2010-04-18 Sun [ ゲームについて::理屈のこと ]
和田社長の主張:
http://twitter.com/yoichiw/statuses/11572268643
について。
僕はそうは思わない、どー考えても和田社長は間違っていると思う。
これを正しいと思うゲームデザイナーがいるなら、ちょっとそれってQTEを勘違いしてねえか、と思う。
まずQTEの定義。
「Quick Timer Event」の略で、シーン毎に「ボタンを押せ!」と出てきて、一定時間の中で正しく入力するシステム。QTEという名前がついたのはシェンムーあたりかららしいが、もとをただせば古のLD(レーザーディスク)ゲームのドラゴンズレア・スペースエースといった作品の延長。
QTEの目的がゲーム中でプレイヤーキャラが映画のようなカッコいいアクションをするだけなら、確かにアンチャーテッド2のネパールでの市街戦以降、バリバリに出てくる演出で代用できる。
だから、和田社長の主張する『アンチャ2やMWF2シングルモードで、「プレイしながら格好良い」は実現できてるんで、QTEは古いかな。』…は成り立ちえるように見える。
だが、僕はそうは思わない。なぜなら和田社長の主張はQTEの持つ決定的なメリットを無視した主張だと思う。
QTEには他のシステムでは非常に難しい処理を簡単にやれる、極めて決定的な特徴がいくつかあり、入力デバイスや表現がどう変わっていくかはともかく「古い(古くなる)」とは思わない。
それどころか、むしろ、これからもスタンダードな表現として残ると思っている。
なぜなら「QTEは入力システムの整合性さえ取れていれば、画面上にあらわれるシーンは、相互に関連がなくても成り立つ」すなわち「モンタージュ技法を問題なくゲーム化できる、現在ある(知る限りで)唯一の技法」だからだ。
上記文の意味を分かりやすく知るために、まず全編QTEで成り立っているゲーム、SPACE ACEの「ゲームプレイ」を見て欲しい。
8分ほどの動画だが2分も見れば十分だ。
もう一度念を押しておくが、これは「ゲームプレイ」の画面で、実際にこの画面を見ながらボタンをレバーを入力していくゲームだ(1983年に実際にプレイしていたので間違いない)。
見ていてゲームであることが分からないだろう。全編短いアクションシーンの連続したアニメーションとしか見えない。
まあ、実際にプレイすると、銃が光ったらボタン押すとか、画面の光った向きにレバー入れるとか、めちゃくちゃ理不尽なQTEの連発をやらされるゲームだが…それはともかく、これがQTEの最大のメリット「カットを次から次へと切り替えても、どんなアングルであろうと、ゲームとして成立する」ということ。
QTEを極限まで煮詰めると「正しい入力をすると先に進む映画」と表現できる。
言い換えるなら「場面が切り替わろうが、途中に違うシーンが挿入されようが、正しく入力することだけをユーザーは考えればいい」。だからQTEは、どんな映画であろうと理論的にはQTE化することが出来る(それが面白いかどうかはともかく)。
それと比較して、他のゲームスタイル、例えばTPSやFPSの演出として(一時的に)プレイヤーのコントロールを奪い、カメラアングルを変更してアニメーションをシームレスに実行することはいくらでも出来る(実際、いくらでもそういうゲームはある)。
だが、そのアニメーションの中でゲームプレイをさせるとき、プレイヤーに合理的に操作させる方法…特に「方向」については絶望的だ。
分かりやすい例を挙げてみよう。
手前に向かってプレイヤーが走るシーン、手前に向かってレバーを入れて走り出した。レバーは↓だ。
次にカットが切り替わり、プレイヤーを上から見ているとする。
「果たして、プレイヤーはここでレバーを入れ直すべきか?」。近代的なゲームなら、ここで入れ替える必要はない。当たり前だ。だが、ここで前から敵が出てきて、石のある側にもどらなければならないとする。プレイヤーはどのようなレバー操作をするのか? 一度レバーニュートラルにして、また↓に入れることになる。
これぐらいならまだいいが、間にプレイヤーの驚く顔をカットで入れたりしたら、ますますわからない。
つまりQTE以外のスタイルでは、インゲームシーンでは、プレイヤーの移動を扱うと、カメラアングルに制限がでるし「銃だけをアップにするシーン」で銃を撃つトリガーを引くことを期待するのは厳しい(ここで銃を撃つためのトリガーを表示したら「それはもうQTEだろう」という話になってしまう)。
言い換えるなら、プレイヤーに自由なコントロールとカメラアングルを許す事と、映画のようにカットを積み重ねることで状況を表現するモンタージュは、本質的に相性が悪い。
そしてQTEはその壁を破ることが出来る、知る限りで唯一の技法なので「古びる」ことも「なくなる」こともないと思っている。
もちろん適材適所、なのは言うまでもないが。
http://twitter.com/yoichiw/statuses/11572268643
HEAVY RAIN ③ユーザー関与の第二はQTE。昔からこれ無理があると思っているんです。God of War なんぞは名作ですけどね。アンチャ2やMWF2シングルモードで、「プレイしながら格好良い」は実現できてるんで、QTEは古いかな。
について。
僕はそうは思わない、どー考えても和田社長は間違っていると思う。
これを正しいと思うゲームデザイナーがいるなら、ちょっとそれってQTEを勘違いしてねえか、と思う。
まずQTEの定義。
「Quick Timer Event」の略で、シーン毎に「ボタンを押せ!」と出てきて、一定時間の中で正しく入力するシステム。QTEという名前がついたのはシェンムーあたりかららしいが、もとをただせば古のLD(レーザーディスク)ゲームのドラゴンズレア・スペースエースといった作品の延長。
QTEの目的がゲーム中でプレイヤーキャラが映画のようなカッコいいアクションをするだけなら、確かにアンチャーテッド2のネパールでの市街戦以降、バリバリに出てくる演出で代用できる。
だから、和田社長の主張する『アンチャ2やMWF2シングルモードで、「プレイしながら格好良い」は実現できてるんで、QTEは古いかな。』…は成り立ちえるように見える。
だが、僕はそうは思わない。なぜなら和田社長の主張はQTEの持つ決定的なメリットを無視した主張だと思う。
QTEには他のシステムでは非常に難しい処理を簡単にやれる、極めて決定的な特徴がいくつかあり、入力デバイスや表現がどう変わっていくかはともかく「古い(古くなる)」とは思わない。
それどころか、むしろ、これからもスタンダードな表現として残ると思っている。
なぜなら「QTEは入力システムの整合性さえ取れていれば、画面上にあらわれるシーンは、相互に関連がなくても成り立つ」すなわち「モンタージュ技法を問題なくゲーム化できる、現在ある(知る限りで)唯一の技法」だからだ。
上記文の意味を分かりやすく知るために、まず全編QTEで成り立っているゲーム、SPACE ACEの「ゲームプレイ」を見て欲しい。
8分ほどの動画だが2分も見れば十分だ。
もう一度念を押しておくが、これは「ゲームプレイ」の画面で、実際にこの画面を見ながらボタンをレバーを入力していくゲームだ(1983年に実際にプレイしていたので間違いない)。
見ていてゲームであることが分からないだろう。全編短いアクションシーンの連続したアニメーションとしか見えない。
まあ、実際にプレイすると、銃が光ったらボタン押すとか、画面の光った向きにレバー入れるとか、めちゃくちゃ理不尽なQTEの連発をやらされるゲームだが…それはともかく、これがQTEの最大のメリット「カットを次から次へと切り替えても、どんなアングルであろうと、ゲームとして成立する」ということ。
QTEを極限まで煮詰めると「正しい入力をすると先に進む映画」と表現できる。
言い換えるなら「場面が切り替わろうが、途中に違うシーンが挿入されようが、正しく入力することだけをユーザーは考えればいい」。だからQTEは、どんな映画であろうと理論的にはQTE化することが出来る(それが面白いかどうかはともかく)。
それと比較して、他のゲームスタイル、例えばTPSやFPSの演出として(一時的に)プレイヤーのコントロールを奪い、カメラアングルを変更してアニメーションをシームレスに実行することはいくらでも出来る(実際、いくらでもそういうゲームはある)。
だが、そのアニメーションの中でゲームプレイをさせるとき、プレイヤーに合理的に操作させる方法…特に「方向」については絶望的だ。
分かりやすい例を挙げてみよう。
手前に向かってプレイヤーが走るシーン、手前に向かってレバーを入れて走り出した。レバーは↓だ。
次にカットが切り替わり、プレイヤーを上から見ているとする。
「果たして、プレイヤーはここでレバーを入れ直すべきか?」。近代的なゲームなら、ここで入れ替える必要はない。当たり前だ。だが、ここで前から敵が出てきて、石のある側にもどらなければならないとする。プレイヤーはどのようなレバー操作をするのか? 一度レバーニュートラルにして、また↓に入れることになる。
これぐらいならまだいいが、間にプレイヤーの驚く顔をカットで入れたりしたら、ますますわからない。
つまりQTE以外のスタイルでは、インゲームシーンでは、プレイヤーの移動を扱うと、カメラアングルに制限がでるし「銃だけをアップにするシーン」で銃を撃つトリガーを引くことを期待するのは厳しい(ここで銃を撃つためのトリガーを表示したら「それはもうQTEだろう」という話になってしまう)。
言い換えるなら、プレイヤーに自由なコントロールとカメラアングルを許す事と、映画のようにカットを積み重ねることで状況を表現するモンタージュは、本質的に相性が悪い。
そしてQTEはその壁を破ることが出来る、知る限りで唯一の技法なので「古びる」ことも「なくなる」こともないと思っている。
もちろん適材適所、なのは言うまでもないが。
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