2017-05-23 Tue [ Ysを作った頃 ]
通販している同人誌の内容にコメントをもらったので、ちょっとそれについて知る限りのことを整理して書いておきたい。
僕が聞いている限りでは、この発想はなかったと思います。ファクトはダームの塔の最上階にいて、あのバトルフィールドは最上階以外の何物でもないです。少なくとも山根がそう考えてないと、『Ⅰ・Ⅱ』のインターミッションで、屋上からぶっ飛ぶアニメーションは出てきません。
また、自分が覚えている(同人誌にも書いた)イースの開発の歴史に、のちに分かった若干の付け加えをして書いておきます。
■橋本・宮崎コンビが『アステカ3』と偽って作り始めていたゲームに山根が合流する。
そもそもは『アステカ3』と偽ってアクションRPGを作り始めたのは確かなようです。当時のファルコムメンバーの山根+1で、どちらの話も共通していましたから。30年経っての記憶違いはともかく、彼らがウソつく必要もないわけで。当時、橋本・宮崎コンビはファルコムの中ではメインではなかったので、チェックも緩くて勝手に出来たのかなあと。
また、このころは「イース」という名前は一切なかったと思います。
■新作でのボスの数を山根が6体と決める。
これについては、僕もこの1年ほどで知ったことで驚いたのですが(進藤のヤツが飲み会でしゃべった)、そもそものボスの数を決めたのは山根だったそうです。つまりイースでの6神官だのなんだのは、この仕様からスタートしたことになります。
進藤がしゃべったことには「山根がアートのテクニカルな面などを最初に決めるタイプだった。で、彼はシナリオとかどうでもいい人だったので、それをベースに宮崎君が世界観を決め、シナリオを書いた」とのことでした。
どうして「デカキャラ」と不思議に思うと思いますが、これは分かっていただくのが難しいのですが、当時「デカキャラ=ボス」はゲームの花形であると同時に、デッカイものを表示するのは技術が必要だったので、表示して動くこと自体がウリになったのです。
■宮崎君が世界観を作る
この時点ではシナリオはイース1とイース2の両方を含むもの。たぶん、魔法はなかったと思われます。
またこの時の世界観は粗雑なもので、飲み会で話を聞くと「木といえば針葉樹」だの「この木何の木でいいんじゃね」だのそんなレベルで作ったようです。ただ、ここで6神官と6体のモンスターの対比などはできていたと思われます。
■ゲームの製作が進行し、イース2の部分を諦める。
時間が足りない、に尽きたと思います。
このあたりでマニュアルの準備などが始まり、五十嵐さんがオープニングを飾る小説を書きます。イースを囲む嵐の結界は五十嵐さんのアイディアです。
また、アドル・クリスティンの名前と、生涯100冊以上の冒険記を残したという設定も五十嵐さんです。
五十嵐さん曰く「こんなに続くとわかっていたら、100冊全部タイトルを設定しておけばよかった」w
また、五十嵐さんの設定だったので、山根にはあまり思い入れがなくて『Ⅰ・Ⅱ』で、定期航路で船でOKになったのだと思います。
■サイズが足りなくて、ダームの塔を慌てて作る
バジュリオンでオワリではゲームのサイズが足りなくて、突貫工事でダームの塔を作ります。
だからアクションゲームです。
また山根は町に戻れるようにしたかったけれど、橋本君がいやがってウィングを取り上げて一方通行にする、なんてこともあったりします。
それから何回か書いていますが、ダルクファクトのネタバレをコメントアウトして、フィーナが女神であることなどを伏せたのは最後の最後だと思います。
まあ、もう30年も昔の話なので、山根の記憶や進藤の記憶にも(そして僕の記憶にも)ブレがあるのは間違いないのですが、この歴史はだいたい正しいと思われます。
ところで、イース2のダーム戦の舞台の形状は、ダームの塔最上階(ダルク戦の舞台の外側部分)の形状と良く似ていて、真ん中に穴があったり、画面下方に紋章があったりします。このためパソコン版をプレイしたときは、イース中枢からダームの塔最上階へワープして最終決戦という演出なのかと思っていました。
PCE版ではイース中枢から橋でつながっていたので、そういう意図はなさそうですが、もし当時この点も検討されていたようでしたら、ぜひ今後の更新の折に触れていただけると嬉しいです。
PCE版ではイース中枢から橋でつながっていたので、そういう意図はなさそうですが、もし当時この点も検討されていたようでしたら、ぜひ今後の更新の折に触れていただけると嬉しいです。
僕が聞いている限りでは、この発想はなかったと思います。ファクトはダームの塔の最上階にいて、あのバトルフィールドは最上階以外の何物でもないです。少なくとも山根がそう考えてないと、『Ⅰ・Ⅱ』のインターミッションで、屋上からぶっ飛ぶアニメーションは出てきません。
また、自分が覚えている(同人誌にも書いた)イースの開発の歴史に、のちに分かった若干の付け加えをして書いておきます。
■橋本・宮崎コンビが『アステカ3』と偽って作り始めていたゲームに山根が合流する。
そもそもは『アステカ3』と偽ってアクションRPGを作り始めたのは確かなようです。当時のファルコムメンバーの山根+1で、どちらの話も共通していましたから。30年経っての記憶違いはともかく、彼らがウソつく必要もないわけで。当時、橋本・宮崎コンビはファルコムの中ではメインではなかったので、チェックも緩くて勝手に出来たのかなあと。
また、このころは「イース」という名前は一切なかったと思います。
■新作でのボスの数を山根が6体と決める。
これについては、僕もこの1年ほどで知ったことで驚いたのですが(進藤のヤツが飲み会でしゃべった)、そもそものボスの数を決めたのは山根だったそうです。つまりイースでの6神官だのなんだのは、この仕様からスタートしたことになります。
進藤がしゃべったことには「山根がアートのテクニカルな面などを最初に決めるタイプだった。で、彼はシナリオとかどうでもいい人だったので、それをベースに宮崎君が世界観を決め、シナリオを書いた」とのことでした。
どうして「デカキャラ」と不思議に思うと思いますが、これは分かっていただくのが難しいのですが、当時「デカキャラ=ボス」はゲームの花形であると同時に、デッカイものを表示するのは技術が必要だったので、表示して動くこと自体がウリになったのです。
■宮崎君が世界観を作る
この時点ではシナリオはイース1とイース2の両方を含むもの。たぶん、魔法はなかったと思われます。
またこの時の世界観は粗雑なもので、飲み会で話を聞くと「木といえば針葉樹」だの「この木何の木でいいんじゃね」だのそんなレベルで作ったようです。ただ、ここで6神官と6体のモンスターの対比などはできていたと思われます。
■ゲームの製作が進行し、イース2の部分を諦める。
時間が足りない、に尽きたと思います。
このあたりでマニュアルの準備などが始まり、五十嵐さんがオープニングを飾る小説を書きます。イースを囲む嵐の結界は五十嵐さんのアイディアです。
また、アドル・クリスティンの名前と、生涯100冊以上の冒険記を残したという設定も五十嵐さんです。
五十嵐さん曰く「こんなに続くとわかっていたら、100冊全部タイトルを設定しておけばよかった」w
また、五十嵐さんの設定だったので、山根にはあまり思い入れがなくて『Ⅰ・Ⅱ』で、定期航路で船でOKになったのだと思います。
■サイズが足りなくて、ダームの塔を慌てて作る
バジュリオンでオワリではゲームのサイズが足りなくて、突貫工事でダームの塔を作ります。
だからアクションゲームです。
また山根は町に戻れるようにしたかったけれど、橋本君がいやがってウィングを取り上げて一方通行にする、なんてこともあったりします。
それから何回か書いていますが、ダルクファクトのネタバレをコメントアウトして、フィーナが女神であることなどを伏せたのは最後の最後だと思います。
まあ、もう30年も昔の話なので、山根の記憶や進藤の記憶にも(そして僕の記憶にも)ブレがあるのは間違いないのですが、この歴史はだいたい正しいと思われます。
コメント
あの二カ所はたまたま似ていただけなんですね。
そうするとダーム戦の舞台に穴が開いているのは、単純に難易度を上げるためだったのかも知れません。
ありがとうございました!
そうするとダーム戦の舞台に穴が開いているのは、単純に難易度を上げるためだったのかも知れません。
ありがとうございました!
| ふるかわ | EMAIL | URL | 17/05/27 15:06 | 512x1lMs |
そういえば1-2開発してたときパソコン版のプロトタイプを岩崎さんに見せてもらいましたが、町の曲が違ってて「ああ、これがウワサの曲か!」と思い出が深く刻まれてます。
| K.H | EMAIL | URL | 17/05/24 09:37 | DlZuP/wA |
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