2010-06-07 Mon [ ゲームについて::歴史のこと ]
自分のTwitterのTLに 宮本茂のゲーム哲学(2) ゲーム作りに必要なセンス - 「スーパーマリオ」制作秘話を読んだという感想が何度か流れてきたので、読んだのだが、この制作秘話、どうにも疑わしい。
というか、パックランドを徹底的に分析したという話は、どう考えても僕には信じられないし、眉唾としか思えない。
以下、どうして信じられないのか実体験に基づいた逆算で説明していく。
1985年9月13日、これがスーパーマリオブラザースFC版の発売日だ。
普通、ROMカセットを生産するのは、いまどきの最短2週間で20万枚ぐらいならなんとかなっちゃいますな光学メディアと違い、圧倒的に手間が掛かる。
当時は量産するためにはマスクROMオンリーなので、マスター納品→マスクパターン制作→ROM生産→基板&カートリッジと合体→完成という流れを取る。
上記プロセスは「どれだけ急いでもある程度の量をそろえるなら2ヶ月以下はあり得ない」。
例えば、拙作『凄ノ王伝説』はファミコンと比べればラインに余裕があるPCエンジンのROMゲームだがマスターアップは2月初頭で、発売は4月27日。つまり2ヵ月半。
ファミコンでは通常3ヶ月だったが、任天堂は社内作品でチェックなどで有利な部分があると考え、2ヶ月としておこう。
発売日から引き算すると85/07/13。
スーマリのマスターはこのあたりが一番遅いことになる。
マスターとして工場に出すためにはバグがないことが必要。すなわち最終デバッグ、つまりバランスなどは(出来るだけ)直さず、ひたすらバグを取るだけという期間が1ヶ月程度は必要だ。ここは面倒くさいので休みは計算しない。
これを引き算すると85/06/13。
これより前に、当然ゲームバランスを微調整し、マップを調整する時間がある。
これは少なく見積もっても2ヶ月程度はかかる。「長い!」と思うかも知れないが、だいたいスーパーマリオは32面あるソフトだ。休みナシで作業して2日で1面調整しても2ヶ月以上かかる計算になる。当時なので週休1日だったと仮定して、月稼動が25日程度とすると2ヵ月半。
これを引き算すると85/04/01。
つまり、このあたりからバランス&マップ調整をやらないと絶対に間に合うとは思えない。
これより前に、マップや敵を実際に入れて作る作業がある(うちの会社ではlayoutと呼ばれる)。
32面あるけれど、今のゲームと比べれば流用が多いから、1面が平均4日で出来たと仮定しよう。休みナシで128日。約4ヶ月が必要になる。25日計算では5ヶ月とちょっと。
これを引き算すると84/11/1あたり。
つまり84/11あたりから実制作フェーズでなければ、スーマリは発売出来なかったはずで、しかもスケジュールにはかなり無理があるのは明らかだ。
これより前、どれぐらいから宮本さんが例えばジャンプのテスト制作や面構成を考えていたのか、こればかりは神のみぞ知るだが、レベルデザイン(完全ではないにしろラフレベルではレベルデザインをしていたはず)32面、1面3日と考えて、96日。25日計算ではほぼ4ヶ月になる。モブ(敵のこと)や細かいアイディアまで考えれば、もっと時間がかかっても不思議はないが、ともかく4ヶ月前後としておこう。
これを引き算すると84/7/1。
このあたりがレベルデザインを始めた時点という計算になる。
ここでパックランドの稼働日はいつなのかというと84/8。
つまりマップデザインをはじめなければ、間に合わないと思われる時期より後にパックランドは稼動を始めていることになる。すなわち、上記スケジュールから考えてパックランドを徹底的に研究する時間があったとはとても思えない。
並行して進めれば…という意見もあるかもしれないが、上記したスケジュールを1面あたりの平均に直すと、ラフデザイン=3日、実デザイン/敵配置/プログラム=4日、バランス調整2日。つまり1面をたったの10日で作った計算だ。
敵のプログラムできてます、レイアウトするだけです、だとしても今風なミドルウェアがあったとしても1面10日はキツイ。いかにギリギリのスケジュールかわかる。
もちろんパックランドは名ゲームであり、なおかつスーパーマリオと共通する要素があり、しかも開発の初期に見るチャンスがあったのは確かだから、宮本さんは絶対に参考にしたとは思う。
だがパックランドを徹底的に宮本さんが研究した逸話が本当とは思えないのは、上記の想像されるスケジュールから明らかだ。
ということで、最初に挙げたリンクの秘話とやらが、ほとんど想像の産物なのはほぼ間違いはないだろう。また、最初に挙げたリンクが、なにかの本を下敷きにして書いているのだとしたら、その本はちゃんと取材をしてないのも、ほぼ確かだろうと僕は思う。
資料のほとんどない時代なので、(本人もしくはチームのメンバーが証言しない限りは)真相は藪の中だろうが、この話が本当の可能性はとても低いのではなかろうか。
というか、パックランドを徹底的に分析したという話は、どう考えても僕には信じられないし、眉唾としか思えない。
以下、どうして信じられないのか実体験に基づいた逆算で説明していく。
1985年9月13日、これがスーパーマリオブラザースFC版の発売日だ。
普通、ROMカセットを生産するのは、いまどきの最短2週間で20万枚ぐらいならなんとかなっちゃいますな光学メディアと違い、圧倒的に手間が掛かる。
当時は量産するためにはマスクROMオンリーなので、マスター納品→マスクパターン制作→ROM生産→基板&カートリッジと合体→完成という流れを取る。
上記プロセスは「どれだけ急いでもある程度の量をそろえるなら2ヶ月以下はあり得ない」。
例えば、拙作『凄ノ王伝説』はファミコンと比べればラインに余裕があるPCエンジンのROMゲームだがマスターアップは2月初頭で、発売は4月27日。つまり2ヵ月半。
ファミコンでは通常3ヶ月だったが、任天堂は社内作品でチェックなどで有利な部分があると考え、2ヶ月としておこう。
発売日から引き算すると85/07/13。
スーマリのマスターはこのあたりが一番遅いことになる。
【注】 正確にはFCのマスター納品から、実際のカートリッジ納品までは3ヶ月以上が普通で最盛期の繁忙期には6ヶ月があったと聞いた。実体験として、初代桃太郎電鉄はFCで、たまたま僕は手伝ったが、このときは8月にはマスターを出した記憶がある。つまり4ヵ月程度あったはず。
また、正確にはメーカー出荷では終わらず、当時の流通は最低でも3段階程度はあったので、発売日に店頭に並ぶためには1週間程度前には一次問屋になければいけないから、さらにスケジュールはシビアになり、社内といえど2ヶ月は微妙ではないかと思うが、一応最短を見ておく。
■6/9追記 7月13マスターはまず無理な事実に自分で気がついた。8月の第2-3週はお盆休みで工場が止まる。つまり9月第一週出荷を前提にすると、6月半ばより前、多分6月最初がマスターであった可能性が非常に高い。言い換えるなら、このブログの推測スケジュールはさらに1ヶ月前倒しになり、ますますパックランドを研究した可能性は低くなる
また、正確にはメーカー出荷では終わらず、当時の流通は最低でも3段階程度はあったので、発売日に店頭に並ぶためには1週間程度前には一次問屋になければいけないから、さらにスケジュールはシビアになり、社内といえど2ヶ月は微妙ではないかと思うが、一応最短を見ておく。
■6/9追記 7月13マスターはまず無理な事実に自分で気がついた。8月の第2-3週はお盆休みで工場が止まる。つまり9月第一週出荷を前提にすると、6月半ばより前、多分6月最初がマスターであった可能性が非常に高い。言い換えるなら、このブログの推測スケジュールはさらに1ヶ月前倒しになり、ますますパックランドを研究した可能性は低くなる
マスターとして工場に出すためにはバグがないことが必要。すなわち最終デバッグ、つまりバランスなどは(出来るだけ)直さず、ひたすらバグを取るだけという期間が1ヶ月程度は必要だ。ここは面倒くさいので休みは計算しない。
これを引き算すると85/06/13。
【注】 ゲームが大きくなった今ではこれでは絶対に足りないが(自分が関わったPS2のカーレースゲームでは丸2ヶ月ちょっとデバッグしていた)、当時だから1ヶ月程度でなんとかなったと思われる。実際、たいてい1ヶ月でなんとかなってたしw
これより前に、当然ゲームバランスを微調整し、マップを調整する時間がある。
これは少なく見積もっても2ヶ月程度はかかる。「長い!」と思うかも知れないが、だいたいスーパーマリオは32面あるソフトだ。休みナシで作業して2日で1面調整しても2ヶ月以上かかる計算になる。当時なので週休1日だったと仮定して、月稼動が25日程度とすると2ヵ月半。
これを引き算すると85/04/01。
つまり、このあたりからバランス&マップ調整をやらないと絶対に間に合うとは思えない。
これより前に、マップや敵を実際に入れて作る作業がある(うちの会社ではlayoutと呼ばれる)。
32面あるけれど、今のゲームと比べれば流用が多いから、1面が平均4日で出来たと仮定しよう。休みナシで128日。約4ヶ月が必要になる。25日計算では5ヶ月とちょっと。
これを引き算すると84/11/1あたり。
つまり84/11あたりから実制作フェーズでなければ、スーマリは発売出来なかったはずで、しかもスケジュールにはかなり無理があるのは明らかだ。
【注】 4日で1面作れるなんて計算を実際にやるプロジェクトマネージャーなんていたら、そいつはクビにしたほうがいい。いやまあ、実際にMSPにスケジュールぶち込んだら、4日で1個なんて計算が出てきたことはあるけれど。
これより前、どれぐらいから宮本さんが例えばジャンプのテスト制作や面構成を考えていたのか、こればかりは神のみぞ知るだが、レベルデザイン(完全ではないにしろラフレベルではレベルデザインをしていたはず)32面、1面3日と考えて、96日。25日計算ではほぼ4ヶ月になる。モブ(敵のこと)や細かいアイディアまで考えれば、もっと時間がかかっても不思議はないが、ともかく4ヶ月前後としておこう。
これを引き算すると84/7/1。
このあたりがレベルデザインを始めた時点という計算になる。
ここでパックランドの稼働日はいつなのかというと84/8。
つまりマップデザインをはじめなければ、間に合わないと思われる時期より後にパックランドは稼動を始めていることになる。すなわち、上記スケジュールから考えてパックランドを徹底的に研究する時間があったとはとても思えない。
並行して進めれば…という意見もあるかもしれないが、上記したスケジュールを1面あたりの平均に直すと、ラフデザイン=3日、実デザイン/敵配置/プログラム=4日、バランス調整2日。つまり1面をたったの10日で作った計算だ。
敵のプログラムできてます、レイアウトするだけです、だとしても今風なミドルウェアがあったとしても1面10日はキツイ。いかにギリギリのスケジュールかわかる。
【注】 そしてかなりの確率で、これに近いスケジュールで作ったと思われるので、作っている間の後期は間違いなくデスマーチだったのだろうと推察される
もちろんパックランドは名ゲームであり、なおかつスーパーマリオと共通する要素があり、しかも開発の初期に見るチャンスがあったのは確かだから、宮本さんは絶対に参考にしたとは思う。
だがパックランドを徹底的に宮本さんが研究した逸話が本当とは思えないのは、上記の想像されるスケジュールから明らかだ。
ということで、最初に挙げたリンクの秘話とやらが、ほとんど想像の産物なのはほぼ間違いはないだろう。また、最初に挙げたリンクが、なにかの本を下敷きにして書いているのだとしたら、その本はちゃんと取材をしてないのも、ほぼ確かだろうと僕は思う。
資料のほとんどない時代なので、(本人もしくはチームのメンバーが証言しない限りは)真相は藪の中だろうが、この話が本当の可能性はとても低いのではなかろうか。
【追記】10/07/01
鶴見六百君との会話で、作りながら影響を受けた可能性はあるんじゃないかという意見があり、それは確かにありえると思ったので追記しておく
【追記】15/09/15
なんと社長が訊くで84/12 - 85/2 で仕様を作っていることがわかり、十分にパックランドを研究する時間があったのは明らかになった。
85年と88年の3年で、こんなに感覚が違うとは驚きである。
あと、マスターを8月に入れてるって書いてあるのだけど、社内は1か月だったのかい! と思わず言いたくなってしまった。
しかし、僕が「疑わしい」と書いたブログは多摩豊氏についてひどくいい加減な記事を書いていたので、どっちにしても自分の想像で適当に書いたのは間違いない。
だがしかし、パックランドを研究する時間があったのは間違いないのは、たまたまデタラメを書いたら偶然当たったのであろうと事実だったのは確かだ
鶴見六百君との会話で、作りながら影響を受けた可能性はあるんじゃないかという意見があり、それは確かにありえると思ったので追記しておく
【追記】15/09/15
なんと社長が訊くで84/12 - 85/2 で仕様を作っていることがわかり、十分にパックランドを研究する時間があったのは明らかになった。
85年と88年の3年で、こんなに感覚が違うとは驚きである。
あと、マスターを8月に入れてるって書いてあるのだけど、社内は1か月だったのかい! と思わず言いたくなってしまった。
しかし、僕が「疑わしい」と書いたブログは多摩豊氏についてひどくいい加減な記事を書いていたので、どっちにしても自分の想像で適当に書いたのは間違いない。
だがしかし、パックランドを研究する時間があったのは間違いないのは、たまたまデタラメを書いたら偶然当たったのであろうと事実だったのは確かだ
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