2018-09-29 Sat [ ゲームについて::歴史のこと ]
山根のヤツが飯君と飲みたいというので、7月にちょっと『エメドラ飲み会』みたいなものをやったとき、ついでに『エメドラ』の開発史についてイロイロ聞いたので、メモ書きがてらに残しておく。
エメドラ飲み会で山根と飯君から話を聞いて、開発の順序は『テスタメント』→『サバッシュ』→『エメドラ』だったのは確定した。
やっぱ当人たちに聞くと一気にわかるw
飯君が参加した流れは以下。
(スタート)もともとポプコムにライターとして参加
→ 当時、編集部では『サバッシュ』を作っていて手伝ってくれと頼まれる
→ 手伝ったらあっというまにいろいろ頼まれるように
→ 同じシステムでもう一本作ろう
→ バショウと組んで、『エメドラ』スタート。
と、こういう流れ。
最初は別のシナリオライターでやる予定が、飯君がやることになるのだけど、いろいろな理由でとても安くポプコムに掲載された広告があったので、エメラルドドラゴン・タムリンの名前は変更できなくなっていたと。
それから仮の主人公がダンという名前で、これには我慢できなくてアトルシャンとつけたという、なんとも微妙な話もあったりする。なお、本人は「シナリオなんて一度も書いたことなかったけど、出来ますよって平気でいいましたよ、ハハハ」とか言っていた。
マジかよ、おいw
木村君が参加したのはサバッシュの後。
サバッシュのイベント絵を描いていた関係なんだけど、キャラデザからビジュアルシーンまで一人でやることになったのは、飯君と当時のプログラマーの池亀君が煽ってやらせたらしい。
また山根が参加した理由はアルバイト。要は小遣い稼ぎだ。
ところがこのグローディアのマップの構造がかなりのド変態。8KBしかないマップ用メモリでバカでかいマップを作るために、かなりものすごい設計になっている。
セルのサイズはみんな覚えていないのだけど、4段階あって、2倍サイズになっていったらしいので、16x16チップ=128x64ドットが最大セルサイズではないかと思われる。最初のセルは8x4x2x4で16botx16dotで、16x16 → 32x32 → 64x64 → 128x128の可能性もあるが、ここらへんは88版を解析すればわかると思うが、まあしてはいない。
少し補足しておくと、当時はメモリがとてもないので、マップが大きいというのはそれだけで技術力があるあかしだったし、広いマップというだけでウリになった。だからこんな1バイト最大16倍ものサイズになるかわりに制限だらけのマップ構造を作るわけだ。
また初めて8x4と聞いたとき、ちょっと変態すぎて理由がわからなかったのだけど、4バイト*3(プレーン)=12バイト。これにキャラクタ合成用のマスクプレーンを持って16バイトになるので、多分16バイトバウンダリに効率よく詰めるためだなと気がついた。
そして16*256=4KBなので、当時の狭いメモリ空間なら、確かに8KBも使われてしまうより正しい選択肢に感じられないこともない。
と余談も書いたが、あまりにこのマップというかセル構造が変態すぎて、山根は大苦戦して、飯君が部屋に行っても居留守を使って逃げ回るぐらい、大変だったらしい(本人はイロイロ言い訳をしていたが…w)。
さて、それ以外に驚くべき事実が判明したのが『エメドラ』には『イース』のプログラムが影響していたということ。
『イース』を作ろうとしていた橋本君が入院したとき(なぜ入院したのかは聞いていない)、たまたま池亀君と同じところにいて(なぜ池亀君が入院したのかも聞いていない)、「テキストプレーンでマスクしておいて、マルチプレーン書き込みでVRAMの重ね合わせ処理を高速化し、VRAM to VRAMで転送する」技術を教えてもらったのは確実らしい。
飯君の話によると「ソースを見たかは知らんけど、仕組みは説明してもらって悔しがっていたのは覚えてますよ」ということだ。
時期から考えると、橋本君がファルコムで「俺なら88で動くフルカラーのスクロールを作れる」と豪語して、本当に出来るようになったというイース開発史の最初期なのだけど、これは全く驚くべき話だった。
88版イース開発史の初期についてのインタビューは以下のリンクでも読んで欲しい。
■PC88版イースの初期開発史:アステカ2からイースに至るまで
■初期開発史についての追加イロイロ
■山根はどうしてイースⅡのオープニングをアニメにしたのか?
■把握している限りのパソコン版イースの初期開発史
■リリアは誰が創り出したのか?
ついでに書くと、橋本君が生み出したテキストプレーンでマスクしておいて、マルチプレーン書き込みでVRAMの重ね合わせ処理を高速化し、VRAM to VRAMで転送する技法は解析を通じて、あっという間に一般化して『Xak』やさまざまなフォロワーを生むことになる。
つまり橋本君が作った『イース』のスクロールルーチンは実は88のゲームシーン全体に途方もない影響を与えているということがわかったのであった。
エメドラ飲み会で山根と飯君から話を聞いて、開発の順序は『テスタメント』→『サバッシュ』→『エメドラ』だったのは確定した。
やっぱ当人たちに聞くと一気にわかるw
飯君が参加した流れは以下。
(スタート)もともとポプコムにライターとして参加
→ 当時、編集部では『サバッシュ』を作っていて手伝ってくれと頼まれる
→ 手伝ったらあっというまにいろいろ頼まれるように
→ 同じシステムでもう一本作ろう
→ バショウと組んで、『エメドラ』スタート。
と、こういう流れ。
最初は別のシナリオライターでやる予定が、飯君がやることになるのだけど、いろいろな理由でとても安くポプコムに掲載された広告があったので、エメラルドドラゴン・タムリンの名前は変更できなくなっていたと。
それから仮の主人公がダンという名前で、これには我慢できなくてアトルシャンとつけたという、なんとも微妙な話もあったりする。なお、本人は「シナリオなんて一度も書いたことなかったけど、出来ますよって平気でいいましたよ、ハハハ」とか言っていた。
マジかよ、おいw
木村君が参加したのはサバッシュの後。
サバッシュのイベント絵を描いていた関係なんだけど、キャラデザからビジュアルシーンまで一人でやることになったのは、飯君と当時のプログラマーの池亀君が煽ってやらせたらしい。
また山根が参加した理由はアルバイト。要は小遣い稼ぎだ。
ところがこのグローディアのマップの構造がかなりのド変態。8KBしかないマップ用メモリでバカでかいマップを作るために、かなりものすごい設計になっている。
1)最小チップを8x4ドットにする
2)これを組み合わせた「セル」が4段階サイズあるある。
3)大きなセルは小さなセルを組み合わせで作る。
4)マップは基本そのセルで作る→だからヘンテコな構造になる。
2)これを組み合わせた「セル」が4段階サイズあるある。
3)大きなセルは小さなセルを組み合わせで作る。
4)マップは基本そのセルで作る→だからヘンテコな構造になる。
セルのサイズはみんな覚えていないのだけど、4段階あって、2倍サイズになっていったらしいので、16x16チップ=128x64ドットが最大セルサイズではないかと思われる。最初のセルは8x4x2x4で16botx16dotで、16x16 → 32x32 → 64x64 → 128x128の可能性もあるが、ここらへんは88版を解析すればわかると思うが、まあしてはいない。
少し補足しておくと、当時はメモリがとてもないので、マップが大きいというのはそれだけで技術力があるあかしだったし、広いマップというだけでウリになった。だからこんな1バイト最大16倍ものサイズになるかわりに制限だらけのマップ構造を作るわけだ。
また初めて8x4と聞いたとき、ちょっと変態すぎて理由がわからなかったのだけど、4バイト*3(プレーン)=12バイト。これにキャラクタ合成用のマスクプレーンを持って16バイトになるので、多分16バイトバウンダリに効率よく詰めるためだなと気がついた。
そして16*256=4KBなので、当時の狭いメモリ空間なら、確かに8KBも使われてしまうより正しい選択肢に感じられないこともない。
唖然としてしまうかもしれないが、こんなレベルでメモリを詰める設計をしないと、当時のマシンではまるで入らないのだw
だから、当時のゲームには常に容量やグラフィックスの厳しい制限があり、それがゆえに当時の容量や技術の制約を知らずに、何かを語ってもそれはほとんど意味がないぐらいのことは知っていてもいいと思っている。
だから、当時のゲームには常に容量やグラフィックスの厳しい制限があり、それがゆえに当時の容量や技術の制約を知らずに、何かを語ってもそれはほとんど意味がないぐらいのことは知っていてもいいと思っている。
と余談も書いたが、あまりにこのマップというかセル構造が変態すぎて、山根は大苦戦して、飯君が部屋に行っても居留守を使って逃げ回るぐらい、大変だったらしい(本人はイロイロ言い訳をしていたが…w)。
さて、それ以外に驚くべき事実が判明したのが『エメドラ』には『イース』のプログラムが影響していたということ。
『イース』を作ろうとしていた橋本君が入院したとき(なぜ入院したのかは聞いていない)、たまたま池亀君と同じところにいて(なぜ池亀君が入院したのかも聞いていない)、「テキストプレーンでマスクしておいて、マルチプレーン書き込みでVRAMの重ね合わせ処理を高速化し、VRAM to VRAMで転送する」技術を教えてもらったのは確実らしい。
飯君の話によると「ソースを見たかは知らんけど、仕組みは説明してもらって悔しがっていたのは覚えてますよ」ということだ。
時期から考えると、橋本君がファルコムで「俺なら88で動くフルカラーのスクロールを作れる」と豪語して、本当に出来るようになったというイース開発史の最初期なのだけど、これは全く驚くべき話だった。
88版イース開発史の初期についてのインタビューは以下のリンクでも読んで欲しい。
■PC88版イースの初期開発史:アステカ2からイースに至るまで
■初期開発史についての追加イロイロ
■山根はどうしてイースⅡのオープニングをアニメにしたのか?
■把握している限りのパソコン版イースの初期開発史
■リリアは誰が創り出したのか?
ついでに書くと、橋本君が生み出したテキストプレーンでマスクしておいて、マルチプレーン書き込みでVRAMの重ね合わせ処理を高速化し、VRAM to VRAMで転送する技法は解析を通じて、あっという間に一般化して『Xak』やさまざまなフォロワーを生むことになる。
つまり橋本君が作った『イース』のスクロールルーチンは実は88のゲームシーン全体に途方もない影響を与えているということがわかったのであった。
コメント
バショウハウス、懐かしいです
エメラルドドラゴンは移動が遅くて「イースみたいにCapsないのか;」と嘆いたものです
ところで「橋本さん」「橋本くん」いったいどちらなんですか
エメラルドドラゴンは移動が遅くて「イースみたいにCapsないのか;」と嘆いたものです
ところで「橋本さん」「橋本くん」いったいどちらなんですか
| LISA | EMAIL | URL | 18/10/22 00:32 | JFihjZ72 |
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