2018-03-28 Wed [ 昔のこと::ハドソン関係 ]
PCエンジン版の『R-TYPE』が30周年だとtwitterで知ったので、PCエンジン版の『R-TYPE』について自分が覚えていて、まあどこにも残っていないような話を少し残しておきたい。
あとPCエンジン版の『R-TYPE』については、今まで以下の記事で取り上げているので、興味がある方はまあドウゾ。
■ PCエンジン版R-TYPEのコト
■ 続・PCエンジン版R-TYPEの話
というわけで、本文。
自分が30年ほど前の1988年の2月(と記憶している)に、デビュー作であり、ぼくのさいきょーRPGでもある『凄ノ王伝説』を作るために、ハドソン北海道に行ったとき、R-TYPEチームは『R-TYPEⅡ』(アーケードの5-8面)が完成したところで、みんな毎日ファミコンゲームとかして遊んでいた。
そして置かれていたデバッグ用マシンでは『R-TYPEⅡ』のアドバタイズデモが延々流れていた。
そしてチームリーダー兼(今でいう)リードプログラマ兼(今でいう)リードゲームデザイナー兼(今でいう)ディレクター兼(今でいう)プロジェクトマネージャーをやっていた和泉さんは『ネクタリス』の準備でボードシミュレーションゲームの研究を始めたところだった。
そこにたまたま現れたのが僕で、たまたまボードのシミュレーションにはそれなりに詳しかったので「シミュレーションを研究するならホビージャパンの『ベーシック3』をプレイするのをお勧めしますよ」と推薦した。
そして推薦した手前、和泉さんとプレイしながら、いろいろと当時のボードSLGでよく使われていたシステムだったZOC・強ZOC・弱ZOC・セカンドインパルス・諸兵科連合・包囲効果・戦闘後移動なんかの説明をしていた。
で、『ベーシック3』のゲームをプレイしながら話をしているうちに、和泉さんが『R-TYPE』を移植した人なコトなのを知り(最初のうちは知らなかった)、そして『R-TYPE』のアーケードのソースはNECのV30(8086互換のちょっといいCPU)で書かれていたんだけど、書き方がヘタクソで話にならないと思ったこと。
本当は暴走するバグまで移植したかったんだけど、諦めたこと(いやまあダメだと思いますよ! あと「ゲーメストに載ってないのもあるよ」と言っていたw)。
処理落ちさせるか迷ったんだけど、プログラマとして遅いのはどうしても許せなくて処理落ちさせなかったこと。
アドバタイズデモのやる気がなくて、許せなくてちゃんとカッコいいものを作ったこと(あとからデモを作った角谷君からメモリねえから弾撃つなとか言われて超大変だったなんて話を聞いたw)。
スプライトの14個制限の制限の理由を知らなくて「なんだ、こう設定したら16個でるじゃん」って設定して使ったら、あとからNECから大目玉を食らったこと。
などなど、とても面白い話をたくさん聞いたのだけど、『R-TYPE』に関わる面白いエピソードを和泉さん以外から1つ聞いていたので、それをここに残しておこうというわけである。
実はここまではネタ振りだったのだ。
それは僕がハドソンに行ってから数か月経って、『ネクタリス』の開発に本格的に突入していた和泉さんところのサブ(プログラマ)と話をしていたときだった。
サブが「和泉さんの作ったこのタスクシステムってのは、Xレジスタを保存しないとだめで、ワークもいろいろ制限があってさあ」とボヤいていたときだったと思う。
そのときは、僕は自分が『凄ノ王伝説』用に作ったシステム以外は知らなかったので、ヘエヘエと面白がって根ほり葉ほり聞いていた。
彼は加えて面白いことをしゃべりだした。
「『ネクタリス』では使ってないんだけどさ『R-TYPE』の時には、もう一つツールがあって、これがドット屋の恐怖だったんだよね」
「へえ、どんなツールなの?」
「俺もよくわかってないんだけどさ、マップを圧縮するツールなんだけど、使っちゃいけないキャラが使われていると、ビープがビーッ!って鳴るんだよ。シーンって静まり返っているところでさ、いきなりビープが鳴ると、デザイナーがバッ! と顔を上げてそのツールに映ってる画面を見るんだよ」
「はあはあ」
「それで、自分のやってるところじゃないデザイナーはほっとして、また仕事に戻って、担当のヤツだけがうわーって顔をして立ち上がって、どこでエラーを起こしたのかを見るんだよね」
「うっひゃああああ」
と、そんな専用ツールがあったという話を聞いて、へええと思っていたのだけど、このサブは当時よくわかっていなかったようだけど、今の僕には、そのツールが何をやるものだったのか手に取るようにわかる。
当時のマシンではそもそもアーケードの画面をそのまま移植できるだけの今でいうテクスチャ領域がない。
だからテクスチャを大幅に貧相にしないと移植できない。
だけど、ここに重要なコトがある。
『R-TYPE』は強制スクロールで、かつ、後戻りすることはないので、あとで使わないテクスチャはどんどん捨てていける。
つまり1画面に見える範囲のテクスチャが一定サイズに収まるように、ROM(Huカード側)から、どんどん空いたところにテクスチャを転送しながら、いらなくなったところを捨てていくバケツリレーのようなマネをすれば、まるでアーケードと同じぐらいテクスチャを使ったゲームになるわけだ。
そして和泉さんのツールは、マップを圧縮しながら、転送順序を決定しつつ、テクスチャの総量が定められた量を超えないかを確認するツールだったのだろうと想像できるわけだ(なお、想像はほぼ間違っていない自信があるが、説明は今の人に比較的わかりやすくしているので、かなり当時のイメージからはかけ離れた表現になっている)
またキャラクタ(テクスチャ)のリアルタイム転送は『ネクタリス』でも当たり前のようにやっていたのだけど、これまた『R-TYPE』で得たノウハウだったのだろうと思っている。
なぜなら、和泉さんがやったPCエンジン第一作の『THE 功夫』は、ハドソンのPCエンジンのサンプルソフトとして開発キットについていたのだけど、恐ろしく素直で単純なコードで、そういうことは全くやっていなかったからだ。
また『R-TYPE』で和泉さんが作ったシステムは、のちのPCエンジンのゲームに恐ろしく影響を与えている。
なぜなら、まず『コブラ』を皮切りとするハドソンのデジタルコミックシリーズは、全部和泉さんのシステムをベースにしている。
さらに上で書いた通り、僕もHahi君も使ったし、そのあと『天外Ⅱ』でも使ったし、アルファでも使っていたはずだし、もちろん僕も使った。つまりハドソンおよびその周辺の作るCDROMゲームのほぼ標準システムとして君臨することになった。
つまり『R-TYPE』はハドソン関係のCDROMゲームの作り方を決定したゲームだったのだ。
最後に和泉さん自身について少し書いておく。
和泉さんはハドソンに入ってHuman 68K関係でイロイロ書いた後、PCエンジンの仕事に移り、開発ツールのDF(キャラクタエディタ)・『功夫』・『R-TYPE』・『R-TYPEⅡ』・『ネクタリス』・『ドラえもん 迷宮大作戦』(これは紆余曲折があってそうなった)・『コブラ』・『バトルエース』などを作り、そのあとスーパーファミコンで『アースライト』を手掛けた。
そのあとは何をしたのか、僕はハドソンから離れたので知らないが、まあホントにスゴい人だったのである。
他愛もないエピソードだが、誰にも知られずに消えていくにはあまりにもったいないと思うので、こうして残しておく次第である。
なにもかも懐かしい、30年前の話である。
あとPCエンジン版の『R-TYPE』については、今まで以下の記事で取り上げているので、興味がある方はまあドウゾ。
■ PCエンジン版R-TYPEのコト
■ 続・PCエンジン版R-TYPEの話
というわけで、本文。
自分が30年ほど前の1988年の2月(と記憶している)に、デビュー作であり、ぼくのさいきょーRPGでもある『凄ノ王伝説』を作るために、ハドソン北海道に行ったとき、R-TYPEチームは『R-TYPEⅡ』(アーケードの5-8面)が完成したところで、みんな毎日ファミコンゲームとかして遊んでいた。
そして置かれていたデバッグ用マシンでは『R-TYPEⅡ』のアドバタイズデモが延々流れていた。
88年2月は『R-TYPE Ⅰ』もまだ発売されてなかったわけで、そこに『R-TYPE Ⅱ』があるんだから、やっぱ開発!って感じなんだけど、当時の自分はもうゲーム雑誌のライターをやっていて、発売前のゲームがあるのが当たり前の環境だったので、なんとも思っていなかった。
そしてチームリーダー兼(今でいう)リードプログラマ兼(今でいう)リードゲームデザイナー兼(今でいう)ディレクター兼(今でいう)プロジェクトマネージャーをやっていた和泉さんは『ネクタリス』の準備でボードシミュレーションゲームの研究を始めたところだった。
「チームリーダー兼(今でいう)リードプログラマ兼(今でいう)リードゲームデザイナー兼(今でいう)ディレクター兼(今でいう)プロジェクトマネージャーってアリエネーだろ!」
と、今のプロの世界に生きてる人なら叫ぶだろうけれど、当時はプログラマはメイン1人、サブ1人(そろそろ1人で足りなくなりつつあって『R-TYPE』はサブプログラマが2人になっている)で、サウンドに1人、あとアーティストが5~8人程度のせいぜい10人程度のチームでゲームが出来上がり、開発期間も長くて1年(RPGなどがそろそろ1年に到達しつつあった)だ。
1人で全部を兼ねることが可能なほどにゲームが小さかったのだ。
と、今のプロの世界に生きてる人なら叫ぶだろうけれど、当時はプログラマはメイン1人、サブ1人(そろそろ1人で足りなくなりつつあって『R-TYPE』はサブプログラマが2人になっている)で、サウンドに1人、あとアーティストが5~8人程度のせいぜい10人程度のチームでゲームが出来上がり、開発期間も長くて1年(RPGなどがそろそろ1年に到達しつつあった)だ。
1人で全部を兼ねることが可能なほどにゲームが小さかったのだ。
そこにたまたま現れたのが僕で、たまたまボードのシミュレーションにはそれなりに詳しかったので「シミュレーションを研究するならホビージャパンの『ベーシック3』をプレイするのをお勧めしますよ」と推薦した。
そして推薦した手前、和泉さんとプレイしながら、いろいろと当時のボードSLGでよく使われていたシステムだったZOC・強ZOC・弱ZOC・セカンドインパルス・諸兵科連合・包囲効果・戦闘後移動なんかの説明をしていた。
これまた今の人には全くわからないだろうと思われるので説明。
『ベーシック3』は、当時、ホビージャパンから発売されていたボードのウォーシミュレーションゲームの入門キット。
3本の小さなゲーム(スエズを渡れ、バルジ大作戦、レニングラード)が入っていて、それぞれにルールがある程度違って、なおかつプレイタイムも短いので、当時のボードSLGの基礎を知るには、とてもいいパッケージだった。
中でも『スエズを渡れ』が、ZOCによる戦線の組み方のお手本になるようなゲーム(と僕は思っている)で、和泉さんにボードシミュレーションの基礎を『スエズを渡れ』をプレイすることで理解してもらっていたわけだ。
これでわかると思うけれど『ネクタリス』が当時流行していた『大戦略』の流れを汲まず、生産ルールなし・面ごとに用意されたユニットで戦うといったボードのヒストリカルシミュレーションの色が強くあるゲームなのは、この『ベーシック3』の影響が強いからだ。
『ベーシック3』は、当時、ホビージャパンから発売されていたボードのウォーシミュレーションゲームの入門キット。
3本の小さなゲーム(スエズを渡れ、バルジ大作戦、レニングラード)が入っていて、それぞれにルールがある程度違って、なおかつプレイタイムも短いので、当時のボードSLGの基礎を知るには、とてもいいパッケージだった。
中でも『スエズを渡れ』が、ZOCによる戦線の組み方のお手本になるようなゲーム(と僕は思っている)で、和泉さんにボードシミュレーションの基礎を『スエズを渡れ』をプレイすることで理解してもらっていたわけだ。
これでわかると思うけれど『ネクタリス』が当時流行していた『大戦略』の流れを汲まず、生産ルールなし・面ごとに用意されたユニットで戦うといったボードのヒストリカルシミュレーションの色が強くあるゲームなのは、この『ベーシック3』の影響が強いからだ。
で、『ベーシック3』のゲームをプレイしながら話をしているうちに、和泉さんが『R-TYPE』を移植した人なコトなのを知り(最初のうちは知らなかった)、そして『R-TYPE』のアーケードのソースはNECのV30(8086互換のちょっといいCPU)で書かれていたんだけど、書き方がヘタクソで話にならないと思ったこと。
本当は暴走するバグまで移植したかったんだけど、諦めたこと(いやまあダメだと思いますよ! あと「ゲーメストに載ってないのもあるよ」と言っていたw)。
処理落ちさせるか迷ったんだけど、プログラマとして遅いのはどうしても許せなくて処理落ちさせなかったこと。
アドバタイズデモのやる気がなくて、許せなくてちゃんとカッコいいものを作ったこと(あとからデモを作った角谷君からメモリねえから弾撃つなとか言われて超大変だったなんて話を聞いたw)。
スプライトの14個制限の制限の理由を知らなくて「なんだ、こう設定したら16個でるじゃん」って設定して使ったら、あとからNECから大目玉を食らったこと。
これは野沢さんからも聞いたw
そして『イースⅠ・Ⅱ』のとき「知らん顔して使ったらだめ?」って聞いたら「あいつら、今はオシロでちゃんと見てるからダメだ!」と言われたw
で「隠すためにさ、スプライトオーバーフラグが立ったときだけ、切り替えるのはなし?」って聞いたら「ダメーーーッ!」って言われた。
(試したことはないが、ラスターのタイミングでモードレジスタをいじくるのはさんざんやったので、間違いなく出来る)
そして『イースⅠ・Ⅱ』のとき「知らん顔して使ったらだめ?」って聞いたら「あいつら、今はオシロでちゃんと見てるからダメだ!」と言われたw
で「隠すためにさ、スプライトオーバーフラグが立ったときだけ、切り替えるのはなし?」って聞いたら「ダメーーーッ!」って言われた。
(試したことはないが、ラスターのタイミングでモードレジスタをいじくるのはさんざんやったので、間違いなく出来る)
などなど、とても面白い話をたくさん聞いたのだけど、『R-TYPE』に関わる面白いエピソードを和泉さん以外から1つ聞いていたので、それをここに残しておこうというわけである。
実はここまではネタ振りだったのだ。
それは僕がハドソンに行ってから数か月経って、『ネクタリス』の開発に本格的に突入していた和泉さんところのサブ(プログラマ)と話をしていたときだった。
サブが「和泉さんの作ったこのタスクシステムってのは、Xレジスタを保存しないとだめで、ワークもいろいろ制限があってさあ」とボヤいていたときだったと思う。
このシステムはスタックが256バイトしかない6502で、疑似マルチタスクを実現するためのものだったのだけど、ともかく恐ろしくよくできていて、僕は『イースⅠ・Ⅱ』を作るときに、自分のシステムを捨てて、これをもらって超魔改造して使い倒し、『天外Ⅱ』でも『エメドラ』でも使い、ついでに書くと『コブラ』以降は、ハドソンの標準システムになったのだけど、それはともかく、88年当時は和泉さんが使っているだけのシステムだった。
そのときは、僕は自分が『凄ノ王伝説』用に作ったシステム以外は知らなかったので、ヘエヘエと面白がって根ほり葉ほり聞いていた。
彼は加えて面白いことをしゃべりだした。
「『ネクタリス』では使ってないんだけどさ『R-TYPE』の時には、もう一つツールがあって、これがドット屋の恐怖だったんだよね」
「へえ、どんなツールなの?」
「俺もよくわかってないんだけどさ、マップを圧縮するツールなんだけど、使っちゃいけないキャラが使われていると、ビープがビーッ!って鳴るんだよ。シーンって静まり返っているところでさ、いきなりビープが鳴ると、デザイナーがバッ! と顔を上げてそのツールに映ってる画面を見るんだよ」
「はあはあ」
「それで、自分のやってるところじゃないデザイナーはほっとして、また仕事に戻って、担当のヤツだけがうわーって顔をして立ち上がって、どこでエラーを起こしたのかを見るんだよね」
「うっひゃああああ」
と、そんな専用ツールがあったという話を聞いて、へええと思っていたのだけど、このサブは当時よくわかっていなかったようだけど、今の僕には、そのツールが何をやるものだったのか手に取るようにわかる。
当時のマシンではそもそもアーケードの画面をそのまま移植できるだけの今でいうテクスチャ領域がない。
だからテクスチャを大幅に貧相にしないと移植できない。
だけど、ここに重要なコトがある。
『R-TYPE』は強制スクロールで、かつ、後戻りすることはないので、あとで使わないテクスチャはどんどん捨てていける。
つまり1画面に見える範囲のテクスチャが一定サイズに収まるように、ROM(Huカード側)から、どんどん空いたところにテクスチャを転送しながら、いらなくなったところを捨てていくバケツリレーのようなマネをすれば、まるでアーケードと同じぐらいテクスチャを使ったゲームになるわけだ。
そして和泉さんのツールは、マップを圧縮しながら、転送順序を決定しつつ、テクスチャの総量が定められた量を超えないかを確認するツールだったのだろうと想像できるわけだ(なお、想像はほぼ間違っていない自信があるが、説明は今の人に比較的わかりやすくしているので、かなり当時のイメージからはかけ離れた表現になっている)
またキャラクタ(テクスチャ)のリアルタイム転送は『ネクタリス』でも当たり前のようにやっていたのだけど、これまた『R-TYPE』で得たノウハウだったのだろうと思っている。
なぜなら、和泉さんがやったPCエンジン第一作の『THE 功夫』は、ハドソンのPCエンジンのサンプルソフトとして開発キットについていたのだけど、恐ろしく素直で単純なコードで、そういうことは全くやっていなかったからだ。
ところでディスアセンブルすればわかることだけど、当時のPCエンジンの速度を考えると、空いた穴にテクスチャをはめ込むような複雑な処理はしておらず、例えば3バンク、256*3キャラ分をBGに割り当てるとしておいて、常時表示されるのは2バンク分、512キャラで、256キャラをゲームが進行するにしたがって、64キャラ単位で定義していき、タイミングよく切り替えるぐらいだったろうと思っている。
おぼろな記憶でしかないけれど、和泉さんがそれのために作った"vm_alloc"というVRAMを確保するサブルーチンが確か64キャラ単位だったかの管理だったので、まずこの手の実装で間違いないと思っている。
なお、vm_allocは僕もHahi君も一度も使ったことはないw
おぼろな記憶でしかないけれど、和泉さんがそれのために作った"vm_alloc"というVRAMを確保するサブルーチンが確か64キャラ単位だったかの管理だったので、まずこの手の実装で間違いないと思っている。
なお、vm_allocは僕もHahi君も一度も使ったことはないw
また『R-TYPE』で和泉さんが作ったシステムは、のちのPCエンジンのゲームに恐ろしく影響を与えている。
なぜなら、まず『コブラ』を皮切りとするハドソンのデジタルコミックシリーズは、全部和泉さんのシステムをベースにしている。
さらに上で書いた通り、僕もHahi君も使ったし、そのあと『天外Ⅱ』でも使ったし、アルファでも使っていたはずだし、もちろん僕も使った。つまりハドソンおよびその周辺の作るCDROMゲームのほぼ標準システムとして君臨することになった。
つまり『R-TYPE』はハドソン関係のCDROMゲームの作り方を決定したゲームだったのだ。
最後に和泉さん自身について少し書いておく。
和泉さんはハドソンに入ってHuman 68K関係でイロイロ書いた後、PCエンジンの仕事に移り、開発ツールのDF(キャラクタエディタ)・『功夫』・『R-TYPE』・『R-TYPEⅡ』・『ネクタリス』・『ドラえもん 迷宮大作戦』(これは紆余曲折があってそうなった)・『コブラ』・『バトルエース』などを作り、そのあとスーパーファミコンで『アースライト』を手掛けた。
そのあとは何をしたのか、僕はハドソンから離れたので知らないが、まあホントにスゴい人だったのである。
他愛もないエピソードだが、誰にも知られずに消えていくにはあまりにもったいないと思うので、こうして残しておく次第である。
なにもかも懐かしい、30年前の話である。
コメント
PCエンジンの話題から離れますが、ハドソンとR-TYPEと言えば、発売延期を繰り返して結局発売されなかった、FM TOWNS版の詳細を知りたいところです。
雑誌の開発写真はPCエンジン版を流用していたので、画面もできてなかったのかなと思うのですが、電脳遊園地では開発中のものを見たという人もいました。
昨年、未発売ソフトを追いかける書籍が出ましたが、TOWNS版R-TYPEについては真相にたどり着かず、かなりもやもやしています(笑)。
雑誌の開発写真はPCエンジン版を流用していたので、画面もできてなかったのかなと思うのですが、電脳遊園地では開発中のものを見たという人もいました。
昨年、未発売ソフトを追いかける書籍が出ましたが、TOWNS版R-TYPEについては真相にたどり着かず、かなりもやもやしています(笑)。
| 啓先陽子 | EMAIL | URL | 18/04/22 15:24 | M7EYl6g6 |
R-TYPEは、PCエンジンの波形メモリ音源であれだけBGMやSEの再現度が高かったのも驚異的でした。
https://youtu.be/8lTwcsvWkb4?t=943
上記のGTVビデオの開発中映像だと音が製品版と全然違うのですが、きっと音を探したり重ねたりとものすごい試行錯誤を繰り返してあのクオリティになったんだろうなぁと妄想しています。
ちなみにPCエンジンの音の開発環境では、実機の音色の確認は、作りながら簡単にできたのでしょうか?
そういった音周りの開発話も機会があれば聞かせていただきたいです。
https://youtu.be/8lTwcsvWkb4?t=943
上記のGTVビデオの開発中映像だと音が製品版と全然違うのですが、きっと音を探したり重ねたりとものすごい試行錯誤を繰り返してあのクオリティになったんだろうなぁと妄想しています。
ちなみにPCエンジンの音の開発環境では、実機の音色の確認は、作りながら簡単にできたのでしょうか?
そういった音周りの開発話も機会があれば聞かせていただきたいです。
| YMD | EMAIL | URL | 18/03/29 02:38 | NgT9rM8g |
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