2011-09-02 Fri [ レビュー::ゲーム ]
(1)でいきなり大チョンボ。スーパーハイドライドじゃなく、ハイドライドスペシャルっす。
ということで、パート2。
前回で書いたとおり、パソコンではRPGが中心にのし上がりつつあった時代、そして「なんとかファミコンでもRPGがプレイ可能だ」と認識された時代を背景として『ドラゴンクエスト1』はファミコンに登場したが、ドラクエは、当時の目で見ても、オリジナル要素はほとんどないゲームだった。
ストーリーは風来の騎士が悪の大王に襲われピンチとなっている国と姫を救う、極めて基本的かつシンプルなストーリー構造で、別段取り立ててみるべき物はない(だが、反面、このストーリーには重大な意味があるが、それは後に書く)。
ゲームシステムに目をやれば、スクロール型のフィールドマップで、フィールド上に置かれている街に入ると、スケール比の変化した街の詳細マップに入る型式は、RPGの元祖の一つである『ウルティマ』の手法その物…というか『ウルティマ』がその手法そのものを作り出したのだし、街や村に配置されているキャラクタが語る言葉がストーリーと謎を組み立てていく手法も、全て『ウルティマ』から(時期的に考えるとクリスタルソフトの『夢幻の心臓』(1984年・PC-8801/PC-98シリーズ)にも影響を受けていると思われる)。
モンスターとの対面戦闘は完全に『ウィザードリィ』スタイルその物。
バトルが多対多の『ウィザードリィ』と比べると単純化され、1対1なのがオリジナリティな気もするが、実は『夢幻の心臓』がそうだし、光栄(現コーエーテクモゲームス)が発売した「(自称)日本初のRPG、ダンジョン!(1983?)」もそうだったので、やはりオリジナルとは言い難い。
いずれにしても、ゲームシステムから見るとオリジナルな要素は、ダンジョンが平面型であることぐらいだろう(パソコンでのダンジョン表示の主流はビットマップによるグラフィック表現が出来ることもあって、3D表示が主流だった)。
となるとDQ1は海外RPGのいいとこ取りをしたゲームをRPGがまるでなかったファミコンで発売し、それが、たまたまきちっと出来上がっていたのでヒットした…と極めて意地悪な表現をすることも出来るし、はっきり書いてしまえば、その要素は多々ある。
例えばドラクエ1ではないけれど『ドラゴンクエストII』の大イベントの一つである月の浅瀬のイベントは、アップルⅡ版の『ウルティマⅣ』にそっくりのイベントがあるし、だいたい船だのなんだのと乗り物を登場させたのも『ウルティマ』だ(呆れることにウルティマ2では宇宙船まで登場している)。
そう考えたとき、ドラクエ1にはオリジナリティはないのだが──そして、当時、それを理由に強く非難する人もいたが、この非難はまるで当たらないと僕は思う。
なぜなら、第一に日本のRPGそれ自体が、まだ揺籃期で、クリエイター自身が「ウィザードリィまがい」や「ウルティマまがい」を作ってみないことにはどんな風に作ればいいのかすら分からない状態だった(だいたい同じ理由でアメリカでもウィザードリィまがいやウルティマまがいは山のように発売されている)。
そして実際に作ってみなければ、オリジナリティなど入れようもない。
第二に、それら先達の面白い要素を抽出して、ひとつのゲームとしてまとめあげること、それ自体がオリジナリティだ。
組み合わせをオリジナリティでないと主張するのは、モノを作ったことがない人間だけだ。ほとんどのアイディアや何かは元にあったものに何かを加えたりすることで出来ている。
例えばオリジナリティの権化のように言われるテトリスでも、パズルの要素は遥か昔からあったポリオミノの一種テトロミノから。落ちてハマるというのは例えばBASIC MASTER LEVEL2のプログラムコンテストにすらあったアイディアで、ゲームでは当たり前に出てくる物だ。これらを組み合わせて落ち物パズルというアイディアを作りだしたことが偉いのだ。
しかし不毛なオリジナリティの線引きはともかくとしてドラクエ1は、制作者にとって多分にRPGの習作の要素を多々備えた作品なのは間違いはないが、実はドラクエ1にはパソコンのRPGには、実質的に存在しなかった革命的なアイディアが一つ入っている。
それは、以降の日本のコンシューマRPGの非常に基本的なアイディアになったもので、どんなモノかというと──
「おお XX しんでしまうとは なさけない おまえに もういちど きかいを やろう」
というセリフとともに、お金半分で復活するシステムだ。
これがどうして革命なのか?
ドラクエより前のRPGではキャラクタの死に対するペナルティ(プレイヤーの死ぬことに対するゲーム的な罰)の与え方が大きく分けて二通りあった。
一つがウィザードリィ形式で「キャラクタは死んだらそれまで」で、復活するためには莫大なお金と復活しないかも知れないリスクの二つが存在するシステム。
復活の要素がある点がゲーム的であるが、キャラクタの死に対するペナルティは厳しい。
特にウィザードリィではキャラクタが一度目の復活に失敗し、灰になってしまうと復帰には莫大な金額と非常な危険が伴うために、石橋を叩いて渡るようなプレイをするのが当たり前だった。
もう一つの方法は『ファイナルファンタジー』などでおなじみの方法、全滅したら、お金も状況も何もかもが最後にセーブしたポイントに戻る方式だ。これは人生テープで決められたポイントまで巻き戻し型とでも表現すればいいだろう。
これまたゲーム的な方法で、キャラクタを失う危険性はない代わりに「人生をコンティニューポイントからやり直す方式」だ。
パソコンゲームでは、この他に例えばライフポイント(決められた回数生き返ることが出来る)とか、果ては死んだら絶対に生き返らない(バックアップのデータすら消してしまう。ザ・スクリーマーなど)など様々な方法があったが、およそどれも基本的には同じ考え方が根底にある。
それは──死んだらそれまで。
要は死のペナルティは限りなく大きいのがそれまでの考え方だったのだ。
ところがドラゴンクエストは違う。
死んだペナルティは「そこまで行った道程がパーになる+お金半分」でしかない(最初の『ドラゴンクエスト』では、町の間を飛ぶテレポートは最初の町に戻ることしか出来なかったので、死んでしまうと、行った町まで戻るのが一苦労だった)。
他の「ゲームをやり直し」とか「キャラがいなくなる」などのほとんど致命的とも言える状況と比較したとき、信じられないぐらい穏やかで、失う物といえば、比較的短時間で取り戻すことが可能な「金」と「歩いた道程」ぐらいなのだ。
では、なぜドラゴンクエストは、それまでのRPGの常識から考えると過激な「小言を言われて、ペナルティほとんどなし」システムを取ったのだろうか?
理由の一つは、当然「ファミコンユーザーが相手」にあるだろう。
当時のファミコンは容量の少なさや、初期が任天堂のアーケードゲームの移植であったことなどから、アクション・シューティングが中心で、決してRPGではなかった。また、ユーザー層それ自体も現在のプレイステーションなどと比較すると、遙かに低年齢層で小学校高学年~中学生が中心だった。
その低年齢(かつ単純なゲームに慣れた)ユーザーに「成長」だの「戦闘」だの「買い物」だの「会話」だのといった、それまでのファミコンのゲームと比較すれば、桁違いに複雑で要素の多いRPGをプレイさせるのだ。加えて「キャラが死んだら最初から」なんてパソコンで常識的なルールを組み込んだら、どこの誰だってやってくれないに決まっている。
これでは「売れない」。
また、ファミコンユーザーにはなじみの深いコンティニュー型も難しい。
なぜなら、コンティニューを可能にするには「最後にコンティニューされるポイント」でのゲームの状態を、どこかに保存しておかなければならない。ところが、ファミコンのRAMは極端に少なく、そんな物を置いておける場所があるわけもないし、それを置く場所があるなら他に使うのが当たり前だ。
つまり、もし「死んだら終わり方式」を取るなら、死んだら「ゲームオーバー」にして、復活の呪文を入力させる以外に方法はないわけだ。これまた、プレイアビリティの極端な低下になり、プレイヤーの数を大幅に減らすのは間違いない。
結果として、ドラクエ1では「プレイアビリティ・ユーザー層・当時のマシンの貧弱なリソース」、そしてさらに後で述べる理由を勘案して「死んだら、お金半分」を採用したと思われる。
どうしてこんな事を延々と語るのかというと、実はこの「死」に関わるシステムはRPGをどう捉えるのかという非常に重要な命題と密接に関わっているからだ。
というところで、おっそろしく長くなったので次回に続く。
ということで、パート2。
前回で書いたとおり、パソコンではRPGが中心にのし上がりつつあった時代、そして「なんとかファミコンでもRPGがプレイ可能だ」と認識された時代を背景として『ドラゴンクエスト1』はファミコンに登場したが、ドラクエは、当時の目で見ても、オリジナル要素はほとんどないゲームだった。
ストーリーは風来の騎士が悪の大王に襲われピンチとなっている国と姫を救う、極めて基本的かつシンプルなストーリー構造で、別段取り立ててみるべき物はない(だが、反面、このストーリーには重大な意味があるが、それは後に書く)。
ゲームシステムに目をやれば、スクロール型のフィールドマップで、フィールド上に置かれている街に入ると、スケール比の変化した街の詳細マップに入る型式は、RPGの元祖の一つである『ウルティマ』の手法その物…というか『ウルティマ』がその手法そのものを作り出したのだし、街や村に配置されているキャラクタが語る言葉がストーリーと謎を組み立てていく手法も、全て『ウルティマ』から(時期的に考えるとクリスタルソフトの『夢幻の心臓』(1984年・PC-8801/PC-98シリーズ)にも影響を受けていると思われる)。
モンスターとの対面戦闘は完全に『ウィザードリィ』スタイルその物。
バトルが多対多の『ウィザードリィ』と比べると単純化され、1対1なのがオリジナリティな気もするが、実は『夢幻の心臓』がそうだし、光栄(現コーエーテクモゲームス)が発売した「(自称)日本初のRPG、ダンジョン!(1983?)」もそうだったので、やはりオリジナルとは言い難い。
いずれにしても、ゲームシステムから見るとオリジナルな要素は、ダンジョンが平面型であることぐらいだろう(パソコンでのダンジョン表示の主流はビットマップによるグラフィック表現が出来ることもあって、3D表示が主流だった)。
追記するとドラクエ1で明かりで見える範囲が制限されるのも、パソコンのRPGでは当たり前のようにある手法だったが、平面でやったのはドラクエ1が最初だと思われる。
となるとDQ1は海外RPGのいいとこ取りをしたゲームをRPGがまるでなかったファミコンで発売し、それが、たまたまきちっと出来上がっていたのでヒットした…と極めて意地悪な表現をすることも出来るし、はっきり書いてしまえば、その要素は多々ある。
例えばドラクエ1ではないけれど『ドラゴンクエストII』の大イベントの一つである月の浅瀬のイベントは、アップルⅡ版の『ウルティマⅣ』にそっくりのイベントがあるし、だいたい船だのなんだのと乗り物を登場させたのも『ウルティマ』だ(呆れることにウルティマ2では宇宙船まで登場している)。
そう考えたとき、ドラクエ1にはオリジナリティはないのだが──そして、当時、それを理由に強く非難する人もいたが、この非難はまるで当たらないと僕は思う。
なぜなら、第一に日本のRPGそれ自体が、まだ揺籃期で、クリエイター自身が「ウィザードリィまがい」や「ウルティマまがい」を作ってみないことにはどんな風に作ればいいのかすら分からない状態だった(だいたい同じ理由でアメリカでもウィザードリィまがいやウルティマまがいは山のように発売されている)。
そして実際に作ってみなければ、オリジナリティなど入れようもない。
第二に、それら先達の面白い要素を抽出して、ひとつのゲームとしてまとめあげること、それ自体がオリジナリティだ。
組み合わせをオリジナリティでないと主張するのは、モノを作ったことがない人間だけだ。ほとんどのアイディアや何かは元にあったものに何かを加えたりすることで出来ている。
例えばオリジナリティの権化のように言われるテトリスでも、パズルの要素は遥か昔からあったポリオミノの一種テトロミノから。落ちてハマるというのは例えばBASIC MASTER LEVEL2のプログラムコンテストにすらあったアイディアで、ゲームでは当たり前に出てくる物だ。これらを組み合わせて落ち物パズルというアイディアを作りだしたことが偉いのだ。
しかし不毛なオリジナリティの線引きはともかくとしてドラクエ1は、制作者にとって多分にRPGの習作の要素を多々備えた作品なのは間違いはないが、実はドラクエ1にはパソコンのRPGには、実質的に存在しなかった革命的なアイディアが一つ入っている。
それは、以降の日本のコンシューマRPGの非常に基本的なアイディアになったもので、どんなモノかというと──
「おお XX しんでしまうとは なさけない おまえに もういちど きかいを やろう」
というセリフとともに、お金半分で復活するシステムだ。
これがどうして革命なのか?
ドラクエより前のRPGではキャラクタの死に対するペナルティ(プレイヤーの死ぬことに対するゲーム的な罰)の与え方が大きく分けて二通りあった。
一つがウィザードリィ形式で「キャラクタは死んだらそれまで」で、復活するためには莫大なお金と復活しないかも知れないリスクの二つが存在するシステム。
復活の要素がある点がゲーム的であるが、キャラクタの死に対するペナルティは厳しい。
特にウィザードリィではキャラクタが一度目の復活に失敗し、灰になってしまうと復帰には莫大な金額と非常な危険が伴うために、石橋を叩いて渡るようなプレイをするのが当たり前だった。
パソコン版はファミコンよりも遙かにリセットする際にデータを失う危険が大きかった。それどころか、オリジナルのアップル版ではとても難しかった。そのため、古いオリジナルのパソコン版をやっている人間にとってはリセット技<死にそうになるとリセットして前の状態に戻す方法>は邪道と見なされていた。
もう一つの方法は『ファイナルファンタジー』などでおなじみの方法、全滅したら、お金も状況も何もかもが最後にセーブしたポイントに戻る方式だ。これは人生テープで決められたポイントまで巻き戻し型とでも表現すればいいだろう。
これまたゲーム的な方法で、キャラクタを失う危険性はない代わりに「人生をコンティニューポイントからやり直す方式」だ。
パソコンゲームでは、この他に例えばライフポイント(決められた回数生き返ることが出来る)とか、果ては死んだら絶対に生き返らない(バックアップのデータすら消してしまう。ザ・スクリーマーなど)など様々な方法があったが、およそどれも基本的には同じ考え方が根底にある。
それは──死んだらそれまで。
要は死のペナルティは限りなく大きいのがそれまでの考え方だったのだ。
ところがドラゴンクエストは違う。
死んだペナルティは「そこまで行った道程がパーになる+お金半分」でしかない(最初の『ドラゴンクエスト』では、町の間を飛ぶテレポートは最初の町に戻ることしか出来なかったので、死んでしまうと、行った町まで戻るのが一苦労だった)。
他の「ゲームをやり直し」とか「キャラがいなくなる」などのほとんど致命的とも言える状況と比較したとき、信じられないぐらい穏やかで、失う物といえば、比較的短時間で取り戻すことが可能な「金」と「歩いた道程」ぐらいなのだ。
では、なぜドラゴンクエストは、それまでのRPGの常識から考えると過激な「小言を言われて、ペナルティほとんどなし」システムを取ったのだろうか?
理由の一つは、当然「ファミコンユーザーが相手」にあるだろう。
当時のファミコンは容量の少なさや、初期が任天堂のアーケードゲームの移植であったことなどから、アクション・シューティングが中心で、決してRPGではなかった。また、ユーザー層それ自体も現在のプレイステーションなどと比較すると、遙かに低年齢層で小学校高学年~中学生が中心だった。
当時は任天堂は有力なアーケードメーカーのひとつだった。インベーダーブームの時代に、アーケードゲームに乗り出し、そこで「マリオブラザース」、「ドンキーコング」などのスマッシュヒットを飛ばしていた。なので元々の層はアーケードゲームにあこがれていたガキとアーケードゲームマニアだった。
その低年齢(かつ単純なゲームに慣れた)ユーザーに「成長」だの「戦闘」だの「買い物」だの「会話」だのといった、それまでのファミコンのゲームと比較すれば、桁違いに複雑で要素の多いRPGをプレイさせるのだ。加えて「キャラが死んだら最初から」なんてパソコンで常識的なルールを組み込んだら、どこの誰だってやってくれないに決まっている。
これでは「売れない」。
すでに「ゼルダの伝説」があったではないかという意見はあるだろうが、ゼルダはアクションRPG…というよりは、アドベンチャの要素が強く、なおかつ装備などの要素が具象化されており、ドラクエより遙かに単純だった。またディスクシステムのゲームなので後述するRAMの問題が遥かに簡単だった
また、ファミコンユーザーにはなじみの深いコンティニュー型も難しい。
とあえて書いているが、ドラクエが発売された頃のファミコンのゲームはまだアーケードですらコンティニューが珍しい時代だったのもあって、コンティニュー方式が一般的だったとは言い難い。
なぜなら、コンティニューを可能にするには「最後にコンティニューされるポイント」でのゲームの状態を、どこかに保存しておかなければならない。ところが、ファミコンのRAMは極端に少なく、そんな物を置いておける場所があるわけもないし、それを置く場所があるなら他に使うのが当たり前だ。
冗談にしか聞こえないだろうが、1バイト(記憶容量のほぼ最小単位)を削ることに血道を上げるのが常識だった。ファミコンのRAMはカートリッジ側にメモリを積まない限りは2キロバイト、漢字に換算すると1000文字分ちょっと。なんと原稿用紙2枚半ほどしかないのだ。そのRAMを、割り込みだのシステムのエリアだのなんだの、いろいろな事で使うのだから、そんな物を記録しておく余裕などあるはずもなかった。またカートリッジの容量もドラクエ1の時代は32キロバイト程度、漢字仮名交じり文で16000文字、原稿用紙40枚しかない世界だった。
つまり、もし「死んだら終わり方式」を取るなら、死んだら「ゲームオーバー」にして、復活の呪文を入力させる以外に方法はないわけだ。これまた、プレイアビリティの極端な低下になり、プレイヤーの数を大幅に減らすのは間違いない。
結果として、ドラクエ1では「プレイアビリティ・ユーザー層・当時のマシンの貧弱なリソース」、そしてさらに後で述べる理由を勘案して「死んだら、お金半分」を採用したと思われる。
ついでに書くと復活の呪文方式を取ると、前者も後者も結果はほとんど変わらないことになる。なぜなら前者の場合でも復活の呪文があれば、結局キャラは復活するし、後者の場合でも、復活の呪文をメモしていなければ前者と同じ結果になる。
どうしてこんな事を延々と語るのかというと、実はこの「死」に関わるシステムはRPGをどう捉えるのかという非常に重要な命題と密接に関わっているからだ。
というところで、おっそろしく長くなったので次回に続く。
コメント
>> ハイみら 様
パッケージに書かれているタイトルが問題なのではなくて、当時『どのようなジャンルの作品として扱われたのか?』が重要なのです。
そして、ゼルダの伝説は疑いもなく当時はRPGとして紹介されていたのです。
パッケージに書かれているタイトルが問題なのではなくて、当時『どのようなジャンルの作品として扱われたのか?』が重要なのです。
そして、ゼルダの伝説は疑いもなく当時はRPGとして紹介されていたのです。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 11/09/13 18:21 | GrHP1aYc |
ゼルダの伝説は良く勘違いされますが、アクションRPGでは有りません。
「アクションアドベンチャー」です。
パッケージなんかにも大概そう書かれています。
「アクションアドベンチャー」です。
パッケージなんかにも大概そう書かれています。
| ハイみら | EMAIL | URL | 11/09/13 08:58 | G2c489bs |
>> twohiro 様
容量は…当時は本当に血反吐吐きながら縮めるモノでしたからw
>> take 様
難解というよりはPCゲームは「不親切」だったのです。
それが親切になりはじめたのがイースやドラクエあたりの時代なのです。
容量は…当時は本当に血反吐吐きながら縮めるモノでしたからw
>> take 様
難解というよりはPCゲームは「不親切」だったのです。
それが親切になりはじめたのがイースやドラクエあたりの時代なのです。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 11/09/11 15:38 | GrHP1aYc |
当時のログイン誌の堀井さんのコラムを読んでましたが、容量に関しての話題には尽きなかったですね。
2の大灯台から望遠鏡を調べるとロンダルキアのグラフィックを出したかったような事を書いてましたし、SFC版でも入れたいような事を書いてたと思うのですが、こちらも容量不足でカットしたような事が書かれていた記憶があります。
ファミコンユーザーに対しての配慮はコラムでもありましたね。ログイン誌のコラムを「ファミ通で使うから今回簡単な内容になってます。」というような事が書かれていたのが印象深いです。
2の大灯台から望遠鏡を調べるとロンダルキアのグラフィックを出したかったような事を書いてましたし、SFC版でも入れたいような事を書いてたと思うのですが、こちらも容量不足でカットしたような事が書かれていた記憶があります。
ファミコンユーザーに対しての配慮はコラムでもありましたね。ログイン誌のコラムを「ファミ通で使うから今回簡単な内容になってます。」というような事が書かれていたのが印象深いです。
| twohiro | EMAIL | URL | 11/09/08 01:14 | hhBpcaiU |
夢幻の心臓2をやったことがあるのですが、難しすぎてクリアできませんでした。あのゲームは奇妙なことに死者を生き返らせるには死体を清めねばならず、それには塩が必要なのです。当時は「なんだこりゃ?」って感じでやってました。また、出現する敵の強さがバラバラなので、序盤で強敵に遭遇することもありました。一例がガーゴイルで、スタート地点にも高速で飛んでくるので、スタート直後に簡単に死んでしまうことも。重要アイテムを捨てられるのも問題で、それが原因でハマッたことも何度かありました。
ドラクエでは死者蘇生が簡素化され、モンスターの強さは地域ごとに決められていて、重要アイテムは捨てられないようになっています。この辺が難解なPCのRPGとの違いでしょうか。
ドラクエでは死者蘇生が簡素化され、モンスターの強さは地域ごとに決められていて、重要アイテムは捨てられないようになっています。この辺が難解なPCのRPGとの違いでしょうか。
| take | EMAIL | URL | 11/09/03 17:03 | /ywjWtWQ |
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