2011-05-14 Sat [ 昔のこと ]
今まで、ほとんど、このブログに出たことがなかった人の話をちょっと書きたくなった。
この記事のタイトルにもなっている星恵太君のことだ。
星君は、僕がハドソンでお金をもらって関わった仕事4作(凄ノ王伝説・イース・ボンバーボーイ・天外魔境2)+1個(CDROMシステムカード)のうち、3作にかかわったサウンドアーティストだ。
…と書いても、今と当時ではサウンドアーティストの仕事がぜんぜん違うものになっているので、ちょっと当時(1990年代後半まで)のサウンドアーティストの話を書いておく。
当時のサウンドアーティストってのはどんな仕事をするのかというと、今のゲームマシンで仕事してる人には信じられないだろうけれど、ものすごくプログラマに近い存在で、かつ効果音と曲の両方を作る人だった。しかも、たいてい作曲までやるのが当たり前だった。どうみてもムチャだ。
こんなムチャクチャだったのも、かなり特別な人でないとゲームの曲は作曲出来ないとんでもない代物だったからだ。
まず音源と同時発声数がひどかった。
例えばファミコンでは、同時には3音しかならず、しかも矩形波と三角波しか使えず(とはいっても、それでもファミコンのご先祖様の音源にあたるPSGに比べるとマシな音が出せる)、そのうえ効果音も同じチャンネルを使うから、効果音が乗ると、なにかが楽器音が消えるオマケつき。
こんな話にならない楽器で普通の作曲家がまともな曲を書けるわけがない。だからどうしても専用の作曲家が必要だったのだ。
しかも音源が今書いたとおりショボいから、これでいい音を出すためには結構毎回プログラムのレベルから触る必要があった。例えばソフトリバーブといって、ボリュームを1/60秒とかで細かく刻むとリバーブかけられるとか、今の感覚から言うと笑ってしまうような、チマい操作をいっぱいしないとまともに聞ける音にすらならなかった。
これがPCエンジンの時代になると作られるゲームの数が増えたのもあり、ゲーム音楽を専門に作曲する人も現れたけれど、例えばPCエンジンは最大同時6音で、ファミコンよりはマシな音が鳴ったけれど、やっぱり普通に曲を使えるとはとてもいえない。
さらに1年ほど後出たメガドライブはFM音源6音+PSG3音で、もっとまともだったけれど…やっぱりこれも普通に曲を鳴らせるといえるほど豊かな音色じゃないのは明らかだった。
SFCはPS1のご先祖様みたいなPCM音源(最大8音)で、もっとマシだったけれど、これまたメモリは少ないし、しかもプログラムまでその少ないメモリに載せないといけないしと、やっぱ頭を抱えるところはたくさんあって、楽に作れるとは言い難かった。
だから、SFCまでのサウンドアーティスト(当時は音屋さんと呼ばれていたけれど)は、曲が作れて、プログラムが書ける変な人が跳梁跋扈するナゾの世界で、普通の作曲家とか編曲をする人が入り込めるようになったのはCDROM登場以降と考えていい(そしてCDROMマシンはSFCに比べるとマイナーだったわけで、本当の意味で普通の音楽として扱われるのが当たり前になったのはPS1/SSが登場した1994年冬以降、と考えればいい)。
ここで音源の話は終わりにして、変な人ばかりだった音屋さんがいる1980年代後半に話は戻る。
1980年代後半、具体的には1987年頃からゲーム音楽ってものが確立し始め、実際に外注のゲーム音楽の作曲家が職業として成り立ちはじめるのだけど、まだデベロッパーの中、つまり社内サウンドチームもとても大事だった。
というのも、当たり前のことながら、前述したとおり、とんでもなくサウンドは制限が多くて、しかも1ゲーム毎にその制約が違う。
もちろん外部の作曲家もゲームに関係するプロなのだからちゃんと考えてくれるけれど、音楽を鳴らすためのプログラム(サウンドドライバと呼ばれた)まで含めて書いてくれる人ならともかく、そんな人ばかりでじゃない。それに効果音だって必要で、もちろん効果音も1ゲームごとに制約が違う、カスタマイズされた世界になってしまうのが普通だった。
だから、単に作曲家の曲をそのまま入力したのでは使い物にならない、結局、作曲家の書いた曲も音屋さんが入力し、調整して、コマゴマとアレンジしてようやくゲームに組み込めるのが当たり前だった。
つまり、1980年代の音屋さんは、場合によっては作曲家、そしてアレンジ、演奏、時と場合によっては自分で機材まで作るって、なんともキッカイな世界の中で生きていたわけだ。
ここにようやく本題の星君が登場する。彼はハドソンに1988年に入った人で、僕がデビュー作の『凄ノ王伝説』を作ったとき、一緒にやってくれた音屋さんだ。『凄ノ王伝説』のときはペーペーだったわけだけど、仕事をしやすくて気があったのもあって、イースの時も内蔵音源の曲は全部やってもらうことになった(確か当時のサウンドのトップだった笹川さんが「また星でいいかな?」と聞いてきた記憶がある)。天外2の時は直接会って細かい指示をだしたことはないけれど、やっぱりやってもらっている。
そして、これはその星君と僕のデビュー作、『凄ノ王伝説』の話である。
このゲームには、隠しゲームとしてキャノンボール、と呼ばれるゲームが入っている。
キャノンボールってのは、ハドソンがパソコンソフトを作っていた時代に販売していた古いゲームで、実はカプコンに権利を売ってアーケードでも出ていたりするのだけれど、それはともかくとして、このキャノンボール、少しアレンジされた形で隠しゲームとして『凄ノ王伝説』には入っているわけだ。
どうしてこれが入っているのかというと、これまた理由がちゃんとある。
キャノンボールは当時のPCエンジンでソフトを作るときの新人研修用のプログラムで、もちろん外注でもPCエンジンを知らなければ、これでプログラムを解析したり改造したりして練習することになった。つまり教育用の標準ソフトだったのだ。
そして、もちろん僕はハドソンに行ったとき、PCエンジンの事なんざあ知らなかったので、やっぱりキャノンボールで練習したわけだ。
そして僕はたまたまキャノンボールというゲームを知らなくて、研修の時に初めて触ったわけだけど、とても気に入っていて、そして『凄ノ王伝説』の最後の方でバンクの都合でちょっとだけメモリが余っていた。だから、(許可を取って)そこにキャノンボール(の改造版)を入れた。だから隠しゲームとしてキャノンボールが入っているわけだ。
キャノンボールはいうまでもなく隠しゲームで、曲は発注してなかったので、星君に相談したところ、彼が作曲してつけた曲がキャノンボールのBGMになった。
でも、隠しゲームなのもあって、スタッフロールの作曲者には星君の名前は入っていない。
そして、これは彼が作曲し、プロの作品になったデビュー曲で、このあともずっとサウンドにいて20年仕事をしてきた彼だけど、2年ほど前から、サウンドではなく他の部署にいるらしい。
それをたまたま知って、しかもたまたま最近フェイスブックで星君と話す機会があったので、趣味でも同人でもなんでもいいから、やっぱサウンドの仕事は好きならやった方がいいよ…と話をしてみたら今年からまたやろうと思っている…と言っていた。
そんな星君の新しい作品を期待しているのだった。
■凄ノ王伝説全曲メドレー
一番最後の曲が星君が作曲した『キャノンボール』用の曲。
■キャノンボールのアレンジ版
※ なんと世の中には星君のプロデビュー作、キャノンボールのアレンジ版を作ってしまう人がいるわけだw
この記事のタイトルにもなっている星恵太君のことだ。
星君は、僕がハドソンでお金をもらって関わった仕事4作(凄ノ王伝説・イース・ボンバーボーイ・天外魔境2)+1個(CDROMシステムカード)のうち、3作にかかわったサウンドアーティストだ。
…と書いても、今と当時ではサウンドアーティストの仕事がぜんぜん違うものになっているので、ちょっと当時(1990年代後半まで)のサウンドアーティストの話を書いておく。
当時のサウンドアーティストってのはどんな仕事をするのかというと、今のゲームマシンで仕事してる人には信じられないだろうけれど、ものすごくプログラマに近い存在で、かつ効果音と曲の両方を作る人だった。しかも、たいてい作曲までやるのが当たり前だった。どうみてもムチャだ。
こんなムチャクチャだったのも、かなり特別な人でないとゲームの曲は作曲出来ないとんでもない代物だったからだ。
まず音源と同時発声数がひどかった。
例えばファミコンでは、同時には3音しかならず、しかも矩形波と三角波しか使えず(とはいっても、それでもファミコンのご先祖様の音源にあたるPSGに比べるとマシな音が出せる)、そのうえ効果音も同じチャンネルを使うから、効果音が乗ると、なにかが楽器音が消えるオマケつき。
こんな話にならない楽器で普通の作曲家がまともな曲を書けるわけがない。だからどうしても専用の作曲家が必要だったのだ。
しかも音源が今書いたとおりショボいから、これでいい音を出すためには結構毎回プログラムのレベルから触る必要があった。例えばソフトリバーブといって、ボリュームを1/60秒とかで細かく刻むとリバーブかけられるとか、今の感覚から言うと笑ってしまうような、チマい操作をいっぱいしないとまともに聞ける音にすらならなかった。
これがPCエンジンの時代になると作られるゲームの数が増えたのもあり、ゲーム音楽を専門に作曲する人も現れたけれど、例えばPCエンジンは最大同時6音で、ファミコンよりはマシな音が鳴ったけれど、やっぱり普通に曲を使えるとはとてもいえない。
さらに1年ほど後出たメガドライブはFM音源6音+PSG3音で、もっとまともだったけれど…やっぱりこれも普通に曲を鳴らせるといえるほど豊かな音色じゃないのは明らかだった。
SFCはPS1のご先祖様みたいなPCM音源(最大8音)で、もっとマシだったけれど、これまたメモリは少ないし、しかもプログラムまでその少ないメモリに載せないといけないしと、やっぱ頭を抱えるところはたくさんあって、楽に作れるとは言い難かった。
だから、SFCまでのサウンドアーティスト(当時は音屋さんと呼ばれていたけれど)は、曲が作れて、プログラムが書ける変な人が跳梁跋扈するナゾの世界で、普通の作曲家とか編曲をする人が入り込めるようになったのはCDROM登場以降と考えていい(そしてCDROMマシンはSFCに比べるとマイナーだったわけで、本当の意味で普通の音楽として扱われるのが当たり前になったのはPS1/SSが登場した1994年冬以降、と考えればいい)。
音源について細かい説明を始めるともっといろいろあるのだけど、そんなことを書いていると絶対に終わらない超大作アーティクルになるので、ここで書いていることはとても乱暴で簡単な説明だというにとどめておく。
また普通の作曲家でもごくごくマレにこのとんでもない音源を使いこなして曲を書く人がいる。例えばすぎやまこういち先生などまさにそれ。
ちなみにすぎやま先生の最高傑作をドラクエと思っている人は、一度PC-8801Mk2SR版のJ.E.S.U.S.をプレイするべき。
また普通の作曲家でもごくごくマレにこのとんでもない音源を使いこなして曲を書く人がいる。例えばすぎやまこういち先生などまさにそれ。
ちなみにすぎやま先生の最高傑作をドラクエと思っている人は、一度PC-8801Mk2SR版のJ.E.S.U.S.をプレイするべき。
ここで音源の話は終わりにして、変な人ばかりだった音屋さんがいる1980年代後半に話は戻る。
1980年代後半、具体的には1987年頃からゲーム音楽ってものが確立し始め、実際に外注のゲーム音楽の作曲家が職業として成り立ちはじめるのだけど、まだデベロッパーの中、つまり社内サウンドチームもとても大事だった。
というのも、当たり前のことながら、前述したとおり、とんでもなくサウンドは制限が多くて、しかも1ゲーム毎にその制約が違う。
もちろん外部の作曲家もゲームに関係するプロなのだからちゃんと考えてくれるけれど、音楽を鳴らすためのプログラム(サウンドドライバと呼ばれた)まで含めて書いてくれる人ならともかく、そんな人ばかりでじゃない。それに効果音だって必要で、もちろん効果音も1ゲームごとに制約が違う、カスタマイズされた世界になってしまうのが普通だった。
だから、単に作曲家の曲をそのまま入力したのでは使い物にならない、結局、作曲家の書いた曲も音屋さんが入力し、調整して、コマゴマとアレンジしてようやくゲームに組み込めるのが当たり前だった。
つまり、1980年代の音屋さんは、場合によっては作曲家、そしてアレンジ、演奏、時と場合によっては自分で機材まで作るって、なんともキッカイな世界の中で生きていたわけだ。
ここにようやく本題の星君が登場する。彼はハドソンに1988年に入った人で、僕がデビュー作の『凄ノ王伝説』を作ったとき、一緒にやってくれた音屋さんだ。『凄ノ王伝説』のときはペーペーだったわけだけど、仕事をしやすくて気があったのもあって、イースの時も内蔵音源の曲は全部やってもらうことになった(確か当時のサウンドのトップだった笹川さんが「また星でいいかな?」と聞いてきた記憶がある)。天外2の時は直接会って細かい指示をだしたことはないけれど、やっぱりやってもらっている。
イース制作メモに書いていないエピソードとして、初期、メモリにまだ余裕がありそうに見えたとき、星君とADPCMと内蔵音源の組み合わせで結構いい音だせるんじゃないか…とホザいていた。
現実には1バイトたりとも余裕のない世界で、星君にすら「内蔵音源のデータ、1バイトでいいから縮まないかな?」とか要望を出しに行ったぐらいで、全くそんなことは出来なかったのであった…
現実には1バイトたりとも余裕のない世界で、星君にすら「内蔵音源のデータ、1バイトでいいから縮まないかな?」とか要望を出しに行ったぐらいで、全くそんなことは出来なかったのであった…
そして、これはその星君と僕のデビュー作、『凄ノ王伝説』の話である。
このゲームには、隠しゲームとしてキャノンボール、と呼ばれるゲームが入っている。
キャノンボールってのは、ハドソンがパソコンソフトを作っていた時代に販売していた古いゲームで、実はカプコンに権利を売ってアーケードでも出ていたりするのだけれど、それはともかくとして、このキャノンボール、少しアレンジされた形で隠しゲームとして『凄ノ王伝説』には入っているわけだ。
どうしてこれが入っているのかというと、これまた理由がちゃんとある。
キャノンボールは当時のPCエンジンでソフトを作るときの新人研修用のプログラムで、もちろん外注でもPCエンジンを知らなければ、これでプログラムを解析したり改造したりして練習することになった。つまり教育用の標準ソフトだったのだ。
そして、もちろん僕はハドソンに行ったとき、PCエンジンの事なんざあ知らなかったので、やっぱりキャノンボールで練習したわけだ。
追記すると、PCエンジンで練習がてらに書いたゲームはあと3つほどあり、結構楽しめるものがあった。今ならDLCとかスマホで200円ぐらいなら売れなくもない作品だと思うが…w
そして僕はたまたまキャノンボールというゲームを知らなくて、研修の時に初めて触ったわけだけど、とても気に入っていて、そして『凄ノ王伝説』の最後の方でバンクの都合でちょっとだけメモリが余っていた。だから、(許可を取って)そこにキャノンボール(の改造版)を入れた。だから隠しゲームとしてキャノンボールが入っているわけだ。
ROMは管理の単位の都合で使いにくいサイズのメモリの隙間が出来上がることがある。キャノンボールはその隙間に入れてある。
キャノンボールはいうまでもなく隠しゲームで、曲は発注してなかったので、星君に相談したところ、彼が作曲してつけた曲がキャノンボールのBGMになった。
でも、隠しゲームなのもあって、スタッフロールの作曲者には星君の名前は入っていない。
そして、これは彼が作曲し、プロの作品になったデビュー曲で、このあともずっとサウンドにいて20年仕事をしてきた彼だけど、2年ほど前から、サウンドではなく他の部署にいるらしい。
それをたまたま知って、しかもたまたま最近フェイスブックで星君と話す機会があったので、趣味でも同人でもなんでもいいから、やっぱサウンドの仕事は好きならやった方がいいよ…と話をしてみたら今年からまたやろうと思っている…と言っていた。
そんな星君の新しい作品を期待しているのだった。
■凄ノ王伝説全曲メドレー
一番最後の曲が星君が作曲した『キャノンボール』用の曲。
■キャノンボールのアレンジ版
※ なんと世の中には星君のプロデビュー作、キャノンボールのアレンジ版を作ってしまう人がいるわけだw
コメント
制約の多かった当時の内蔵音源ですが、今考えると、当時のゲーム機のグラフィック性能だと
サウンドの方もその位のスペックの方がこれはこれで調和が取れてたんだなと思います。
80年代のゲーム機の内蔵音源では当時はコナミが一番良いサウンドを奏でてたと思います。
PCエンジンの内蔵音源は作り手の腕の差がよく出るような音源でしたが、一番がんばってたのは
やはりコンパイルかな?ガンヘッドやデビルクラッシュのサンプリングドラムは凄く良い音を出してて驚きました。
サウンドの方もその位のスペックの方がこれはこれで調和が取れてたんだなと思います。
80年代のゲーム機の内蔵音源では当時はコナミが一番良いサウンドを奏でてたと思います。
PCエンジンの内蔵音源は作り手の腕の差がよく出るような音源でしたが、一番がんばってたのは
やはりコンパイルかな?ガンヘッドやデビルクラッシュのサンプリングドラムは凄く良い音を出してて驚きました。
| はちはち | EMAIL | URL | 11/05/15 16:45 | 7Q0Cf0A. |
ジーザスに隠れがちですが同時期発売だったようなガンダーラもすぎやま先生ですね。
イースの発売とも被ってたので結構好きだったのに色々と不幸なゲームでした。
それでも当時はすぎやま先生の曲がFM音源で聴ける優越感に浸ってましたねぇ。
イースの発売とも被ってたので結構好きだったのに色々と不幸なゲームでした。
それでも当時はすぎやま先生の曲がFM音源で聴ける優越感に浸ってましたねぇ。
| twohiro | EMAIL | URL | 11/05/15 00:00 | 3hz1PaJ2 |
『凄ノ王伝説』のBGMは音の響きが綺麗で厚みもあって、とても好きでした。
>星君とADPCMと内蔵音源の組み合わせで結構いい音だせるんじゃないか…とホザいていた。
『CYBER CITY OEDO 808』は初期CD-ROM2用ソフトでありながらドラムやスネアをADPCMで鳴らしてましたね。
それだけでも音楽が結構リッチな感じになってて良かったんですが、キャラが喋るとそっちにADPCMチャンネルを取られて波形メモリのみになっちゃうのが…w
PCEの内蔵音源といえば、天外Iやコブラなどは他のPCEの波形メモリとちょっと違う発音だったんですが、これはなにか特別なことをしていたんでしょうか?
>星君とADPCMと内蔵音源の組み合わせで結構いい音だせるんじゃないか…とホザいていた。
『CYBER CITY OEDO 808』は初期CD-ROM2用ソフトでありながらドラムやスネアをADPCMで鳴らしてましたね。
それだけでも音楽が結構リッチな感じになってて良かったんですが、キャラが喋るとそっちにADPCMチャンネルを取られて波形メモリのみになっちゃうのが…w
PCEの内蔵音源といえば、天外Iやコブラなどは他のPCEの波形メモリとちょっと違う発音だったんですが、これはなにか特別なことをしていたんでしょうか?
| YMD | EMAIL | URL | 11/05/14 16:40 | oJlnkD12 |
タイトルは忘れてしまいましたが、「PCエンジン内蔵音源でずいぶんと上品な音を出すものだなあ」と思ってプレイしていたソフトのスタッフロールが、星さんのお名前との出会いでした。
その後も音が気に入ったソフトで「これも星さんだったか!」ということが何度もあり、ずっとどんな方だったのか気になっていたのです。貴重なお話をありがとうございます。
ところでいつか星さんとお話できる機会があったら伺ってみたいとずっと思っていたことがひとつ。
ほぼPC-88SR版の音を忠実に再現しようとしているPCE版「イースII」ですが、ゲームオーバーの曲だけはPCE版独自の音色が充てられています。このバージョンも大好きなのですが、そのような判断をされた理由は?ということです。
その後も音が気に入ったソフトで「これも星さんだったか!」ということが何度もあり、ずっとどんな方だったのか気になっていたのです。貴重なお話をありがとうございます。
ところでいつか星さんとお話できる機会があったら伺ってみたいとずっと思っていたことがひとつ。
ほぼPC-88SR版の音を忠実に再現しようとしているPCE版「イースII」ですが、ゲームオーバーの曲だけはPCE版独自の音色が充てられています。このバージョンも大好きなのですが、そのような判断をされた理由は?ということです。
| ドリミン・ウナギヌン | EMAIL | URL | 11/05/14 16:20 | LDsct2oI |
すぎやま先生の作った曲の最高傑作ってPC98で出たスターコマンド(海外ゲームの移植作品)だと思っている。
すぎやま先生のドラクエの凄い所ってのは「3音じゃなくて2音」で曲を作っちゃっている所だと思うんだよね~
昔は「ゲーム音楽」。今は「BGM」になっちゃって、少し寂しい気がしているのも事実。
すぎやま先生のドラクエの凄い所ってのは「3音じゃなくて2音」で曲を作っちゃっている所だと思うんだよね~
昔は「ゲーム音楽」。今は「BGM」になっちゃって、少し寂しい気がしているのも事実。
| kerberosJP | EMAIL | URL | 11/05/14 15:08 | XBsyFmd6 |
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