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没入感と納得感
もともと facebook のコメントで書いた話を、もうちょっとちゃんとしたテキストにして載せておく記事。

没入感(Immersion)とか世界観とか"Believability(ビリーバビリティ)"(日本語に訳すと<納得力>が近いと思ってる)って、海外ゲームのキーワードであると同時に一本の軸の上に乗ってると思ってる。

没入するためにUIがどうとかとか書く人いるけど、全然違う。
タブレットのCity villeタイプのゲームでも没入感は要求される…というと驚くかもしれないが、実際、ゲームロフトでゲームを作っている時にVille型ゲームであろうと、没入感は要求されていたし、それをスタッフは当たり前のものと捉えていた。

それが、当時、僕にはよくわからなくて、ゲームロフトのゲームデザイナー達と「タブレットのVilleで没入感とはなんなのか? そもそも没入感とはなんなのか?」と、議論した結果、没入感と呼ばれるものを僕なりに理解したのが今回の話だ。


『タブレットのvilleタイプのゲームでも没入感は要求される』
これがどういう意味か?
それは「僕はゲームの中のある位置に立っている」ことを、プレイヤーが理解していることだ。
すなわち「没入感とはユーザーがゲーム内で自分が立っている位置を(曖昧でなく)把握している」になる。
FPSやTPS、特にFPSでUIが減ったのは、このユーザーが自分で立っている位置を考えれば、UIは少なくあるべきだからだ。当たり前だけど、自分がサバイバルゲームをやっているとき、目の前にHPだの細かいデータだのが表示されているわけじゃない。
だから例えばメカモノにして、そこにいろいろなデータが投射されるって設定にすれば、UIを乗っけても全く問題ないって話になるし、Watch Dogsのような表現も許されることになる。

例えば SFテーマのFPSがあったとして、オープニングで「よーし、ルーキー、XXXのスイッチを入れてみろ」→カチャーン→結構複雑なHUD表示というような設定になっていれば、問題はないということ。ただしドンパチゲーは画面が広いほうがプレイしやすいので、UIが多いのはプレイアビリティの点から嫌われるだろうが…
また、この話を違う観点、例えばカーレース系の『コックピットビュー』を考えればよく分かるだろう。「コックピットビュー」こそ、まさにプレイヤーがどこにいるかをはっきりとさせる典型的なセットアップだ。

でも、これだけだと没入感は半分というのが、僕の理解だ。
では残り半分は何か?
英語では"Believability"、「信じられること」なんて訳されるけど、僕はそうじゃなくて、これは日本語的に一番近いのは「納得させる/説得する力」だと思ってる。
つまり「筋が通っている(気がする)」ってことだ。

仮に日本の典型的なゲームやアニメの構成で、細身の女の子が大剣振り回しても、それに設定を与え、さらに信じられるようにエピソードを挟み込めば、問題なく外国のプレイヤーでもオッケーになる(好みではないだろうが)。それが納得力だ。
つまり、日本のアニメやラノベがどうして向こうの連中にケチつけられるのかというと、お約束や、だってこれが見た目カッコイイジャンって要件で出来上がっているために、彼らが「信じたい」と思えない、というのが僕の考えだ。
ではどうすれば筋が通るのか? 
例えば、筋力が特別な理由で強化されている・女の子じゃないとダメな理由がある、実はしかも強化されている、などなど、ともかくなぜそれがそうなのかをプレイヤーに説明し、納得させることだ。
だから納得力
もうちょっと細かく言うなら、世界がどのように構成されているかを説明することになり、一般に言う世界観が大事って話になる。

日本のゲームの海外でのレビューを見ると「まあこういうゲームだし」って、お約束で片付けられる部分が手厳しく批判されている例が散見される。

まとめると、没入感は、ユーザーが立つ位置をはっきりさせること。次にそれを信じられるようにする世界設定を与えること。この2つによって担保されているわけだ。
実際にこれをやるための技術はまたイロイロあるが、基本的に、僕が理解した没入感というのはこういうことだ。

そして、これは欧米だけでなく、同じアジア圏でも韓国とか中国だと、もう、お約束で片付きにくくなるので、僕は日本が特殊で、モノカルチャーに近い構造で、しかもお約束が通じるユーザーにだけゲームを売っているって話だと思っているのである。
|| 19:12 | comments (0) | trackback (0) | ||

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