2011-01-02 Sun [ Ysを作った頃 ]
あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。
頒布した本が完売して嬉しかったのを兼ねて、出してしまった本の補足をいろいろ書いていきたい。
まず、一番大きかったことが「嵐の結界」を誰が思いついたのか分かったこと。
本当につい最近わかったのだが、実はこれが僕には長年の疑問だった。
というのも、イース1のマニュアルに結構しっかり書いてあるストーリーであるにもかかわらず、1・2を作ったとき、山根は全く嵐の結界について拘泥していなかった。また大浦君と桶谷君も気にしていなかった。つまり、実際にゲームを作っていた人間にとって、それほど重要な設定ではないのは明らかだった。だいたい本当に重要と考えている設定だったら、1・2で山根が定期船のコンテを出してくるわけがない。
「では誰が考えた設定なんだ?」というのは気になっていた。
もちろん誰も気にしていないからいいだろう…という事は出来るが、それでも誰かが考えたはずだし、その誰かは合理的な理由があってそうしたはずだ。さらに考えた人間はファルコムにいたはずなのは明らかだったが、それが誰なのかわからなかった。
この長年の疑問が、このブログのおかげで氷解した。
嵐の結界を考えたのは、当時、ファルコムに在籍していたシナリオライターの五十嵐哲也氏。ロマンシア・ソーサリアン・スタートレーダーなどなど、ファルコムの最初の黄金時代を支えたメンバーの1人だ(代表作はソーサリアンではないか、と思うのだが…)。
どうして、嵐の結界が出来上がったのかというと、以下が教えてもらった話。本人からの言葉だ。
五十嵐さん自身の言葉を疑う必要は全くないし、極めて簡単かつストレートな理由で理解できる。
そして自分が定期船でいいと思った理由は、まさにこの理由の逆。
と、こんなイメージを持っていたので、山根の書いてきた定期船でいいと思ったわけだ。
(五十嵐氏の設定と町の中の設定のズレは87年のRPGだからしょうがなかったのだろう…という気もするが)
それから、アドル・クリスティンが五十嵐さんだったとは、全く驚きだ。山根のバカ野郎、なんもそういうこと言ってなかったぞ、畜生。
あと、五十嵐氏からは面白いエピソードを教えていただいた。これは僕も聞いていた山根のエピソードだが21年前の話でさすがに忘れていたことだ。
社長(当時は加藤社長)が住まわせたのかどうかは知らないが、確かにこのエピソードは山根から聞いていた。「俺は偉かったから、毎日下から人が起こしに来て、悠然と起き上がり「うむ」とかいって、降りるんですよ」とか、メチャクチャなことを偉そうに言っていたので「単におめえが遅刻魔でいないと困るから、人がたたき起こしにくるだけだろう」といったら「失敬な、ゴー!」とか言っていたので、大笑いした記憶がある。
山根という男は、本当に社会人としては破綻していたヤツで、例えば空港でノンビリ飛行機が飛ぶまで本を読んで待っていたら、自分の名前が呼ばれたのだけど、気にせず本を読んでいたら、飛行機を遅らせてしまった…なんて、ちょっと信じられないようなエピソードのある男だったが、それにしてもムチャな話だ。
ところで、本にもブログにもとんでもない間違いを僕は一つ書いていた。
21年前の記憶なんてこの程度…ってことだが、イースIIの中枢で、女神が封印されていた部屋がバジュリオンの部屋に繋がっているところまでは作っていた。さすが進藤&山根だ。下が実際の画面。
PSPで1/2ラストまでプレイしたのだが、見たとき、自分でぶっ飛びましたよ。「うぉ、俺達やってるじゃん」ってw
どうして記憶違いしていたのかというと、多分、山根のバカが当時、地上に出られるようにしてくれとか言ってて「そんなのムリに決まってるだろう!」というのが、いつの間にか、バジュリオンの部屋を繋ぐこと自体がムリだろう、になっていたのだろう。
あと、フラフラとさまよっている時に見つけたブログで「どういう理由で、どういうタイミングで喋るのかわからない」というのがあり、僕は実はルールを作っていたのだが、全くわかってもらえなかったようなので、以下に説明。
と、こうなっていた。
当時から言われたことで、どうして「テキストウィンドウを出さなかったか?」については、まず顔を出すパターンではウィンドウが狭くてしょうがないから改行しまくりになり、見苦しいのと、スプライトの都合で顔がちらつく危険があったのに加え、テキストのスピードコントロールでオーディオに同期するのがほとんど不可能に近かったこと。
あと、顔なしでは何でテキスト出さなかったの? というと、顔無しではテキスト出して、顔ありではテキストなしかよ…という話になってしまうので、どちらもテキストなしで統一することにした。今の僕なら、顔のない方は平気でテキストを出してしまうが、当時の演出理論に凝り固まっていた自分では、この選択は出来なかったな…と思ってしまう。
また、本でも書いたがPCエンジンのADPCMは「ようやく音が出る」という悲惨な代物で、秒8KBでコーデックは全然ないしダイナミックレンジもない、再生するとすぐ音割れするしヒスノイズが載っかるしで、ノウハウが積まれていなかった初期は使えた代物ではなかった。
これが一定のホワイトノイズを加算すると、音が良くなり、かつ聞きやすくなる…というのが分かったのは1990年末あたりで、もちろんイースは完全に終わってからの話だ。だから、1991年あたりのCDROMでは劇的にADPCMの音声の質が向上し、天外2では膨大な量のADPCMのセリフが収録されることになった。
それからついでのエピソード。
1988年末ー89年2月頃、ハドソンとアルファシステムによって、ADPCMがゲーム用のメモリとして実用化されていったプロセスを書いておきたい。
PCエンジンのADPCMは、もちろん元々はCDオーディオ以外で音声を出力するために用意されていたわけだが、それ以外に決定的な貢献をしている。
というのも、元々PCエンジンCDROMのメモリはたったの64キロバイトしかなく使い物にならない…と、技術部の連中には思われていた。これは最初期のゲーム、ファイティングストリートとNO・RI・KOを作っている段階で明白だった。(当時、標準のビット表現だと0.5メガということになり、メチャメチャ少ない)
露骨に書けば、技術部側がNECや営業との価格設定の中で妥協せざるを得なくて、64キロバイトなんて馬鹿らしいメモリ量になった。
そして、当時の技術部の見方としては「こんなもんでゲームが作れるわけがない」だった。飛田さんも、和泉さんも、アルファシステムのみんなも憤慨しまくっていた。
これが開発の途中で、ADPCMにデータを置いてプログラムの置かれるメモリから読み書き出来る事実が、アルファシステムの佐々木社長によって発見され「データ+プログラム」なら1メガビットに等しいプログラムを書けるようになり、CDROMシステムの実用度は跳ね上がった。
加えて、ADPCMは「読み込むデータを指定すると、指定時に一瞬プログラムが止まるだけで、あとは勝手にADPCMバッファに読み込んでくれる」(通称バックグラウンドリード)テクニックが、飛田・和泉コンビによって突き止められ、これが『コブラ・黒竜王の伝説』で、アドベンチャシステムと共に初投入された。
これでPSGで音楽を鳴らしながら、ADPCMを利用して、絵の切り替えをしたり、データの差し替えを行うといったことが可能になった(読み込むためのコマンドを発行する瞬間、PSGの音がとぎれたり、遅くなったりする弱点はあるけど…)。
ところが、なんとこのADPCMのメモリを速い速度で読み書きすると、データ破壊が起こる事実を、これまたアルファシステムの佐々木社長が発見した。(これは黒竜王の伝説のデバッグ中に見つかった事実で、黒竜王の謎のバグの一つを突き止める結果にもなった)
でも、これは仕様上の問題で、正しく対処すれば破損は起こらないように出来ることが分かり、破損しないように読み書き出来るルーチンをCDROM BIOSを作った小林さんが作り、最終的にADPCMバッファは音を出さなければ、チョット遅いけど最大64キロバイトのデータバッファとして使用出来るようになった。
こうして、ADPCMを利用すると1メガビットのプログラムを書けるのを背景にイースI・IIは作られることになっていたわけだ。
頒布した本が完売して嬉しかったのを兼ねて、出してしまった本の補足をいろいろ書いていきたい。
まず、一番大きかったことが「嵐の結界」を誰が思いついたのか分かったこと。
本当につい最近わかったのだが、実はこれが僕には長年の疑問だった。
というのも、イース1のマニュアルに結構しっかり書いてあるストーリーであるにもかかわらず、1・2を作ったとき、山根は全く嵐の結界について拘泥していなかった。また大浦君と桶谷君も気にしていなかった。つまり、実際にゲームを作っていた人間にとって、それほど重要な設定ではないのは明らかだった。だいたい本当に重要と考えている設定だったら、1・2で山根が定期船のコンテを出してくるわけがない。
「では誰が考えた設定なんだ?」というのは気になっていた。
もちろん誰も気にしていないからいいだろう…という事は出来るが、それでも誰かが考えたはずだし、その誰かは合理的な理由があってそうしたはずだ。さらに考えた人間はファルコムにいたはずなのは明らかだったが、それが誰なのかわからなかった。
この長年の疑問が、このブログのおかげで氷解した。
嵐の結界を考えたのは、当時、ファルコムに在籍していたシナリオライターの五十嵐哲也氏。ロマンシア・ソーサリアン・スタートレーダーなどなど、ファルコムの最初の黄金時代を支えたメンバーの1人だ(代表作はソーサリアンではないか、と思うのだが…)。
どうして、嵐の結界が出来上がったのかというと、以下が教えてもらった話。本人からの言葉だ。
「嵐の結界」が出てくるマニュアルの拙い小説ですが、あれ、私が書きました。自由に行き来できるようにすると、エステリアの人々がプロマロックの町に避難してくるかなと思いまして。ちなみにイースではその他にアドルとモンスターのネーミングを担当しました。
五十嵐さん自身の言葉を疑う必要は全くないし、極めて簡単かつストレートな理由で理解できる。
そして自分が定期船でいいと思った理由は、まさにこの理由の逆。
嵐の結界なんてものが出来ていて、かつモンスターが跳梁跋扈して町の人がびびっているなら、もうちょっと町の中が騒然とした雰囲気になっているだろう。だいたい食糧の供給や様々な問題も発生する。だから町の中で真剣に騒いでいるのはサラぐらいで、他は不安に思いながらもそのうち収まるだろう…と思っている、ちょっと魔物が出てどうしようか不安になっている町
と、こんなイメージを持っていたので、山根の書いてきた定期船でいいと思ったわけだ。
(五十嵐氏の設定と町の中の設定のズレは87年のRPGだからしょうがなかったのだろう…という気もするが)
それから、アドル・クリスティンが五十嵐さんだったとは、全く驚きだ。山根のバカ野郎、なんもそういうこと言ってなかったぞ、畜生。
あと、五十嵐氏からは面白いエピソードを教えていただいた。これは僕も聞いていた山根のエピソードだが21年前の話でさすがに忘れていたことだ。
ブログの「Ysを作った頃」(とくに山根さんのところ)を楽しく読ませていただきました。「ロマンシア」開発時、山根さんはファルコムがあったマンションの上階に住んでいて(そうでもしないと遅刻は確実なので社長がそこに住まわせたとか)、彼を起こしに行くのが私の朝の日課になっていました。
社長(当時は加藤社長)が住まわせたのかどうかは知らないが、確かにこのエピソードは山根から聞いていた。「俺は偉かったから、毎日下から人が起こしに来て、悠然と起き上がり「うむ」とかいって、降りるんですよ」とか、メチャクチャなことを偉そうに言っていたので「単におめえが遅刻魔でいないと困るから、人がたたき起こしにくるだけだろう」といったら「失敬な、ゴー!」とか言っていたので、大笑いした記憶がある。
山根という男は、本当に社会人としては破綻していたヤツで、例えば空港でノンビリ飛行機が飛ぶまで本を読んで待っていたら、自分の名前が呼ばれたのだけど、気にせず本を読んでいたら、飛行機を遅らせてしまった…なんて、ちょっと信じられないようなエピソードのある男だったが、それにしてもムチャな話だ。
ところで、本にもブログにもとんでもない間違いを僕は一つ書いていた。
21年前の記憶なんてこの程度…ってことだが、イースIIの中枢で、女神が封印されていた部屋がバジュリオンの部屋に繋がっているところまでは作っていた。さすが進藤&山根だ。下が実際の画面。
PSPで1/2ラストまでプレイしたのだが、見たとき、自分でぶっ飛びましたよ。「うぉ、俺達やってるじゃん」ってw
どうして記憶違いしていたのかというと、多分、山根のバカが当時、地上に出られるようにしてくれとか言ってて「そんなのムリに決まってるだろう!」というのが、いつの間にか、バジュリオンの部屋を繋ぐこと自体がムリだろう、になっていたのだろう。
あと、フラフラとさまよっている時に見つけたブログで「どういう理由で、どういうタイミングで喋るのかわからない」というのがあり、僕は実はルールを作っていたのだが、全くわかってもらえなかったようなので、以下に説明。
1.神官の子孫は初登場時喋る
(ただし伏線として喋るとバレて困るヤツは喋らない。またジェバのように一部の例外もある)。
2.女神は基本的に喋る。
(ただしレアはいきなり喋ると女神バレしかねないので、意図的にミネアの町ではしゃべらない)
3.リリアは基本的に喋る。
4.あとは盛り上がるシーンや、自分が重要だと思ったシーンは喋る。
(ただし伏線として喋るとバレて困るヤツは喋らない。またジェバのように一部の例外もある)。
2.女神は基本的に喋る。
(ただしレアはいきなり喋ると女神バレしかねないので、意図的にミネアの町ではしゃべらない)
3.リリアは基本的に喋る。
4.あとは盛り上がるシーンや、自分が重要だと思ったシーンは喋る。
と、こうなっていた。
当時から言われたことで、どうして「テキストウィンドウを出さなかったか?」については、まず顔を出すパターンではウィンドウが狭くてしょうがないから改行しまくりになり、見苦しいのと、スプライトの都合で顔がちらつく危険があったのに加え、テキストのスピードコントロールでオーディオに同期するのがほとんど不可能に近かったこと。
あと、顔なしでは何でテキスト出さなかったの? というと、顔無しではテキスト出して、顔ありではテキストなしかよ…という話になってしまうので、どちらもテキストなしで統一することにした。今の僕なら、顔のない方は平気でテキストを出してしまうが、当時の演出理論に凝り固まっていた自分では、この選択は出来なかったな…と思ってしまう。
また、本でも書いたがPCエンジンのADPCMは「ようやく音が出る」という悲惨な代物で、秒8KBでコーデックは全然ないしダイナミックレンジもない、再生するとすぐ音割れするしヒスノイズが載っかるしで、ノウハウが積まれていなかった初期は使えた代物ではなかった。
これが一定のホワイトノイズを加算すると、音が良くなり、かつ聞きやすくなる…というのが分かったのは1990年末あたりで、もちろんイースは完全に終わってからの話だ。だから、1991年あたりのCDROMでは劇的にADPCMの音声の質が向上し、天外2では膨大な量のADPCMのセリフが収録されることになった。
それからついでのエピソード。
1988年末ー89年2月頃、ハドソンとアルファシステムによって、ADPCMがゲーム用のメモリとして実用化されていったプロセスを書いておきたい。
PCエンジンのADPCMは、もちろん元々はCDオーディオ以外で音声を出力するために用意されていたわけだが、それ以外に決定的な貢献をしている。
というのも、元々PCエンジンCDROMのメモリはたったの64キロバイトしかなく使い物にならない…と、技術部の連中には思われていた。これは最初期のゲーム、ファイティングストリートとNO・RI・KOを作っている段階で明白だった。(当時、標準のビット表現だと0.5メガということになり、メチャメチャ少ない)
露骨に書けば、技術部側がNECや営業との価格設定の中で妥協せざるを得なくて、64キロバイトなんて馬鹿らしいメモリ量になった。
そして、当時の技術部の見方としては「こんなもんでゲームが作れるわけがない」だった。飛田さんも、和泉さんも、アルファシステムのみんなも憤慨しまくっていた。
これが開発の途中で、ADPCMにデータを置いてプログラムの置かれるメモリから読み書き出来る事実が、アルファシステムの佐々木社長によって発見され「データ+プログラム」なら1メガビットに等しいプログラムを書けるようになり、CDROMシステムの実用度は跳ね上がった。
加えて、ADPCMは「読み込むデータを指定すると、指定時に一瞬プログラムが止まるだけで、あとは勝手にADPCMバッファに読み込んでくれる」(通称バックグラウンドリード)テクニックが、飛田・和泉コンビによって突き止められ、これが『コブラ・黒竜王の伝説』で、アドベンチャシステムと共に初投入された。
これでPSGで音楽を鳴らしながら、ADPCMを利用して、絵の切り替えをしたり、データの差し替えを行うといったことが可能になった(読み込むためのコマンドを発行する瞬間、PSGの音がとぎれたり、遅くなったりする弱点はあるけど…)。
ところが、なんとこのADPCMのメモリを速い速度で読み書きすると、データ破壊が起こる事実を、これまたアルファシステムの佐々木社長が発見した。(これは黒竜王の伝説のデバッグ中に見つかった事実で、黒竜王の謎のバグの一つを突き止める結果にもなった)
でも、これは仕様上の問題で、正しく対処すれば破損は起こらないように出来ることが分かり、破損しないように読み書き出来るルーチンをCDROM BIOSを作った小林さんが作り、最終的にADPCMバッファは音を出さなければ、チョット遅いけど最大64キロバイトのデータバッファとして使用出来るようになった。
こうして、ADPCMを利用すると1メガビットのプログラムを書けるのを背景にイースI・IIは作られることになっていたわけだ。
コメント
記憶違いの可能性はほぼないです。専用のキャラ用意しましたから。
ただ「わかりやすく」がですね、当時の、なのでせいぜい1-2ドットだったはずです。少なくともPSPでは見えませんでした。
ただ「わかりやすく」がですね、当時の、なのでせいぜい1-2ドットだったはずです。少なくともPSPでは見えませんでした。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 11/01/04 09:36 | 7CQ2CIzo |
はじめまして、yanuと申します。
『Ysを作った頃』の記事でひとつ、疑問に思った部分がありまして書き込ませていただきます。
私は今、PSPのゲームアーカイブスでPCエンジン版イース1・2を購入してプレイしているところです。(元々FC版をリアルタイムで、PC-88版をEGGでプレイしましたが、PCエンジン版は未プレイでした)
それで、溶岩地帯に差し掛かり、「そういえばロダの葉が見つけやすくなってるってブログに書いてたな」と思いながらプレイしたのですが、一向に見つかりません。
(2010年4月20日のエントリーです)
いや、結局見つけたんですけど、どう見ても周りの地面と違いがなくて……。
ということでどこか記憶違いがあるのでは?と思った次第です。(ゲームアーカイブス版がおかしい、という可能性もありますけど)
ちなみに個人的には、初見でわかるほど見つけやすいとその後の展開がちょっと不自然になるので現状でいいのかなと思っています。
『Ysを作った頃』の記事でひとつ、疑問に思った部分がありまして書き込ませていただきます。
私は今、PSPのゲームアーカイブスでPCエンジン版イース1・2を購入してプレイしているところです。(元々FC版をリアルタイムで、PC-88版をEGGでプレイしましたが、PCエンジン版は未プレイでした)
それで、溶岩地帯に差し掛かり、「そういえばロダの葉が見つけやすくなってるってブログに書いてたな」と思いながらプレイしたのですが、一向に見つかりません。
(2010年4月20日のエントリーです)
いや、結局見つけたんですけど、どう見ても周りの地面と違いがなくて……。
ということでどこか記憶違いがあるのでは?と思った次第です。(ゲームアーカイブス版がおかしい、という可能性もありますけど)
ちなみに個人的には、初見でわかるほど見つけやすいとその後の展開がちょっと不自然になるので現状でいいのかなと思っています。
| yanu | EMAIL | URL | 11/01/04 01:43 | 0RnP/apU |
あちこちで黒真珠のサイズが違う、というのについては21年前から気になっていまして、山根に突っ込んだことがあるのですが、山根の言っていたことを僕が間違えていないなら、以下の通りです。
1)夢見の石像の黒真珠は元の黒真珠の破片みたいなもの
これが本当かは僕は知りません、僕は「黒い真珠」とかいう別のモノのつもりだったんじゃないかと思っているのですが…
2)本体(ダーム)の黒真珠は核の回りに殻みたいなもんがある。
3)女神が持ってるのは割れた黒真珠
といってたんですけどねえ。思うに、あいつは適当言っただけじゃないかなあ。
生粋のグラフィック屋だったんで、そこらへんはイメージで「いいサイズ」で描いてただけだと個人的には思ってます。
1)夢見の石像の黒真珠は元の黒真珠の破片みたいなもの
これが本当かは僕は知りません、僕は「黒い真珠」とかいう別のモノのつもりだったんじゃないかと思っているのですが…
2)本体(ダーム)の黒真珠は核の回りに殻みたいなもんがある。
3)女神が持ってるのは割れた黒真珠
といってたんですけどねえ。思うに、あいつは適当言っただけじゃないかなあ。
生粋のグラフィック屋だったんで、そこらへんはイメージで「いいサイズ」で描いてただけだと個人的には思ってます。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 11/01/03 10:26 | 3pgGoL92 |
明けましておめでとうございます。
設定の話でひとつ気になっていることがあります。
PCエンジン版のエンディングでは、二人の女神がそれぞれひとつずつ黒真珠を抱えていますが、あれの片方は夢見の石像にはめ込んだ「黒い真珠」という解釈でいいんでしょうか?
エンディングで黒真珠が二つ出てくるのは、他機種版にはない演出ですよね。
黒真珠については、場面によって大きさや形が変化していますけど、何か理由があるんでしょうか。
設定の話でひとつ気になっていることがあります。
PCエンジン版のエンディングでは、二人の女神がそれぞれひとつずつ黒真珠を抱えていますが、あれの片方は夢見の石像にはめ込んだ「黒い真珠」という解釈でいいんでしょうか?
エンディングで黒真珠が二つ出てくるのは、他機種版にはない演出ですよね。
黒真珠については、場面によって大きさや形が変化していますけど、何か理由があるんでしょうか。
| Konbcan | EMAIL | URL | 11/01/02 22:20 | vQbRc1qk |
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