2016-01-09 Sat [ 昔のこと::ハドソン関係 ]
PCエンジンの著作権的プロテクトで書いたことで、勘違いされるかなあ…と思いながらも面倒くさいの説明しなかったことを勘違いしている人がいたり、あと質問が飛んできたり、他にわかったことがあるので続き。
PCエンジンCDROMの特徴としてよく言われるコレだが、当時はデータトラック…というかデータセクタをオーディオとして再生してしまうCDプレイヤーが普通にあったから。
そもそもCDROMは後付規格なので、規格制定より前に出来たCDプレイヤーは音楽CDしか想定していないので、全部CDオーディオだと信じて再生してしまう。だから間違ってCDROMを再生した人のために、本当に警告が必要だったのだ。なおデータセクタは原理的には再生機器が壊れる可能性があるシロモノで、実際に壊した人もいると聞いたが、残念ながらそれが本当かどうかはわからない。
1988-89年当時はCDをカジュアルにコピーするなんてマネは不可能だったからだ。
PCエンジンCDROMの開発用のハードディスクが384メガバイト×2台で、ようやくCDROMの容量をフルに使えるようにするという仕様(そしてなんと768メガバイト版は1000万円)だ。
一般的なユーザーが使っていた普及帯のハードディスクの容量が20-40メガバイトの時代で、普通に買える限界のハードディスクが100メガバイト程度で約30万円とかなのだから、540メガバイトの容量を用意するだけで200メガバイト×3の構成とかになって100万円以上コースで、7つのSCSI IDのうち3つ消費する(ついでに書くと当時はまだビックリのお値段だったCDROMドライブも繋がなければならない) 。
もちろん、そんなバカでかいものを1ファイルとして扱うことも出来ないので、特殊なプログラムの自作が必要ってことになる。
おまけにCD-Rも登場しておらず、かつしばらくして登場したCD-Rも1枚数千円なんてメディアで、CD Writerも数十万円。これまたSCSIで接続して特殊なプログラムで書き込むなんて騒ぎになる。
540メガバイトのCDROMのコピーなんて普通の人がカジュアルに出来るわけもなく、容量そのものがプロテクトになった時代だったのだ。
だからCDROMがコピー出来ないように物理的なプロテクトしておこうなんて考える必要は一切なかった。
つまり、著作権的プロテクトは主にプロがNECやハドソンの許諾なくPCエンジンのゲームを製作するのを防ぐことを念頭に置いて作られているもので、今で言うディスクのコピーを防ぐためのものではないということだ。
facebookで聞いた所、作者曰く「知ってた、時効ってことにしてくれ」ということだった。伊藤真希はそもそも名前がテキストとして収録されていたことを知らなかった。なってこったい。以下はfacebookの該当のスレッド。誰かわかるのも微妙だなと思って、名前はマスクさせてもらった。
ちなみにこのテキストに含まれている啓真は誤植ではない。
イースⅠ・Ⅱの製作記の『1989年8月 - どうせ銀の装備なしには勝てんのだ』で一度書いたが『眞』は旧字体でJIS第二水準に含まれる。そして当時は平気で第一水準しかないマシン(第二水準はオプション扱いが普通だった)がたくさんあったので、こちらの方が都合が良かったのだ。
前の記事のコメントに答えを書いた人がいたけれど(そして記憶は正しい)、簡単に書けばバックアップのデータだ。
Track 2のデータを読んでリードエラーを起こした時、用意された代替データ領域を読むのがPCエンジンCDROMのルールになっていて、それを一番最後のトラックにしている場合はそうなる。
当時は光メディアの黎明期で、どれだけエラーするのやら実験室のデータしかなく、みんな、CDROMのエラーを怖がっていたということだ。
あるものとないものがあるのは代替データトラックである必要はなく「バックアップデータはここにありますからね」という位置指定をする方法もあったから(ただしトラックの方が全然楽)。またトラックの場合でも、最後に置くのがルールではなかったからだ。
例えばイースⅠ・Ⅱでは当時のYELLOW BOOKの制限を超えた時間までCDDAを入れていたので代替トラックを一番最後に置くことが出来なかった。だからTrack 2が内部的には2つに分かれていて、後ろ側に置かれているものが代替データ領域になっている。
このバックアップのセクター位置の計算時にリードイン領域を含めることがマニュアルに書かれていなかったために、最初動かなくてメチャクチャ悩まされた。これを小林さんにボヤいたのだけど、あとからマニュアルにはちゃんと入ったのだろうか。
追記すると、物理的に距離が離れている方がどっちも壊れる率は低いことになるが、最後に代替トラックがあると、当時のCDのシーク速度だと(最低でも)3秒ほどかかるので、行って帰って6秒。しかも本当にエラーしていると、毎回そのアクセスが発生することになり、悪夢のように遅くなるので、直後に代替トラックを置くほうがプレイヤーには優しい。
どこの誰が作ったのかは知っているのだけど、20年以上経った今でも書いていいのかわからないので、書かない。
当時のハッカーインターナショナルがらみの話は結構知っていると思うのだけど、未だに書いていいかどうか迷うところの一つだ。
死ぬ前に、まだ知られていなかったら書くことにしておく。
■トラック2を再生するなというインフォメーションがトラック1に入っていたのは、なぜか?
PCエンジンCDROMの特徴としてよく言われるコレだが、当時はデータトラック…というかデータセクタをオーディオとして再生してしまうCDプレイヤーが普通にあったから。
そもそもCDROMは後付規格なので、規格制定より前に出来たCDプレイヤーは音楽CDしか想定していないので、全部CDオーディオだと信じて再生してしまう。だから間違ってCDROMを再生した人のために、本当に警告が必要だったのだ。なおデータセクタは原理的には再生機器が壊れる可能性があるシロモノで、実際に壊した人もいると聞いたが、残念ながらそれが本当かどうかはわからない。
余談を書くとCD-ROMやCD-Rが後付の規格だったことがCDという規格に様々な問題を引き起こしたので、DVDはかなり慎重に規格が策定されたが、書き換え可能メディアで問題が起こった。
■著作権的プロテクトがなぜ機能したか?
1988-89年当時はCDをカジュアルにコピーするなんてマネは不可能だったからだ。
PCエンジンCDROMの開発用のハードディスクが384メガバイト×2台で、ようやくCDROMの容量をフルに使えるようにするという仕様(そしてなんと768メガバイト版は1000万円)だ。
一般的なユーザーが使っていた普及帯のハードディスクの容量が20-40メガバイトの時代で、普通に買える限界のハードディスクが100メガバイト程度で約30万円とかなのだから、540メガバイトの容量を用意するだけで200メガバイト×3の構成とかになって100万円以上コースで、7つのSCSI IDのうち3つ消費する(ついでに書くと当時はまだビックリのお値段だったCDROMドライブも繋がなければならない) 。
もちろん、そんなバカでかいものを1ファイルとして扱うことも出来ないので、特殊なプログラムの自作が必要ってことになる。
おまけにCD-Rも登場しておらず、かつしばらくして登場したCD-Rも1枚数千円なんてメディアで、CD Writerも数十万円。これまたSCSIで接続して特殊なプログラムで書き込むなんて騒ぎになる。
540メガバイトのCDROMのコピーなんて普通の人がカジュアルに出来るわけもなく、容量そのものがプロテクトになった時代だったのだ。
だからCDROMがコピー出来ないように物理的なプロテクトしておこうなんて考える必要は一切なかった。
つまり、著作権的プロテクトは主にプロがNECやハドソンの許諾なくPCエンジンのゲームを製作するのを防ぐことを念頭に置いて作られているもので、今で言うディスクのコピーを防ぐためのものではないということだ。
そしてPS1では物理的なプロテクトが必要になっている。88年から94年の、たったの6年でそうなるんだからすさまじい。
■「伊藤真樹」について
facebookで聞いた所、作者曰く「知ってた、時効ってことにしてくれ」ということだった。伊藤真希はそもそも名前がテキストとして収録されていたことを知らなかった。なってこったい。以下はfacebookの該当のスレッド。誰かわかるのも微妙だなと思って、名前はマスクさせてもらった。
ちなみにこのテキストに含まれている啓真は誤植ではない。
イースⅠ・Ⅱの製作記の『1989年8月 - どうせ銀の装備なしには勝てんのだ』で一度書いたが『眞』は旧字体でJIS第二水準に含まれる。そして当時は平気で第一水準しかないマシン(第二水準はオプション扱いが普通だった)がたくさんあったので、こちらの方が都合が良かったのだ。
■最後のトラックのバイナリはなんすか?
前の記事のコメントに答えを書いた人がいたけれど(そして記憶は正しい)、簡単に書けばバックアップのデータだ。
Track 2のデータを読んでリードエラーを起こした時、用意された代替データ領域を読むのがPCエンジンCDROMのルールになっていて、それを一番最後のトラックにしている場合はそうなる。
当時は光メディアの黎明期で、どれだけエラーするのやら実験室のデータしかなく、みんな、CDROMのエラーを怖がっていたということだ。
あるものとないものがあるのは代替データトラックである必要はなく「バックアップデータはここにありますからね」という位置指定をする方法もあったから(ただしトラックの方が全然楽)。またトラックの場合でも、最後に置くのがルールではなかったからだ。
例えばイースⅠ・Ⅱでは当時のYELLOW BOOKの制限を超えた時間までCDDAを入れていたので代替トラックを一番最後に置くことが出来なかった。だからTrack 2が内部的には2つに分かれていて、後ろ側に置かれているものが代替データ領域になっている。
このバックアップのセクター位置の計算時にリードイン領域を含めることがマニュアルに書かれていなかったために、最初動かなくてメチャクチャ悩まされた。これを小林さんにボヤいたのだけど、あとからマニュアルにはちゃんと入ったのだろうか。
追記すると、物理的に距離が離れている方がどっちも壊れる率は低いことになるが、最後に代替トラックがあると、当時のCDのシーク速度だと(最低でも)3秒ほどかかるので、行って帰って6秒。しかも本当にエラーしていると、毎回そのアクセスが発生することになり、悪夢のように遅くなるので、直後に代替トラックを置くほうがプレイヤーには優しい。
■CD麻雀 美少女中心派
どこの誰が作ったのかは知っているのだけど、20年以上経った今でも書いていいのかわからないので、書かない。
当時のハッカーインターナショナルがらみの話は結構知っていると思うのだけど、未だに書いていいかどうか迷うところの一つだ。
死ぬ前に、まだ知られていなかったら書くことにしておく。
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