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ああ、夢のホームコンピュータ
これは『電撃王』に載せていたコラムの中で思い入れが深いものを、細かくアップトゥデートして載せようという試み。

■■■

 僕がコンピュータを始めた1977年頃、良く「マイクロコンピュータには無限の可能性がある」と言われていた。
 理由は、当時存在していた普通のコンピュータに比べれば桁違いに安いこと、そしてコンピュータはプログラムが可能だから、インターフェースを用意してプログラムさえ出来ればなんでも出来ること。
 この二つから、無限の可能性と言われていたわけ。
 その星の数ほどもある可能性って奴の中でも、ひときわ注目を浴びていたのがホームコンピュータ
 「ファミリーコンピュータ」じゃなくて「ホームコンピュータ」‥って言っても、今じゃ死語みたいもんで、本当の意味が分からない人が多いだろうから説明しよう。
 ホームコンピュータは、文字どおり家庭の中心にあり、家の中のあらゆるものをコントロールするパソコンを指した言葉。
 これ一台あれば、炊飯器もTVもビデオも、なんでもホームコンピュータからボタン一個で簡単にコントロール出来て、家の中がなんでも、あなたの思うままになります! 夢の21世紀の生活を約束するもの、それがホームコンピュータ!!
 この「ホームコンピュータ」から派生して出来た「ホームオートメーション」って言葉もあったぐらいで「ホームコンピュータは21世紀にはXX兆円市場になる!」なんて本気で言われていた。(オートメーションの方は、ホームコンピュータと組み合せて全自動化された家とか部屋や、そこに入る自動化された家電製品のイメージだった)
 現実にそれを期待させるいろんな記事があったのも事実。
 例えば僕が初めて読んだ入門書の一つ、安田寿明先生の著作「マイ・コンピュータ入門(講談社ブルーバックス)」(余談だけど、この入門書は当時の名作で6800のベーシックの完全なリストは載っているわ、ハードの回路図は載っているわの凄い本だった)でもピアノをコンピュータを使って自動演奏させたってエピソードが載っていたりしたし、当時の古いアスキーをひっくり返すと「MZ-80KでFMチューナーを制御する」なんて記事があったり「ホームコンピュータが入った未来の家」の想像が堂々と載ったりしていた。
 誰もがホームコンピュータは現実のモノとなる! もしくは「現実になればいいな!」と思っていたわけなんだな。
 ではそれがいつ現実になったかと言えば、初めてホームコンピュータとして発表されたのはヤマハの「ワイズ」だと思う。
 さすがに古い記憶なんでうろ憶えなんだけど(資料がないんだよ、これが)例えば「ピアノの自動演奏システム」(おいおい)とか「窓の開閉システム」とかの、まさに「ホームオートメーション」を現実化するものだった。
 ただし、お値段がベラボーで自動演奏システムは500万円! 開閉システムは300万円!‥これじゃ買えないよねぇ。
 けれどそこにホームコンピュータの夢を見ることは出来た。これさえあれば、なにもかも自動になって夢の生活になる、そしてボタン一個で生活出来るようになる‥と夢見たんだ。この夢はその後に現れたMSXにも受け継がれていたし、他にも色々なパソコンにホームコンピュータの指向は何度も現れて、何度も商品化されて来た。(最近ではその最新の試みはCD-Iだろうか‥)
 では「ワイズ」から10年以上が過ぎた今、この僕の生活を見たとき、夢のホームコンピュータが定着したんだろうか?(現在での注:もちろん、現在は20年以上過ぎた
 どこの誰の家にもそんなモノはありゃしないのは確かだ。
 どうしてそうなったんだろう?
 答えは火を見るよりも明らか。
「コンピュータが途方もなく、その当時のどんな人間の想像を絶するほど安くなってしまったから」
 はっきり書いてしまえば「ホームコンピュータ」なんてモノは「コンピュータがある程度以上安くなるとは思っていない」から出てくるアイディア。値段が高いと思っているから、炊飯器に直接コンピュータを入れるなんて考えられなかったし、冷蔵庫にもビデオにもコンピュータを入れるなんて想像しなかったわけ。
 コンピュータは外に鎮座していて、そこに線をつないで、コンピュータでコントロール可能な安い冷蔵庫や炊飯器をコントロールする‥この思想になってたわけだ。
 ところが実際に何が起こったかと言えば、まさにムーアの法則恐るべき。コンピュータのチップ単体なら10円単位で計れる価格になってしまった。(現在の注:今では1円単位で計ることができる。それどころかRFIDに至っては銭単位だ
 こうなると「線でつないで、外にあるコンピュータにプログラムを入れて制御する方法」よりも「その機械に直接コンピュータと専用プログラムを入れて、その機械単体で動作する方法」の方が遥かに安くなってしまう。
 おまけに機械とコンピュータが1対1で対応するってことは機械の一つ一つが知能化されているってことで、このメリットがまたとてつもなく大きくて「ホームコンピュータ」の考え方では難しかった「綿密に24時間、常に温度管理されている冷蔵庫」だとか「赤外線で距離を測定して自動的に焦点を合わせるカメラ」だとか「センサーでホコリの状態を検知して吸う強さを変化させる掃除機」なんて、とんでもないものが出てきてしまう。
 ホームコンピュータなんて頭デッカチを家に置くよりは「頭のいい機械」を作る方が良かったわけ。
 そんな訳で、今の僕の生活には頭のいい掃除機や冷蔵庫はいるけれど、夢のホームコンピュータはどこにもいない。
 コンピュータらしいコンピュータは相も変らずパソコンだけって状態なわけ。(現在での注:今では、例えばPS3やX360があれば、下手なPCより性能が上だったりするし、テレビや携帯電話ですらちょっとしたパソコンまがいのことができるところまで来ている
 けれど、コンピュータの入っている「頭のいい電気製品」を見ているときにふと思うことがある。結果的に見れば仇花になってしまった「ホームコンピュータ」の思想だけれど、その当時の人の描いた夢は、小さな小さなチップになって家の中にあるいろんな機械の中に生きている。
 そして、彼らの奏でる小さな音は夢に終ったホームコンピュータに捧げる鎮魂歌だって。

■■■

これを書いたのは1995年、電撃王。
少し手直ししたけれど、今の僕では書くことの出来ない文体で、イヤー参ったなと思ってしまう。
どうしてこれをアップロードしたのかというと、今のご家庭には、やっぱり相変わらずホームコンピュータはないけれど、ホームネットワークは出来上がり、結構夢の生活が実現されているから。例えば自分の部屋では、PCやストレージデバイスやいろんなものがネットワークに無線やら有線でつながり、普通にインターネットを経由して様々なサービスが行われていて、それは30年ぐらい前、最初にホームコンピュータのアイディアが出てきたとき、夢の生活として宣伝されたものにかなり近かったりする。

家の中のハードが全部知能化して、さらにそれぞれがネットワークで繋がる…なんて、まるで想像出来なかったよなあ、と思ってしまうのだ。


|| 15:37 | comments (1) | trackback (0) | ||

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光り輝け、スーパーロボット
電撃オンラインだったか、どこだったかに書いた文のオリジナル版。
書いたのは2001年の2月27日。ファイルの日付がそうなってたからまず間違いないかと。
自分的には結構気に入ってる。ちょっとだけオリジナルから文章のアップデートはかけてある。

僕とスーパーロボット大戦シリーズのつきあいはSFCの『第三次スーパーロボット大戦』からあとは全てプレイしている…と、そんなつきあいである。
まあ、知らない人はいないと思うが、どんなゲームなのかをちょいちょいと説明しておこう。
たいてい、時代は未来。ガンダムが普通な頃に、ジオン公国とか、ネオジオンとか、はたまたそのあたりの、ガンダム系の敵が戦争を起こす。それに宇宙人やら地底人やら恐竜人類やら、古代ムー帝国やらが絡んできて、地球圏は大混乱に陥る。それをなんとかするために、あちこちの秘密基地やら、怪しい研究所やら、それとも宇宙人の遺産やら、ともかく宇宙のスーパーロボットとスーパーヒーローが一大集結して、悪と戦うのである!
初めて聞いた人は「なんじゃそりゃー」だろう。
そう、スーパーロボット大戦は、簡単に言うなら、古今の有名スーパーロボットがスポンサーと権利関係の許す限り集合して戦う、究極のゴッタ煮ゲームなのだ。(新注:最近は残念なことに鬼籍に入られた声優の方も出てきてしまったため、権利関係と声優さんが許す限り、が正しい感じになってきた)
そして、SFCの第3次は半年間、20回ぐらいクリアしたりするほどハマったし、それ以降もやり続けているのだから「どう考えたって、面白いんじゃあ」と言いたいところだが…こいつはちょっと疑わしい。
というのもだ。
スーパーロボット大戦は、ある意味「イカサマ」なのだ。
だいたいだ。
子供心にときめいたスーパーロボット(それも上は40歳以上にもなるオジサンの心を狙撃するマジンガーZから、下は15歳ぐらいの子供でもラブリーな気持ちになるターンAガンダムだのエヴァンゲリオンまで)が勢揃いしているのだ。
そして、その心のヒーローたるスーパーロボット(+パイロット)達を自分が操れるのだから、普通のゲームで四苦八苦する感情移入も全然問題なし。当たり前だ。
また、当たり前だが、敵も極めて分かりやすい。
「ミケーネ帝国」だろうが「キャンベル星人」だろうが、だいたい世界征服を狙っているし、登場キャラクタも、みなが知っている奴ばかりで説明無用。普通なら隠されているラスボスの名前まであまねく知れ渡っているのだから、話は簡単。敵も味方も、子供の頃から知った顔の、それもヒーローだの有名な敵役が勢揃いしているのだから、感情移入できなきゃ嘘だ。それだけで面白い。
だからイカサマ。
題材で勝っちゃっているんだから「それなりにまともなゲーム」ならば、面白いに決まっている。ところが「スパロボはものすごくちゃんとできたゲーム」だったので、メチャクチャ面白いわけだ。
実際、スーパーロボット大戦シリーズは、ゲームはファイアーエンブレム以来、極めてメジャーになったSRPG(シミュレーションRPG)の典型的なシステムなのだが、ロボットの特性をうまく伝えるようなパラメータ設定や、いわゆる魔法なんだけど「スーパーロボット世界」にうまくあっている「精神コマンド」、さらに改造や強化パーツなどがうまく組み合わさって、ロボットアニメの雰囲気をうまく出すことに成功しているシステムだと思う。
こうして出来ているスパロボは感情移入もは完璧だが、問題も実はタップリあるのが、またこのシリーズの面白いところだ。
まず世界観。
それらしく作ってあるフリはしているが、統一性はゼロ。まあ、これも仕方ない。
だいたい20も30も敵対勢力があって、その全部がたいてい地球征服を狙っているのだ。まともな話・世界観なぞ出来るわけもない。
世界を作るにしても、適当に切り張りして、つなぎ合わせて作る以外に方針があり得るわけもないし、話も同じで、登場人物が数十人以上になり、しかも矛盾だらけの世界観の中にいるのだから、メチャメチャになるに決まってる。シリーズ初期の「出てくるロボットの数が少なくて、なんとかごまかせた」頃を除いては、「どんな話」だったのかが、さっぱり説明できないモノばかりだ。
例えば、僕は最新作であるワンダースワンの「スーパーロボット大戦コンパクト2全3部作」をクリアしたところだが、話を説明しろと言われても困ってしまう。「謎の敵が出てきた」ことと、主人公がそれに関係していたことぐらいしか説明出来なくて、他、どんなことがあったのかと聞かれれば、アニメで出てきた名場面がいっぱいゲームで再現されていたなあ、と言えるぐらいだ。
(新注:ちなみにコンパクト2は後に全部統合されインパクトとなってPS2で発売された)
だが、もっと問題なのはゲームバランスだ。
だいたい常識的に考えて、TVで当たれば必殺、どんな奴も叩き殺してきたコンバトラーVの超電磁スピンガンダムのビームライフル、どっちが強いと言われても困ってしまうし、ダイアモンドよりも固い超合金Z、その超合金Zよりも1000倍固い(と、当時呼んだマンガに書かれていた記憶があるが…)超合金ニューZ。これらで装甲されたマジンガーシリーズの装甲強度を数値化しろと言われたって、やっぱり困る。
常識的な考え方でパラメータに無理矢理割り振れば、ゲームにはなるだろう。確かにスパロボはそれでゲームになっているし、一応、それなりにバランスも取れているように見える。また、プロである以上、そうして作るのは当たり前だ。
だが、これは次の問題を引き起こす。それは最初の「心のヒーローが総登場する」が、逆にゲームに襲いかかってくるのだが「己の贔屓ロボが弱い」、あるいは「このロボットが強すぎる」という話である(笑)。
例えば、僕の心のヒーローは兜甲児であり、究極のヒーローロボットはマジンガーZである。
この僕にとっては、およそ「超合金Zで出来ているマジンガーZの装甲が、核融合程度のエネルギーで動いている量産品のモビルスーツのビームライフルごときで撃ち抜けるワケがない」のだ。
また、これの変形で「ショウ・ザマのオーラ力に対抗出来るモノがあるはずがない」、「断空砲を浴びて敵が生きていられるはずがない」、「アムロ・レイにシャア・アズナブル以外の撃つ兵器が当たるハズがない」、「ドモン・カッシュのシャイニングフィンガーに耐えられるキャラがいるはずがない」…まあ、ともかく文句は、それぞれのファンからは山のように登場するのは間違いない。
要は「ご贔屓キャラが弱い」とたちまち「ゲームバランスは、そのプレイヤーに取っては悪い」ことになってしまうわけだ。
ところが、例えば、この僕の趣味を満たすスパロボを仮に作るとだ、マジンガーZは実質無敵でゲームバランスがどうこうという話以前だし、断空砲がそこまで強かったら、やっぱりゲームバランスは崩壊だし、攻撃の当たらない敵もやっぱり無敵だし、ゲームとして破綻してるのは確かだ。
すなわち、極論するならば、スパロボでは「常識的な意味でのゲームバランスを取る」=「ゲームバランスを悪くする」と言っても過言ではない、とんでもない状況があるわけだ。
これは解決出来ないどうしようもないジレンマなので、スパロボのゲームバランスが良いと言われることはないだろう…なんて思ってしまうのだが、実はこれを解決する「圧倒的なアイディア」が一つある。
それは、一度目のプレイはメーカーが提供するバランス(いわゆる普通のゲームバランスが取られた<おとなしいスパロボ>)だが、2回目からは「登場キャラの登場時のレベル」から「ロボットの攻撃力」から、全部自分で設定してプレイ可能、というものだ。
こうすれば、2回目からは「ご贔屓のキャラはこの世のモノとは思えない強さ」にすることが出来て、どこの誰もが満足出来る作品になるのではなかろうか?

というわけで、スパロボX年選手の僕は、次の作品では、このシステムを入れて欲しいなあ、なんて思ってしまっているのだった。

スパロボ大好きで、スパロボのあるマシンはスパロボ出るたびに買う、なんてマネをしていた時代があった。それがナデシコが良く入るようになったあたりから、スパロボは自分の好みの(つまりオヤジ好きの)ラインから外れだし、Dあたりを最後に自分の好みとは「ちょっと違うんだよなあ」ってスパロボになって(つまりオヤジの好きなキャラが減ったってことだ)、以降は「ちょっといいなというラインアップのときだけ、つまみ食いするゲーム」になっていた。
(僕はナデシコという作品を最初から最後まで見たが、いまだ何が面白いのかすらわからないぐらい、自分と合っていない。でこれが母艦になってやたら出てくるようになったところで、どうにもこうにもキツくなったというのもあるけど)

そんな僕ですが、久しぶりに本気で欲しい! と思ったスパロボがコレ。

自分が欲しかったラインナップ勢ぞろいで、久しぶりに欲しくなりましたよw

ところで、お気づきと思うが、これは、このアフィリエイトをつけてはいるが、さっぱりやる気のないブログでこういうアフィリエイト記事(?)をやったら、果たしてどんだけの人数がクリックするだろうか? というギモンを思い切り解消するための実験であるw

|| 01:00 | comments (2) | trackback (0) | ||

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集え! ナイコン野郎ども!
これは『電撃王』に載せていたコラムの中で思い入れが深いものを、細かくアップトゥデートして載せようという試み。
新たなコメントは【注】、最初からあったコメントは【原注】と表記している。

■■■


 「ナイコン」…これってワケのわかんない言葉だよね。
 この「ナイコン」、なにかって言うと、1976~80年ごろのマイコンはとてつもなく高くて、なーんの使い道もないし、なーんの実用性もないから親が買うわけもなくて、そして値段が高いから子供の小遣いで買えるわけもない代物だった。
 けれども欲しい。
 しかたないから雑誌を買ったり、本を読んだりして紙上でプログラムを勉強し、店先のコンピュータでプログラムを打ち込む、そんなコンピュータを持っていないコンピュータマニアを「コンピュータを持っているマニア=マイコン族」の逆、「ナイコン族」と呼んだわけ。

【注】 当時はパソコンではなく、マイクロコンピュータを略して「マイコン」と呼ばれていた。で、この「マイ」が「マイ・ホーム」なんかの「マイ」と同じなんで「マイ・コンピュータ」とも引っかけられていた。
だから「ナイ・コン」なんて言葉が成り立つ余地があったワケだ。


 ところで「なーんの実用性もない」と書いたけれど、これはマイコン黎明期、つまり1976-80頃のマシンのパフォーマンスを考えれば当り前。
 フルセットのシステム、本体、専用グリーンディスプレイ、放電プリンタ、それにディスクを揃えれば(ディスクは存在すればだけど)100万円以上は当り前。その癖してメモリは8~20キロバイト程度。(奇跡的に32キロとか64キロってシステムは存在したけど)
 漢字も出ないし、ソフトを立ち上げるのはだいたいカセットテープで、運良くテープリードエラーが起こらなくても立ち上げるのに10分以上かかる。だいたいそのソフトからしてベーシックがあれば運がいい方。
 当然「市販ソフト」なんてないし、ましてやワープロ・スプレッドシートなんてまったくない。(漢字が出ないんだからワープロが出来ないのも当り前だけど)
 パワーもなければソフトもない。まさにないないづくしな代物だったわけ。

【注】 
■グリーンディスプレイ
当時はカラー表示なんて高級なマイコンにしかなかった。で、目が疲れない専用ディスプレイとして緑の文字を出すブラウン管があったのだ。
■放電プリンタ
当時主流だった安くて、それなりに使えるプリンタ。アルミ蒸着された特殊な紙を放電で焼くから「放電プリンタ」と呼ばれた。
■カセットテープ
オーディオ用のカセットテープを利用して、当時はデータやプログラムのセーブが行われていた。速度は110~2400bps。


 こういうポンコツが電気屋の店先で麗々しく「マイクロ・コンピュータ(無限の可能性を持つ!)」として飾られていたわけだけど…電気屋の店員にとっては、こいつはまさしく頭痛のタネだった。
 「なーんにも使えないゴミのごとき商品」なのに「やたらめったら商品説明が難しい」のだ。
 実はこのことは今でも本質的には変らない。コンピュータほど「何に使えますか?」と聞かれて困る物も珍しい。
 プログラムを組んで、周辺機器を作れるなら(しかもとんでもなく難しいわけでもない。ある程度の努力をすれば誰でも出来る(!))炊飯器の制御だろうと、シャッターの開け閉めだろうとワープロだろうと電話の制御だろうと、およそ考え付くことなんでも出来るんだから「何に使えますか?」と言われて困るのが当り前。
 今は単に「ワープロ」とか「ゲーム」とか「表計算」とか「データベース」なんかに代表される『コンピュータでやれること』を普通の人が認識しているから、店の人も「ワープロに使える」とか「家計簿に使える」って言うだけ。

【注】 ここにインターネットとメールが入っていないのは、当時はインターネットもメールも普及していなかったから。当時、パソコン使う上で最も大きな要素はワープロだった。


 コンピュータに出来ることが1977年当時から変ってしまったわけじゃない。
 単に1977-80年当時のマイコンでワープロとか表計算をするのには1000万円とか2000万円とかの家が一軒買えるほどの金が掛かっただけで、出来ないわけではなかったのだ。

 当時のコンピュータでリーズナブルな金の範疇で出来ることは「単純なゲーム」と「ベーシックを動かしてプログラムを組んで遊ぶ」だけだった、と言うのが正しいわけ。
 だけど「単純なゲームを自分で組んで遊べます」じゃマニア以外は買わないから「無限の可能性を持っていてプログラムでなんでも出来る」なんてかっこいい台詞で何も知らない素人に押し付けていたわけ。
 それでもまだ、こんなワケの分からない商品を面白がって触るのは好奇心旺盛な人間、それも一部の新しいモノ好きの金持ちだけ。店の売り上げから見れば「小さな商売」だったのだ。
 そこに「マイコンブーム」ってのが起こって、マイコンは一般に広く名前が知られるようになり、一般の人の興味を引くことになった。
【注】 マイコンブーム時代、出来るサラリーマンはBASICを使いこなす、なんて本まであった。とても信じられないだろうが。

 店にマイコンを買いに来る人は後を絶たなくなり、店の売り上げはどんどん伸びた。ところがコンピュータは「拡張機器」とか「ソフト」って奴があるおかげで、売りっぱなしあとは修理以外は知りません、なんて言えるもんじゃない。
 アフターサービスが当時の他の電気商品より遥かに複雑だったわけだね。
 だから電気屋の店員は、売ってもいないソフトのサポートをしないといけないし、ブームのおかげで、どんどん新製品が出るしでとんでもなく大変だった。
 そこに現れた便利な「ヤツ」がナイコン族(マニアだけどね)。
 ナイコン族は新製品を店員よりも良く知ってたし、店にとっては複雑な商品も簡単にセットアップしたし、分からないことも聞けば知っていて教えられる便利な人だったわけ。
 結果的に、店とナイコン族の間にはある種の共生関係が出来てきた。
 店にある機械を使わせてあげることで、ナイコン族は毎日店に現れるようになり、寄せ餌になって他のマニア(買えるぐらい金を持っている人もいるってわけ)も集まってくる。
 結果的にナイコン族は客集めまでしてくれるほとんどタダで働くおいしいバイトだったわけ。
 皮肉な見方をすれば、ブームが起こった状態ですら、その程度の市場で、実用性がなかったってことの裏返しな訳だけどね。
 では、その毎日現れるナイコン族は店で何をやっていたのか?
 なんと驚くべきことにプログラムを組んで遊んでいたのだ。
 学校から帰れる4時頃には店に現れ、店が閉まるまでプログラム。日曜は朝の10時から夜の7時に店が閉まるまでプログラム。まさに店に居座ってプログラムをしていた。(いやまったく今から考えれば唖然とする話だ。今で言えば店先のマシンでゲームを遊んでいるのに感覚的には近いと思うけど、それにしても無茶だ)
 なにせ、電気店なら自分の小遣いじゃ高くて買えないマシンもタダで使えるし、機種もたくさんあったし、メモリもだいたい目一杯に拡張されていた。
 寝転がったり出来ないのを除けば、家でプログラムをするよりよっぽど楽しい場所だった。
 てなわけで1977年頃から、電気屋のコンピュータが置いてある場所(コンピュータショップなんて気の利いたものはまだなかった)はナイコン族の溜り場となって、来る日も来る日も、マニアがプログラムを作っている不思議な場になっていった。
 なにを隠そう、愛機を持っていた僕も「店に棲んでいるマニア」の一人だった。中学~高校の受験勉強なんてそっちのけで毎日コンピュータと共に暮らしていたってわけ。
【注】 ここに書かれていることは、今の人達に取って全く信じられない話だろうが、嘘も偽りもない本当だ。僕の場合には学校が終わったらともかく店に来て、店で4時-8時ぐらいまでプログラムし、そのあとゲーセンに行って遊ぶという生活をしていた

 こうして店に集まったマニア達。
 毎日、同じ顔ぶれを見ていればだんだん顔なじみになるし、話もするようになる。話が合えば友達になっていく。(だいたいコンピュータの事しか話さないんだから合うに決っている)
 段々、顔なじみが確実に集まるようになっていき、人数も増える。なんとなく仲間意識も出来て来る。
 そしてある日、誰かが言い出した。

「コンピュータ倶楽部を作ろうじゃないか」


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|| 01:47 | comments (0) | trackback (0) | ||

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夢のスタートレック
これは『電撃王』に載せていたコラムの中で思い入れが深いものを、細かくアップトゥデートして載せようという試み。
新たなコメントは【注】、最初からあったコメントは【原注】と表記している。

■■■

 誰でも生まれつきプログラマってわけじゃないけれど、世の中にはプログラマになってしまう人もいる。これはそんなプログラマになってしまった僕のコンピュータと出会ったころの物語だ。
【注】 今だからバラしてしまうと、この文章は僕が敬愛するロジャー・ゼラズニイの中でも最も好きな作品の一つ「その顔はあまたの灯、その口はあまたの戸」(早川文庫刊・『伝道の書に捧げる薔薇』)の最初の文章をもじりだったりする。

 話は遥か昔…そう僕がまだ中学生だったころ。アメリカで「スターウォーズ(現在で言うエピソード4 A NEW HOPE)」が公開され、大ヒットを飛ばしていた1977-78年に遡る。
 僕は筋金いりのSF少年で日本公開を心待ちにしていた。公開されるまでの間、少しでも内容が知りたかったのでスターウォーズ情報が載っている本はなんでも買っていた。
 そんなある日、本屋で見つけた豪華増刊「文藝春秋デラックス:宇宙SFの時代」。この本が、僕をコンピュータに向かわせるきっかけになった。
(余談だけど、この本、やたらと出来が良かった。今では手元にないのが残念だ)
 本の中には目当てのスターウォーズの記事はたっぷりあった。伝説的な映画作品、禁断の惑星・惑星ソラリス・2001年宇宙の旅・サイレントランニングなどなどの情報もタップリ載っていて、見所満載だった(当時はビデオがなかったので映画館で再公開されるかテレビで放映されない限り見ることが不可能に近かった)。
でも、それ以上に僕を引きつけた記事があった。
それは「小松左京父子がスタートレックに挑戦する」
 記事の内容を簡単に説明すると、アップルIIのゲームスタートレックに小松左京父子が挑戦する様子を実況風におもしろおかしく文章にしたものだ。
『コンピュータ上で動くゲーム!』
 まったく大変なショックだった。
 僕はラジオ少年だったからマイクロコンピュータが出来たのは知っていた。けれど当時、コンピュータは魔法とほとんど同義語で、出てくるイメージはSF映画や小説に現れる万能に近い「電子頭脳」か、はたまた新幹線とかの予約に使われている神秘のベールに包まれた機械だった。(コンピュータでやるから間違いなし! なんて良く言われていた。ウソつくなよ)
 まさか個人でコンピュータが持てるなんて思っていなかったし、ましてやそれで複雑なゲームができるなんて想像もしていなかった。
 スタートレックの強烈なイメージは僕の頭の中に住みついてしまった。寝ても覚めてもスタートレックの事ばかり考えているし、スタートレックで遊んでいる自分が夢の中に出てくる始末だった。
【注】 宇宙SFの時代は、エメドラのなんかでファンの人が持ってきてくれたおかげで読むことが出来た。古本なら手に入るから買おうかいつでも考えてしまう本だったりする。また、この当時は「電子頭脳(今で言うコンピュータ)は間違えない」ことになっていた。今ならお笑い種だ。

 そこまで思いが募ってアップルIIを買うのを我慢できるわけがない。電気屋を探し回った末、つにアップルIIの置いてあるところを探し出したのだが…お値段なんと48万円!
 唖然呆然。僕の目玉は飛び出した。
 48万円! 今なら軽く100万円以上するのと同じ感覚だろう。
 それだけの大金を払うマシンのスペックはどうかと言えば、6502のクロック1.7メガちょい。メモリ16キロバイト(標準)、40x25の固定16色低解像度(!)グラフィックと、メモリを拡張すれば使える280x192の4色『超』高解像度グラフィックス(16キロ拡張するのに、軽く10万以上かかる。のちに6色まで出せるように改良された)。
 ベーシックしか動かないし、フロッピなんかなくてカセットテープにセーブするしかない(正確にはフロッピはあるにはあったけど、途方もない値段で買えるような代物じゃなかった)。
 ‥‥今ではどう控え目に見ても、小学生用の電子手帳にも負けてしまう代物だけど、これでも当時はあこがれのスーパーマシンだった。
 中学生だった僕が、そんなとんでもない大金を持っているはずもないので、値段を見た一瞬でアップルII購入計画は瓦解した。
【注】 APPLEって名前で想像がつくと思うが、「アップル社」が出した大ヒットパソコン。ジョブスとウォズニアクが作った。当時としては驚異的な高解像度グラフィック・高機能(かつ高速な)なベーシックなどを積み「コンピュータのキャデラック」と呼ばれていた。

 けれど「スタートレック」は絶対にやってみたい。なんとか安く「スタートレック」を遊ぶ方法はないかとマイコン雑誌を読みあさっていくうちに、とにかくBASIC(ベーシック)が動くコンピュータなら「スタートレック」は遊べることがわかった。
 またコンピュータを手に入れる一番安い方法は全部自分で作ることで、その次は比較的安い日本のコンピュータ「キット」を買うことだった。
 僕に全部自分で作れるほどの腕があるわけもないので「キット」以外には考えられず、手の届きそうな機械を探し回った。で、決めたコンピュータが忘れもしない名機TK-80EとTK-80BS(ベーシックステーションの略)。
 TK-80Eがコンピュータ本体で、TK-80BSがTVインターフェースとカセットインターフェースとキーボードとベーシックと拡張RAMをセットにしたものだ。
 当時を知らない人のために少々解説。
 TK-80Eは「キット」、つまり自分でハンダ付けして初めて動く代物だった。今から見ると異様だけど、当時日本で売っていたマイクロコンピュータの大半はこの形だった。(EX-80,TK-80,LKIT-8,LKIT-16,H68-TR‥全部当時発売されていたキットなんだけど、名前も聞いたことないハードだろう)
 もともと、このキットってのは、LSIメーカーが他の電気メーカーの技術者に「マイクロコンピュータとはなにか」を知ってもらうためのトレーニングキット(その頭文字を略したからTKなのだ)なのだから、それも当たり前というもの。
 では、その値段はと言えば、TK-80BSが128000円、TK-80Eが67000円。二つ足して、195000円!
 やっぱりベラボウだったけれど、自分の貯金に誕生日とお年玉とクリスマスのプレゼントを2年分足せば買えそうだった。そこで親に泣いて頼み込んで、ようやく買ってもらうことに成功したってわけ。(例によって一生のお願いって奴だね)

 こうしてコンピュータを手に入れ、一緒にベーシックを手に入れた岩崎君は「スタートレック」がプレイできて幸せでした。めでたし、めでたし‥‥なんて都合のいい話は世の中にはそうそうない。
 コンピュータを手に入れるまではなんとかなったけれど、なんとも悲惨なことに「スタートレック」はまるでプレイできなかった。
『スタートレックのソフトがどこにもなかった』からだ。
 当然と言えば、あまりに当然。
 当時、ゲームソフト、それもマイコンのものなど存在しなかったから、市販品を手に入れる手段はなかった。(現実にその当時マイコンのソフトを専門にしているメーカーなど一つも存在しなかったと思う)
 手に入れる方法はたったの一つ。雑誌などの紙媒体のみ。
 泣きそうになって資料を漁った、雑誌を漁った、本を漁った。
 『101ベーシックゲームズ』って本にスタートレックのリストが載っているのを知った。やっと探し出して読んでみるとTK-80BSのベーシックにはない命令が山の様に使われていて、とても動きそうになかった。
 SC/MP(スキャンプと読む)の上で動くタイニースタートレックのリストを見つけた。やっぱり知らない命令がいっぱいあった。
 どの本を読んでも、そのまま打ち込んだんじゃあ動きそうにないスタートレックばっかりだった。そして僕はプログラムなんてさっぱり分からないから、そのまま打ち込む以外のことはまるでできなかった。
 TK-80BSで動く面白くもないゲームのリストは掃いて捨てるほど見つけたけれど、かんじんかなめのあこがれのスタートレックはどこを捜しても影も形もなかった。
【注】 "BASIC"には信じ難いぐらいの数のハード特有の方言があり、これを乗り越えて移植するのは、当時の僕の実力では「絶対無理」だった。今なら数時間でかけるレベルのプログラムだと思うが(苦笑)

 僕は途方にくれてしまった。
 一体全体、どうすればスタートレックができるんだ?
 結論は最初からはっきりしていた。
「自分で作ればいい」
 それがコンピュータのいいところ。
 コンピュータはプログラミングすればなんでもできる(だから無限の可能性を持つと雑誌では喧伝されていた。たいがいにしろよ、なんて今じゃ思っちゃうけど)から、自分でTK-80E+TK-80BSで動くスタートレックを書けば、僕はスタートレックをプレイできるわけだ。
 やらなくちゃいけないことはただ一つ。プログラムを覚えるだけだ。
 僕はスタートレックを遊ぶために、プログラムの勉強をはじめた‥‥
 それから16年経って、僕はゲームを作るプロになった。けれど今だ持って、初めて記事を読んだときに夢見た、理想のスタートレックは出来ていない。
 そして今でも夢のスタートレックを作ってみたいと思っている。

【注】 
この文は、電撃王がメディアワークスから創刊される当時、編集長だった島谷さんから依頼されて書き始めたエッセイの第一弾。僕が、実際にプロとしてコラムを書いた初めての文だ。(Beepはコラムではあったが、ちょっと微妙なので、一応除外」)
自分にとって、最も思い出深く、そして最も亜種を作った(アマチュア時代に、フルスクラッチで20個以上は作ったと思う)ゲームだ。



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