報もある。
さて本文。
イースの移植を始める前から「どんなゲームにするか?」の方針は決まっていた。
CD-Iを丸2年扱って、CDROMのメリットは容量とサウンドで、デメリットはアクセスタイムとわかっていた。
逆の書き方をするなら
・アクセスタイムはROM並みで
・オーディオがCDDAで
・ROMではあり得ない大容量を感じられる
・オーディオがCDDAで
・ROMではあり得ない大容量を感じられる
と、これを満たせば、買った人は、とてもハッピーになれるわけだ。
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2010-03-17 Wed [ Ysを作った頃 ]
前回の話
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。
ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が聞いた話で、伝聞情報もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。
さて、本文。
イースの移植の話が始まったのは、僕がハドソンでPC-8801(Mk2 SR)版イース2にハマっていたから。
1989年1月、デビュー作の「凄ノ王伝説」がデバッグに入っていてヒマになったのもあり、北海道のハドソン本社4Fの開発ルームの隅にあった企画のエリアに入り浸ってイースII(88年末発売)で遊び倒していた。
そこに当時ハドソンの常務だった(と記憶している)中本さんが「そんなに面白いんだったら移植をしないか?」ともちかけてきた。
当時、僕はROMの容量の厳しさにウンザリしてた。
そしてCD-Iの開発でCDROMを経験してたからCDのメリットと弱点を知り尽くしている自信があった。だから容量制限が実質ないCDROMでゲームを作りたくてしょうがなかった。
で、中本さんの話に「イースって1と2を合わせて1つの話になるように出来ているんだわ。だから1・2合わせて一本にすれば、CDROMの大容量のアピールになるし、売れる。それならやるよ」と返事をしたら、中本さんは絶大に行動力のある人で、たちまち僕を連れて、当時立川にあった(今でもあるのだろうか?)ファルコムに行くという話になった。
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この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。
ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が聞いた話で、伝聞情報もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。
さて、本文。
イースの移植の話が始まったのは、僕がハドソンでPC-8801(Mk2 SR)版イース2にハマっていたから。
1989年1月、デビュー作の「凄ノ王伝説」がデバッグに入っていてヒマになったのもあり、北海道のハドソン本社4Fの開発ルームの隅にあった企画のエリアに入り浸ってイースII(88年末発売)で遊び倒していた。
そこに当時ハドソンの常務だった(と記憶している)中本さんが「そんなに面白いんだったら移植をしないか?」ともちかけてきた。
当時、僕はROMの容量の厳しさにウンザリしてた。
そしてCD-Iの開発でCDROMを経験してたからCDのメリットと弱点を知り尽くしている自信があった。だから容量制限が実質ないCDROMでゲームを作りたくてしょうがなかった。
で、中本さんの話に「イースって1と2を合わせて1つの話になるように出来ているんだわ。だから1・2合わせて一本にすれば、CDROMの大容量のアピールになるし、売れる。それならやるよ」と返事をしたら、中本さんは絶大に行動力のある人で、たちまち僕を連れて、当時立川にあった(今でもあるのだろうか?)ファルコムに行くという話になった。
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2010-03-16 Tue [ Ysを作った頃 ]
WikipediaにイースシリーズやイースI・IIの項目がある。
この項目は、当時を知っていた人間(多分関係者(笑))が書いたと思われる話が結構載っているのだが、昔の話について「文献がない」だのとケチをつけられており、読んでいて悲しくなってしまった。
だいたいWikipediaの主張する検証可能性なんて話を始めると、この当時のゲームを作っていた人間の話なんて、みんな検証不可能だ。
ほとんどは口伝の伝説みたいなもんである。
検証可能な話と出来ない話は腑分けして「これは検証不可能な話です、もしかしたら嘘かも知れません」と但し書きをつけておけばいいだけで、検証可能性自体が自分たちの可能性を狭めていることに気がつかないのかと言いたくなるが、まあいいや。
と、むかっ腹がたったのと同時に「真実を知っている人間は減っていく」ルールがあるので、1988-89にイースシリーズに関係した人間の1人として、当時の事を自分が覚えている限り、出来るだけ正確に書いておこうというのが、この記事の目的。
まあ一度資料として残しておけばweb archvieとかいろいろな形で残っていくだろうし。少なくとも80-90年代のゲーム開発に関する雰囲気を知れる資料程度になればいいなあと思っている。
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この項目は、当時を知っていた人間(多分関係者(笑))が書いたと思われる話が結構載っているのだが、昔の話について「文献がない」だのとケチをつけられており、読んでいて悲しくなってしまった。
だいたいWikipediaの主張する検証可能性なんて話を始めると、この当時のゲームを作っていた人間の話なんて、みんな検証不可能だ。
ほとんどは口伝の伝説みたいなもんである。
検証可能な話と出来ない話は腑分けして「これは検証不可能な話です、もしかしたら嘘かも知れません」と但し書きをつけておけばいいだけで、検証可能性自体が自分たちの可能性を狭めていることに気がつかないのかと言いたくなるが、まあいいや。
と、むかっ腹がたったのと同時に「真実を知っている人間は減っていく」ルールがあるので、1988-89にイースシリーズに関係した人間の1人として、当時の事を自分が覚えている限り、出来るだけ正確に書いておこうというのが、この記事の目的。
まあ一度資料として残しておけばweb archvieとかいろいろな形で残っていくだろうし。少なくとも80-90年代のゲーム開発に関する雰囲気を知れる資料程度になればいいなあと思っている。
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