2011-09-13 Tue [ レビュー::ゲーム ]
■1991年 "Alone In The Dark"の登場
キングスクエストスタイルが完成して長い年月が経ち、アメリカではすでに主流のひとつとなり、アドベンチャに第三者視点が普及した状態になり、さらにパソコンでは3Dポリゴンでなんとかゲームを作ることが可能なレベルに達した1991年。
アドベンチャ界に、バイオハザードに決定的な影響を与えた作品が発売された。
それが『アローン・イン・ザ・ダーク』(1991/Infogrames。以下、アローン1)だ。
アローン1は、ホラーアドベンチャーゲーム(RPGに分類されることもある)で、ホラーであることをフルに感じさせるために、常に映画のような「カット割りされた視点」から画面を眺める三人称視点のゲームだ。
つまりアローン1は『キングスクエスト』側のアプローチを行ったアドベンチャゲームなわけだ。
さて、アローンの特徴の一つは3Dポリゴンを使ったアドベンチャなことだが、アローン1の真に革命的であったところは3Dポリゴンではない。
というのも、このころはすでに3Dゲームは海外PCゲーム世界では当たり前の物で、ただ、ジャンルのほとんどがフライトシミュレータ(スペースコンバット含む)やカーレースではあったけれど、3Dポリゴンのゲームはすでにゴロゴロしていた。
また背景は2Dだったが、人物やキャラクタはポリゴンになっていた「アウターワールド(原題 Another World/1991)」や、人物は2Dだったが3Dの処理が大量に入っていた「ドラッケン」(infograms/1990)など、まだ限定的ではあるけれどCRPGやアドベンチャでもポリゴンを使用していた作品はすでに枚挙に暇がない。
では、アローン1が本当に革命的だったのは何か?
アローンが本当に革命的だったのは、3Dで作る=一つのシーンを様々な角度から見ることが出来る=カメラアングルがある。これを利用して「映画のようにアングルを持ったゲーム画面を作り出した」ことだ。
これがどれほど革命的だったか?
アローン1より前は「なんとかムービー(まがい)はあっても、ゲーム画面のカメラアングルは固定」が常識だった。
これまた当たり前の話で、アローンよりほんの少し前では、ポリゴンでゲームを作ること自体が難事業で、フライトシミュレータのように「空」と「地上物」があれば、描画が雑でも、なんとか成り立ちうるゲームや、閉鎖空間のサーキットならいざ知らず、日常生活の世界をそれなりにディテールをもってリアルタイムに描画するのは実質不可能だった。
そうなるとゲーム画面では、1枚絵を表示したり(パソコンは昔から1枚絵を出すのはゲームマシンより得意だった)古典的なアクションのようにスクロールするのがせいぜいということになる。だから多重スクロールなどは行われるようになっても、アドベンチャゲームは基本的には古いスタイルである「プレイヤー視点の絵」もしくは「キングスクエストスタイル」だった。
この常識を木っ端微塵に打ち砕いたのがアローン1だった。
アローン1は、全ての画面を基本的に3D(ポリゴン)で描画し、それを利用して、あらゆるシーンに映画のようなカメラアングルを持ち込んだ。
ただし、当時のマシンではリアルタイムで全てをレンダリングする現代的なゲームマシン/PCのようなマネはとても出来なかったので、背景はプリレンダリングされた2D画像(アローン1では背景はほぼ固定された1枚絵だった)で、その上にリアルタイムレンダリングされたポリゴンのプレイヤーキャラクタやモンスターが表示される形式を取った。
このシステム、どこかで聞いたことがあるだろう。
PS1時代、FF VIIやバイオハザードなどの作品で散々使われた「高品位なプリレンダの画面の上にリアルタイムレンダリングのプレイヤーキャラクタを置く」方式だ。
2011年現在のゲームの世界では、プリレンダでカメラアングルの変えられない背景を使うなんて古くさいだけのテクニックになってしまっているが、この手法によって、ムービーだけではなく、ゲーム全体にカメラアングルを持ち込んだのは疑いもなく『アローン・イン・ザ・ダーク』が最初なのはほぼ間違いない。
そしてゲーム画面がポリゴンで描写され、アングルが出来たことで、ゲームデザイナーの見果てぬ夢だったムービーとゲームのシームレスな結合という壮大なテーマに繋がり、その夢を結実させたFF-VIIへと繋がっていくことになる(FFVIIで触れられることは少ないが、FFVIIもシステム的には間違いなくアローン1の直系の子孫だ)。
その意味でアローン1は疑いもなく、ゲーム史上に光り輝くメルクマークで、これをもって不滅のゲームと断言できる。
しかしまた反面、この方法はゲームの操作上、非常に重大な問題も引き起こした。
というのも、画面がアングルを持つということはキャラクタの移動方向とコントローラの移動方向を一意に決定するのが極めて難しくなってしまう──噛み砕いた言い方をするならコントローラの上を押したとき、どこに向かうのかが曖昧という問題を生み出してしまったのだ。
具体例をあげて説明すると、例えば真上から見た古の2Dシューティングゲームのようなアングルで、コントローラの上を押すと、画面の上に向かうのは簡単に理解できるだろうが、画面をほぼ真横から(古典的なアクションゲームのように)見ている状態で「上」を押すとどこにキャラクタは動くべきなのか?
ジャンプなのか? それとも画面奥なのか? たぶん手前ではないだろうということがいえるぐらいで、全く予測がつかないことになる。
今なら、これに対する答えは極めて簡単だ。パソコンならマウスもしくはそれに類するポインティングデバイスが標準で装備されていることがわかっているので「行きたいところをマウスでクリックする」が答えになるし、同じ理由でタッチパネルを持つデバイスなら「行きたい場所にタッチする」ことで問題は解決するし、場合によってはマウスやタッチパネルでキャラクタを直接動かしていく方法だって考えられる。ゲームマシンでもポインティングコントローラ・キネクトなどのデバイスで対応可能だ。
だがアローン1発売当時は、まだマウスはPCの標準品ではなく(マウスがPCの標準品と言えるようになったのはWindows 95以降)、もちろんキーボードでプレイ出来なければならなかった。
そして、アローン1では、この問題をどのように解決したのかというと「前」を押したとき、キャラクタが移動する方向は、そのときキャラクタの向いている方向とし、キャラクタの右回転と左回転をつける、という方法で、いかなる角度から見た画面でも、操作が一意になるようにしたのだ(数学的な表現をすると極座標系、一般にはラジコン操作と呼ばれることが多い)
これは「キャラクタの目から見たときの移動(考えればわかるがFPSや3Dダンジョンを扱ったゲームはこの操作が標準だ)」なので、原理的には非常に単純で、いい解決方法ではある。
問題なのは、理屈では簡単でも操作は難しいことだ。
なんせ操作するときに、自分の向いている方向を考えなくてはならないから、思った方向に動けるようになるには練習が必要だし、いかに習熟しても直感的ではないために、アクションの要素が入ってきたりすると、さらに難易度が上がってしまうので、アクション要素のあるアローン1ではユーザーは死にまくるハメになった。
だが、アローン1は操作法のネガなど、全く関係ないレベルで革命的なゲームで、以降のパソコン・コンシューマゲームに絶大な影響を与えることとなった。
というところで、この項続く。
キングスクエストスタイルが完成して長い年月が経ち、アメリカではすでに主流のひとつとなり、アドベンチャに第三者視点が普及した状態になり、さらにパソコンでは3Dポリゴンでなんとかゲームを作ることが可能なレベルに達した1991年。
アドベンチャ界に、バイオハザードに決定的な影響を与えた作品が発売された。
それが『アローン・イン・ザ・ダーク』(1991/Infogrames。以下、アローン1)だ。
アローン1は、ホラーアドベンチャーゲーム(RPGに分類されることもある)で、ホラーであることをフルに感じさせるために、常に映画のような「カット割りされた視点」から画面を眺める三人称視点のゲームだ。
つまりアローン1は『キングスクエスト』側のアプローチを行ったアドベンチャゲームなわけだ。
さて、アローンの特徴の一つは3Dポリゴンを使ったアドベンチャなことだが、アローン1の真に革命的であったところは3Dポリゴンではない。
というのも、このころはすでに3Dゲームは海外PCゲーム世界では当たり前の物で、ただ、ジャンルのほとんどがフライトシミュレータ(スペースコンバット含む)やカーレースではあったけれど、3Dポリゴンのゲームはすでにゴロゴロしていた。
また背景は2Dだったが、人物やキャラクタはポリゴンになっていた「アウターワールド(原題 Another World/1991)」や、人物は2Dだったが3Dの処理が大量に入っていた「ドラッケン」(infograms/1990)など、まだ限定的ではあるけれどCRPGやアドベンチャでもポリゴンを使用していた作品はすでに枚挙に暇がない。
では、アローン1が本当に革命的だったのは何か?
アローンが本当に革命的だったのは、3Dで作る=一つのシーンを様々な角度から見ることが出来る=カメラアングルがある。これを利用して「映画のようにアングルを持ったゲーム画面を作り出した」ことだ。
これがどれほど革命的だったか?
アローン1より前は「なんとかムービー(まがい)はあっても、ゲーム画面のカメラアングルは固定」が常識だった。
これまた当たり前の話で、アローンよりほんの少し前では、ポリゴンでゲームを作ること自体が難事業で、フライトシミュレータのように「空」と「地上物」があれば、描画が雑でも、なんとか成り立ちうるゲームや、閉鎖空間のサーキットならいざ知らず、日常生活の世界をそれなりにディテールをもってリアルタイムに描画するのは実質不可能だった。
そうなるとゲーム画面では、1枚絵を表示したり(パソコンは昔から1枚絵を出すのはゲームマシンより得意だった)古典的なアクションのようにスクロールするのがせいぜいということになる。だから多重スクロールなどは行われるようになっても、アドベンチャゲームは基本的には古いスタイルである「プレイヤー視点の絵」もしくは「キングスクエストスタイル」だった。
そしてPCエンジンのCDROMゲームで「普通のゲームにビジュアルがついているだけ」と揶揄された理由の一つがこれだった。ビジュアル(ムービー)=>当時の2Dゲーム=>またビジュアル(ムービー)という構成ではどうしてもゲームとムービーの間に乖離感がでてしまう。
だから、僕は当時はどちらかというと劇の演出の方に未来があるのではないか? という疑問すら持っていた。
劇の演出なら、固定2D画面でキャラクタに演技させ、かつ顔だけはセリフウィンドウにかぶせる・イース方式で出すといったワザを使うことが出来るし、だいたい当時のハードにまさかPS1のような劇的なジャンプがあるなんて想像もしていなかった
だから、僕は当時はどちらかというと劇の演出の方に未来があるのではないか? という疑問すら持っていた。
劇の演出なら、固定2D画面でキャラクタに演技させ、かつ顔だけはセリフウィンドウにかぶせる・イース方式で出すといったワザを使うことが出来るし、だいたい当時のハードにまさかPS1のような劇的なジャンプがあるなんて想像もしていなかった
この常識を木っ端微塵に打ち砕いたのがアローン1だった。
アローン1は、全ての画面を基本的に3D(ポリゴン)で描画し、それを利用して、あらゆるシーンに映画のようなカメラアングルを持ち込んだ。
ただし、当時のマシンではリアルタイムで全てをレンダリングする現代的なゲームマシン/PCのようなマネはとても出来なかったので、背景はプリレンダリングされた2D画像(アローン1では背景はほぼ固定された1枚絵だった)で、その上にリアルタイムレンダリングされたポリゴンのプレイヤーキャラクタやモンスターが表示される形式を取った。
このシステム、どこかで聞いたことがあるだろう。
PS1時代、FF VIIやバイオハザードなどの作品で散々使われた「高品位なプリレンダの画面の上にリアルタイムレンダリングのプレイヤーキャラクタを置く」方式だ。
2011年現在のゲームの世界では、プリレンダでカメラアングルの変えられない背景を使うなんて古くさいだけのテクニックになってしまっているが、この手法によって、ムービーだけではなく、ゲーム全体にカメラアングルを持ち込んだのは疑いもなく『アローン・イン・ザ・ダーク』が最初なのはほぼ間違いない。
そしてゲーム画面がポリゴンで描写され、アングルが出来たことで、ゲームデザイナーの見果てぬ夢だったムービーとゲームのシームレスな結合という壮大なテーマに繋がり、その夢を結実させたFF-VIIへと繋がっていくことになる(FFVIIで触れられることは少ないが、FFVIIもシステム的には間違いなくアローン1の直系の子孫だ)。
その意味でアローン1は疑いもなく、ゲーム史上に光り輝くメルクマークで、これをもって不滅のゲームと断言できる。
しかしまた反面、この方法はゲームの操作上、非常に重大な問題も引き起こした。
というのも、画面がアングルを持つということはキャラクタの移動方向とコントローラの移動方向を一意に決定するのが極めて難しくなってしまう──噛み砕いた言い方をするならコントローラの上を押したとき、どこに向かうのかが曖昧という問題を生み出してしまったのだ。
具体例をあげて説明すると、例えば真上から見た古の2Dシューティングゲームのようなアングルで、コントローラの上を押すと、画面の上に向かうのは簡単に理解できるだろうが、画面をほぼ真横から(古典的なアクションゲームのように)見ている状態で「上」を押すとどこにキャラクタは動くべきなのか?
ジャンプなのか? それとも画面奥なのか? たぶん手前ではないだろうということがいえるぐらいで、全く予測がつかないことになる。
今なら、これに対する答えは極めて簡単だ。パソコンならマウスもしくはそれに類するポインティングデバイスが標準で装備されていることがわかっているので「行きたいところをマウスでクリックする」が答えになるし、同じ理由でタッチパネルを持つデバイスなら「行きたい場所にタッチする」ことで問題は解決するし、場合によってはマウスやタッチパネルでキャラクタを直接動かしていく方法だって考えられる。ゲームマシンでもポインティングコントローラ・キネクトなどのデバイスで対応可能だ。
だがアローン1発売当時は、まだマウスはPCの標準品ではなく(マウスがPCの標準品と言えるようになったのはWindows 95以降)、もちろんキーボードでプレイ出来なければならなかった。
そして、アローン1では、この問題をどのように解決したのかというと「前」を押したとき、キャラクタが移動する方向は、そのときキャラクタの向いている方向とし、キャラクタの右回転と左回転をつける、という方法で、いかなる角度から見た画面でも、操作が一意になるようにしたのだ(数学的な表現をすると極座標系、一般にはラジコン操作と呼ばれることが多い)
これは「キャラクタの目から見たときの移動(考えればわかるがFPSや3Dダンジョンを扱ったゲームはこの操作が標準だ)」なので、原理的には非常に単純で、いい解決方法ではある。
問題なのは、理屈では簡単でも操作は難しいことだ。
なんせ操作するときに、自分の向いている方向を考えなくてはならないから、思った方向に動けるようになるには練習が必要だし、いかに習熟しても直感的ではないために、アクションの要素が入ってきたりすると、さらに難易度が上がってしまうので、アクション要素のあるアローン1ではユーザーは死にまくるハメになった。
そして、この直感的でないラジコン方式ではなく、普通に移動方向を押すとその方向に移動できるようにしたのは多分スクウェア(スクウェアエニックスではなく、当時のスクウェア)で、FF VIIが最初だと思われる。とは言っても、FF VIIとバイオハザードの間には発売日の差が1年もないので、どちらもPS1のレンダリング能力で高品位なグラフィックを出す方法を検討した結果がアローン1方式に収束したが、操作系には違いが出たということだろう。
アローン1方式(ラジコン)の方がバカげているように見えるが、ラジコン方式はキャラクタの向きから操作が決まるので、いかなるムチャなカメラアングルでも移動方向が必ず一意に決まる強みがある。
実際、FF VIIでは、移動方向が分かりにくいアングルを作らないように心がけているにもかかわらず、画面を見ただけではレバーと移動方向がうまく対応せず、どちらに移動するのか分からないときがある。
バイオハザードはカメラアングルの自由度を優先して、操作系もアローン1のラジコン方式を踏襲したが、FFではラジコン方式はプレイアビリティを露骨に下げるので、沢山売ることを前提とすると問題があると判断して使わなかったということだろう。
アローン1方式(ラジコン)の方がバカげているように見えるが、ラジコン方式はキャラクタの向きから操作が決まるので、いかなるムチャなカメラアングルでも移動方向が必ず一意に決まる強みがある。
実際、FF VIIでは、移動方向が分かりにくいアングルを作らないように心がけているにもかかわらず、画面を見ただけではレバーと移動方向がうまく対応せず、どちらに移動するのか分からないときがある。
バイオハザードはカメラアングルの自由度を優先して、操作系もアローン1のラジコン方式を踏襲したが、FFではラジコン方式はプレイアビリティを露骨に下げるので、沢山売ることを前提とすると問題があると判断して使わなかったということだろう。
だが、アローン1は操作法のネガなど、全く関係ないレベルで革命的なゲームで、以降のパソコン・コンシューマゲームに絶大な影響を与えることとなった。
ちなみに1991-1992年あたりは実はPCでゲームの表現にジャンプが起こっていた年だ。
FPSを確立したとされるID Softwareのウルフェンシュタイン3Dが1992年。リアルタイム3Dで、後のシングル3DRPGに絶大な影響を与える"Ultima Underworld"も同じく92年。
(PS1でフロムソフトウェアの名声を決定づけたキングスフィールドはモロにこれの影響を受けている)。
後のGTなどに強烈な影響を与えたと思われるリアルカーレースの走り、Micro Probeの"GRANDPRIX"(World Circuit)も92年。
ここらへんでPCがついにポリゴン(および疑似3D処理)を使ってなんとかゲームが作れる範囲に突入し、アメリカのゲームは急速に3D化していくが、プレイステーション1の登場で、劇的にジャンプアップした日本に一気に追い抜かれることになるが…
FPSを確立したとされるID Softwareのウルフェンシュタイン3Dが1992年。リアルタイム3Dで、後のシングル3DRPGに絶大な影響を与える"Ultima Underworld"も同じく92年。
(PS1でフロムソフトウェアの名声を決定づけたキングスフィールドはモロにこれの影響を受けている)。
後のGTなどに強烈な影響を与えたと思われるリアルカーレースの走り、Micro Probeの"GRANDPRIX"(World Circuit)も92年。
ここらへんでPCがついにポリゴン(および疑似3D処理)を使ってなんとかゲームが作れる範囲に突入し、アメリカのゲームは急速に3D化していくが、プレイステーション1の登場で、劇的にジャンプアップした日本に一気に追い抜かれることになるが…
というところで、この項続く。
コメント
バンゲリングベイで鍛えられていたので
ラジコン操作系には違和感無かったです。
内容が怖かったのが辛かったけど。
バイオは初代が一番怖い気がする。
ラジコン操作系には違和感無かったです。
内容が怖かったのが辛かったけど。
バイオは初代が一番怖い気がする。
| atsu | EMAIL | URL | 11/09/15 16:40 | EnmY2ESs |
細かいとこですが、メルクマークじゃなくて、メルクマールですぜ。
| boze | EMAIL | URL | 11/09/14 20:01 | F4OQt7WE |
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