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1989年 - ハドソンで作られていたゲームについて
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。

前回の続きで今回も88-90年に、自分がハドソンでデバッグしたり、バランス調整に関わったり、ちょっと制作を手伝ったりしたゲームについて書いていく。
今回は1989-90年の作品について(ただし取り上げた作品は除いてある)。

1989年
ネクタリス、ダンジョンエクスプローラー、コブラ 黒竜王の伝説
パワーゴルフ、天外魔境 ZIRIA、ガンヘッド
ワンダーボーイIII モンスター・レアー、スーパー桃太郎電鉄
ドラえもん 迷宮大作戦、ニュートピア
ぎゅわんぶらあ自己中心派 激闘36雀士、バトルエース

1990年
PC原人、うる星やつら Stay with you、スーパースターソルジャー


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1988年 - ハドソンで作られていたゲームについて
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。

前回の続きで今回も88-89年に、自分がハドソンでデバッグしたり、バランス調整に関わったり、ちょっと制作を手伝ったりしたゲームについて書いていく。
今回は1988年の7作品について(前回取り上げた作品は除いてある)。

魔神英雄伝ワタル、定吉七番 秀吉の黄金、パワーリーグ、ファイティング・ストリート、No・Ri・Ko、あっぱれゲートボール、ビックリマン大事界


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|| 20:22 | comments (7) | trackback (0) | ||

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1988-90年前半、ハドソンの風景(2)
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。

前回の続きで今回も88-89年に、自分がハドソンでデバッグしたり、バランス調整に関わったり、ちょっと制作を手伝ったりしたゲームについて書いていくけど、どうしてハドソンのゲームのデバッグ(と場合によっては企画内容)に関わっていたのかというと、当時はハドソンに勤めてる同然の状態で、技術部のメンバーと仲が良かったことが大きな理由だけど、加えて、企画と仲が良かったことも大きかった。ハドソンの企画の仕事は
・もちろんゲームデザイン(当時は企画と呼ばれていた)
・外注の持ち込んだ企画をチェックして、営業会議などに出す仕事
・外注の作っているゲームのスケジュール&内容管理
だいたいこんな仕事をしていた。
2つめと3つめがミソで、結局、当時の企画は外注が作っているゲームが集まるところで、仲が良かった僕は、企画部に来るゲームを片っ端からプレイさせてもらっていたわけだ。

当たり前だが、僕はゲームをプレイするのが大好きだ。そしてゲームの会社といえどヒマさえあれば、新しいゲームがあるなら必ず遊びたがるほどのゲーム好きはそうそういない。だから、企画としては、何も言わなくても毎日のように一度ぐらいは来て、新しいROMが来たと言えば、絶対に遊ぶ人間はとても貴重だったのだろう。
また上と少し関わるが加えてゲームがうまかったのも大きな理由だろう。
ずっとゲーマーだったのに加え、Beep! でライター業をやっていたのもあって、ゲーマーとしての腕がピークの時代で、アクションとシューティングはアーケードで一周出来るのが当たり前の感覚だった。
そしてデバッグするときには下手なヤツも必要だが、うまいヤツも必要で、そしてうまいヤツは初期から必要なことが多く、アクションとシューティングは多分当時のハドソンの技術部の中では上から数えて3本の指に入ったのはほぼ間違いないし、シューティングに至っては僕より上手かったヤツは1人だけだったと思う。
(このやたらめったらうまかったのがサウンドにいた岩淵というやつ。こいつは完全に僕よりうまかった。ブッチーと呼ばれていた)
そして最後に「このゲームはこうした方がいい」とクリアするなり、なんなり、ともかくシビアにプレイしてしてレポートとして書けたことだろう。これまたライター業のおかげだ。実際はレポートとして書いたことはあまりなくて、たいていは担当者に口頭でプレイを見せながら伝えたが、それをやれる人間はそうそういなかったということだろう。


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|| 21:17 | comments (6) | trackback (0) | ||

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1988-90年前半、ハドソンの風景(1)
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。

■■■

前回書いたことでTwitterで聞かれた「サターン版ではフィーナを助けなくても良かったのはPCエンジン版では必須になっていたけど」という話。
あまりに簡単だったのですっかり忘れていたが、確かにそうだった。
フィーナもオリジナルのパソコン版では助けるのは必須ではない。
当たり前のことながら、全くマズいので宝箱の鍵をフィーナに持たせたのだが、考える必要もないぐらい簡単な改訂だったので、改訂したことすら忘れていた(苦笑)
記憶というのは面白いもので、一度思い出すと、ちゃんと芋づるで出てくる。
進藤が「フィーナ助けずに神殿をクリア」して嬉しそうな顔をして僕を見てて、山根がポカーンとした顔してるのに「こんなの簡単だよ、フィーナに宝箱の鍵を持たせりゃいいんだよ」というようなセリフを言った記憶が出てきた。(『宝箱の鍵が宝箱に入っていること自体がかっこ悪い』と思っていたのは間違いない)
もちろん、自分が記憶を作った可能性はあるけれど必須にしたのは確かだ。
本名荒井さんの指摘により若干追加。やはり記憶は曖昧で神殿はクリア出来るが、全部クリア出来るわけではなかったらしい。フィーナなしで神殿がクリア出来ることと、宝箱のカギが宝箱に入っているのがイヤで修正したってことだろう

と、ところで、少しイースの制作から寄り道をした話を書こうと思う。
というのも他の会社から売り出される予定のソフトを、ハドソンで作っていたりデバッグしていたのは僕にとっては当たり前だったが、一般の人が知らない事実だったと「も」さんのコメントで、分かったので、リクエストにお応えして、そこらへんの話を書いてみようというわけだ。
これまた当時だったらマズかったのかも知れないが、もう20年前の話で、新人すら働き盛り~ベテランになるだけの年月だ。遠慮なく書いてしまって構わないだろう。


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1989年6月 - お礼に一曲吹きましょう
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。

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よく「サラが死なない、オリジナルと違う」と、オリジナルのイースを好きな人は文句をいうわけだが、どうしてサラを殺さなかったかというと銀のハーモニカが大問題になったからだ。


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|| 21:10 | comments (5) | trackback (0) | ||

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