2014-10-26 Sun [ ゲームについて::歴史のこと ]
Twitterでギャプラス98版の話がたまたま出て、それ絡みのことがあったので、まとめてメモとして残しておく話。
ギャプラスはナムコのギャラクシアン→ギャラガと続いてきたナムコの固定型画面の縦シューティングの第三弾で1984年にリリースされた作品だ。
そしてギャプラスのPC-9801版(NECから出ていたパソコンのシリーズ)はキャリーラボが移植して発売しているのだけど、これの移植は非常にレベルが高いので有名だった(そしてナムコミュージアムで出るまではギャプラスの唯一の移植だったはず)。
移植したのはHahi君。
当時、キャリーラボの社員で、アルファシステムの創業者の一人だ。
なんでこんなことを知っているのかというと、たまたま凄ノ王伝説だのイース1・2だのを作っている間に、彼が移植したという話を聞いていたから。だから、そういう内容をひょいとツイートしたわけなのだけど…そこにこんな質問が来た。
と、聞かれ、確かにそれについては知らないなと思ったので、今でも連絡がつくHahi君にちょっと聞いてみた。
さすがに25年以上も前の話なので、覚えていない可能性もあるとは思ったけれど…そこはHahi君、キッチリ覚えていた。
続きを読む▽
ギャプラスはナムコのギャラクシアン→ギャラガと続いてきたナムコの固定型画面の縦シューティングの第三弾で1984年にリリースされた作品だ。
そしてギャプラスのPC-9801版(NECから出ていたパソコンのシリーズ)はキャリーラボが移植して発売しているのだけど、これの移植は非常にレベルが高いので有名だった(そしてナムコミュージアムで出るまではギャプラスの唯一の移植だったはず)。
移植したのはHahi君。
当時、キャリーラボの社員で、アルファシステムの創業者の一人だ。
なんでこんなことを知っているのかというと、たまたま凄ノ王伝説だのイース1・2だのを作っている間に、彼が移植したという話を聞いていたから。だから、そういう内容をひょいとツイートしたわけなのだけど…そこにこんな質問が来た。
いま思い返しても、16bitとはいえ初期のPC98でよくもあれだけスムーズに動かせたものだと感心してしまいます。
アルゴリズム的にもかなりイケてたように思うのですが、あれは目コピだったのでしょうか?
アルゴリズム的にもかなりイケてたように思うのですが、あれは目コピだったのでしょうか?
と、聞かれ、確かにそれについては知らないなと思ったので、今でも連絡がつくHahi君にちょっと聞いてみた。
さすがに25年以上も前の話なので、覚えていない可能性もあるとは思ったけれど…そこはHahi君、キッチリ覚えていた。
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2014-10-25 Sat [ 同人のコト ]
2014-10-12 Sun [ 日記 ]
最近、ポロポロツイートしてたことをまとめておこうと思った。
ゲームに絶対に必要な物は何か?
多分、確実に絶対に必要な物がただ一つある。
それはプレイヤーだ。
プレイヤーのいないゲームは存在しない。
ゲームデザインを思いついた瞬間は、そのゲームのプレイヤーは自分なことがほとんどだ。
メカニクスや世界やお話のとっかかりは、自分が「これは面白いだろう」と思うものから出てくるのだから、当たり前だ。
この思いついたモノを、次に「誰なら遊んでくれるだろう?」と思う。
それが自分以外の最初のプレイヤーだ。
ここで、そのゲームは自分だけのものではなくなるのだけど、自分の知っている顔が浮かばないようならツラい。また抽象的な人間が浮かぶのもヤバい。
なぜなら、自分が面白いと思っているゲームを自分以外で面白いと思ってくれそうな人を想像できないのは、そのゲームを他人が面白いと思ってくれるのか、極めて疑わしくなるからだ。
つまり、誰が遊ぶか考えていないゲームはぼくの考えたさいきょーゲームでしかなく、恐ろしくヒットする確率は低い。
とは言っても、世の中にはマレに、ぼくの考えたさいきょーゲームで当てる天才がいるので、もちろん自分は天才であると信じてさいきょーゲームを作るのもアリだろうが、無駄金を使わせるリスクがあるってことは意識するべきだ。
ちなみに僕はデビュー作はまさに、ぼくの考えたさいきょーRPGで、さくま先生のところでプレイする人間のことを考えていなかったことを徹底的に思い知らされた。
と、それはともかく、誰かが遊んでくれそうって判断が出てきたなら、ゲームを企画書なり、プレゼンなり、ちょっとしたプロトタイプなりに仕上げて、会社で企画書を通したり、それとも投資家を募ったりすることになる。
ここでお金を出してくれる人を説得できないようなら、そのゲームはダメだと僕は思ってる。なぜならお金を出す人は、ある意味、一番最初のプロフェッショナルなプレイヤーであり、この人達を説得できない企画がプレイヤーを説得できるわけがないと思っているからだ。
ここでお金を出す人たちが説得できたら、ゲームを作り始めるわけだけど、こういったプロセスを通ったからといって、そのゲームが売れるかというと、それは神様だけが知っているでしかないけれど、何も考えてないゲームよりは少なくとも空振りする可能性は低い。
ホームランを打つのは運でしかないと思っているけど、空振りした時の損害を押さえることは技術的にある程度可能だ。それをやらずに「おれのゲームが売れないはずはない」って制作に乗り出すのは、愚か者のやることだろう。
10人ぐらいのチームで10ヶ月ぐらいかけてゲームを作ったら、そんだけで1億ぐらいの金がかかる。1億円ドブに捨ててやろうって奇特な人ならいざしらず、投資ってのは見返りを期待されているものであって、もちろん利益を出すことが期待されている。
そして利益に繋がるようにするためには、(それなりに沢山の)プレイヤーが必要だ。
だから、ゲームは誰のために作るのか? と聞かれたら、自称芸術家のスゴいゲームを作りたいとかいう虚栄心を満足させるためではないし、会社のためでもない。
ゲームは遊んでくれるユーザーのために作るのである。
仮に売れなかったとしても、なぜ売れなかったのか、回避できるとすればどうすればいいのか? それを考えられる方が、考えられないよりは次に繋がる可能性が高い。
遊んでくれるであろうユーザーの事を考えて作るのは、まわりまわって、作る側の実力も上がると思うのだ。
ゲームに絶対に必要な物は何か?
多分、確実に絶対に必要な物がただ一つある。
それはプレイヤーだ。
プレイヤーのいないゲームは存在しない。
ゲームデザインを思いついた瞬間は、そのゲームのプレイヤーは自分なことがほとんどだ。
メカニクスや世界やお話のとっかかりは、自分が「これは面白いだろう」と思うものから出てくるのだから、当たり前だ。
この思いついたモノを、次に「誰なら遊んでくれるだろう?」と思う。
それが自分以外の最初のプレイヤーだ。
ここで、そのゲームは自分だけのものではなくなるのだけど、自分の知っている顔が浮かばないようならツラい。また抽象的な人間が浮かぶのもヤバい。
なぜなら、自分が面白いと思っているゲームを自分以外で面白いと思ってくれそうな人を想像できないのは、そのゲームを他人が面白いと思ってくれるのか、極めて疑わしくなるからだ。
つまり、誰が遊ぶか考えていないゲームはぼくの考えたさいきょーゲームでしかなく、恐ろしくヒットする確率は低い。
とは言っても、世の中にはマレに、ぼくの考えたさいきょーゲームで当てる天才がいるので、もちろん自分は天才であると信じてさいきょーゲームを作るのもアリだろうが、無駄金を使わせるリスクがあるってことは意識するべきだ。
ちなみに僕はデビュー作はまさに、ぼくの考えたさいきょーRPGで、さくま先生のところでプレイする人間のことを考えていなかったことを徹底的に思い知らされた。
と、それはともかく、誰かが遊んでくれそうって判断が出てきたなら、ゲームを企画書なり、プレゼンなり、ちょっとしたプロトタイプなりに仕上げて、会社で企画書を通したり、それとも投資家を募ったりすることになる。
ここでお金を出してくれる人を説得できないようなら、そのゲームはダメだと僕は思ってる。なぜならお金を出す人は、ある意味、一番最初のプロフェッショナルなプレイヤーであり、この人達を説得できない企画がプレイヤーを説得できるわけがないと思っているからだ。
ここでお金を出す人たちが説得できたら、ゲームを作り始めるわけだけど、こういったプロセスを通ったからといって、そのゲームが売れるかというと、それは神様だけが知っているでしかないけれど、何も考えてないゲームよりは少なくとも空振りする可能性は低い。
ホームランを打つのは運でしかないと思っているけど、空振りした時の損害を押さえることは技術的にある程度可能だ。それをやらずに「おれのゲームが売れないはずはない」って制作に乗り出すのは、愚か者のやることだろう。
10人ぐらいのチームで10ヶ月ぐらいかけてゲームを作ったら、そんだけで1億ぐらいの金がかかる。1億円ドブに捨ててやろうって奇特な人ならいざしらず、投資ってのは見返りを期待されているものであって、もちろん利益を出すことが期待されている。
そして利益に繋がるようにするためには、(それなりに沢山の)プレイヤーが必要だ。
だから、ゲームは誰のために作るのか? と聞かれたら、自称芸術家のスゴいゲームを作りたいとかいう虚栄心を満足させるためではないし、会社のためでもない。
ゲームは遊んでくれるユーザーのために作るのである。
仮に売れなかったとしても、なぜ売れなかったのか、回避できるとすればどうすればいいのか? それを考えられる方が、考えられないよりは次に繋がる可能性が高い。
遊んでくれるであろうユーザーの事を考えて作るのは、まわりまわって、作る側の実力も上がると思うのだ。
2014-10-01 Wed [ 昔のこと ]
Twitterでメモ書きした話をもう少しちゃんと残しておこうと思った。
ただの記憶でしかなく、細かいところに間違いがある可能性は十分にあるが、大枠は間違っていないはず。
25年前(1989年の初頭だったはず)、僕は自分のデビュー作、さいきょーRPG『凄ノ王伝説』の宣伝で、マル勝ファミコンの座談会に出してもらえることになった。この座談会は1988年冬~1989年初頭のゲーム業界で、言うまでもなく1988年2月に出た『ドラゴンクエストⅢ』で空前のRPGブームが来ていた、まさにRPGの全盛時代といっていいタイミングで行われていた。
僕自身はというとPCエンジン版の『イースⅠ・Ⅱ』の制作に入る前で、さくまセンセイのところでどんちゃんに叩きのめされる前だったと思う。
自分のゲームに対する考え方とアプローチは『イースⅠ・Ⅱ』の制作に入るまでの2ヶ月ほどで激変するのだけど、こんときはまだゲームを作るプロになれた嬉しさに舞い上がっていたと思う。
この座談会にどんなメンツが集まっていたのかというと、これまたあやふやなのだが、当時はまだバリバリゲームを作っていたポニーキャニオンの『ウルティマ』シリーズのプロデューサーの方、スクゥエアより坂口さん、あと…当時のマル勝がらみで『摩陀羅』(コナミからRPGとして発売されるのが発表された直後だったと記憶している)の黒田さんが来ていたと記憶している。
座談会は新宿の中華料理屋で行われたと記憶している。当時は僕はプロとしてゲームが出せて舞い上がっているガキだったので、ずいぶん失礼だったと思うのだけど、まあ四半世紀も前の話なので…ざっくりトイレに流してしまいたいところだ。
さて。
座談会の内容自体は普通のものだったのだけど、話が一気に面白くなったのは座談会が終ってからだった。
続きを読む▽
ただの記憶でしかなく、細かいところに間違いがある可能性は十分にあるが、大枠は間違っていないはず。
25年前(1989年の初頭だったはず)、僕は自分のデビュー作、さいきょーRPG『凄ノ王伝説』の宣伝で、マル勝ファミコンの座談会に出してもらえることになった。この座談会は1988年冬~1989年初頭のゲーム業界で、言うまでもなく1988年2月に出た『ドラゴンクエストⅢ』で空前のRPGブームが来ていた、まさにRPGの全盛時代といっていいタイミングで行われていた。
僕自身はというとPCエンジン版の『イースⅠ・Ⅱ』の制作に入る前で、さくまセンセイのところでどんちゃんに叩きのめされる前だったと思う。
自分のゲームに対する考え方とアプローチは『イースⅠ・Ⅱ』の制作に入るまでの2ヶ月ほどで激変するのだけど、こんときはまだゲームを作るプロになれた嬉しさに舞い上がっていたと思う。
この座談会にどんなメンツが集まっていたのかというと、これまたあやふやなのだが、当時はまだバリバリゲームを作っていたポニーキャニオンの『ウルティマ』シリーズのプロデューサーの方、スクゥエアより坂口さん、あと…当時のマル勝がらみで『摩陀羅』(コナミからRPGとして発売されるのが発表された直後だったと記憶している)の黒田さんが来ていたと記憶している。
古本もいいところだが雑誌があるはずなので、調べれば何年の何月かもわかるのだが。1989年なのはほぼ間違いないけど…もしかしたら88年だったかもしれない。
座談会は新宿の中華料理屋で行われたと記憶している。当時は僕はプロとしてゲームが出せて舞い上がっているガキだったので、ずいぶん失礼だったと思うのだけど、まあ四半世紀も前の話なので…ざっくりトイレに流してしまいたいところだ。
さて。
座談会の内容自体は普通のものだったのだけど、話が一気に面白くなったのは座談会が終ってからだった。
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