2011-06-04 Sat [ 転載物::商業誌 ]
これは『電撃王』や『電撃プレイステーション』に載せていたコラムの中で思い入れが深いものを、細かくアップトゥデートして載せていくシリーズ。
今回は1994年の電撃王に載せたもの。
人間って奴は都合良く出来ていて、つらい思いも時間が経てば「楽しい思い出」って奴に変化するし、ましてや「楽しい(美しい)思い出」なーんてもっと楽しい(美しい)思い出って奴に変化してしまう。
これが現実世界の失恋だったり、もしくは高校時代のクラブ活動の内容だったりするうちは、実にいいんだけど、ことゲームに関してはまさに悪夢。
思い出って奴は古いゲームの移植、もしくはリメイクするときには、まさに最強の敵となって立ちはだかるのだ。
これが「思い出」にならない新しいゲームの移植だったりすると、単純に移植レベルの問題になってくれるから話は簡単。
大半のアーケードゲームから家庭用マシンへの移植がこれで、「どれくらい似ているか?」で勝負がついてしまう。理想形は1ドットも違わないことで、最高に悲惨なのが絵も音も偽物。
つまり旬のゲームを移植する場合は純粋にスペック+技術の問題になり、ほぼ同等もしくはそれ以上の機能を持つマシンへの移植なら楽勝だけど、それ以下のマシンへの移植は「何を切って、どういう風にゴマかすか?」に勝負が尽きる場合が多い。
例えば最新鋭のポリゴンをフルに使ったアーケードゲームを家庭用に落とすためには、今の家庭用マシンでは(たぶん3DOを除いて)専用チップを積まないと手の打ちようがないし、大容量のROMを使った力任せの格闘アクションでは積めるROMの容量とVRAMへの転送速度(これはすんげーモノを言うのだ)が勝負になる可能性が高い。
ところが、昔、それも3~4年以上前のパソコンとかファミコンのRPGになってくると状況が大きく変ってくる。
単純にマシンスペックから見れば(特にCD-ROMなんかに移植するとなれば)、パソコンやファミコンの3~4年前のRPGなんて鼻歌まじりでそっくり移植できるから、メチャクチャおいしい仕事に見えるけれど‥実はそうじゃない。
「移植対象となるゲームが過去の名作であればあるほど、移植するのはとんでもなく難しくなる」のだ。
なぜならRPGみたいに、一種、旬の、どんどん変化をし続けているジャンルだと、当時は斬新なシステムでも、今では陳腐、当時はいいと思えたバランスも今見ればキツいだけ、当時は良く考えられた操作性であっても、今では雑な使いづらい操作性‥なーんてことは当たり前。
数年前のゲームだったりすれば、容量面が全く違うので、グラフィックや音楽はもっと悲惨。
当時の名曲も音源までコピーしてそのまま鳴らしたんではタダのタコにしかならないし、当時のグラフィックをそのまま載せたんでは、やっぱりタダのダメな画面になってしまう事が大半。
まあ簡単に言えば、ゲームが古くなってしまっているんだね。それも当り前で、パソコンでも3年以上前になれば、たいていフロッピー、それも2Dで2~3枚組がせいぜいで、ファミコンでも1~4メガ程度の容量が関の山なんだから、今の目で見れば悲しいモノになって当り前なのだ。
ところがだ。思い出の中にあるゲームはそうじゃない。
思い出の中にあるゲームを今、もう一度引っ張り出してやってみる人がそうそういるわけないし、しかも、プレイしないもんだから美化されて、印象も今のゲームに合わせてアップ=トゥ=デートされてしまう。
思い出のゲームが一番好きなゲームだったりすると
1)今の何かを見る
2)「でも、あのゲームの方が面白かったな」
なーんて平気で思ってしまうのだ。
つまり(2)の段階で「思い出」の中にあるゲームは現代のゲームのグラフィック・サウンド・バランスに変更されて、しかもイヤな部分は全部消えている。
この思い出の中で美化されているゲームを今に移植するのには方法が3つ考えられて
1)そのまま移植する
2)見かけはそっくりだけど、全部直す。
3)本質と思われるモノだけを残して全部作り直す。
ここで(1)の方法は最悪。なんせ思い出を壊して、今では通用しない事を教えてしまうのだから、ユーザーは「どうして変えなかった」と怒り出してしまうわけだ。
てワケで、(1)は資料的な価値があるぐらい古いゲームを今に再現するとき以外はとても使えない方法。
だから考えられるのは(2)か(3)になるが、この方法、どっちも非常に難しい。
見かけをそっくりでグラフィックを豪華にし、音楽もゲームバランスも全部直す‥書くのは簡単だけど、実現するのは非常に難しいし、ましてや全部作り直すなんていうのは、もう一度当時のイメージを伝える作品を作り直すってこと。
しかもどっちの方法をとっても比較対象は思い出の中のゲームだっていうんだから、たまったもんじゃない。
で、成功したとしてもやっぱり悪い事がある。
仮に(2)の方法で成功したとすると、ユーザーの心の中に残っているゲームは当然(2)のイメージに変更されてしまうので(思い出は常に美しい方向に改善されるのだ)、「いい移植だね」で終り。
(3)の方法で成功したとすると、どれだけ良く出来ていても、必ず気に入らないユーザーが出てくるから「これにはオリジナルのXX」がない、なーんて言う奴が必ず現れる。
ってなワケで、ちょい古めのRPGの移植はワリに合わない。
とエメラルドドラゴンを移植して思ったのでありました。
1994年、エメラルドドラゴンを完成した直後に電撃王で書いたコラム。
これは思い入れがある、というより2011年の事情から見ると、とても「違う」から面白いので取り上げた。
まず第一にアーケード>据え置きゲームマシンの移植について書くなら、アーケードのベースがWindowsPC同然になってしまったうえに、据え置きマシンとの差が極めて小さくなったので、アーケードとそっくりに移植されるのは当たり前になってしまった(一部の特殊筐体のものは除く)。だからアーケードからの移植がどれだけ似ているか、なんて基本的には気にしなくなってしまった。
第二に1994年からですら17年経ったことで古いソフトを遊ぶ意味が大幅に変わった。
つまり歴史的意味合いとして「ファミコン時代の作品を現在にそのままプレイできることそのものが大事になりはじめた」。つまり20年も古くなると「古臭い」を通り越して古典になるので、何から何までそのままも重要ってことだ。
そして最後にインターネットが普及し、ダウンロードが普及してメーカー公式で数百円でこういったソフトをダウンロードし、気軽の遊べる環境が揃った。だから今では古いソフトから新しいソフトまで普通に遊べるし、また遊ぶのが当たり前になった。
だから、このコラムに書いたことの半分は当たらなくなったといって間違いがない。
ところがエミュレータや開発環境の向上で、このコラムの残り半分の部分、今でいうリマスター・リメイクまで気軽に出来ると思われる節があり、そんなことないだろう、リマスターやリメイクは、このコラムで書いているように今でも難しいよ、と僕などは思っているのだった。
今回は1994年の電撃王に載せたもの。
■■■
人間って奴は都合良く出来ていて、つらい思いも時間が経てば「楽しい思い出」って奴に変化するし、ましてや「楽しい(美しい)思い出」なーんてもっと楽しい(美しい)思い出って奴に変化してしまう。
これが現実世界の失恋だったり、もしくは高校時代のクラブ活動の内容だったりするうちは、実にいいんだけど、ことゲームに関してはまさに悪夢。
思い出って奴は古いゲームの移植、もしくはリメイクするときには、まさに最強の敵となって立ちはだかるのだ。
これが「思い出」にならない新しいゲームの移植だったりすると、単純に移植レベルの問題になってくれるから話は簡単。
大半のアーケードゲームから家庭用マシンへの移植がこれで、「どれくらい似ているか?」で勝負がついてしまう。理想形は1ドットも違わないことで、最高に悲惨なのが絵も音も偽物。
つまり旬のゲームを移植する場合は純粋にスペック+技術の問題になり、ほぼ同等もしくはそれ以上の機能を持つマシンへの移植なら楽勝だけど、それ以下のマシンへの移植は「何を切って、どういう風にゴマかすか?」に勝負が尽きる場合が多い。
例えば最新鋭のポリゴンをフルに使ったアーケードゲームを家庭用に落とすためには、今の家庭用マシンでは(たぶん3DOを除いて)専用チップを積まないと手の打ちようがないし、大容量のROMを使った力任せの格闘アクションでは積めるROMの容量とVRAMへの転送速度(これはすんげーモノを言うのだ)が勝負になる可能性が高い。
この記事が書かれたときは、まだPS1/セガサターンが登場する前夜で、最新最強のマシンは(お値段もぶっ飛んでいたけど)3DOだった。
また当時、既にPS1の開発環境に触ってはいたが、もちろん中身について書ける訳もなく、このような表現となったわけだ。
また当時、既にPS1の開発環境に触ってはいたが、もちろん中身について書ける訳もなく、このような表現となったわけだ。
ところが、昔、それも3~4年以上前のパソコンとかファミコンのRPGになってくると状況が大きく変ってくる。
単純にマシンスペックから見れば(特にCD-ROMなんかに移植するとなれば)、パソコンやファミコンの3~4年前のRPGなんて鼻歌まじりでそっくり移植できるから、メチャクチャおいしい仕事に見えるけれど‥実はそうじゃない。
「移植対象となるゲームが過去の名作であればあるほど、移植するのはとんでもなく難しくなる」のだ。
1994年に書いたコラムなので3~4年前は、88-90年初頭ぐらい。だから、PCでいえばPC-88シリーズの後期の作品、ファミコンの場合にはファミコン末期の辺りということになる。だからPCは場合によっては少々面倒なこと(解像度の問題)はあったが、ファミコン>PCエンジン OR メガドライブなら楽勝だったという話になる。
なぜならRPGみたいに、一種、旬の、どんどん変化をし続けているジャンルだと、当時は斬新なシステムでも、今では陳腐、当時はいいと思えたバランスも今見ればキツいだけ、当時は良く考えられた操作性であっても、今では雑な使いづらい操作性‥なーんてことは当たり前。
数年前のゲームだったりすれば、容量面が全く違うので、グラフィックや音楽はもっと悲惨。
当時の名曲も音源までコピーしてそのまま鳴らしたんではタダのタコにしかならないし、当時のグラフィックをそのまま載せたんでは、やっぱりタダのダメな画面になってしまう事が大半。
まあ簡単に言えば、ゲームが古くなってしまっているんだね。それも当り前で、パソコンでも3年以上前になれば、たいていフロッピー、それも2Dで2~3枚組がせいぜいで、ファミコンでも1~4メガ程度の容量が関の山なんだから、今の目で見れば悲しいモノになって当り前なのだ。
パソコンの2Dフロッピーは1枚256キロバイト。3枚でも768キロバイト…1メガバイトにすら届かない。
ファミコンの容量表現はビットなので、1メガ=128キロバイト。4メガでも512キロバイト、2Dフロッピー2枚ってことになる。
ファミコンの容量表現はビットなので、1メガ=128キロバイト。4メガでも512キロバイト、2Dフロッピー2枚ってことになる。
ところがだ。思い出の中にあるゲームはそうじゃない。
思い出の中にあるゲームを今、もう一度引っ張り出してやってみる人がそうそういるわけないし、しかも、プレイしないもんだから美化されて、印象も今のゲームに合わせてアップ=トゥ=デートされてしまう。
思い出のゲームが一番好きなゲームだったりすると
1)今の何かを見る
2)「でも、あのゲームの方が面白かったな」
なーんて平気で思ってしまうのだ。
つまり(2)の段階で「思い出」の中にあるゲームは現代のゲームのグラフィック・サウンド・バランスに変更されて、しかもイヤな部分は全部消えている。
この思い出の中で美化されているゲームを今に移植するのには方法が3つ考えられて
1)そのまま移植する
2)見かけはそっくりだけど、全部直す。
3)本質と思われるモノだけを残して全部作り直す。
ここで(1)の方法は最悪。なんせ思い出を壊して、今では通用しない事を教えてしまうのだから、ユーザーは「どうして変えなかった」と怒り出してしまうわけだ。
てワケで、(1)は資料的な価値があるぐらい古いゲームを今に再現するとき以外はとても使えない方法。
だから考えられるのは(2)か(3)になるが、この方法、どっちも非常に難しい。
見かけをそっくりでグラフィックを豪華にし、音楽もゲームバランスも全部直す‥書くのは簡単だけど、実現するのは非常に難しいし、ましてや全部作り直すなんていうのは、もう一度当時のイメージを伝える作品を作り直すってこと。
しかもどっちの方法をとっても比較対象は思い出の中のゲームだっていうんだから、たまったもんじゃない。
で、成功したとしてもやっぱり悪い事がある。
仮に(2)の方法で成功したとすると、ユーザーの心の中に残っているゲームは当然(2)のイメージに変更されてしまうので(思い出は常に美しい方向に改善されるのだ)、「いい移植だね」で終り。
(3)の方法で成功したとすると、どれだけ良く出来ていても、必ず気に入らないユーザーが出てくるから「これにはオリジナルのXX」がない、なーんて言う奴が必ず現れる。
ってなワケで、ちょい古めのRPGの移植はワリに合わない。
とエメラルドドラゴンを移植して思ったのでありました。
■■■
1994年、エメラルドドラゴンを完成した直後に電撃王で書いたコラム。
これは思い入れがある、というより2011年の事情から見ると、とても「違う」から面白いので取り上げた。
まず第一にアーケード>据え置きゲームマシンの移植について書くなら、アーケードのベースがWindowsPC同然になってしまったうえに、据え置きマシンとの差が極めて小さくなったので、アーケードとそっくりに移植されるのは当たり前になってしまった(一部の特殊筐体のものは除く)。だからアーケードからの移植がどれだけ似ているか、なんて基本的には気にしなくなってしまった。
第二に1994年からですら17年経ったことで古いソフトを遊ぶ意味が大幅に変わった。
つまり歴史的意味合いとして「ファミコン時代の作品を現在にそのままプレイできることそのものが大事になりはじめた」。つまり20年も古くなると「古臭い」を通り越して古典になるので、何から何までそのままも重要ってことだ。
そして最後にインターネットが普及し、ダウンロードが普及してメーカー公式で数百円でこういったソフトをダウンロードし、気軽の遊べる環境が揃った。だから今では古いソフトから新しいソフトまで普通に遊べるし、また遊ぶのが当たり前になった。
だから、このコラムに書いたことの半分は当たらなくなったといって間違いがない。
ところがエミュレータや開発環境の向上で、このコラムの残り半分の部分、今でいうリマスター・リメイクまで気軽に出来ると思われる節があり、そんなことないだろう、リマスターやリメイクは、このコラムで書いているように今でも難しいよ、と僕などは思っているのだった。
コメント
>>岩崎様
>90年代の第一の盛り上がりは「ナムコミュージアム」だったのは論を待たないと思うのです。
どうも「レトロゲーム」というと、単に「古い」ということ以上に、
「ドット」「8bit」のような表象的な要素を踏まえた、カルチャーとしての新たな捕らえ方、
のようなものも無視できないのかな、と思っています。
(ドットキャラのグッズ、Tシャツだったり、8bitサウンド・チップチューンの盛り上がり等)
また個人的な話になってしまいますが、ナムコミュージアムに関しては、
FC当時の移植が(当時でも)不満だったこともあって、割と切実に「完全移植」を望んで
いたりしました。(性能的に移植されなかった名作も含め)
SFCの頃、「本体の性能が上がったんだから、FC時代のナムコ作品なんかを完全移植して
欲しいよね。ナスカの地上絵なんかも再現して、4本パックなんかで発売して欲しい」
・・・と、後期のNGを読みながら、友人と話してたのを思い出します。
(この辺の事情を、PCEは割とフォローしてくれていた)
なので、「レトロ」としてのナムコミュージアム、というのが、多少違和感があるんですよね。
パックランド、ドラゴンバスター、源平の完全移植が世間的に「レトロ」としてあったのか。
感覚的には「レトロ」「リメイク」というよりも、「補完」だったように思っていたりします。
一方で、スペランカー等の扱いや、先に挙げたような文化的盛り上がりに関しては、
そういった「アーケード名作の完全移植」のような、割とマニア向けの限られた対象ではなく
一般層を含めた広い層でスタンダードだったゲーム文化、特に家庭用(ファミコン)の、
チープで駄目だった部分も含めた文化を対象とする状況で、その辺が「レトロ」的な、
切実ではない、やわらかい「ネタ」として、世間に受け入れられていったのかな、と。
※現在の任天堂ブランドは、この頃の状況をきっかけに変質し、醸成されたような
※印象もあるんですが・・・
不思議なもので、これがSFC時代の作品になると、あまり「レトロ」っぽくないように
感じたりします。また、Virual Console Arcadeに関してはやはり「補完」っぽい印象。
この辺は、私の世代的な要因や感性も多々あるんだろうな、とは思うんですが。
「クラシックダンジョン」のような新作は、その辺の「レトロ」のあり方に沿って現れた
「徒花」ではなく現在形で、本筋の進化軸からは分かれた「レトロ軸」の最新作なのかな、
と思います。(内容としては若年層対象のゲームだと思いますし)
>ちなみにPS1は既に「レトロ」の味わいがありますよ。驚くべきことに。
「ドット」ならぬ「ローポリ」「ローデフ」な表現・文化需要が、世代によってはこれから
出てくるんでしょうか。この辺は注目したいところですね。
>90年代の第一の盛り上がりは「ナムコミュージアム」だったのは論を待たないと思うのです。
どうも「レトロゲーム」というと、単に「古い」ということ以上に、
「ドット」「8bit」のような表象的な要素を踏まえた、カルチャーとしての新たな捕らえ方、
のようなものも無視できないのかな、と思っています。
(ドットキャラのグッズ、Tシャツだったり、8bitサウンド・チップチューンの盛り上がり等)
また個人的な話になってしまいますが、ナムコミュージアムに関しては、
FC当時の移植が(当時でも)不満だったこともあって、割と切実に「完全移植」を望んで
いたりしました。(性能的に移植されなかった名作も含め)
SFCの頃、「本体の性能が上がったんだから、FC時代のナムコ作品なんかを完全移植して
欲しいよね。ナスカの地上絵なんかも再現して、4本パックなんかで発売して欲しい」
・・・と、後期のNGを読みながら、友人と話してたのを思い出します。
(この辺の事情を、PCEは割とフォローしてくれていた)
なので、「レトロ」としてのナムコミュージアム、というのが、多少違和感があるんですよね。
パックランド、ドラゴンバスター、源平の完全移植が世間的に「レトロ」としてあったのか。
感覚的には「レトロ」「リメイク」というよりも、「補完」だったように思っていたりします。
一方で、スペランカー等の扱いや、先に挙げたような文化的盛り上がりに関しては、
そういった「アーケード名作の完全移植」のような、割とマニア向けの限られた対象ではなく
一般層を含めた広い層でスタンダードだったゲーム文化、特に家庭用(ファミコン)の、
チープで駄目だった部分も含めた文化を対象とする状況で、その辺が「レトロ」的な、
切実ではない、やわらかい「ネタ」として、世間に受け入れられていったのかな、と。
※現在の任天堂ブランドは、この頃の状況をきっかけに変質し、醸成されたような
※印象もあるんですが・・・
不思議なもので、これがSFC時代の作品になると、あまり「レトロ」っぽくないように
感じたりします。また、Virual Console Arcadeに関してはやはり「補完」っぽい印象。
この辺は、私の世代的な要因や感性も多々あるんだろうな、とは思うんですが。
「クラシックダンジョン」のような新作は、その辺の「レトロ」のあり方に沿って現れた
「徒花」ではなく現在形で、本筋の進化軸からは分かれた「レトロ軸」の最新作なのかな、
と思います。(内容としては若年層対象のゲームだと思いますし)
>ちなみにPS1は既に「レトロ」の味わいがありますよ。驚くべきことに。
「ドット」ならぬ「ローポリ」「ローデフ」な表現・文化需要が、世代によってはこれから
出てくるんでしょうか。この辺は注目したいところですね。
| atsu | EMAIL | URL | 11/06/08 02:35 | jB3nOvqE |
家庭用でのレゲーの復刻の流れですが、個人的にな考察では94年にタイトーが出した
スーファミのスペースインベーダーの復刻版が呼び水になってたと思います。
確か当時インベーダー15周年記念として安く出したら、これが予想外のスマッシュヒットして
アーケードでもわざわざ横画面仕様で同じのを出すとかやってた覚えがある。
この翌年にナムコミュージアムのヒットで上手く繋がって行った流れだと思います。
スーファミのスペースインベーダーの復刻版が呼び水になってたと思います。
確か当時インベーダー15周年記念として安く出したら、これが予想外のスマッシュヒットして
アーケードでもわざわざ横画面仕様で同じのを出すとかやってた覚えがある。
この翌年にナムコミュージアムのヒットで上手く繋がって行った流れだと思います。
| はちはち | EMAIL | URL | 11/06/06 18:43 | 7Q0Cf0A. |
エメドラの外伝小説がマル勝で連載されていましたが、角川の御家騒動がなければもっと早く移植される予定だったのでしょうか?
そういえばリンダキューブも一度、御家騒動がらみで発売予定から消えてる時期がありましたね・・・
他にはサイレントメビウスとかも一緒に消えましたが、あれはちゃんと作っていたんでしょうか(画面写真もほとんど公表されてなかったと記憶しています)?
そういえばリンダキューブも一度、御家騒動がらみで発売予定から消えてる時期がありましたね・・・
他にはサイレントメビウスとかも一緒に消えましたが、あれはちゃんと作っていたんでしょうか(画面写真もほとんど公表されてなかったと記憶しています)?
| も | EMAIL | URL | 11/06/05 23:04 | 8JnsR7G2 |
>>atsu 様
90年代の第一の盛り上がりは「ナムコミュージアム」だったのは論を待たないと思うのです。
あれ、結構ヒットしましたので、それで「レトロゲーム」がブームになったのですが、いかんせん、パッケージではあまりに価格が高く、結局グレーなエミュレータに走られていたのが、今世代になってダウンロードで低価格で買える様になったのが大きいかなあと思いました。
ちなみにPS1は既に「レトロ」の味わいがありますよ。驚くべきことに。
>>elfte 様
これだけ時間が経ったから書いてもいいだろ…と思えたというのはあります。
やっぱ当時は結構面倒なことや、雑誌で発表されてるイメージなどもありましたし。
90年代の第一の盛り上がりは「ナムコミュージアム」だったのは論を待たないと思うのです。
あれ、結構ヒットしましたので、それで「レトロゲーム」がブームになったのですが、いかんせん、パッケージではあまりに価格が高く、結局グレーなエミュレータに走られていたのが、今世代になってダウンロードで低価格で買える様になったのが大きいかなあと思いました。
ちなみにPS1は既に「レトロ」の味わいがありますよ。驚くべきことに。
>>elfte 様
これだけ時間が経ったから書いてもいいだろ…と思えたというのはあります。
やっぱ当時は結構面倒なことや、雑誌で発表されてるイメージなどもありましたし。
| 岩崎 | EMAIL | URL | 11/06/05 14:57 | Eeem.i3Y |
はじめまして、いつも楽しく拝見させて頂いております。
移植の話を聞いて「なるほど」と思うとともに、「継続移植していたものは割と思い出補正がかかり難い」のではないかと感じました。(Ysしかり、Wizardryしかり)
そう考えると、移植で成功した部類だと思うんですけどねぇ、PCエンジン版のエメドラは(SFCは無かった方向で)
あと、当時の裏話的話題をエメドラの小説版を書いた知り合いから聴いて「今だから言えること多いんだなぁ」と強く思っております。
移植の話を聞いて「なるほど」と思うとともに、「継続移植していたものは割と思い出補正がかかり難い」のではないかと感じました。(Ysしかり、Wizardryしかり)
そう考えると、移植で成功した部類だと思うんですけどねぇ、PCエンジン版のエメドラは(SFCは無かった方向で)
あと、当時の裏話的話題をエメドラの小説版を書いた知り合いから聴いて「今だから言えること多いんだなぁ」と強く思っております。
| elfte | EMAIL | URL | 11/06/05 12:05 | saqj4UE. |
私の印象ですが・・・
ネット環境が整いだした90年代後半あたりに、「レトロゲーム」的な盛り上がりのピークがあって
(非合法なエミュレーター等も踏まえつつ)雑誌メディア等も含めたフォローが続いた後、
GBA「ファミコンミニ」の終了あたりの時期に収まって、ジャンル・カテゴリーとして普遍化したような
流れなんでしょうか。
どうしても自分の感覚を軸に考えてしまうのでアレなんですが
3D表現への移行、みたいな急激な変化があったからこそ「レトロ」さ加減も引き立った
時期だったんだろうな、と思っています。
「レトロ」にしろ「リメイク」にしろ、当時のユーザの「思い出需要」と同時に
新規ユーザーへの「かつての名作」アピールもあるとは思うんですが、その辺りの思惑と実際はどうなんでしょうね。
PS1,2あたりの作品は、「リメイク」はあっても「レトロ」と呼ばれるようにはならないんじゃないか、
と思っているのですが、今後のゲーム関連技術、環境等の状況次第でしょうか。
ネット環境が整いだした90年代後半あたりに、「レトロゲーム」的な盛り上がりのピークがあって
(非合法なエミュレーター等も踏まえつつ)雑誌メディア等も含めたフォローが続いた後、
GBA「ファミコンミニ」の終了あたりの時期に収まって、ジャンル・カテゴリーとして普遍化したような
流れなんでしょうか。
どうしても自分の感覚を軸に考えてしまうのでアレなんですが
3D表現への移行、みたいな急激な変化があったからこそ「レトロ」さ加減も引き立った
時期だったんだろうな、と思っています。
「レトロ」にしろ「リメイク」にしろ、当時のユーザの「思い出需要」と同時に
新規ユーザーへの「かつての名作」アピールもあるとは思うんですが、その辺りの思惑と実際はどうなんでしょうね。
PS1,2あたりの作品は、「リメイク」はあっても「レトロ」と呼ばれるようにはならないんじゃないか、
と思っているのですが、今後のゲーム関連技術、環境等の状況次第でしょうか。
| atsu | EMAIL | URL | 11/06/04 21:45 | jB3nOvqE |
この記事のトラックバックURL :
トラックバック