2012-11-04 Sun [ レビュー::ゲーム ]
FF13-2を(一応)最後までプレイして、ものすごくいろいろ思うことがあり、ちょっといろいろ書きたいのだけど、FF13-2について書くためには、疑いもなくFF13から話を始めないといけないので、そこから始めたこのシリーズ。ようやくFF13-2にたどり着いた。
ま、ノンビリ書いていくつもり。
■第1回
■第2回
■第3回
■第4回
今回は第5回。FF13-2のパート2になる。
といろいろ書く前にFF13-2について一つ書いておきたいことがある。
好きか嫌いかはともかくとして、そしてとんでもなくマズい問題があるのもともかくとして、FF13-2は基本的には買って損するレベルのゲームではない…それどころか、最後の最後まで本当に遊ぶという上では良く出来ている作品だということだ。
予算の制約がはっきり見えるとは言え、相変わらずグラフィックは豪華で、若干フレームレートが不安定になるときもあるけれど、素晴らしく出来はいい。
音楽は文句なしの出来だし、さまざまなエフェクトや演出も素晴らしい。
また、一部複雑なところもあるが、操作性も基本的には素晴らしいデキだ。
つまり「シナリオが破綻している」とか、どうなんだこれはというところがいくつかあり、文句はタラタラだけど、基本的には「とても出来がいいゲームだ」ということ、こいつは間違いない。
ただ、今回はそれでも、その結構ある問題が13と比べると、どうなんだ、という話になっていく。
さて、前回、「ユーザーの声に耳を傾ける(過ぎると)とどうなるか?」と最後に書いたけれど、FF13-2はディレクターがFF13でのユーザーの声に耳を傾けていろいろ直した、ってのが主張なわけだけど、その13-2を遊んだ僕の評価は「ユーザーの声を聞くというと聞こえはいいけれど『迎合している』って書くと聞こえは悪くなるよね、そして13と比べて悪くなっているところは多いんじゃない? つまりゲームの作り手として善し悪しを本当にちゃんと選別したとは思えないんだけど?」が答えになる。
どうして悪くなっていると僕が考えているのか?
答えは簡単で、ゲームの長所と短所は表裏一体なのを忘れ、ともかくユーザーに叩かれないように修正した…としか思えないような修正を加えたからだ。
特に問題が出ているのが3カ所。
一つがムービー、一つが一本道、そしてまあ最後は「戦闘」ってことになる。
今回は、ムービーについて。
まずムービー。
例えばムービーゲーだの、見てるだけで、やることがないって意見がある。
この批判は遥か遠い昔、そうイース1・2とかヴァリスとか、CDROMが登場して声とアニメをゲームに載せられるようになったころから、ずっとあるモノで、僕に言わせれば、「ほとんどの場合はムービーが批判されているのではなく、シナリオが批判されている(昔は入れられないものに対していらないといってるだけだったりもしたが)」だけだと思っている。
実際、FF13の構成は最初の3回で書いたとおり、問題が起きやすい(そして分かりにくい)構造で好き嫌いが多いのは間違いないし、批判されるのも仕方ないかなと思うところはある(そして批判するなら、一番簡単なムービーゲーだのそういうテンプレートな下らない批判をする人間が多いのも良くわかる)。
だけど、だからムービーにQTEを入れることで見ているだけじゃなくす…になると「バカじゃないか?」と聞きたくなってしまう。
なぜなら、QTEは扱い方が難しい。
例えばQTEをやるムービーパートは、ストーリーをやるのは難しい。当たり前だけど目を皿のようにして画面を眺め、タイミングに必死になっているときに、複雑な話をやるのが難しいのは明らかだ。
つまりQTEの使いどころはアクションゲームなどで続きのシーンでムービーで固定的だけど気持ちのいいシーンをやるときに有効で、かつQTEのミスが死亡に直結しないのがベスト、ということになる。
そして実際に、FF13-2ではどんな風に使っているのかというと「一部のバトルシーンの終わりなどでQTEが入り、それ以外はQTEは入らない(言い換えるならいつものムービー)」って構成になっている。つまり、FF13-2は序章のQTEまみれのライトニングのシーンを除くと、案外QTEはない。というかQTEをやった強い印象のあるところが数カ所しかない、のが正しい。
で、ここで多大な疑問が出てくる。QTEってのは結構作るのに手間がかかる。それだけのコストを投入する価値があったのか? と質問したとき、その答えは、限りなく「ノー」に近いと言わざるを得ない、と僕は思う。
だから僕はFF13-2のQTEに対して批判的だし、コストを考えれば全然間尺は合っていないと思う。ただしFF13-2には本当にスゴいQTEがある、ヘタをすると今まで自分の見た中で一番凄いQTEがあるのは、声を大にして言っておきたい。
QTEは限られた時間の中でプレイヤーに選択を強いるのが得意って特性からプレイヤーに時間的圧力をかけつつ、シナリオ分岐させるポイントとして極めて有効だ。
そしてドネタバレなので伏せるけれど、FF13-2は、最初にクリア出来るストーリーの一番最後に本当にビックリするようなもの凄い選択肢がQTEとして登場する。
このQTEで「どちらを選ぶか?」、本当に短い…だけど、十分に考える余裕はある間の選択としては最高のモノの一つなのは間違いない。だから、そのあとのガッカリはともかくとして、間違いなくFF13-2のQTEはゲーム史上に残るべきと思うほど素晴らしいQTEによる選択があるのは確かだ。
そして、これについて言及する人間の少なさに、ガッカリすると同時に「ちゃんとゲームやれよ」と思ってしまう。
ところで、ラストのQTEは本当に素晴らしいのはともかくとして、結局QTEを入れるコストを考えたとき、QTE内の分岐はほとんどゲーム本篇に意味を与えず、QTEの中での分岐にとどまりスコアによるやり込み程度の意味しかないし、なにより全てのムービーがQTEになってるわけじゃなく、大半のムービーは今まで通りのムービーでしかないのだから、無駄といっていいレベルだったのは間違いない。
つまり、ムービーゲーとか言われてQTE入れるってコトをやる予算とヒマがあったなら、違うことをやったほうが良かったんじゃない? というのが僕の結論だ。
だけど、これは「まだいい」要素だ。
一本道はもっと悪い…というところで次回に続く。
ま、ノンビリ書いていくつもり。
■第1回
■第2回
■第3回
■第4回
今回は第5回。FF13-2のパート2になる。
といろいろ書く前にFF13-2について一つ書いておきたいことがある。
好きか嫌いかはともかくとして、そしてとんでもなくマズい問題があるのもともかくとして、FF13-2は基本的には買って損するレベルのゲームではない…それどころか、最後の最後まで本当に遊ぶという上では良く出来ている作品だということだ。
予算の制約がはっきり見えるとは言え、相変わらずグラフィックは豪華で、若干フレームレートが不安定になるときもあるけれど、素晴らしく出来はいい。
音楽は文句なしの出来だし、さまざまなエフェクトや演出も素晴らしい。
また、一部複雑なところもあるが、操作性も基本的には素晴らしいデキだ。
つまり「シナリオが破綻している」とか、どうなんだこれはというところがいくつかあり、文句はタラタラだけど、基本的には「とても出来がいいゲームだ」ということ、こいつは間違いない。
ただ、今回はそれでも、その結構ある問題が13と比べると、どうなんだ、という話になっていく。
さて、前回、「ユーザーの声に耳を傾ける(過ぎると)とどうなるか?」と最後に書いたけれど、FF13-2はディレクターがFF13でのユーザーの声に耳を傾けていろいろ直した、ってのが主張なわけだけど、その13-2を遊んだ僕の評価は「ユーザーの声を聞くというと聞こえはいいけれど『迎合している』って書くと聞こえは悪くなるよね、そして13と比べて悪くなっているところは多いんじゃない? つまりゲームの作り手として善し悪しを本当にちゃんと選別したとは思えないんだけど?」が答えになる。
どうして悪くなっていると僕が考えているのか?
答えは簡単で、ゲームの長所と短所は表裏一体なのを忘れ、ともかくユーザーに叩かれないように修正した…としか思えないような修正を加えたからだ。
特に問題が出ているのが3カ所。
一つがムービー、一つが一本道、そしてまあ最後は「戦闘」ってことになる。
今回は、ムービーについて。
まずムービー。
例えばムービーゲーだの、見てるだけで、やることがないって意見がある。
この批判は遥か遠い昔、そうイース1・2とかヴァリスとか、CDROMが登場して声とアニメをゲームに載せられるようになったころから、ずっとあるモノで、僕に言わせれば、「ほとんどの場合はムービーが批判されているのではなく、シナリオが批判されている(昔は入れられないものに対していらないといってるだけだったりもしたが)」だけだと思っている。
実際、FF13の構成は最初の3回で書いたとおり、問題が起きやすい(そして分かりにくい)構造で好き嫌いが多いのは間違いないし、批判されるのも仕方ないかなと思うところはある(そして批判するなら、一番簡単なムービーゲーだのそういうテンプレートな下らない批判をする人間が多いのも良くわかる)。
だけど、だからムービーにQTEを入れることで見ているだけじゃなくす…になると「バカじゃないか?」と聞きたくなってしまう。
なぜなら、QTEは扱い方が難しい。
例えばQTEをやるムービーパートは、ストーリーをやるのは難しい。当たり前だけど目を皿のようにして画面を眺め、タイミングに必死になっているときに、複雑な話をやるのが難しいのは明らかだ。
つまりQTEの使いどころはアクションゲームなどで続きのシーンでムービーで固定的だけど気持ちのいいシーンをやるときに有効で、かつQTEのミスが死亡に直結しないのがベスト、ということになる。
そして実際に、FF13-2ではどんな風に使っているのかというと「一部のバトルシーンの終わりなどでQTEが入り、それ以外はQTEは入らない(言い換えるならいつものムービー)」って構成になっている。つまり、FF13-2は序章のQTEまみれのライトニングのシーンを除くと、案外QTEはない。というかQTEをやった強い印象のあるところが数カ所しかない、のが正しい。
で、ここで多大な疑問が出てくる。QTEってのは結構作るのに手間がかかる。それだけのコストを投入する価値があったのか? と質問したとき、その答えは、限りなく「ノー」に近いと言わざるを得ない、と僕は思う。
皮肉を書かせてもらえれば、ムービーゲームと揶揄する人間がFF13-2に少なかったところを見るとQTEを入れていると宣伝したことで、その下らない悪口が減ったメリットはあった可能性はある。
だから僕はFF13-2のQTEに対して批判的だし、コストを考えれば全然間尺は合っていないと思う。ただしFF13-2には本当にスゴいQTEがある、ヘタをすると今まで自分の見た中で一番凄いQTEがあるのは、声を大にして言っておきたい。
QTEは限られた時間の中でプレイヤーに選択を強いるのが得意って特性からプレイヤーに時間的圧力をかけつつ、シナリオ分岐させるポイントとして極めて有効だ。
そしてドネタバレなので伏せるけれど、FF13-2は、最初にクリア出来るストーリーの一番最後に本当にビックリするようなもの凄い選択肢がQTEとして登場する。
このQTEで「どちらを選ぶか?」、本当に短い…だけど、十分に考える余裕はある間の選択としては最高のモノの一つなのは間違いない。だから、そのあとのガッカリはともかくとして、間違いなくFF13-2のQTEはゲーム史上に残るべきと思うほど素晴らしいQTEによる選択があるのは確かだ。
そして、これについて言及する人間の少なさに、ガッカリすると同時に「ちゃんとゲームやれよ」と思ってしまう。
ところで、ラストのQTEは本当に素晴らしいのはともかくとして、結局QTEを入れるコストを考えたとき、QTE内の分岐はほとんどゲーム本篇に意味を与えず、QTEの中での分岐にとどまりスコアによるやり込み程度の意味しかないし、なにより全てのムービーがQTEになってるわけじゃなく、大半のムービーは今まで通りのムービーでしかないのだから、無駄といっていいレベルだったのは間違いない。
つまり、ムービーゲーとか言われてQTE入れるってコトをやる予算とヒマがあったなら、違うことをやったほうが良かったんじゃない? というのが僕の結論だ。
ちなみに違うことってのは意味不明で無駄で分かりにくい会話を排除して、話をちゃんとわかるようにするってことだ。海外の絶賛されてるゲームにだってインゲームのコントロール不可の長めのムービーが入るパターンはよくあるわけだけど、それが批判されないのはなぜかを考えれば答えは明らかだろう。スカしたセリフをカッコいいポーズで言わせるヒマあったら話を分かるようにしようよ。
だけど、これは「まだいい」要素だ。
一本道はもっと悪い…というところで次回に続く。
コメント
13-2は「13をプレイしていない連中の声」を真に受けた結果
13ユーザーが望んでいた「13の改良すべき点」
とは全く違うところに力を入れたゲーム
13ユーザーが望んでいた「13の改良すべき点」
とは全く違うところに力を入れたゲーム
| 太郎2世 | EMAIL | URL | 12/11/05 19:41 | W94JPkXo |
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