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天外IIのUIについて(2/終)
前回のにちょっと追記。

FFIVの大ヒットで「話す・調べるボタン」が確立したのは、全く疑いもない事実で、これ以降のRPGでは普通が「話す・調べるボタン」になっていく。
そして、それがデファクトスタンダードとして決定したと満天下に示したのがドラゴンクエストV(SFC/1992年9月)。
ドラゴンクエストVで「べんりボタン」という名前で話す/調べるボタンが搭載され、これで世の中は「話す/調べるボタン」が主流になりました、と宣言されたようなものだった。ちなみにドラゴンクエストVでは「はなす」は相変わらずメニュートップの最初の位置にあり、Aボタンの2連発で話せるようになっている、いわばハイブリッド仕様だった。

「FF4と天外IIの発売日などから考えるに、UIの変更は間に合ったけど、戦闘システムはさすがに変える余裕がなかったってことですね?」
こういう質問がツイッターで来てたのだけど、天外ⅡではもともとⅠが対面型戦闘だったのもあって、対面戦闘以外を使う予定もつもりもなかったので、そこにはFFの影響はほぼないと考えていい。
ただしFFⅣの戦闘は僕をとても悔しがらせたのだけど、なんにしても対面ターン型戦闘については、天外Ⅱでの思想や、歴史まで含めて、このシリーズのどこかで補足がてらに書いてみたい。

で、今回はメインメニューのUIの続き。

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|| 20:37 | comments (1) | trackback (0) | ||

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天外IIのUIについて(1)
しばらく間が開いてしまったので、リハビリがてらに、前回の続きではないけれど、作っていた人間にとってはいろいろ思いで深い話などちょっと書いてみたい。

つーか、こんな風に落ち穂拾いしていかないと、なんだか粗筋だけの小説みたいになりそうな気がしたので、いろいろ書いていこうというわけ。

今回は、UI、ユーザーインターフェースについて。

さて。
天外2というゲームは対面戦闘の全盛時代が終わりにかかろうとしていた、スーパーファミコン登場前夜に企画がスタートし「王道」を要求されたために、実にこまごまとUI周りに微妙な問題が発生したソフトだった。
そして、たぶん2回でまとまる予定の、このシリーズではちょっとそれについて書いてみようというわけだ。

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|| 19:23 | comments (3) | trackback (0) | ||

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1991年5月 巨大プロジェクト
1991年5月。
このころの天外Ⅱのコードを書く人間は、僕・長谷川君・藪の3人が、それぞれ「ビジュアル&コア」、「コア+メイン」、「戦闘+いろいろ」という構成でプログラムを組みつつ、外注のミューテックからきていたコード屋さん(二人)にivのスクリプトを頼むという構成になっていた。
つまり、コード屋はトータル5人体制の形で天外Ⅱは製作されていた。

そして、ある日、長谷川君がいった。
「このゲームさ、やばいんじゃないかな、岩崎さん」
「なんで?」
「僕らの想像を超えたサイズなんじゃないかな、と思ってさ」
僕は黙った。
長谷川君が言っていることは僕も感じていた。
長谷川君は続けた。
「ほらプログラム書いているとき、この修正は10分だな、これは5分だなと思いながら、ポストイット貼るじゃん?」

当時、僕らはバグや修正するべきポイントはポストイットに書いて、それをモニタの周りに貼るという方法を使っていた。これはとてもいい方法で今でも使いたいぐらいなのだけど、モニタのベゼルがとても狭くなった今、少々難しいものはあって、しょうがないからoutlookのtodoやevernoteのtodoを使っているのだけど、ポストイットのような絶対の可視性がないのはイタいのだよね…

「このポストイットがさ、全然減らないんだよね。それどころか増えるばかりなんだよね」
確かにそのとおりだった。
僕のマシンのディスプレイも、長谷川君のマシンのディスプレイも、ポストイットで周囲が埋まり、それどころかデバッグ用のPCエンジンに繋がったモニタの周囲にもポストイットが貼られ、それでも足りずハードやデバッガを置くフレームにまで貼る騒ぎになっていた。

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1991年4月 ADPCMとデータ二重化
91年4月末、天外2の音声の録音が行われることになった。
そして、僕は台本の量を見てびっくりしていた。
なんせどう見ても数百ページはあったからだ。
天外2がテキストの量が多いのは分かっていたけれど、まさかこんなとんでもない量だとは想像もしていなかった。

「ねえ、荒井君…これってほとんどADPCMになるんだよねえ」
「ですね」
荒井君…というのは、ハドソンの荒井弘二君のこと。
ハドソンの企画で、シナリオやデータを管理する人間で、天外1からの付き合いだった。
僕が最初にあったときは、1988年で、和泉さんの下でネクタリスのデータの管理をしていた。次に印象に残っていたのが、天外1で桝田さんと毎日マルチプラン(まだexcelではなかった)で仕事をしていたとき。つまり、天外1から荒井君は天外関係者だったのである。



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天外II、発売20周年。思えば遠くに来た。
今日、twitterでフォロワーの方に言われて気がついたのだけど、天外ⅡのPCエンジン版が発売されて20周年だった。

つまり、20年前の今日、天外Ⅱは発売されたわけだ。
最悪でも今年の冬には製作メモをまとめあげて、天外Ⅱ本は出せるだろうと思っているので、20周年の記念すべき年に本を出せることになるなあと思ってしまった。
その20周年に作った会社のハドソンはなくなっているってのもスゴい話だと思うけど。

それはともかくとして、自分が関わった仕事で知られている作品といわれたら、天外Ⅱか、イースⅠ・Ⅱになると思うんだけど、天外Ⅱは、自分には複雑な思いのある作品だ。

もちろん人によってはエメドラだろうし、ある種のファンには凄ノ王伝説だろうし、マニアックな人はボンバーボーイかも知れないw


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|| 18:48 | comments (5) | trackback (0) | ||

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