2010-03-17 Wed [ Ysを作った頃 ]
前回の話
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。
ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が聞いた話で、伝聞情報もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。
さて、本文。
イースの移植の話が始まったのは、僕がハドソンでPC-8801(Mk2 SR)版イース2にハマっていたから。
1989年1月、デビュー作の「凄ノ王伝説」がデバッグに入っていてヒマになったのもあり、北海道のハドソン本社4Fの開発ルームの隅にあった企画のエリアに入り浸ってイースII(88年末発売)で遊び倒していた。
そこに当時ハドソンの常務だった(と記憶している)中本さんが「そんなに面白いんだったら移植をしないか?」ともちかけてきた。
当時、僕はROMの容量の厳しさにウンザリしてた。
そしてCD-Iの開発でCDROMを経験してたからCDのメリットと弱点を知り尽くしている自信があった。だから容量制限が実質ないCDROMでゲームを作りたくてしょうがなかった。
で、中本さんの話に「イースって1と2を合わせて1つの話になるように出来ているんだわ。だから1・2合わせて一本にすれば、CDROMの大容量のアピールになるし、売れる。それならやるよ」と返事をしたら、中本さんは絶大に行動力のある人で、たちまち僕を連れて、当時立川にあった(今でもあるのだろうか?)ファルコムに行くという話になった。
当時、ファルコムとハドソンの仲はあまりよくなかった。
というのもファルコムの代表作である「ザナドゥ」をハドソンが「ファザナドゥ」というタイトルでファミコンに移植したのだが、これがファルコムの機嫌を損ねるようなオリジナルからはかけ離れた移植だったからだ。
名誉のために書いておくと「ファザナドゥ」はザナドゥの移植と考えなければ、結構遊べる…というより、出来がいいアクション(RPG要素もある)の佳作だ。
だが、いかんせん「ザナドゥの移植」と言われたら?な作品なのも間違いなく、そして、もちろん買ってプレイした人は、当時絶大な人気のあった「あのザナドゥ」のつもりで買っているわけで、とても評判が悪かったわけだ。
そんなわけで中本さんに連れられていったファルコムでの扱いも大変厳しく(苦笑)、どんな移植をするつもりなんだと言われ「CDの容量を活かして2本を1つにまとめ、オリジナルを尊重して、音楽は…」などと説明しても、当時の社長だった加藤さん(現会長?)の表情は硬く、会議の間じゅう、何かと皮肉を言われるような状況だった(もちろん皮肉は「ファザナドゥ」についてだった)。
そして、いくらなら移植を…という話になったとき、加藤社長は、かなりふっかけた値段を言ったと思う。
正直、移植して欲しくなかったのだろう。といって(今までの)ハドソンとの付き合いもあるわけで、断るわけにもいかないから「この値段なら移植されてもしょうがないが、まず諦めるだろう」ぐらいの金額をふっかけたのだ、と今は思っている。
ところが中本さんはその価格を即決。
しかも営業のZが「それじゃあ元が取れない」と文句を言ったのを「これでCDROMの台数を増やして元を取ればいいべ!」と言い放ってしまったのだ。
正直、痺れた。
凄ノ王伝説なんてワケのわからないRPGを1本作っただけの(一応それなりに売れたから赤字ではなかったと思うけれど…)、実力不明のワケのわかんねえガキが「1/2まとめてなら移植しますよ」とか偉そうに言ってるのをやらせたんだから、全くすごい度胸だったと思う。
まあ、とにもかくにもこんな流れでイースI・IIの開発は始まった。
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。
ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が聞いた話で、伝聞情報もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。
さて、本文。
イースの移植の話が始まったのは、僕がハドソンでPC-8801(Mk2 SR)版イース2にハマっていたから。
1989年1月、デビュー作の「凄ノ王伝説」がデバッグに入っていてヒマになったのもあり、北海道のハドソン本社4Fの開発ルームの隅にあった企画のエリアに入り浸ってイースII(88年末発売)で遊び倒していた。
そこに当時ハドソンの常務だった(と記憶している)中本さんが「そんなに面白いんだったら移植をしないか?」ともちかけてきた。
当時、僕はROMの容量の厳しさにウンザリしてた。
そしてCD-Iの開発でCDROMを経験してたからCDのメリットと弱点を知り尽くしている自信があった。だから容量制限が実質ないCDROMでゲームを作りたくてしょうがなかった。
で、中本さんの話に「イースって1と2を合わせて1つの話になるように出来ているんだわ。だから1・2合わせて一本にすれば、CDROMの大容量のアピールになるし、売れる。それならやるよ」と返事をしたら、中本さんは絶大に行動力のある人で、たちまち僕を連れて、当時立川にあった(今でもあるのだろうか?)ファルコムに行くという話になった。
当時、ファルコムとハドソンの仲はあまりよくなかった。
というのもファルコムの代表作である「ザナドゥ」をハドソンが「ファザナドゥ」というタイトルでファミコンに移植したのだが、これがファルコムの機嫌を損ねるようなオリジナルからはかけ離れた移植だったからだ。
名誉のために書いておくと「ファザナドゥ」はザナドゥの移植と考えなければ、結構遊べる…というより、出来がいいアクション(RPG要素もある)の佳作だ。
だが、いかんせん「ザナドゥの移植」と言われたら?な作品なのも間違いなく、そして、もちろん買ってプレイした人は、当時絶大な人気のあった「あのザナドゥ」のつもりで買っているわけで、とても評判が悪かったわけだ。
そんなわけで中本さんに連れられていったファルコムでの扱いも大変厳しく(苦笑)、どんな移植をするつもりなんだと言われ「CDの容量を活かして2本を1つにまとめ、オリジナルを尊重して、音楽は…」などと説明しても、当時の社長だった加藤さん(現会長?)の表情は硬く、会議の間じゅう、何かと皮肉を言われるような状況だった(もちろん皮肉は「ファザナドゥ」についてだった)。
そして、いくらなら移植を…という話になったとき、加藤社長は、かなりふっかけた値段を言ったと思う。
正直、移植して欲しくなかったのだろう。といって(今までの)ハドソンとの付き合いもあるわけで、断るわけにもいかないから「この値段なら移植されてもしょうがないが、まず諦めるだろう」ぐらいの金額をふっかけたのだ、と今は思っている。
ところが中本さんはその価格を即決。
しかも営業のZが「それじゃあ元が取れない」と文句を言ったのを「これでCDROMの台数を増やして元を取ればいいべ!」と言い放ってしまったのだ。
正直、痺れた。
凄ノ王伝説なんてワケのわからないRPGを1本作っただけの(一応それなりに売れたから赤字ではなかったと思うけれど…)、実力不明のワケのわかんねえガキが「1/2まとめてなら移植しますよ」とか偉そうに言ってるのをやらせたんだから、全くすごい度胸だったと思う。
まあ、とにもかくにもこんな流れでイースI・IIの開発は始まった。
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