2010-05-09 Sun [ Ysを作った頃 ]
前回はコレ
過去記事の集合体はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
前回の続きで今回も88-90年に、自分がハドソンでデバッグしたり、バランス調整に関わったり、ちょっと制作を手伝ったりしたゲームについて書いていく。
今回は1989-90年の作品について(ただし取り上げた作品は除いてある)。
1989年
ネクタリス、ダンジョンエクスプローラー、コブラ 黒竜王の伝説
パワーゴルフ、天外魔境 ZIRIA、ガンヘッド
ワンダーボーイIII モンスター・レアー、スーパー桃太郎電鉄
ドラえもん 迷宮大作戦、ニュートピア
ぎゅわんぶらあ自己中心派 激闘36雀士、バトルエース
1990年
PC原人、うる星やつら Stay with you、スーパースターソルジャー
というのも、和泉さんは大戦略が好きでこのゲームの企画が出てきたんだけど、僕がボードゲームのマニアでSLGやるならボードゲームは絶対にやった方がいいと、ホビージャパンのBASIC3(スエズを渡れ・レニングラード・バルジ大作戦の3本が入ったパック)を貸し出して、実際のボードSLGをプレイしてもらったのだ。
和泉さんは大いに感銘したらしく、ネクタリスのルールはずいぶんボードゲームっぽくなって、射撃後移動可能なユニットがあったり、ZOCの扱いがSLGっぽかったりする。
発売後、アンケートの結果がすごく変わったソフトとして話題になった。
75%ぐらいが「いい・面白い」と高い評価。残りの25%が「最低」という評価を下していた。
グラフィックと音楽はいいけど、バグがひどくてデバッグがものすごく大変だった。あと最大5人プレイが出来るわけだけど、ハドソン社内でマルチタップが足りなくて結構苦労した。
でも一番苦労したのはバランスだった。これはしょうがないことだけど最大5人、最小1人のとき、どこに難易度を合わせるのかは大問題で、といってそのときで敵のHPを変えるのも難しい。結局バランスとしては5人ではちょっと簡単すぎるし、1人ではちょっと難しすぎる(これを解決するために経験値が入っている)ゲームになった。
こればっかりは当時だし、仕方ないと思う。
営業からの要望で2ヶ月程度で作り上げられた。ハドソン最強の飛田=和泉ラインが組んで、なおかつ一部アルファシステムも関係している(ADPCM周りで)凄いゲーム。
『コブラ』で作り上げられたシステム(完全にアドベンチャを記述できるツール)と、ゲーム自体の評判がよかったことで、ハドソンのいわゆるデジタルコミック路線の確立と量産が可能になった。
このゲーム、デバッグはしていないけれど、飛田さんと言語仕様を決めてちょっぴりソースも書いている。当時Smalltalkに僕が心酔してたのもあって、結構オブジェクト指向(主にカプセル化。継承とか無理! だったから(笑))とメッセージングの思想が強い設計になっている。
僕はゴルフゲームが抜群に苦手なゲームの一つで、あんまりデバッグしてない。
でも奥野さんは本当に幸せそうにゲーム作っていた。
「岩崎君さあ、自分のゲームのデバッグが楽しいんだよ!」
って言ってた(笑)
天外1はもともとは桝田さんは絡んでおらず、ある日突然、やってきてひたすら作り始めた。そして実は桝田さんは凄ノ王の広告を担当しており、ちょっとした知り合いだったりした。
桝田さんの作った天外1は限られた時間の中で作られた作品だけど、実にプロフェッショナルなゲームだと思う。
ちなみに天外1の戦闘システム、特に魔法やあらゆるものが切れたら終わりだが、切れなければ猛烈な無理が利くというシステムと、巻物の受け渡しが自由だから戦術のバリエーションが広い、というのが僕はものすごく気に入っていた。だから2では1のこういった部分は全部そのまま継承されている。
ところで、この戦闘のムチャさは実は『忍者らホイ!』から流用した、と桝田さんは言っていた。
「1ヶ月もないのに戦闘の計算式作れるわけないじゃん。ありものを流用するしかなかったんだよ」
と桝田さんは言っていた。
僕はかなりゲームバランスについて言わせてもらえた。自分的にはZANACのプログラムを書いた広野さんとグラフィックを描いたアーティスト(残念なことに名前を覚えていない)と仕事できて感激した。
ZANACのめちゃくちゃファンなので、最終面までのマップの並べなおしと、バランス取りを一緒にやらせてもらって、もう毎日ハッピーだった。
もしかしたら、イースを作るより楽しかったかも知れない。
ちなみに最高難度の"GOD OF GAME"の難易度は、僕とハドソン一うまいシューター、岩淵・ザ・ブッチーの二人によって決まった(笑)
毎日、広野さんが難易度を上げ、二人がクリアする…これを繰り返して、ある日「岩崎さん、思い切ってガン!と難易度上げました」といわれた難易度が"GOD OF GAME"だった。
ブッチーと僕と二人で交互にプレイして一晩かかって最終面まで行ったんだけど、どうしてもクリアできずに3日間、電源を切らず、最終面をコンティニューしまくって、最後にブッチーがクリアした(二度と来れないんじゃないかと怖くて切れなかったのが真相(笑))。
(このとき、世の中、うまいシューターは僕とはレベルが違うと悟った気がする)
そして、クリアできたけれど、これでいいだろうということで難易度が決まった。
ちなみにメガドラ版があり、二重スクロールできるのがいいところだけど、色がPCエンジン版の方が鮮やか(ワンダーボーイは明るい派手な色使いのゲームなのでカラーパレット数の差が結構影響する)とサウンドトラックはさすがにCDDAのが圧倒的に上なので、楽しいのはPCエンジン版だと個人的には思っていたりする。
これは、以下のような話。飛田さんがある日やってきて(ずいぶん仲がよくなっていた)
「岩崎さん、マルサのイベントさあ、どこに入るかって分かる?」
「あれただの乱数でしょ?」
「さくま先生がさあ、勝ってるやつに入るように調整してるだろ、飛田くんっていうんだよ。プログラム分からない人にコード見せてもしょうがないしさ、どうしたらいいと思う?」
「あーそれ想像はつくなあ。自分がマルサにやられて沈んだときの印象が残るから、勝ってるヤツとか思うんだと思うなあ…いい手思いつきましたよ」
で、当時、スーパー桃鉄をデバッグしていた若き俊英達、芳賀・蛯名・佐橋・杉本4人を呼び出し、さくま先生に連絡が繋がっている状態で聞いた。
「お前らさあ、マルサってどのビルに一番良く入ると思う?」
蛯名「一番左ですよ!」
芳賀「ナニいってんだ、右だよ!」
佐橋「えー? 俺は真ん中2つが多くなるように作ってあると思う」
杉本「出た回数で決まってると思うなあ。一個ずつ右に進むと思う」
もちろん、さくま先生は納得してくれました。
和泉さんに尻拭いをしてもらうかどうか決めるために、夜中にそいつの書いているソースを読んでくれと中本さんに頼まれた。
深夜に人のPC98立ち上げて、人のソース読むなんて、かなりどうよ…な話だけど、まあ社内の人間にやらせると角が立つし、外部のヤツの判断だからシビアになるしで、頼まれたってことなんだろうと思う。
それで読んで「話にならない、とても間に合わないと思う」と言った。結構シビアな回答せざるを得なかったけれど、今考えても、彼は力不足だったと思う。
タイトルにはゲームアーツ・イエローホーンと出たけど、実際に中身まで作っていると思っていた人は当時いなかったと思う。
というのも、当時のゲームアーツはいわばセガの星なわけで、間違ってもPCエンジンでゲームが出るのはよろしくなかった。だからハドソンが許諾をもらって、ハドソンから発売された形になっているわけ。
昔は口が裂けてもいえない話だったが、今なら書いても平気だろう。
インチキ麻雀がゲームとして本当に面白い、いい意味でのキャラクタゲームとして完成度は高かったけど、バグは本当にひどくてデバッグでバグりまくった。
担当をしていたヤツはものすごくゲームアーツを崇拝していたが「ゲームアーツはバグを出さないと信じてたけど、普通なんだね」といってた。
結構派手なコントローラでアナログ入力もしっかりしてて出来が良かったんだけどなあ。
第一作は結構難易度が高めのアクションになってたと思う。これも外注が作って、ハドソンで最終デバッグをしたんだけど、イースのデバッグと重なっていて、あんまプレイできなかったのが残念。
のため、シナリオの一番最後が『うる星やつら』っぽくないエンディングになっていた(確かあたるとラムがキスして終わりになっていた)。で、これをドタバタで終わるようにしたほうが「うる星っぽいと思う」と直してもらった。
当時、ハドソンにもう1人いた「名人」、企画の川田さんが作っていた。
技術的にレベルが高くて、縦スクロール面でDMA使ってキャラクタ書き換えするとか(イース1・2のとき技術的に確立したけど使うところがなかった)、かなりいろんなことをやっていた作品で、プレイして感心した。
というわけで、寄り道終わり。
過去記事の集合体はコレ
この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。ただし、これは
1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。
2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。2)僕が体験したり思ったりしたことを書くようにしているが、伝聞情報(二次情報程度)もある。
前回の続きで今回も88-90年に、自分がハドソンでデバッグしたり、バランス調整に関わったり、ちょっと制作を手伝ったりしたゲームについて書いていく。
今回は1989-90年の作品について(ただし取り上げた作品は除いてある)。
1989年
ネクタリス、ダンジョンエクスプローラー、コブラ 黒竜王の伝説
パワーゴルフ、天外魔境 ZIRIA、ガンヘッド
ワンダーボーイIII モンスター・レアー、スーパー桃太郎電鉄
ドラえもん 迷宮大作戦、ニュートピア
ぎゅわんぶらあ自己中心派 激闘36雀士、バトルエース
1990年
PC原人、うる星やつら Stay with you、スーパースターソルジャー
ネクタリス
和泉さんの作品。これには僕は結構影響を与えていると思う。というのも、和泉さんは大戦略が好きでこのゲームの企画が出てきたんだけど、僕がボードゲームのマニアでSLGやるならボードゲームは絶対にやった方がいいと、ホビージャパンのBASIC3(スエズを渡れ・レニングラード・バルジ大作戦の3本が入ったパック)を貸し出して、実際のボードSLGをプレイしてもらったのだ。
和泉さんは大いに感銘したらしく、ネクタリスのルールはずいぶんボードゲームっぽくなって、射撃後移動可能なユニットがあったり、ZOCの扱いがSLGっぽかったりする。
発売後、アンケートの結果がすごく変わったソフトとして話題になった。
75%ぐらいが「いい・面白い」と高い評価。残りの25%が「最低」という評価を下していた。
ダンジョンエクスプローラー
ハドソンの名前だけど、中身はアトラスだったはず。グラフィックと音楽はいいけど、バグがひどくてデバッグがものすごく大変だった。あと最大5人プレイが出来るわけだけど、ハドソン社内でマルチタップが足りなくて結構苦労した。
でも一番苦労したのはバランスだった。これはしょうがないことだけど最大5人、最小1人のとき、どこに難易度を合わせるのかは大問題で、といってそのときで敵のHPを変えるのも難しい。結局バランスとしては5人ではちょっと簡単すぎるし、1人ではちょっと難しすぎる(これを解決するために経験値が入っている)ゲームになった。
こればっかりは当時だし、仕方ないと思う。
コブラ 黒竜王の伝説
PCエンジンCDROMを立ち上げたはいいけれど、売り上げ的に問題があり、しかも天外魔境が遅れることが分かっていたので、繋ぎとして突貫工事で作られた作品。営業からの要望で2ヶ月程度で作り上げられた。ハドソン最強の飛田=和泉ラインが組んで、なおかつ一部アルファシステムも関係している(ADPCM周りで)凄いゲーム。
『コブラ』で作り上げられたシステム(完全にアドベンチャを記述できるツール)と、ゲーム自体の評判がよかったことで、ハドソンのいわゆるデジタルコミック路線の確立と量産が可能になった。
このゲーム、デバッグはしていないけれど、飛田さんと言語仕様を決めてちょっぴりソースも書いている。当時Smalltalkに僕が心酔してたのもあって、結構オブジェクト指向(主にカプセル化。継承とか無理! だったから(笑))とメッセージングの思想が強い設計になっている。
パワーゴルフ
パワーリーグがヒットしたので「パワー(スポーツ)シリーズ」としてシリーズ化されることになり、奥野さんがようやく好きなものを作れたゲーム。僕はゴルフゲームが抜群に苦手なゲームの一つで、あんまりデバッグしてない。
でも奥野さんは本当に幸せそうにゲーム作っていた。
「岩崎君さあ、自分のゲームのデバッグが楽しいんだよ!」
って言ってた(笑)
天外魔境 ZIRIA
デバッグもそうだが、桝田さんと本格的に付き合いだしたゲームでもあったりする。天外1はもともとは桝田さんは絡んでおらず、ある日突然、やってきてひたすら作り始めた。そして実は桝田さんは凄ノ王の広告を担当しており、ちょっとした知り合いだったりした。
桝田さんの作った天外1は限られた時間の中で作られた作品だけど、実にプロフェッショナルなゲームだと思う。
ちなみに天外1の戦闘システム、特に魔法やあらゆるものが切れたら終わりだが、切れなければ猛烈な無理が利くというシステムと、巻物の受け渡しが自由だから戦術のバリエーションが広い、というのが僕はものすごく気に入っていた。だから2では1のこういった部分は全部そのまま継承されている。
ところで、この戦闘のムチャさは実は『忍者らホイ!』から流用した、と桝田さんは言っていた。
「1ヶ月もないのに戦闘の計算式作れるわけないじゃん。ありものを流用するしかなかったんだよ」
と桝田さんは言っていた。
ガンヘッド
コンパイル制作。ほぼ2ヶ月、コンパイルの二人がハドソンに来て毎日作っていた。僕はかなりゲームバランスについて言わせてもらえた。自分的にはZANACのプログラムを書いた広野さんとグラフィックを描いたアーティスト(残念なことに名前を覚えていない)と仕事できて感激した。
ZANACのめちゃくちゃファンなので、最終面までのマップの並べなおしと、バランス取りを一緒にやらせてもらって、もう毎日ハッピーだった。
もしかしたら、イースを作るより楽しかったかも知れない。
ちなみに最高難度の"GOD OF GAME"の難易度は、僕とハドソン一うまいシューター、岩淵・ザ・ブッチーの二人によって決まった(笑)
毎日、広野さんが難易度を上げ、二人がクリアする…これを繰り返して、ある日「岩崎さん、思い切ってガン!と難易度上げました」といわれた難易度が"GOD OF GAME"だった。
ブッチーと僕と二人で交互にプレイして一晩かかって最終面まで行ったんだけど、どうしてもクリアできずに3日間、電源を切らず、最終面をコンティニューしまくって、最後にブッチーがクリアした(二度と来れないんじゃないかと怖くて切れなかったのが真相(笑))。
(このとき、世の中、うまいシューターは僕とはレベルが違うと悟った気がする)
そして、クリアできたけれど、これでいいだろうということで難易度が決まった。
ワンダーボーイIII モンスター・レアー
アルファシステムが移植した僕の大好きなアクションシューティングゲーム。めちゃくちゃに難易度は高いと思うが楽しいゲームだった。あとサウンドトラックの出来が素晴らしい。ちなみにメガドラ版があり、二重スクロールできるのがいいところだけど、色がPCエンジン版の方が鮮やか(ワンダーボーイは明るい派手な色使いのゲームなのでカラーパレット数の差が結構影響する)とサウンドトラックはさすがにCDDAのが圧倒的に上なので、楽しいのはPCエンジン版だと個人的には思っていたりする。
スーパー桃太郎電鉄
これはデバッグもやったけれど、本当に印象的なのはマルサイベントで「人がどのように感じているのか」が分かったことだった。これは、以下のような話。飛田さんがある日やってきて(ずいぶん仲がよくなっていた)
「岩崎さん、マルサのイベントさあ、どこに入るかって分かる?」
「あれただの乱数でしょ?」
「さくま先生がさあ、勝ってるやつに入るように調整してるだろ、飛田くんっていうんだよ。プログラム分からない人にコード見せてもしょうがないしさ、どうしたらいいと思う?」
「あーそれ想像はつくなあ。自分がマルサにやられて沈んだときの印象が残るから、勝ってるヤツとか思うんだと思うなあ…いい手思いつきましたよ」
で、当時、スーパー桃鉄をデバッグしていた若き俊英達、芳賀・蛯名・佐橋・杉本4人を呼び出し、さくま先生に連絡が繋がっている状態で聞いた。
「お前らさあ、マルサってどのビルに一番良く入ると思う?」
蛯名「一番左ですよ!」
芳賀「ナニいってんだ、右だよ!」
佐橋「えー? 俺は真ん中2つが多くなるように作ってあると思う」
杉本「出た回数で決まってると思うなあ。一個ずつ右に進むと思う」
もちろん、さくま先生は納得してくれました。
ドラえもん 迷宮大作戦
名前を忘れたプログラマが自分もプロジェクトをやれるといって始めた仕事。出来なくて、和泉さんがケツを拭くハメになった。ぶっちゃけると、そいつのコードは使い物にならなくて和泉さんが最初から作り直したってことだ。和泉さんに尻拭いをしてもらうかどうか決めるために、夜中にそいつの書いているソースを読んでくれと中本さんに頼まれた。
深夜に人のPC98立ち上げて、人のソース読むなんて、かなりどうよ…な話だけど、まあ社内の人間にやらせると角が立つし、外部のヤツの判断だからシビアになるしで、頼まれたってことなんだろうと思う。
それで読んで「話にならない、とても間に合わないと思う」と言った。結構シビアな回答せざるを得なかったけれど、今考えても、彼は力不足だったと思う。
ニュートピア
安田さんという企画と、きんちゃんと呼ばれていたプログラマが組んで作ったゲーム。ゼルダのパクリといわれることがよくあるが、二人ともゼルダを崇拝していて「ゼルダのようなゲームをPCエンジンで作りたい」から始まった企画だったし、いい意味でゼルダをパクっていたと思う。ぎゅわんぶらあ自己中心派 激闘36雀士
発売はハドソンだけど、中身はゲームアーツが作っていた。タイトルにはゲームアーツ・イエローホーンと出たけど、実際に中身まで作っていると思っていた人は当時いなかったと思う。
というのも、当時のゲームアーツはいわばセガの星なわけで、間違ってもPCエンジンでゲームが出るのはよろしくなかった。だからハドソンが許諾をもらって、ハドソンから発売された形になっているわけ。
昔は口が裂けてもいえない話だったが、今なら書いても平気だろう。
インチキ麻雀がゲームとして本当に面白い、いい意味でのキャラクタゲームとして完成度は高かったけど、バグは本当にひどくてデバッグでバグりまくった。
担当をしていたヤツはものすごくゲームアーツを崇拝していたが「ゲームアーツはバグを出さないと信じてたけど、普通なんだね」といってた。
バトルエース
スーパーグラフィックスで、もちろんSFCとかに対抗して、こんなゲームも作れますよ、というデモソフト。発売されなかったハンドルコントローラに対応していて、和泉さんが毎日それでデバッグしてた。結構派手なコントローラでアナログ入力もしっかりしてて出来が良かったんだけどなあ。
PC原人
PCエンジンでの最大のヒットアクションゲームになったシリーズ。第一作は結構難易度が高めのアクションになってたと思う。これも外注が作って、ハドソンで最終デバッグをしたんだけど、イースのデバッグと重なっていて、あんまプレイできなかったのが残念。
うる星やつら Stay with you
1990年の作品。イースの最後あたりに関係した。ゲームのデバッグにはほとんどタッチしていないが、シナリオにタッチした作品。というのも、当時、僕は高橋留美子の大ファンだったのだけど、シナリオを書いた高津君はあまり高橋留美子に興味がなかった(もちろんシナリオを書くために勉強はした)。そのため、シナリオの一番最後が『うる星やつら』っぽくないエンディングになっていた(確かあたるとラムがキスして終わりになっていた)。で、これをドタバタで終わるようにしたほうが「うる星っぽいと思う」と直してもらった。
スーパースターソルジャー
これはもう僕は東京に帰っていて天外2を作り出していて、デバッグの最後にちょっと遊べたぐらいの作品。中身は確かKANEKOが作っていはず。当時、ハドソンにもう1人いた「名人」、企画の川田さんが作っていた。
技術的にレベルが高くて、縦スクロール面でDMA使ってキャラクタ書き換えするとか(イース1・2のとき技術的に確立したけど使うところがなかった)、かなりいろんなことをやっていた作品で、プレイして感心した。
というわけで、寄り道終わり。
コメント
ニチブツのそのゲームは複雑な流れがありまして、初期の移植の段階では藤原さんは関わっておりません。
そして、それがトラブルで、和泉さんが引き継いだときに、藤原さんが入ってお手伝い、という形でまとまっています。
そして、それがトラブルで、和泉さんが引き継いだときに、藤原さんが入ってお手伝い、という形でまとまっています。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 10/09/06 11:54 | Eeem.i3Y |
このブログの存在は@matsushita99さんのツイートで昨日知ったばかりなのですが、大変興味深い内容で夢中になって拝見しております。
また業種こそ違えど、岩崎さんの仕事に向き合う姿勢から学ぶことも多く、大きな刺激になります。ありがとうございます。
ところで、「ドラえもん 迷宮大作戦」とその海外版「Crater Maze」は、藤原茂樹氏のニチブツ時代の作品である「キッドホレホレ大作戦」を藤原氏ご自身の指揮で移植されたと思いこんでいたのですが、特にタッチはされていないのでしょうか。ご存じでしたらお教え頂けると嬉しいです。
また業種こそ違えど、岩崎さんの仕事に向き合う姿勢から学ぶことも多く、大きな刺激になります。ありがとうございます。
ところで、「ドラえもん 迷宮大作戦」とその海外版「Crater Maze」は、藤原茂樹氏のニチブツ時代の作品である「キッドホレホレ大作戦」を藤原氏ご自身の指揮で移植されたと思いこんでいたのですが、特にタッチはされていないのでしょうか。ご存じでしたらお教え頂けると嬉しいです。
| ドリミン・ウナギヌン | EMAIL | URL | 10/09/06 11:46 | dnErtEe. |
当時、天外1で延々北海道暮らしするまで、だいたい月1ペースで北海道来て広告の仕事してたもんね、考えてみたら。
実際、自分も覚えてる限りで一番最初に会ったのは広告がらみだったし。
実際、自分も覚えてる限りで一番最初に会ったのは広告がらみだったし。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 10/05/13 21:50 | 2OXmdoFs |
こうして並べてみると、このころのハドソンのゲームの雑誌広告とジャケットは、大半僕が作ってたんだな
| 桝田 | EMAIL | URL | 10/05/13 21:36 | uYr3KE5M |
あー出ましたね。
テレビは4,5回出てるけど、それが多分最初じゃないかなあ。
と思って、調べたら、やはりyoutubeとかにありますね。
自分なんかどうでもいいけど、イースでイトマキがキャラでかくした直後でマスクがおかしくて、おまけに橋が真っ直ぐ、って凄いバージョンが見られますねw
そういう意味では見る価値あるな、エエ。
テレビは4,5回出てるけど、それが多分最初じゃないかなあ。
と思って、調べたら、やはりyoutubeとかにありますね。
自分なんかどうでもいいけど、イースでイトマキがキャラでかくした直後でマスクがおかしくて、おまけに橋が真っ直ぐ、って凄いバージョンが見られますねw
そういう意味では見る価値あるな、エエ。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 10/05/10 22:00 | 2OXmdoFs |
そういえば今回紹介のゲームが開発中の頃に、ハドソンの本社の開発室に
大竹まことのただいまPCランドが取材に来て、岩崎さんがイースI・IIの開発の
インタビューかなんかでTV出演してましたよね?
大竹まことのただいまPCランドが取材に来て、岩崎さんがイースI・IIの開発の
インタビューかなんかでTV出演してましたよね?
| 通りすがり | EMAIL | URL | 10/05/10 07:12 | 7Q0Cf0A. |
もちろんノータッチですし、PCエンジン版もデバッグにつきあって、あとソース追いかけてデバッグした程度でゲーム自体はノータッチですよ。
ソース追いかけたので、ゴッドハンドの一発ツモのアルゴリズムとか、鳴きのカバのリンシャンのアルゴリズムとか知ってますけど(笑)
ソース追いかけたので、ゴッドハンドの一発ツモのアルゴリズムとか、鳴きのカバのリンシャンのアルゴリズムとか知ってますけど(笑)
| 岩崎 | EMAIL | URL | 10/05/09 21:04 | 2OXmdoFs |
「ぎゅわんぶらあ自己中心派 激闘36雀士」は移殖前のPC-88版からPCエンジン版まで、ウチの母親が物凄くハマってしまい、家事もせずに毎晩遅くまでプレイしていたようです。今となっては思い出のゲームの一つです。50を過ぎたおばさんが楽しめるなんてイイゲームだなぁと思った記憶があります。
10数年前にPS版を買ったのですが、こちらは岩崎さんはノータッチなんですか?
10数年前にPS版を買ったのですが、こちらは岩崎さんはノータッチなんですか?
| べる | EMAIL | URL | 10/05/09 19:43 | aYFXjge. |
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