2010-03-25 Thu [ Ysを作った頃 ]
前回はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。
さて、小峯君に「ファルコムを最近辞めた、山根ともおってヤツがいるんだけどさ、そいつがイースの移植を岩崎がするって聞いて、会いたがってるんだけど、会えるかな?」
と聞かれた僕は、一も二もなく会うといった。
なにせイース1では「グラフィック」として一人で名前が載り、イースIIのオープニングを作り、原案に名前を並べている男だ。
つまり、設定のことを知っていて、かつ絵コンテが書けて、かつマップが書けて、ゲームの事がわかっている男だ。いるといないとで、全くゲームの出来が変わるのは明らかだった。
当時、僕は東高円寺に住んでおり、山根が住んでいたのは荻窪だった。近いので荻窪のバスロータリー側のJR入口で待ち合わせようという話になったのだが…
当日、これが待てど暮らせ来ない。
実に30分以上待って、あまりにおかしいので近くの公衆電話から小峯君に電話をしてみた(ちなみに1989年は携帯電話を個人で持つのは夢物語に近かった。携帯電話を普通の人が持てるようになるのは1994年ごろからの話だ)。
「おかしいなあ…今日はいるって言っていたんだけど…ちょっと電話してみるから、5分後ぐらいにもう一度電話してくれるかな?」
5分後。
「電話したけれど出ないから、出てるんじゃないかな」
というので、待ったがやっぱり来ない。
再度電話すると、
「一度寝ると、なかなか起きないヤツだから…ちょっと」
というので、15分ほど待ってから再度電話をしてみると
「やっぱり寝てた。もう少ししたらそっち行くってさ」
というわけで、結局1時間以上待って現れた山根ともおは、痩せて、ひょろりとし、馬面と表現していいぐらいの細長い顔で、細い目に無精ひげを貼り付けた、いかにも人生の落第生。我らが落ちこぼれの吹き溜まり、社会のゴミ捨て場、ゲーム業界で暮らしている感じのヤツだった。
現れたときの第一声はいまだもって覚えている。
「いやーすんません」
すんませんじゃないだろう…と普通だったら思うところだが、山根という男、妙に人懐っこい、怒る気になれない男で、まあいいやと思ってしまった。
しかし話そうとしているのは、結構微妙な内容の話だから人に聞かれるのも困るので、山根の部屋で話をしようということになり、荻窪の結構いい場所にあるマンションに案内されたわけだが、中に入れば、グチャグチャである。
座る場所もまともになく、マットレスが床に直にひかれ、窓の外にはなんと壊れたベッドが置かれている。
「なんだこりゃ?」
「いや、この前寝転がったら、ベッドのやろう、壊れやがってね、俺に逆らうのかゴー、みたいな感じで」
「なんで外にあんの?」
「粗大ゴミ捨てるの面倒なんすよ、ゴー」
(ちなみにこのベッドについて、後に山根がまだ札幌に来ないとき、グラフィックのチーフの進藤が山根の部屋に行って、あきれ果てていた)
右手を拳に握り、なにかというと「ゴー」というのが山根の癖だったわけだが、この一連の会話と、遅刻っぷりからして山根という男は社会的には終わっている男ということは良くわかった。
だが、社会性ゼロだろうと犯罪者だろうと出来るスタッフのほうが出来ない人格者より偉いのがクリエイターの世界だ。
そして、雑談やイースについてのインタビューなども兼ね、2時間ほど話した末の僕の結論は山根という男は、人格破綻者で、社会生活破綻者で、遅刻魔で、スケジュール感覚ゼロで、金銭感覚ゼロで、およそ通常の意味では全くどうしようもないが、ドットを打ってキャラとマップを作るのは間違いなく天才だった。
間違いなくスタッフとして欲しい人材だったので、ハドソンに伝えることにした。
そして数日後、山根はイース1・2のスタッフに加わることになった。
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。
さて、小峯君に「ファルコムを最近辞めた、山根ともおってヤツがいるんだけどさ、そいつがイースの移植を岩崎がするって聞いて、会いたがってるんだけど、会えるかな?」
と聞かれた僕は、一も二もなく会うといった。
なにせイース1では「グラフィック」として一人で名前が載り、イースIIのオープニングを作り、原案に名前を並べている男だ。
つまり、設定のことを知っていて、かつ絵コンテが書けて、かつマップが書けて、ゲームの事がわかっている男だ。いるといないとで、全くゲームの出来が変わるのは明らかだった。
当時、僕は東高円寺に住んでおり、山根が住んでいたのは荻窪だった。近いので荻窪のバスロータリー側のJR入口で待ち合わせようという話になったのだが…
当日、これが待てど暮らせ来ない。
実に30分以上待って、あまりにおかしいので近くの公衆電話から小峯君に電話をしてみた(ちなみに1989年は携帯電話を個人で持つのは夢物語に近かった。携帯電話を普通の人が持てるようになるのは1994年ごろからの話だ)。
「おかしいなあ…今日はいるって言っていたんだけど…ちょっと電話してみるから、5分後ぐらいにもう一度電話してくれるかな?」
5分後。
「電話したけれど出ないから、出てるんじゃないかな」
というので、待ったがやっぱり来ない。
再度電話すると、
「一度寝ると、なかなか起きないヤツだから…ちょっと」
というので、15分ほど待ってから再度電話をしてみると
「やっぱり寝てた。もう少ししたらそっち行くってさ」
というわけで、結局1時間以上待って現れた山根ともおは、痩せて、ひょろりとし、馬面と表現していいぐらいの細長い顔で、細い目に無精ひげを貼り付けた、いかにも人生の落第生。我らが落ちこぼれの吹き溜まり、社会のゴミ捨て場、ゲーム業界で暮らしている感じのヤツだった。
現れたときの第一声はいまだもって覚えている。
「いやーすんません」
すんませんじゃないだろう…と普通だったら思うところだが、山根という男、妙に人懐っこい、怒る気になれない男で、まあいいやと思ってしまった。
しかし話そうとしているのは、結構微妙な内容の話だから人に聞かれるのも困るので、山根の部屋で話をしようということになり、荻窪の結構いい場所にあるマンションに案内されたわけだが、中に入れば、グチャグチャである。
座る場所もまともになく、マットレスが床に直にひかれ、窓の外にはなんと壊れたベッドが置かれている。
「なんだこりゃ?」
「いや、この前寝転がったら、ベッドのやろう、壊れやがってね、俺に逆らうのかゴー、みたいな感じで」
「なんで外にあんの?」
「粗大ゴミ捨てるの面倒なんすよ、ゴー」
(ちなみにこのベッドについて、後に山根がまだ札幌に来ないとき、グラフィックのチーフの進藤が山根の部屋に行って、あきれ果てていた)
右手を拳に握り、なにかというと「ゴー」というのが山根の癖だったわけだが、この一連の会話と、遅刻っぷりからして山根という男は社会的には終わっている男ということは良くわかった。
だが、社会性ゼロだろうと犯罪者だろうと出来るスタッフのほうが出来ない人格者より偉いのがクリエイターの世界だ。
そして、雑談やイースについてのインタビューなども兼ね、2時間ほど話した末の僕の結論は山根という男は、人格破綻者で、社会生活破綻者で、遅刻魔で、スケジュール感覚ゼロで、金銭感覚ゼロで、およそ通常の意味では全くどうしようもないが、ドットを打ってキャラとマップを作るのは間違いなく天才だった。
間違いなくスタッフとして欲しい人材だったので、ハドソンに伝えることにした。
そして数日後、山根はイース1・2のスタッフに加わることになった。
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