2012-09-06 Thu [ 天外2製作メモ ]
しばらく間が開いてしまったので、リハビリがてらに、前回の続きではないけれど、作っていた人間にとってはいろいろ思いで深い話などちょっと書いてみたい。
つーか、こんな風に落ち穂拾いしていかないと、なんだか粗筋だけの小説みたいになりそうな気がしたので、いろいろ書いていこうというわけ。
今回は、UI、ユーザーインターフェースについて。
さて。
天外2というゲームは対面戦闘の全盛時代が終わりにかかろうとしていた、スーパーファミコン登場前夜に企画がスタートし「王道」を要求されたために、実にこまごまとUI周りに微妙な問題が発生したソフトだった。
そして、たぶん2回でまとまる予定の、このシリーズではちょっとそれについて書いてみようというわけだ。
天外2の企画がスタートしたときは、まだ「Aボタン(PCエンジンではIボタンだが、面倒なのでAと表記する)」を押すことで、目の前の人と話したり、宝箱が開いたりといったアクションボタンという考え方は普及していなかった。
ではどういう方法が常識だったのかというと、以下のとおり。
例えば、目の前にNPCがいるとする。
また、宝箱を開けたり、何か調べたりするときもほぼ同じで
実にまどろっこしい。
この操作系を確立したのは、あの有名なドラゴンクエスト2。1はさらにまどろっこしい操作系だったのだけど、まあメモリがなかったのだから仕方ない。
ところが、このデファクトスタンダードにまるで沿わないゲームでメジャーなゲームシリーズがあった。
それがファイナルファンタジーシリーズ。
ファイナルファンタジーシリーズは初代ファミコン版から一貫して、例えば「Aボタンは話す調べる」みたいな、今風のアクションボタンを実装していた。
ただファイナルファンタジーシリーズは、ドラクエと比較したとき、当時(1989-90ぐらい)は「大きく差の開いた2番手ソフト群の中で急速に有力になりつつあるシリーズ」でしかなくて、そして他のドラクエフォロワーは「メニューを開く>話す」で、話すシステムだった。
なので、デファクトスタンダードは、ドラクエ1~4型の「メニュー>話す」システムだったと思えばいい。
と、ここまでは、89-90年あたりでは、アクションボタンはデファクト・スタンダードにはなっていなかったという歴史的な話。
ところで、僕は「話す/調べるボタン」が大好きだった。
というのも、僕はボタンを押す回数は少ないほうがいい、と当時は徹底的に信じていたので、合理化の権化のような「話す/調べる」ボタンはたまらなく好きだったのだ。
なので、天外2のプロジェクトに関わった1990年の頭から、Aボタンは「話す/調べる」にしたかったのだけど、どうしても広井さんと、桝田さんがウンといわなかった。
理由は簡単で
「便利なのは理解出来るけれど、大多数のお客さんが馴染みのないシステムは採用できない、それだけでお客さんを減らすリスクがある」
という極めてわかりやすいマーケット的なものだった。
これは、全く当たり前の話で、天外2は絶対に当たってもらわなければ困る、傑作でないと困るソフトだった。
そして一定以上のヒットを狙うためには、今書いてきたような、僅かでもユーザーを減らすリスクがあると確実にわかるものは徹底的に排除していく方向にゲームデザインは進む。
そして、もちろんこれは全く正しいやり方だ。
なんせ、僕らが当時作っていたゲームはPCエンジンスーパーCDROMの命運を賭けたゲームでコストもかかっているし(そうはいっても今のAAAタイトルと比べればハナクソみたいなもんだけど)、鉄板でなければいけないソフトだ。
ほんの僅かであろうと違和感を持たせるリスクのある選択は行わないのが正解だ。
だが、この厳しい制約は、物を作る人間としてはフラストレーションを感じざる作りを得なかったのも事実だった。
この「Aボタンでメニューが開いて、話をする」流れが大きく変わったのが1991年夏に発売されたファイナルファンタジーIVだった。
ファイナルファンタジーIVは、まさにSFCの機能をフルに演出に使い切った見事な傑作で、ものすごい大ヒットになると同時に、疑いもなくスーパーファミコンのRPGのスタンダードを作り上げた。
そして、もちろん「話す/調べる」ボタン操作系だった。
そして、1991年7月にファイナルファンタジーIVが発売され、大ヒットを飛ばして、ドラゴンクエストシリーズと肩を並べるシリーズになりつつあったとき、僕はもう一度桝田さんと広井さんに「話す・調べるボタン」のことを聞いた(僕はこういうことに関しては、とてもしつこい人間なのである)。
桝田さんと広井さんの返事はOKに変わっていた。
かくして、天外2では「話す・調べるボタン」になったわけである。
つーか、こんな風に落ち穂拾いしていかないと、なんだか粗筋だけの小説みたいになりそうな気がしたので、いろいろ書いていこうというわけ。
今回は、UI、ユーザーインターフェースについて。
さて。
天外2というゲームは対面戦闘の全盛時代が終わりにかかろうとしていた、スーパーファミコン登場前夜に企画がスタートし「王道」を要求されたために、実にこまごまとUI周りに微妙な問題が発生したソフトだった。
そして、たぶん2回でまとまる予定の、このシリーズではちょっとそれについて書いてみようというわけだ。
天外2の企画がスタートしたときは、まだ「Aボタン(PCエンジンではIボタンだが、面倒なのでAと表記する)」を押すことで、目の前の人と話したり、宝箱が開いたりといったアクションボタンという考え方は普及していなかった。
ではどういう方法が常識だったのかというと、以下のとおり。
例えば、目の前にNPCがいるとする。
1)Aボタンを押してメインメニューを出す
2)「話す」を選ぶ
3)目の前のキャラクタが話す。
なんてまどろっこしい方法だった。2)「話す」を選ぶ
3)目の前のキャラクタが話す。
また、宝箱を開けたり、何か調べたりするときもほぼ同じで
1)Aボタンを押してメインメニューを開き
2)「調べる」を選ぶと
3)宝箱が開く(目の前のものが調べられる)
…みたいな操作系が常識だった。2)「調べる」を選ぶと
3)宝箱が開く(目の前のものが調べられる)
実にまどろっこしい。
この操作系を確立したのは、あの有名なドラゴンクエスト2。1はさらにまどろっこしい操作系だったのだけど、まあメモリがなかったのだから仕方ない。
ここでドラクエの名誉のために書いておくと、上のようにテキストで書くとまどろっこしく見えるが、実際にはメニューを開いたときに、カーソルが位置しているコマンドは「話す」なので、感覚的にはAボタンのダブルクリックに近いノリで話すことが出来た。
また当時はカーソル位置を記憶できるほどメモリに余裕がなかったので、もちろん、カーソル位置は毎回同じ初期位置にあった。だから、確実にこの動作をしたわけだ。
しかし、いずれにしてもAボタン2回で、メニューが開く時間もあるのだから、まどろっこしいのは間違いない。
また当時はカーソル位置を記憶できるほどメモリに余裕がなかったので、もちろん、カーソル位置は毎回同じ初期位置にあった。だから、確実にこの動作をしたわけだ。
しかし、いずれにしてもAボタン2回で、メニューが開く時間もあるのだから、まどろっこしいのは間違いない。
ところが、このデファクトスタンダードにまるで沿わないゲームでメジャーなゲームシリーズがあった。
それがファイナルファンタジーシリーズ。
ファイナルファンタジーシリーズは初代ファミコン版から一貫して、例えば「Aボタンは話す調べる」みたいな、今風のアクションボタンを実装していた。
ただファイナルファンタジーシリーズは、ドラクエと比較したとき、当時(1989-90ぐらい)は「大きく差の開いた2番手ソフト群の中で急速に有力になりつつあるシリーズ」でしかなくて、そして他のドラクエフォロワーは「メニューを開く>話す」で、話すシステムだった。
なので、デファクトスタンダードは、ドラクエ1~4型の「メニュー>話す」システムだったと思えばいい。
このアクションボタンの考え方は最初から確立していたのか? といわれると微妙で、例えば2ではアクションボタンでさらに、出来るアクションがある場合には、メニューが出るなんて、微妙な操作系になっている。
これを「じゃあ他にウマいやり方があったのか?」と質問されたら、当時のファミコンのボタンの数やゲームバランスのあり方を考えれば、全くしょうがないのだけど、初期作品では微妙に操作がブレているのは間違いがない。
どちらかというと「ゲーム内の文脈に沿って機能するアクションボタン」ではなく、単純によく使う機能をボタンに割り振っただけ、という発想だったのではないかと思われる。
これを「じゃあ他にウマいやり方があったのか?」と質問されたら、当時のファミコンのボタンの数やゲームバランスのあり方を考えれば、全くしょうがないのだけど、初期作品では微妙に操作がブレているのは間違いがない。
どちらかというと「ゲーム内の文脈に沿って機能するアクションボタン」ではなく、単純によく使う機能をボタンに割り振っただけ、という発想だったのではないかと思われる。
と、ここまでは、89-90年あたりでは、アクションボタンはデファクト・スタンダードにはなっていなかったという歴史的な話。
ところで、僕は「話す/調べるボタン」が大好きだった。
というのも、僕はボタンを押す回数は少ないほうがいい、と当時は徹底的に信じていたので、合理化の権化のような「話す/調べる」ボタンはたまらなく好きだったのだ。
なので、天外2のプロジェクトに関わった1990年の頭から、Aボタンは「話す/調べる」にしたかったのだけど、どうしても広井さんと、桝田さんがウンといわなかった。
理由は簡単で
「便利なのは理解出来るけれど、大多数のお客さんが馴染みのないシステムは採用できない、それだけでお客さんを減らすリスクがある」
という極めてわかりやすいマーケット的なものだった。
これは、全く当たり前の話で、天外2は絶対に当たってもらわなければ困る、傑作でないと困るソフトだった。
そして一定以上のヒットを狙うためには、今書いてきたような、僅かでもユーザーを減らすリスクがあると確実にわかるものは徹底的に排除していく方向にゲームデザインは進む。
そして、もちろんこれは全く正しいやり方だ。
なんせ、僕らが当時作っていたゲームはPCエンジンスーパーCDROMの命運を賭けたゲームでコストもかかっているし(そうはいっても今のAAAタイトルと比べればハナクソみたいなもんだけど)、鉄板でなければいけないソフトだ。
ほんの僅かであろうと違和感を持たせるリスクのある選択は行わないのが正解だ。
だが、この厳しい制約は、物を作る人間としてはフラストレーションを感じざる作りを得なかったのも事実だった。
この「Aボタンでメニューが開いて、話をする」流れが大きく変わったのが1991年夏に発売されたファイナルファンタジーIVだった。
ファイナルファンタジーIVは、まさにSFCの機能をフルに演出に使い切った見事な傑作で、ものすごい大ヒットになると同時に、疑いもなくスーパーファミコンのRPGのスタンダードを作り上げた。
そして、もちろん「話す/調べる」ボタン操作系だった。
そして、1991年7月にファイナルファンタジーIVが発売され、大ヒットを飛ばして、ドラゴンクエストシリーズと肩を並べるシリーズになりつつあったとき、僕はもう一度桝田さんと広井さんに「話す・調べるボタン」のことを聞いた(僕はこういうことに関しては、とてもしつこい人間なのである)。
桝田さんと広井さんの返事はOKに変わっていた。
かくして、天外2では「話す・調べるボタン」になったわけである。
コメント
ドラクエのコマンドリストはあきらかにUltimaから影響を受けてますが、元のUltimaシリーズはコマンド路線を推し進め、「調べる」は椅子から人間まで調べられるし、「押す」で大砲とか家具とかを好き勝手に動かして回れたりとか、アドベンチャーゲームな方向に進化してったのが面白いですね。
VIIでコマンド制から完全マウスインターフェースに変わっても、その方向性は同じでした。
VIIでコマンド制から完全マウスインターフェースに変わっても、その方向性は同じでした。
| Quaint | EMAIL | URL | 13/05/15 20:40 | I2G39k7U |
あ、それはふつー契約に含まれます。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 12/09/08 13:53 | Ix4TGQxs |
天外IIでAボタン(Iボタン)といえば、
「ゲーム起動時にAボタン押しっぱなしにしているとタイトルすっ飛ばしてロード画面に直行する」仕様が、
プレイヤーのこと考えているなあ! と子供だった当時でも思った記憶があります。
最近のゲームで起動時に、ロゴいろいろ出てきてすっ飛ばせないのは、使用ツールとかの契約条項に入ってたりするんですかね。
「ゲーム起動時にAボタン押しっぱなしにしているとタイトルすっ飛ばしてロード画面に直行する」仕様が、
プレイヤーのこと考えているなあ! と子供だった当時でも思った記憶があります。
最近のゲームで起動時に、ロゴいろいろ出てきてすっ飛ばせないのは、使用ツールとかの契約条項に入ってたりするんですかね。
| スクルージ | EMAIL | URL | 12/09/06 21:52 | 59H5Wriw |
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