2011-02-13 Sun [ 転載物::商業誌 ]
これは『電撃王』に載せていたコラムの中で思い入れが深いものを、細かくアップトゥデートして載せようという試み。
僕がコンピュータを始めた1977年頃、良く「マイクロコンピュータには無限の可能性がある」と言われていた。
理由は、当時存在していた普通のコンピュータに比べれば桁違いに安いこと、そしてコンピュータはプログラムが可能だから、インターフェースを用意してプログラムさえ出来ればなんでも出来ること。
この二つから、無限の可能性と言われていたわけ。
その星の数ほどもある可能性って奴の中でも、ひときわ注目を浴びていたのがホームコンピュータ。
「ファミリーコンピュータ」じゃなくて「ホームコンピュータ」‥って言っても、今じゃ死語みたいもんで、本当の意味が分からない人が多いだろうから説明しよう。
ホームコンピュータは、文字どおり家庭の中心にあり、家の中のあらゆるものをコントロールするパソコンを指した言葉。
これ一台あれば、炊飯器もTVもビデオも、なんでもホームコンピュータからボタン一個で簡単にコントロール出来て、家の中がなんでも、あなたの思うままになります! 夢の21世紀の生活を約束するもの、それがホームコンピュータ!!
この「ホームコンピュータ」から派生して出来た「ホームオートメーション」って言葉もあったぐらいで「ホームコンピュータは21世紀にはXX兆円市場になる!」なんて本気で言われていた。(オートメーションの方は、ホームコンピュータと組み合せて全自動化された家とか部屋や、そこに入る自動化された家電製品のイメージだった)
現実にそれを期待させるいろんな記事があったのも事実。
例えば僕が初めて読んだ入門書の一つ、安田寿明先生の著作「マイ・コンピュータ入門(講談社ブルーバックス)」(余談だけど、この入門書は当時の名作で6800のベーシックの完全なリストは載っているわ、ハードの回路図は載っているわの凄い本だった)でもピアノをコンピュータを使って自動演奏させたってエピソードが載っていたりしたし、当時の古いアスキーをひっくり返すと「MZ-80KでFMチューナーを制御する」なんて記事があったり「ホームコンピュータが入った未来の家」の想像が堂々と載ったりしていた。
誰もがホームコンピュータは現実のモノとなる! もしくは「現実になればいいな!」と思っていたわけなんだな。
ではそれがいつ現実になったかと言えば、初めてホームコンピュータとして発表されたのはヤマハの「ワイズ」だと思う。
さすがに古い記憶なんでうろ憶えなんだけど(資料がないんだよ、これが)例えば「ピアノの自動演奏システム」(おいおい)とか「窓の開閉システム」とかの、まさに「ホームオートメーション」を現実化するものだった。
ただし、お値段がベラボーで自動演奏システムは500万円! 開閉システムは300万円!‥これじゃ買えないよねぇ。
けれどそこにホームコンピュータの夢を見ることは出来た。これさえあれば、なにもかも自動になって夢の生活になる、そしてボタン一個で生活出来るようになる‥と夢見たんだ。この夢はその後に現れたMSXにも受け継がれていたし、他にも色々なパソコンにホームコンピュータの指向は何度も現れて、何度も商品化されて来た。(最近ではその最新の試みはCD-Iだろうか‥)
では「ワイズ」から10年以上が過ぎた今、この僕の生活を見たとき、夢のホームコンピュータが定着したんだろうか?(現在での注:もちろん、現在は20年以上過ぎた)
どこの誰の家にもそんなモノはありゃしないのは確かだ。
どうしてそうなったんだろう?
答えは火を見るよりも明らか。
「コンピュータが途方もなく、その当時のどんな人間の想像を絶するほど安くなってしまったから」
はっきり書いてしまえば「ホームコンピュータ」なんてモノは「コンピュータがある程度以上安くなるとは思っていない」から出てくるアイディア。値段が高いと思っているから、炊飯器に直接コンピュータを入れるなんて考えられなかったし、冷蔵庫にもビデオにもコンピュータを入れるなんて想像しなかったわけ。
コンピュータは外に鎮座していて、そこに線をつないで、コンピュータでコントロール可能な安い冷蔵庫や炊飯器をコントロールする‥この思想になってたわけだ。
ところが実際に何が起こったかと言えば、まさにムーアの法則恐るべき。コンピュータのチップ単体なら10円単位で計れる価格になってしまった。(現在の注:今では1円単位で計ることができる。それどころかRFIDに至っては銭単位だ)
こうなると「線でつないで、外にあるコンピュータにプログラムを入れて制御する方法」よりも「その機械に直接コンピュータと専用プログラムを入れて、その機械単体で動作する方法」の方が遥かに安くなってしまう。
おまけに機械とコンピュータが1対1で対応するってことは機械の一つ一つが知能化されているってことで、このメリットがまたとてつもなく大きくて「ホームコンピュータ」の考え方では難しかった「綿密に24時間、常に温度管理されている冷蔵庫」だとか「赤外線で距離を測定して自動的に焦点を合わせるカメラ」だとか「センサーでホコリの状態を検知して吸う強さを変化させる掃除機」なんて、とんでもないものが出てきてしまう。
ホームコンピュータなんて頭デッカチを家に置くよりは「頭のいい機械」を作る方が良かったわけ。
そんな訳で、今の僕の生活には頭のいい掃除機や冷蔵庫はいるけれど、夢のホームコンピュータはどこにもいない。
コンピュータらしいコンピュータは相も変らずパソコンだけって状態なわけ。(現在での注:今では、例えばPS3やX360があれば、下手なPCより性能が上だったりするし、テレビや携帯電話ですらちょっとしたパソコンまがいのことができるところまで来ている)
けれど、コンピュータの入っている「頭のいい電気製品」を見ているときにふと思うことがある。結果的に見れば仇花になってしまった「ホームコンピュータ」の思想だけれど、その当時の人の描いた夢は、小さな小さなチップになって家の中にあるいろんな機械の中に生きている。
そして、彼らの奏でる小さな音は夢に終ったホームコンピュータに捧げる鎮魂歌だって。
これを書いたのは1995年、電撃王。
少し手直ししたけれど、今の僕では書くことの出来ない文体で、イヤー参ったなと思ってしまう。
どうしてこれをアップロードしたのかというと、今のご家庭には、やっぱり相変わらずホームコンピュータはないけれど、ホームネットワークは出来上がり、結構夢の生活が実現されているから。例えば自分の部屋では、PCやストレージデバイスやいろんなものがネットワークに無線やら有線でつながり、普通にインターネットを経由して様々なサービスが行われていて、それは30年ぐらい前、最初にホームコンピュータのアイディアが出てきたとき、夢の生活として宣伝されたものにかなり近かったりする。
家の中のハードが全部知能化して、さらにそれぞれがネットワークで繋がる…なんて、まるで想像出来なかったよなあ、と思ってしまうのだ。
■■■
僕がコンピュータを始めた1977年頃、良く「マイクロコンピュータには無限の可能性がある」と言われていた。
理由は、当時存在していた普通のコンピュータに比べれば桁違いに安いこと、そしてコンピュータはプログラムが可能だから、インターフェースを用意してプログラムさえ出来ればなんでも出来ること。
この二つから、無限の可能性と言われていたわけ。
その星の数ほどもある可能性って奴の中でも、ひときわ注目を浴びていたのがホームコンピュータ。
「ファミリーコンピュータ」じゃなくて「ホームコンピュータ」‥って言っても、今じゃ死語みたいもんで、本当の意味が分からない人が多いだろうから説明しよう。
ホームコンピュータは、文字どおり家庭の中心にあり、家の中のあらゆるものをコントロールするパソコンを指した言葉。
これ一台あれば、炊飯器もTVもビデオも、なんでもホームコンピュータからボタン一個で簡単にコントロール出来て、家の中がなんでも、あなたの思うままになります! 夢の21世紀の生活を約束するもの、それがホームコンピュータ!!
この「ホームコンピュータ」から派生して出来た「ホームオートメーション」って言葉もあったぐらいで「ホームコンピュータは21世紀にはXX兆円市場になる!」なんて本気で言われていた。(オートメーションの方は、ホームコンピュータと組み合せて全自動化された家とか部屋や、そこに入る自動化された家電製品のイメージだった)
現実にそれを期待させるいろんな記事があったのも事実。
例えば僕が初めて読んだ入門書の一つ、安田寿明先生の著作「マイ・コンピュータ入門(講談社ブルーバックス)」(余談だけど、この入門書は当時の名作で6800のベーシックの完全なリストは載っているわ、ハードの回路図は載っているわの凄い本だった)でもピアノをコンピュータを使って自動演奏させたってエピソードが載っていたりしたし、当時の古いアスキーをひっくり返すと「MZ-80KでFMチューナーを制御する」なんて記事があったり「ホームコンピュータが入った未来の家」の想像が堂々と載ったりしていた。
誰もがホームコンピュータは現実のモノとなる! もしくは「現実になればいいな!」と思っていたわけなんだな。
ではそれがいつ現実になったかと言えば、初めてホームコンピュータとして発表されたのはヤマハの「ワイズ」だと思う。
さすがに古い記憶なんでうろ憶えなんだけど(資料がないんだよ、これが)例えば「ピアノの自動演奏システム」(おいおい)とか「窓の開閉システム」とかの、まさに「ホームオートメーション」を現実化するものだった。
ただし、お値段がベラボーで自動演奏システムは500万円! 開閉システムは300万円!‥これじゃ買えないよねぇ。
けれどそこにホームコンピュータの夢を見ることは出来た。これさえあれば、なにもかも自動になって夢の生活になる、そしてボタン一個で生活出来るようになる‥と夢見たんだ。この夢はその後に現れたMSXにも受け継がれていたし、他にも色々なパソコンにホームコンピュータの指向は何度も現れて、何度も商品化されて来た。(最近ではその最新の試みはCD-Iだろうか‥)
では「ワイズ」から10年以上が過ぎた今、この僕の生活を見たとき、夢のホームコンピュータが定着したんだろうか?(現在での注:もちろん、現在は20年以上過ぎた)
どこの誰の家にもそんなモノはありゃしないのは確かだ。
どうしてそうなったんだろう?
答えは火を見るよりも明らか。
「コンピュータが途方もなく、その当時のどんな人間の想像を絶するほど安くなってしまったから」
はっきり書いてしまえば「ホームコンピュータ」なんてモノは「コンピュータがある程度以上安くなるとは思っていない」から出てくるアイディア。値段が高いと思っているから、炊飯器に直接コンピュータを入れるなんて考えられなかったし、冷蔵庫にもビデオにもコンピュータを入れるなんて想像しなかったわけ。
コンピュータは外に鎮座していて、そこに線をつないで、コンピュータでコントロール可能な安い冷蔵庫や炊飯器をコントロールする‥この思想になってたわけだ。
ところが実際に何が起こったかと言えば、まさにムーアの法則恐るべき。コンピュータのチップ単体なら10円単位で計れる価格になってしまった。(現在の注:今では1円単位で計ることができる。それどころかRFIDに至っては銭単位だ)
こうなると「線でつないで、外にあるコンピュータにプログラムを入れて制御する方法」よりも「その機械に直接コンピュータと専用プログラムを入れて、その機械単体で動作する方法」の方が遥かに安くなってしまう。
おまけに機械とコンピュータが1対1で対応するってことは機械の一つ一つが知能化されているってことで、このメリットがまたとてつもなく大きくて「ホームコンピュータ」の考え方では難しかった「綿密に24時間、常に温度管理されている冷蔵庫」だとか「赤外線で距離を測定して自動的に焦点を合わせるカメラ」だとか「センサーでホコリの状態を検知して吸う強さを変化させる掃除機」なんて、とんでもないものが出てきてしまう。
ホームコンピュータなんて頭デッカチを家に置くよりは「頭のいい機械」を作る方が良かったわけ。
そんな訳で、今の僕の生活には頭のいい掃除機や冷蔵庫はいるけれど、夢のホームコンピュータはどこにもいない。
コンピュータらしいコンピュータは相も変らずパソコンだけって状態なわけ。(現在での注:今では、例えばPS3やX360があれば、下手なPCより性能が上だったりするし、テレビや携帯電話ですらちょっとしたパソコンまがいのことができるところまで来ている)
けれど、コンピュータの入っている「頭のいい電気製品」を見ているときにふと思うことがある。結果的に見れば仇花になってしまった「ホームコンピュータ」の思想だけれど、その当時の人の描いた夢は、小さな小さなチップになって家の中にあるいろんな機械の中に生きている。
そして、彼らの奏でる小さな音は夢に終ったホームコンピュータに捧げる鎮魂歌だって。
■■■
これを書いたのは1995年、電撃王。
少し手直ししたけれど、今の僕では書くことの出来ない文体で、イヤー参ったなと思ってしまう。
どうしてこれをアップロードしたのかというと、今のご家庭には、やっぱり相変わらずホームコンピュータはないけれど、ホームネットワークは出来上がり、結構夢の生活が実現されているから。例えば自分の部屋では、PCやストレージデバイスやいろんなものがネットワークに無線やら有線でつながり、普通にインターネットを経由して様々なサービスが行われていて、それは30年ぐらい前、最初にホームコンピュータのアイディアが出てきたとき、夢の生活として宣伝されたものにかなり近かったりする。
家の中のハードが全部知能化して、さらにそれぞれがネットワークで繋がる…なんて、まるで想像出来なかったよなあ、と思ってしまうのだ。
コメント
現状の(ホーム)ネットワークは、ファイル(情報)の共有・交換みたいな
なんというか、上部構造的な空間、環境としての繋がりが中心で
相互の管理・制御関係のような下部構造的な関係、
仕組みとしての繋がりという印象は少ないですね。
インターネット以前の「ネットワーク」という言葉は
文脈にも寄りますが、社会的な概念として後者のような
意味合いが強かったように思います。
電源コンセント以外の家庭内インフラとして
相互通信制御の為の家電共通規格、みたいな話は
昔からあるようなんですが、なかなか具体化しませんね。
何かしらの制御系マイコン等々が搭載されてる家電には
シリアル端子を付けるだけでも結構面白そうな気がするんですが。
(時計とか)
なんというか、上部構造的な空間、環境としての繋がりが中心で
相互の管理・制御関係のような下部構造的な関係、
仕組みとしての繋がりという印象は少ないですね。
インターネット以前の「ネットワーク」という言葉は
文脈にも寄りますが、社会的な概念として後者のような
意味合いが強かったように思います。
電源コンセント以外の家庭内インフラとして
相互通信制御の為の家電共通規格、みたいな話は
昔からあるようなんですが、なかなか具体化しませんね。
何かしらの制御系マイコン等々が搭載されてる家電には
シリアル端子を付けるだけでも結構面白そうな気がするんですが。
(時計とか)
| atsu | EMAIL | URL | 11/02/20 14:44 | jB3nOvqE |
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