2018-10-22 Mon [ Ysを作った頃 ]
約30年前に『イースⅠ・Ⅱ』を作ったとき、ハドソンのアートのバイトとして、チームに百田という男がいた。
彼は主にビジュアルの絵を 山根に言われて一生懸命、ドット打ったり、アニメ作ったり、キャラ詰めたりしていた。
その彼と数年前からfacebookで繋がっていたのだけど、なんと今日誕生日だというので思い出したのが「リリアの乳揺れ」のことだった。
約30年前の、1989年の夏のある日、彼はメモリが全然ないインターミッション(イースⅠとⅡをつなぐアニメパート。僕はインターミッションと呼んでいた)で、リリアの振り向きのアニメを作っていた。
それが、右のシーン。
ところでインターミッションは恐ろしいほどメモリが足りないところで、なんかやるたびにパンクするところで死にそうなのにである、百田の野郎は勝手に(マジで勝手にだw)、この振り向きリリアに乳揺れさせた。
そしてである。
「岩崎さん、揺れてるんですよ! この控えめな揺れがこうグッっとくるんですよ!」と、こんなようなセリフをクッソ嬉しそうにいっていたのが、ヤツと仕事をしていた時の僕的ハイライト、ナンバーワンである。
てなことをfacebookに書いたら、百田の奴、なんとコメントを返してきたのだけど…驚愕だったのが「乳揺れは実は『トップをねらえ』を参考にした」という文章だった。ビックリして調べたら『トップをねらえ』は1988。
確かに参考に出来る。なんてこったい。
続けて「もしかするとゲームで乳揺れした史上初ではないか」と、彼は書いたのだけど、確かにその可能性はある。
まずファミコンはROM。そんなことをやる容量の余力はなかったろう。あるとしたらPCだけど、PCは今度はアニメをやるのが超大変だ。容量使い放題で、乳揺れアニメをしてもプログラマが文句を言わないハードと考えるとPCエンジンぐらいしかない。
そして一番可能性があるのは『ヴァリスⅡ』だが、こいつは多分乳揺れはなかったはずなので『イースⅠ・Ⅱ』で百田がやらかした乳揺れが確かにゲーム史上初の可能性はある。
と、まあそんなことを思ったのだけど、そんなバカな話をしている百田も50歳を過ぎようかという歳だ。
30年という月日はとんでもなく長いものだと思うと同時に、それでも、僕の心の中では百田は20歳ぐらいでエラソーに「この揺れがいいんですよ!」といってる生意気なヤツとして永遠に生きるのだろうと思いながら、なーんも考えずにゲームを楽しく作っていた日々を懐かしく思い出したのであった。
彼は主にビジュアルの絵を 山根に言われて一生懸命、ドット打ったり、アニメ作ったり、キャラ詰めたりしていた。
その彼と数年前からfacebookで繋がっていたのだけど、なんと今日誕生日だというので思い出したのが「リリアの乳揺れ」のことだった。
約30年前の、1989年の夏のある日、彼はメモリが全然ないインターミッション(イースⅠとⅡをつなぐアニメパート。僕はインターミッションと呼んでいた)で、リリアの振り向きのアニメを作っていた。
それが、右のシーン。
ところでインターミッションは恐ろしいほどメモリが足りないところで、なんかやるたびにパンクするところで死にそうなのにである、百田の野郎は勝手に(マジで勝手にだw)、この振り向きリリアに乳揺れさせた。
そしてである。
「岩崎さん、揺れてるんですよ! この控えめな揺れがこうグッっとくるんですよ!」と、こんなようなセリフをクッソ嬉しそうにいっていたのが、ヤツと仕事をしていた時の僕的ハイライト、ナンバーワンである。
てなことをfacebookに書いたら、百田の奴、なんとコメントを返してきたのだけど…驚愕だったのが「乳揺れは実は『トップをねらえ』を参考にした」という文章だった。ビックリして調べたら『トップをねらえ』は1988。
確かに参考に出来る。なんてこったい。
続けて「もしかするとゲームで乳揺れした史上初ではないか」と、彼は書いたのだけど、確かにその可能性はある。
まずファミコンはROM。そんなことをやる容量の余力はなかったろう。あるとしたらPCだけど、PCは今度はアニメをやるのが超大変だ。容量使い放題で、乳揺れアニメをしてもプログラマが文句を言わないハードと考えるとPCエンジンぐらいしかない。
そして一番可能性があるのは『ヴァリスⅡ』だが、こいつは多分乳揺れはなかったはずなので『イースⅠ・Ⅱ』で百田がやらかした乳揺れが確かにゲーム史上初の可能性はある。
と、まあそんなことを思ったのだけど、そんなバカな話をしている百田も50歳を過ぎようかという歳だ。
30年という月日はとんでもなく長いものだと思うと同時に、それでも、僕の心の中では百田は20歳ぐらいでエラソーに「この揺れがいいんですよ!」といってる生意気なヤツとして永遠に生きるのだろうと思いながら、なーんも考えずにゲームを楽しく作っていた日々を懐かしく思い出したのであった。
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