2013-07-11 Thu [ 昔のこと::古の技術 ]
たまたま見つけたサイト http://gikofami.fc2web.com が面白懐かしくて読んでしまったのだけど、この中にラスタースクロールのことが載っていた。
それで以下、サイトより引用。
上のように書かれていて「ああ昔は遠くなりにけり」だなあと思ってしまった。
まず、仮想の241ライン目ではない。
ファミコンが接続されていたNTSCのテレビはスキャンライン=ラスターは525ラインある。
そして本来のNTSC信号では525ラインをインターレース描画で上から下に2回描くことで秒30フレームの画像を作るのだけど、ファミコンなどのテレビゲームマシンはテレビを騙して1フィールド(と表現する)の240ラインを(2回)使うことで、1/60秒毎に絵を作っていた。
では525÷2は? 答え=262.5。
お分かりだろうが、仮想の262ライン目ではなく、NTSCで規定された走査線数までラスターを描画して、フィールドを終了していたわけだ。
こんなものはプログレッシブ当たり前、dot by dot当たり前な、この時代にはなんも意味が無いことだから、わからないのも当たり前なのだけど、いやはや昔は遠くなりにけりだよと笑ってしまったのだった。
※追記。
「仮想」のスキャンラインどころではなく、実在してたのは、昔のアナログテレビを見ていた人ならわかる。
電波が弱かったり、意図的に垂直同期をズラして、ゆっくりとスキャン位置がズレるようにすると、本来ならテレビに映らないVBLANKの領域まで実際に見ることが出来たのである。
それで以下、サイトより引用。
ちなみにVBlank割り込みは240ラインまで描き終えて画面外の仮想の241ライン目を描くタイミングで発生します。 そして仮想の262ラインまで描いてから0に戻ります。(私が調べた限り262までのようですが、なぜ262なのかは、わかりません)
上のように書かれていて「ああ昔は遠くなりにけり」だなあと思ってしまった。
まず、仮想の241ライン目ではない。
ファミコンが接続されていたNTSCのテレビはスキャンライン=ラスターは525ラインある。
そして本来のNTSC信号では525ラインをインターレース描画で上から下に2回描くことで秒30フレームの画像を作るのだけど、ファミコンなどのテレビゲームマシンはテレビを騙して1フィールド(と表現する)の240ラインを(2回)使うことで、1/60秒毎に絵を作っていた。
では525÷2は? 答え=262.5。
お分かりだろうが、仮想の262ライン目ではなく、NTSCで規定された走査線数までラスターを描画して、フィールドを終了していたわけだ。
こんなものはプログレッシブ当たり前、dot by dot当たり前な、この時代にはなんも意味が無いことだから、わからないのも当たり前なのだけど、いやはや昔は遠くなりにけりだよと笑ってしまったのだった。
※追記。
「仮想」のスキャンラインどころではなく、実在してたのは、昔のアナログテレビを見ていた人ならわかる。
電波が弱かったり、意図的に垂直同期をズラして、ゆっくりとスキャン位置がズレるようにすると、本来ならテレビに映らないVBLANKの領域まで実際に見ることが出来たのである。
2013-07-07 Sun [ 昔のこと::ハドソン関係 ]
さよならハドソンの電子版を書いて、facebook経由で、元ハドソンな人たちに配布した所、イロイロな人から喜んでもらえたので、良かった。
特に大事な人たちが大喜びしてくれたくさいので、まあもう文句はない。
で、これが不思議なのだけどw 書いて出すと人から細かい情報がまた集まってくる。
落穂拾いとして、それらを少し追記しておきたい。
まず、ボンバーマンは32Kと書いてあるのだけど、なんと16Kの中にプログラムは収まってしまっている、とのことだった。しかもそのうちの8Kは爆発音だというのだからポカーンである。
と、書かれていてはっとしたのだけど、パスワードはもしかしたらそうかもしれないと思った。
確かにハイドライドスペシャルより前にボンバーマンがあったわけで、ボンバーマンを見る⇒パスワードでコンティニューできる⇒これでRPG作れるじゃん! であった可能性は十分にある。
それから忍者ハットリくんのプログラムはやはり奥野さんらしい。
wikipediaなどに書かれている中本さんについては、ほぼ何もしていなくて、インタビューなどで出ていたからプログラムと勘違いされているのではないか、とのことだった。
というわけで、また増えるかも知れないが、落穂拾いだった。
ところで、ナムコのサードパーティ参入の話を誰かまとめてくれよ…
特に大事な人たちが大喜びしてくれたくさいので、まあもう文句はない。
で、これが不思議なのだけどw 書いて出すと人から細かい情報がまた集まってくる。
落穂拾いとして、それらを少し追記しておきたい。
まず、ボンバーマンは32Kと書いてあるのだけど、なんと16Kの中にプログラムは収まってしまっている、とのことだった。しかもそのうちの8Kは爆発音だというのだからポカーンである。
■ハドソン関係者
復活の呪文を採用したのはコンシュマーではボンバーマンが最初だったように思う。
あれでかなり変な動作する物があったけど、中本さん本人も原因不明と言っていたものがありました。
復活の呪文を採用したのはコンシュマーではボンバーマンが最初だったように思う。
あれでかなり変な動作する物があったけど、中本さん本人も原因不明と言っていたものがありました。
と、書かれていてはっとしたのだけど、パスワードはもしかしたらそうかもしれないと思った。
確かにハイドライドスペシャルより前にボンバーマンがあったわけで、ボンバーマンを見る⇒パスワードでコンティニューできる⇒これでRPG作れるじゃん! であった可能性は十分にある。
それから忍者ハットリくんのプログラムはやはり奥野さんらしい。
wikipediaなどに書かれている中本さんについては、ほぼ何もしていなくて、インタビューなどで出ていたからプログラムと勘違いされているのではないか、とのことだった。
というわけで、また増えるかも知れないが、落穂拾いだった。
ところで、ナムコのサードパーティ参入の話を誰かまとめてくれよ…
2013-06-04 Tue [ 昔のこと ]
USTで乱暴に喋ったことをちょっとまとめておこうと思ったので書いておく。
スーパーグラフィックスの大魔界村は、発売はNECアベニューだったが、移植はハドソンで行われていて、そして実際に移植したのはアルファシステムのメンバーだった。
プログラマは二人。一応Y君とS君と呼んでおく。20年経っても名前を出していいかは判断しかねるので。ちなみにアートは、あにやんと呼ばれていたヤツが頭でやっているのだけど、彼とは『凄ノ王伝説』で仕事してたりする。
記憶ではY君は『NO・RI・KO』を佐々木社長とやっていたはず(『ファイティングストリート』もやってたかは覚えてない)。それで『イース1・2』を作るとき、横でずっと『大魔界村』の移植をしてて、そのあと『天外2』のとき一緒に仕事した。コードの最初から『天外2』にいて、最後までいた。
S君は『大魔界村』のあと、アルファシステムに帰って何作かシューティングゲームを作ったはず。
で、S君とは一度一緒にアルファシステムで仕事をしている。
もう20年も前の話だから書いていいと思うので、タイトルをばらすと『バイオレント・ソルジャー(IGS)』。
シューティングが大好きなので、短い期間ながら、バランス&レベルデザインをやれたのでワクワクしながらやらせてもらった。
僕の経歴の中で、アマチュアでなく一度だけ作れた横スクロールのシューティングゲームの仕事で、スタッフロールにもペンネームで載っている。世の中、ペンネームで、名前を出せない仕事もあるとブログで書いたことがあるけれど、これはその一例だ。
ちなみにちゃらっと書いておくと、スタッフロールの最後の方にある"come back summer vacation"は、このプロジェクトの進行が遅れていたもので、スタッフは夏休みを返上して必死で作っていたからだ。
続きを読む▽
スーパーグラフィックスの大魔界村は、発売はNECアベニューだったが、移植はハドソンで行われていて、そして実際に移植したのはアルファシステムのメンバーだった。
プログラマは二人。一応Y君とS君と呼んでおく。20年経っても名前を出していいかは判断しかねるので。ちなみにアートは、あにやんと呼ばれていたヤツが頭でやっているのだけど、彼とは『凄ノ王伝説』で仕事してたりする。
記憶ではY君は『NO・RI・KO』を佐々木社長とやっていたはず(『ファイティングストリート』もやってたかは覚えてない)。それで『イース1・2』を作るとき、横でずっと『大魔界村』の移植をしてて、そのあと『天外2』のとき一緒に仕事した。コードの最初から『天外2』にいて、最後までいた。
S君は『大魔界村』のあと、アルファシステムに帰って何作かシューティングゲームを作ったはず。
で、S君とは一度一緒にアルファシステムで仕事をしている。
もう20年も前の話だから書いていいと思うので、タイトルをばらすと『バイオレント・ソルジャー(IGS)』。
シューティングが大好きなので、短い期間ながら、バランス&レベルデザインをやれたのでワクワクしながらやらせてもらった。
僕の経歴の中で、アマチュアでなく一度だけ作れた横スクロールのシューティングゲームの仕事で、スタッフロールにもペンネームで載っている。世の中、ペンネームで、名前を出せない仕事もあるとブログで書いたことがあるけれど、これはその一例だ。
ちなみにちゃらっと書いておくと、スタッフロールの最後の方にある"come back summer vacation"は、このプロジェクトの進行が遅れていたもので、スタッフは夏休みを返上して必死で作っていたからだ。
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2013-03-27 Wed [ 昔のこと::古の技術 ]
twitterで、X1やSMC-777などのVRAMがI/Oポートの先にある設計をおかしいハードだと書かれていたので「あー、今の目で見るとわからんか」と思うと同時に、それがゼンゼンおかしいどころでなく、とてもリーズナブルな設計の一つであったのだ、という話をここに書いておこうと、突然思ったので書く。
まず、当時のパソコンでとても主流だったグラフィックスを解説すると640x200。
RGB1ビットずつのデジタル8色。縦横8で割るとわかるが80x25。つまり当時のキャラクタ画面のドットに1:1対応するグラフィクスだ。
これRGB、それぞれのプレーンのサイズをKBで表すと16KB。
今から見ればカスのようなサイズだけど、アドレスバスが16ビットしかない8ビットマシンでは大問題になる。
続きを読む▽
まず、当時のパソコンでとても主流だったグラフィックスを解説すると640x200。
RGB1ビットずつのデジタル8色。縦横8で割るとわかるが80x25。つまり当時のキャラクタ画面のドットに1:1対応するグラフィクスだ。
これRGB、それぞれのプレーンのサイズをKBで表すと16KB。
今から見ればカスのようなサイズだけど、アドレスバスが16ビットしかない8ビットマシンでは大問題になる。
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2013-02-28 Thu [ 昔のこと::ハドソン関係 ]
1988年にハドソンに行ったとき、PCエンジンのCDROMのBIOSのプログラム書いたり、PCエンジンのROMゲーム(デビュー作だよ!)『凄ノ王伝説』作ったり、他のゲームのデバッグ手伝ったりと、まあ仕事を満喫していた。
ついでに書けば、気が向けば平気で12時間以上プログラムしてたりとか、メチャクチャな勤務だったわけだけど、まあそんなのは若気の至りってヤツだ。
このころ、アルファシステムの連中は僕と一緒に『凄ノ王伝説』作りながら、他に『ファイティングストリート』と『No・Ri・Ko』も作っていたんだけど、もちろん、この2つはCDROMのゲームで、ほとんどコンソール史上初めてのCDROMゲームだった。
もちろんこの2作もCDDA(CDオーディオのこと)がゲームミュージックに使われるのは決まっていた。
そして、本当にCDROMに感動した瞬間は『ファイティングストリート』に曲がついた瞬間だった。
曲がテープを経由して、CDROMエミュレータに突っ込まれ、
「岩崎さん、CDの曲が鳴るよ!」
とか言われて「ホントホント!? 見る見る」とか、興味津々で見に行って(と言っても、横3メートルほどのところで作ってたわけだけど)、目の前で『ファイティングストリート』の曲がCDDAで鳴った瞬間、本当に感動した。
もちろん、頭のなかで「CDDAが鳴る」ことはわかっていたし、そういうクオリティのゲームを見たことはあった。例えばレーザーディスクゲームはCDDAと同じようなクオリティのサウンドは鳴ったし、喋ってもいた。でもだ。目の前で「家庭用ゲームマシン」から、その音が出るスゴサってのは、筆舌に尽くしがたいものがあった。
なんせそれまではせいぜいFM音源で感動していたレベルだった。
それがいきなりCDDAになったのはジャンプしたなんてもんじゃなくて、別次元に飛び込んだ感じだった。そして、CDDAはCDROMの絶対的な武器で絶対に使うべきだと確信した瞬間でもあった。
長くゲームと関係してきて、これと同じぐらいインパクトがあったときっていうと、スペースハリアー見たとか、PS1でリッジレーサーが動くのを初めてみたとか、ホントそういう数えられるほどしかない瞬間だったと思う。
25年も昔の話だけど、やっぱり歴史が変わった瞬間だったよなあと思うのだった。
ついでに書けば、気が向けば平気で12時間以上プログラムしてたりとか、メチャクチャな勤務だったわけだけど、まあそんなのは若気の至りってヤツだ。
このころ、アルファシステムの連中は僕と一緒に『凄ノ王伝説』作りながら、他に『ファイティングストリート』と『No・Ri・Ko』も作っていたんだけど、もちろん、この2つはCDROMのゲームで、ほとんどコンソール史上初めてのCDROMゲームだった。
もちろんこの2作もCDDA(CDオーディオのこと)がゲームミュージックに使われるのは決まっていた。
そして、本当にCDROMに感動した瞬間は『ファイティングストリート』に曲がついた瞬間だった。
曲がテープを経由して、CDROMエミュレータに突っ込まれ、
「岩崎さん、CDの曲が鳴るよ!」
とか言われて「ホントホント!? 見る見る」とか、興味津々で見に行って(と言っても、横3メートルほどのところで作ってたわけだけど)、目の前で『ファイティングストリート』の曲がCDDAで鳴った瞬間、本当に感動した。
もちろん、頭のなかで「CDDAが鳴る」ことはわかっていたし、そういうクオリティのゲームを見たことはあった。例えばレーザーディスクゲームはCDDAと同じようなクオリティのサウンドは鳴ったし、喋ってもいた。でもだ。目の前で「家庭用ゲームマシン」から、その音が出るスゴサってのは、筆舌に尽くしがたいものがあった。
なんせそれまではせいぜいFM音源で感動していたレベルだった。
それがいきなりCDDAになったのはジャンプしたなんてもんじゃなくて、別次元に飛び込んだ感じだった。そして、CDDAはCDROMの絶対的な武器で絶対に使うべきだと確信した瞬間でもあった。
長くゲームと関係してきて、これと同じぐらいインパクトがあったときっていうと、スペースハリアー見たとか、PS1でリッジレーサーが動くのを初めてみたとか、ホントそういう数えられるほどしかない瞬間だったと思う。
25年も昔の話だけど、やっぱり歴史が変わった瞬間だったよなあと思うのだった。