2012-09-26 Wed [ レビュー::本 ]
西田氏の漂流するソニーのDNAを(電子書籍版で)読んだ。
内容をざっとかいつまんで説明すると、PS1の登場前夜からPS3での失敗(大敗ではないにしても大成功でないのは確かだ)、そして平井社長に代わってからのソニーの行く末までを、稀代の天才ビジョナリスト久夛良木氏とSCEとソニー本社の関係、さらにはストリンガー体制や平井社長の体制などを絡めながら描いた本だ。
なんかの作品がヒットしたときに出てくる、まるで資料性のない礼賛本でも、またその逆で落ちたときに出る(やっぱり資料性のない)貶し本でもなく、現在の目から見て、PS1の時代を歴史としてフラットに捉えつつ、かつ、これから先どうなるかについての話まで(ややソニー贔屓で)書いていて、とても面白い本だと思う。
取材が緻密で正確な内容で資料性も高いので、ゲームマシンやゲームの歴史に興味がある人は、資料として手元に持っておくべき、"must"な本の一つだと思う。
ところで、この本は結構僕が若い頃にかかわったものについて結構書かれているので、後の世でチョットは資料になるように、少し記憶を思い出しながら書いておきたい。
まず、久夛良木さんにPS1を作らせる理由の一つになったソニーのリアルタイムビデオエフェクタ「システムG」について。
システムGは、業務用のデジタルビデオエフェクタとして一世を風靡した「レインボーシステム」というのがあり、これをリアルタイムでやれるようにするのが狙いだったと、ほぼ間違いなく言える(ちなみにレインボーシステムが正式名称なのか、僕は知らない。後述する松下の無線研究所でレインボーって教えてもらったのだ)。
これには根拠があって1984-86年頃、ソニーと並ぶ業務用ビデオ関係の雄、パナソニックの松下無線研究所でも同じような狙いで似たようなものが作られていた。どんなものだったかというと、512bitのVLIWで動くDSPとCPUを足したようなヤツ8台並べて、並列で動かして、リアルタイムで変形やエフェクトを掛けるというムチャな代物。
なんでこんな事知ってるのかというと、大学を休学していた僕は、大阪大学の某教授に紹介してもらった松下無線研究所のバイトで、このVLIWのアセンブラ書くのとCGの論文を書くので、ヒイヒイ言っていたから。
レインボーシステムは、非リアルタイムなハードウェアだったのだけど、これをリアルタイムでやるのを目標にすることから研究はスタートしたと無線研究所で聞いたので、多分システムGも狙いは全く同じだったのだと思うわけだ。
システムGは久夛良木さんという稀代のビジョナリストを得て、PS1になれたけれど、松下無線研究所のVLIWマシンは業務用としていくつか導入されただけで、歴史にも名前をほとんど残していない事に、歴史の綾を感じてしまう。
システムGについて続けて書くと、本ではシステムGがPS1のアイディアになり、LSIロジックと共同で作って、最終的にPS1として出来上がった…と書かれているけれど、現実は違うと僕は思っている。
久夛良木さんはプライドの高い人だから、絶対に認めないだろうけれど「PS1はシステムGからアイディアを得たのは事実だろうけれど、実際に出来たハードは当時のSGI(シリコングラフィックス)の3DグラフィックEWSのスケールダウン版。すなわちLSIロジック社が実質的に主導権を握って作った」のは、ほぼ間違いないと僕は思っている。
なぜ、こんなことを断言出来るのかというと、SGIの初期のEWSのIRIS 2000/3000を1985-6年頃に、最初に仕事していたベンチャーで使う機会があった。そのとき使って感動したアイディアや技術が全部精度が低い形でPS1に入っている…というか、基本的な作りがIRIS 2000/3000の作りそのものだってのは、当時使った人ならわかる。
とても似たハードを作っておいて「これはシステムGです、IRISじゃないっす」と言われても、IRIS触ってた僕としては「ご冗談でしょう、久夛良木さん」と、ファインマンさんのパロディネタを言って、笑ってしまう。
しかし重要な事は1994年の当時に「パソコンどころか千万単位のお値段のEWS以外では、全く実現されていないなかったテクスチャードなポリゴンをグーローシェーディングで、リアルタイム60フレームで表示する3Dハードウェア」を実現するってビジョンと実行力の両方なわけで、その点において賛辞することこそあれ、貶すところでも笑うところでもないと思う。
また、CD-Iについても少し触れておく。
84-86年頃のソニーの中ではフィリップスと組んで作るCD-Iは大勢力であったのは間違いない。当時、CD-ROMの起爆剤として期待されていて、沢山のメーカーが研究に参入していた大きなプロジェクトだった。
だけど、彼らは反面、本当にゲームのことを何も知らず、パソコン的作りでしかなくて、キレイな1枚絵を出すことは出来るけど、スクロールも出来なきゃスプライトもねえって、ことゲームを作る目から見ると話にならないハードウェアだった。
当時、たまたまプロジェクトの中枢にぶら下がっていた若造だった僕は、本当にそれに不満があって、シカゴで行われたOS屋・開発環境屋・ハード屋の会議で「これじゃあゲームを作れない」と、超文句をぶーたれた。
そのときフィリップスとソニーの担当が言った台詞は「マルチメディアはゲームとは違う」で、結局、ビデオチップにスプライトを載せろ・スムーススクロールを入れろという意見も聞いてもらえなかった(ハードも議題だったので、修正出来るチャンスだった)。
でも、そんな状況だったから、久夛良木さんを子会社に出すって判断は正しかったと思う。
最後に任天堂のCDROMについて。
任天堂=ソニーの「プレイステーション」が破談になったあと、フィリップス=任天堂のCDROMアダプタは開発が続き、1993年後半にはサードパーティに対して公開するところまで行っていた。
任天堂でのサードパーティ向けのミーティングに参加したので間違いない。そんときの仕様ではCDは直接触れずカートリッジに入っていてカートリッジ側にバッテリバックアップを持たせる・チップはスーパーFXが搭載されるといったことがサードパーティ向けの説明会でアナウンスされ、具体的な開発スケジュールまで出ていたのだけど、結局のところ、ご破算になった。
どうしてご破算になったのかという点については、当時、結局、任天堂はROM商売を捨てられなかったのだろう、と僕は思っている。
ところで、ネットなんかでは、エキセントリックな人柄から揶揄する人も多いけれど、久夛良木さんは間違いなく稀代の(猛烈なハード指向の)ビジョナリストで、彼のビジョンなくしてPS1は絶対になかった。
また、その久夛良木さんを入れる入れ物として出来たSCEもムチャな会社で、PS1とSCEがなかったらゲームの世界がここまで変化することはなかったと、僕は思う。
1994年から始まって2005-6年までの十年ちょっとの間は、久夛良木さんとSCEがゲームマシンの世界を変え、コンソールゲームビジネスを途方もないサイズに膨らませていく時代で、AAAタイトルの予算が5億円(天外2がこんなもん)から50億円まで、10年でなるのだからとんでもない話だ。
いくら波に乗ったとはいえ、PS1、PS2でこれを成し遂げてしまった、久夛良木さんとSCEは途方もないことを成し遂げた、と言うのは、間違いない評価だろう。
ちょっと補足も書いたけれど、漂流するソニーのDNAは、今書いたような話が好きな人にはとても面白い、間違いなくお勧めの本なので、興味ある人はぜひ読んでみて欲しいと思う。
内容をざっとかいつまんで説明すると、PS1の登場前夜からPS3での失敗(大敗ではないにしても大成功でないのは確かだ)、そして平井社長に代わってからのソニーの行く末までを、稀代の天才ビジョナリスト久夛良木氏とSCEとソニー本社の関係、さらにはストリンガー体制や平井社長の体制などを絡めながら描いた本だ。
なんかの作品がヒットしたときに出てくる、まるで資料性のない礼賛本でも、またその逆で落ちたときに出る(やっぱり資料性のない)貶し本でもなく、現在の目から見て、PS1の時代を歴史としてフラットに捉えつつ、かつ、これから先どうなるかについての話まで(ややソニー贔屓で)書いていて、とても面白い本だと思う。
取材が緻密で正確な内容で資料性も高いので、ゲームマシンやゲームの歴史に興味がある人は、資料として手元に持っておくべき、"must"な本の一つだと思う。
ところで、この本は結構僕が若い頃にかかわったものについて結構書かれているので、後の世でチョットは資料になるように、少し記憶を思い出しながら書いておきたい。
まず、久夛良木さんにPS1を作らせる理由の一つになったソニーのリアルタイムビデオエフェクタ「システムG」について。
システムGは、業務用のデジタルビデオエフェクタとして一世を風靡した「レインボーシステム」というのがあり、これをリアルタイムでやれるようにするのが狙いだったと、ほぼ間違いなく言える(ちなみにレインボーシステムが正式名称なのか、僕は知らない。後述する松下の無線研究所でレインボーって教えてもらったのだ)。
これには根拠があって1984-86年頃、ソニーと並ぶ業務用ビデオ関係の雄、パナソニックの松下無線研究所でも同じような狙いで似たようなものが作られていた。どんなものだったかというと、512bitのVLIWで動くDSPとCPUを足したようなヤツ8台並べて、並列で動かして、リアルタイムで変形やエフェクトを掛けるというムチャな代物。
なんでこんな事知ってるのかというと、大学を休学していた僕は、大阪大学の某教授に紹介してもらった松下無線研究所のバイトで、このVLIWのアセンブラ書くのとCGの論文を書くので、ヒイヒイ言っていたから。
レインボーシステムは、非リアルタイムなハードウェアだったのだけど、これをリアルタイムでやるのを目標にすることから研究はスタートしたと無線研究所で聞いたので、多分システムGも狙いは全く同じだったのだと思うわけだ。
システムGは久夛良木さんという稀代のビジョナリストを得て、PS1になれたけれど、松下無線研究所のVLIWマシンは業務用としていくつか導入されただけで、歴史にも名前をほとんど残していない事に、歴史の綾を感じてしまう。
システムGについて続けて書くと、本ではシステムGがPS1のアイディアになり、LSIロジックと共同で作って、最終的にPS1として出来上がった…と書かれているけれど、現実は違うと僕は思っている。
久夛良木さんはプライドの高い人だから、絶対に認めないだろうけれど「PS1はシステムGからアイディアを得たのは事実だろうけれど、実際に出来たハードは当時のSGI(シリコングラフィックス)の3DグラフィックEWSのスケールダウン版。すなわちLSIロジック社が実質的に主導権を握って作った」のは、ほぼ間違いないと僕は思っている。
なぜ、こんなことを断言出来るのかというと、SGIの初期のEWSのIRIS 2000/3000を1985-6年頃に、最初に仕事していたベンチャーで使う機会があった。そのとき使って感動したアイディアや技術が全部精度が低い形でPS1に入っている…というか、基本的な作りがIRIS 2000/3000の作りそのものだってのは、当時使った人ならわかる。
とても似たハードを作っておいて「これはシステムGです、IRISじゃないっす」と言われても、IRIS触ってた僕としては「ご冗談でしょう、久夛良木さん」と、ファインマンさんのパロディネタを言って、笑ってしまう。
しかし重要な事は1994年の当時に「パソコンどころか千万単位のお値段のEWS以外では、全く実現されていないなかったテクスチャードなポリゴンをグーローシェーディングで、リアルタイム60フレームで表示する3Dハードウェア」を実現するってビジョンと実行力の両方なわけで、その点において賛辞することこそあれ、貶すところでも笑うところでもないと思う。
また、CD-Iについても少し触れておく。
84-86年頃のソニーの中ではフィリップスと組んで作るCD-Iは大勢力であったのは間違いない。当時、CD-ROMの起爆剤として期待されていて、沢山のメーカーが研究に参入していた大きなプロジェクトだった。
だけど、彼らは反面、本当にゲームのことを何も知らず、パソコン的作りでしかなくて、キレイな1枚絵を出すことは出来るけど、スクロールも出来なきゃスプライトもねえって、ことゲームを作る目から見ると話にならないハードウェアだった。
当時、たまたまプロジェクトの中枢にぶら下がっていた若造だった僕は、本当にそれに不満があって、シカゴで行われたOS屋・開発環境屋・ハード屋の会議で「これじゃあゲームを作れない」と、超文句をぶーたれた。
そのときフィリップスとソニーの担当が言った台詞は「マルチメディアはゲームとは違う」で、結局、ビデオチップにスプライトを載せろ・スムーススクロールを入れろという意見も聞いてもらえなかった(ハードも議題だったので、修正出来るチャンスだった)。
でも、そんな状況だったから、久夛良木さんを子会社に出すって判断は正しかったと思う。
最後に任天堂のCDROMについて。
任天堂=ソニーの「プレイステーション」が破談になったあと、フィリップス=任天堂のCDROMアダプタは開発が続き、1993年後半にはサードパーティに対して公開するところまで行っていた。
任天堂でのサードパーティ向けのミーティングに参加したので間違いない。そんときの仕様ではCDは直接触れずカートリッジに入っていてカートリッジ側にバッテリバックアップを持たせる・チップはスーパーFXが搭載されるといったことがサードパーティ向けの説明会でアナウンスされ、具体的な開発スケジュールまで出ていたのだけど、結局のところ、ご破算になった。
どうしてご破算になったのかという点については、当時、結局、任天堂はROM商売を捨てられなかったのだろう、と僕は思っている。
ところで、ネットなんかでは、エキセントリックな人柄から揶揄する人も多いけれど、久夛良木さんは間違いなく稀代の(猛烈なハード指向の)ビジョナリストで、彼のビジョンなくしてPS1は絶対になかった。
また、その久夛良木さんを入れる入れ物として出来たSCEもムチャな会社で、PS1とSCEがなかったらゲームの世界がここまで変化することはなかったと、僕は思う。
1994年から始まって2005-6年までの十年ちょっとの間は、久夛良木さんとSCEがゲームマシンの世界を変え、コンソールゲームビジネスを途方もないサイズに膨らませていく時代で、AAAタイトルの予算が5億円(天外2がこんなもん)から50億円まで、10年でなるのだからとんでもない話だ。
いくら波に乗ったとはいえ、PS1、PS2でこれを成し遂げてしまった、久夛良木さんとSCEは途方もないことを成し遂げた、と言うのは、間違いない評価だろう。
ちょっと補足も書いたけれど、漂流するソニーのDNAは、今書いたような話が好きな人にはとても面白い、間違いなくお勧めの本なので、興味ある人はぜひ読んでみて欲しいと思う。
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