2011-02-19 Sat [ 天外2製作メモ ]
今回は実際に天外2に参加する前の、1989の話。
天外2はもちろん天外1の続編で、どうして天外1がああいうゲームになって、そして例えば、どうして術が交換できるのか? なぜ、戦闘システムはああなのかを知らないと、結局、天外2の話はわからない。
というわけで、今回は天外1と桝田さんの話。
まず全体を把握してもらうため、一応、大雑把な経緯を書いておくと、もともと天外1はREDの広井王子さんが企画を始め、ハドソンが制作していた。ところが、1988年末に桝田さんが、急遽入って、ゲーム全体を作り直すことになり、1989年夏(6・30なので夏商戦向け)に発売された…というのが、その流れ。
今回は、なぜ作り直しをすることになったのか、まで。
さて、天外2でメインのゲームデザインをやった桝田さんと初めて出会ったのは、1988年の年末に凄ノ王伝説の広告をやる人だ、とハドソン札幌の技術本部で紹介されたのが最初だった。そのときは、凄ノ王伝説のラストバトルのテストをしていて、見た桝田さんが結構売れるんじゃないか…と話をしていた。
次に本格的に会ったのは、凄ノ王伝説の最後~イースを作りだした直後だった。
気がついたらハドソンにいて、毎日天外1に張り付いて、一生懸命、天外1を作り直していた。
話を聞いたら事情はこうだった。
桝田さんは当時は広告会社の社員でハドソンの広告の担当をやっていて、天外1の広告のスケジュールが立てられなくて困っていた。で、ハドソンにリリーススケジュールをはっきりしてくれないと広告計画が立てられないと催促したところ、1988年末に桝田さんに監督でオーソドックスなRPGに作り直してくれないかという話が来た。桝田さんは受けたくなかったので、結構とんでもない金をふっかけたんだけど、なんとハドソンが飲んでしまい、やらざるを得なくなった…ということだった。
ここについては、さくま先生はマニュアルで「応援のために貸した」などと書いていたけれど、もちろんこれは大人の事情ってヤツで現実は上のとおりだった。
22年も前の話なのだから、真相を書いたって、ダレも文句を言うまい。
では、どうして作り直しになったのかというと、理由がいくつかあった。
まず、もともとの天外1のシナリオは、REDが作ったものだったが「ゲームに適合したもの」とは言いがたかったらしい(と桝田さんは言っていた)。つまり小説やアニメならともかくゲームにはフィットしていなかった。しかも当時のREDはゲームには素人で、ゲームシナリオについても当然素人だったので、シナリオ的に、ゲームとしてはどうよ、というような事がいっぱい起こっていた。
次の問題がゲームデザインそのものにあった。三上君が中心になってゲーム部分を作っていたわけだけど、彼はアクションが好みで、作っていた天外1のシステムは、リンクの冒険のフィールド方式と似ていて、フィールドで敵と遭遇すると画面の下半分がサイドビュー形式の戦闘画面になり、そこでバトルするシステムだった。
ところがマーケット的な観点から見ると、このゲームデザインには2つの問題があった。
一つはサイドビュー形式でアクションなので、キャラクタが大きくない事。当時、CDROMは540メガバイトの無限の大容量だから、デカキャラだろうがでかい絵だろうが無制限に出せると売っていたので、キャラクタが小さいのはいただけなかった。
そして、もう一つが当時ならではの要求だが、当時はまさにドラクエの全盛時代(ファミコン版の3が発売され、4が発売されるまでの間)で「RPGといえばドラクエ!」の時代だ。だからドラクエ型の対面型コマンド方式の戦闘が最も一般受けするのは明白だったので「一番売れなければいけない、みんなに飛びついてもらわなければならない天外魔境がそうでない」のは、営業的にはあまりいただける話ではなかった。
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天外2はもちろん天外1の続編で、どうして天外1がああいうゲームになって、そして例えば、どうして術が交換できるのか? なぜ、戦闘システムはああなのかを知らないと、結局、天外2の話はわからない。
というわけで、今回は天外1と桝田さんの話。
まず全体を把握してもらうため、一応、大雑把な経緯を書いておくと、もともと天外1はREDの広井王子さんが企画を始め、ハドソンが制作していた。ところが、1988年末に桝田さんが、急遽入って、ゲーム全体を作り直すことになり、1989年夏(6・30なので夏商戦向け)に発売された…というのが、その流れ。
今回は、なぜ作り直しをすることになったのか、まで。
さて、天外2でメインのゲームデザインをやった桝田さんと初めて出会ったのは、1988年の年末に凄ノ王伝説の広告をやる人だ、とハドソン札幌の技術本部で紹介されたのが最初だった。そのときは、凄ノ王伝説のラストバトルのテストをしていて、見た桝田さんが結構売れるんじゃないか…と話をしていた。
次に本格的に会ったのは、凄ノ王伝説の最後~イースを作りだした直後だった。
気がついたらハドソンにいて、毎日天外1に張り付いて、一生懸命、天外1を作り直していた。
話を聞いたら事情はこうだった。
桝田さんは当時は広告会社の社員でハドソンの広告の担当をやっていて、天外1の広告のスケジュールが立てられなくて困っていた。で、ハドソンにリリーススケジュールをはっきりしてくれないと広告計画が立てられないと催促したところ、1988年末に桝田さんに監督でオーソドックスなRPGに作り直してくれないかという話が来た。桝田さんは受けたくなかったので、結構とんでもない金をふっかけたんだけど、なんとハドソンが飲んでしまい、やらざるを得なくなった…ということだった。
ここについては、さくま先生はマニュアルで「応援のために貸した」などと書いていたけれど、もちろんこれは大人の事情ってヤツで現実は上のとおりだった。
22年も前の話なのだから、真相を書いたって、ダレも文句を言うまい。
では、どうして作り直しになったのかというと、理由がいくつかあった。
まず、もともとの天外1のシナリオは、REDが作ったものだったが「ゲームに適合したもの」とは言いがたかったらしい(と桝田さんは言っていた)。つまり小説やアニメならともかくゲームにはフィットしていなかった。しかも当時のREDはゲームには素人で、ゲームシナリオについても当然素人だったので、シナリオ的に、ゲームとしてはどうよ、というような事がいっぱい起こっていた。
次の問題がゲームデザインそのものにあった。三上君が中心になってゲーム部分を作っていたわけだけど、彼はアクションが好みで、作っていた天外1のシステムは、リンクの冒険のフィールド方式と似ていて、フィールドで敵と遭遇すると画面の下半分がサイドビュー形式の戦闘画面になり、そこでバトルするシステムだった。
ところがマーケット的な観点から見ると、このゲームデザインには2つの問題があった。
一つはサイドビュー形式でアクションなので、キャラクタが大きくない事。当時、CDROMは540メガバイトの無限の大容量だから、デカキャラだろうがでかい絵だろうが無制限に出せると売っていたので、キャラクタが小さいのはいただけなかった。
そして、もう一つが当時ならではの要求だが、当時はまさにドラクエの全盛時代(ファミコン版の3が発売され、4が発売されるまでの間)で「RPGといえばドラクエ!」の時代だ。だからドラクエ型の対面型コマンド方式の戦闘が最も一般受けするのは明白だったので「一番売れなければいけない、みんなに飛びついてもらわなければならない天外魔境がそうでない」のは、営業的にはあまりいただける話ではなかった。
この当時はドラクエが圧倒的なナンバーワンRPGでFFもまだドラクエの対抗馬、というほどのブランドではなかった。FFが圧倒的なブランドとして認知されるのは1991年に発売されたSFC用のFFIVからで、それより前は「ドラクエのフォロワーの中では、一歩抜け出した存在」ぐらいのイメージだった。
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2011-02-09 Wed [ 天外2製作メモ ]
これは自分が天外魔境II 卍丸のPCエンジンスーパーCDROM版(以降、天外2)を作るときの起きたことや、何があったのかについて、忘れないうちに書いておいて、残しておくメモだ。
20年も昔の話が大半で、もちろん忘れてるところや記憶が間違っているところはあるだろうし、しかも僕の立場・僕の目線から書いているので、桝田さんや広井さんがこれを書いたら違った物になるだろうし、だいたいそっちのが面白がる人も多いだろうし、読みたい人も多いだろうが、まあ開発の現場にいてソースやら色んな事を知っている点で、僕の切り口もアリだろう。
それに天外2もウェブなんかで結構伝説みたいな、どっからこの話が出てきたんだ? と不思議に思うようなことが多く、まあそこらへんの訂正などもかねて…ボチボチ書いていきたく思っている。
天外2の製作過程はほぼ覚えているけれど、イースより期間が遥かに長いうえに、関わった人が圧倒的に多いので、確認用に資料なども調べながら書く予定なので、イースのときよりずっと手間はかかると思う。
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20年も昔の話が大半で、もちろん忘れてるところや記憶が間違っているところはあるだろうし、しかも僕の立場・僕の目線から書いているので、桝田さんや広井さんがこれを書いたら違った物になるだろうし、だいたいそっちのが面白がる人も多いだろうし、読みたい人も多いだろうが、まあ開発の現場にいてソースやら色んな事を知っている点で、僕の切り口もアリだろう。
それに天外2もウェブなんかで結構伝説みたいな、どっからこの話が出てきたんだ? と不思議に思うようなことが多く、まあそこらへんの訂正などもかねて…ボチボチ書いていきたく思っている。
天外2の製作過程はほぼ覚えているけれど、イースより期間が遥かに長いうえに、関わった人が圧倒的に多いので、確認用に資料なども調べながら書く予定なので、イースのときよりずっと手間はかかると思う。
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