CALENDAR
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31     
<<  2024 - 12  >>

PROFILE
同人誌 電子書籍版
Re:ゼロから始める
ゲームシナリオ


ライトニング伝説


さよならハドソン


ドラクエとFFと
ToHeart


誰得ゲームライフ


ときめきメモリアル
の時代

イースI・II製作メモ

頒布ページ
LINKS
NEW ENTRIES
CATEGORIES
COMMENTS
    イースⅠ・Ⅱ通史(3):『リグラス』から『ロマンシア』
  • タムロ (02/03)
    イースⅠ・Ⅱ通史(1):PC88MkⅡSRの発売
  • tamuro (01/05)
  • おお! (01/03)
TRACBACKS
OTHERS
SEARCH BOX
POWERED BY
POWERED BY
ぶろぐん
DESIGN BY
ブログンサポート

FF10の話(8) - FFⅧ・その3 声のないゲームの問題
またまた期間が開いてしまったのだけど、夏コミまでには終わらせて、夏コミでは本にしたいと思っていたりする。

というわけで、FF10の話を書くシリーズの第8回。
シリーズは以下。
FF10の話(1) - それは1991年から始まった
FF10の話(2) - ヘラクレスの栄光Ⅲの衝撃
FF10の話(3) - ファイナルファンタジーⅦ・その1
FF10の話(4) - ファイナルファンタジーⅦ・その2
FF10の話(5) - ファイナルファンタジーⅦ・その3(終)
FF10の話(6) - ファイナルファンタジーⅧ・その1
FF10の話(7) - ファイナルファンタジーⅧ・その2

本編に入る前に簡単な注意。
このシリーズは『FFⅦ・Ⅷ・Ⅹ』について、もう超ネタバレのレベルで話が進んでいる。だからプレイしたことがなくて、そしてプレイする予定がある人は、ここから先はあまり読まないことをオススメしておきたい。

前回、FF8のストーリー構造について説明して「出来は良かったと思う」という話を書いたわけだけど、反面、評価が高いゲームではなかったという話も書いた。
そして最後で

また、FF8では「声がない」という問題が、とても大きくなり始めたシリーズでもあったのが、それが評価が高くならない理由になりはじめていた…と思うのだけど、それについては次回で。

と、書いたけれど、どうしてこれが問題になっていたのかを書く前に、少しまずゲーム内のボイスの話を書いておきたい。


続きを読む▽
|| 22:20 | comments (0) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
FF10の話(7) - FFⅧ・その2 ジュブナイルとヒロイン
えらく期間が開いてしまった。
全くメチャクチャに忙しくて、2月の半ばからまるで時間が取れず、土日だけでも原稿書いて、イチに間に合わせたいと考えてる所存でありまする。

というわけで、FF10の話を書くシリーズの第7回。
シリーズは以下。
FF10の話(1) - それは1991年から始まった
FF10の話(2) - ヘラクレスの栄光Ⅲの衝撃
FF10の話(3) - ファイナルファンタジーⅦ・その1
FF10の話(4) - ファイナルファンタジーⅦ・その2
FF10の話(5) - ファイナルファンタジーⅦ・その3(終)
FF10の話(6) - ファイナルファンタジーⅧ・その1

本編に入る前に簡単な注意。
このシリーズは『FFⅦ・Ⅷ・Ⅹ』について、もう超ネタバレのレベルで話が進んでいる。だからプレイしたことがなくて、そしてプレイする予定がある人は、ここから先はあまり読まないことをオススメしておきたい。

さて。
FFⅧのストーリーの話をすると、FFⅧはボーイミーツガールの恋愛ストーリーだ。
また、そのボーイ(スコール)とガール(リノア)、そしてその周辺にいる少年・少女が大人になっていく姿を描く群像劇であると同時に、通過儀礼ストーリーでもある…というのが、ゲームのテーマになる(通過儀礼というのは、成人の儀式を経て大人になる物語、とかそういうこと)。

だから舞台は学園になっているし、FFⅧの主人公たちはみんなとんでもなく若い。

なんせスコールもリノアも10代後半。サイファーだろうが雷神だろうが風神だろうが、カッコはともかく、全員もろティーンエイジャーで、おまけに一部の例外を除けば(中年女性が一度だけパーティに入ってくる)、主要登場人物はほぼ全員18歳以下だ(キスティス先生も18歳である)。
どう考えてもジュブナイルで、少なくとも渋い大人の冒険小説じゃない。

では、実際のストーリーはどのような構成なのか?

続きを読む▽
|| 19:09 | comments (0) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
FF10の話(6) - FFⅧ・その1 頭身モデルの統一とSDからの離別
FF10の話を書くシリーズの第6回。
シリーズは以下。
FF10の話(1) - それは1991年から始まった
FF10の話(2) - ヘラクレスの栄光Ⅲの衝撃
FF10の話(3) - ファイナルファンタジーⅦ・その1
FF10の話(4) - ファイナルファンタジーⅦ・その2
FF10の話(5) - ファイナルファンタジーⅦ・その3(終)

本編に入る前に簡単な注意。
このシリーズは『FFⅦ・Ⅷ・Ⅹ』について、もう超ネタバレのレベルで話が進んでいる。だからプレイしたことがなくて、そしてプレイする予定がある人は、ここから先はあまり読まないことをオススメしておきたい。

と、簡単な注意をしたところで…

さて『FFⅦ』の大成功の後を継いで作られた『FFⅧ』は『FFⅦ』に対してどのような修正が加えられたのか?

もちろん、技術的な進歩はいろいろある。
例えばムービーのレンダリングのクオリティが大幅に上がっているとか、ムービーとゲームの境目が『FFⅦ』よりさらになくなり、ムービーをプレイしながら、ゲームをプレイするところがあちこちで出てくるとか、戦闘のエフェクトの扱いが『FFⅦ』と比較にならないほどよく出来ているとか、加えてアナログ入力が登場したので、操作系が使いやすくなったとか、そういうPS1というプラットフォームに習熟したことや、時間が経過したことで出てきた点は当然ある。

でもそれだけでなく『FFⅧ』は、『FFⅦ』に残されていたファミコン・SFC時代の表現が大きく変わったゲームだった。

それを説明するために『『FFⅦ』』にあった過渡期のゲームとしての問題について書いていきたい。

続きを読む▽
|| 20:52 | comments (3) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
FF10の話(5) - FFⅦ・その3。そしてFFⅧに…
FF10の話を書くシリーズの第5回。
シリーズは以下。
FF10の話(1) - それは1991年から始まった
FF10の話(2) - ヘラクレスの栄光Ⅲの衝撃
FF10の話(3) - ファイナルファンタジーⅦ・その1
FF10の話(4) - ファイナルファンタジーⅦ・その2

本編に入る前に、一つ書いておきたい。
まず今回から後は、『FFⅦ・Ⅷ・Ⅹ』について、もう超ネタバレのレベルで話が進んでいく。
なので、一度もプレイしたことがなくて、そしてプレイする予定がある人は、ここから先はあまり読まないことをオススメしておきたい。
次に、基本的な考え方を少し書いておきたい。
この文は作品ファーストってことだ。つまり『アルティマニアに、こんな設定が書いてあります』とかは基本的には無視している(全く、ではない)。
なぜならゲームだろうが映画だろうが、最初に作品ありきで、作品から読み取れる以上のことを副読本で読んでくれだの「実は設定はこうだったんです」だの、そんなもんはあとからなんとでも言えるし、前提にするのは良くないと思うからだ。

と、ネタバレと基本的な考え方について書いたところで、前回の最後に書いた文章に戻る。

僕の忌憚ない評価を書くなら「前半から中盤は素晴らしいが、後半は腰砕け。僕は最初に考えられていたストーリー展開とは違うものになっていると思っている。ただ、当時の状況を考えれば、これもしょうがない」

正直、一般的な『FFⅦ』評からはかけ離れていると思うが、なぜ、そのような感想を持ったのか?

これを『FFⅦ』のストーリーを順に追っていくことで、説明していきたい。


続きを読む▽
|| 20:18 | comments (11) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加
FF10の話(4) - FFⅦ・その2 三人称の確立
FF10の話を書くシリーズの第4回。

シリーズは以下。
FF10の話(1) - それは1991年から始まった
FF10の話(2) - ヘラクレスの栄光Ⅲの衝撃
FF10の話(3) - ファイナルファンタジーⅦ・その1

前回の最期で、『FFⅦ』こそが映像ドラマの手法でストーリーを語るゲームが完全に確立した瞬間だったのだけど『FFⅦ』にはもうひとつ特徴があった。
それはもともと三人称でストーリーを肩越しから見てる印象が強かったFFシリーズが、完全に三人称のスタイルを確立したということだ。

と、最後に書いたけれど、これを原理的なところから話を進めていきたい。

もともとRPGが登場した時、どんなゲームかを説明する言葉として「自分が主人公になって冒険できるゴッコ」というような表現をされることが多かった。
言い換えるなら「プレイヤーがそのまま映画とかの主人公になれるゲーム」。この説明はとてもわかりやすくて、受け入れやすいものだった。

だから初期のRPGでは「プレイヤーキャラクタが喋らない」のがいいとされていた。
プレイヤーがそこにいるのだから、プレイヤーの意思にそぐわない何かをしゃべらない…というわけだ。
そして今でも「RPGってのはなあ」と、この伝統的なオールドスタイルのRPG観をしたり顔で押し付けるゲーマーもいたりするわけだが、それはともかく、この伝統的なスタイルは、ストーリーが複雑になるに従って、イロイロ困ったことが起こる。


続きを読む▽
|| 22:16 | comments (2) | trackback (0) | ||

このエントリーをはてなブックマークに追加