2018-10-25 Thu [ Ysを作った頃 ]
一つ前の記事で百田が「もしかするとゲームで乳揺れした史上初ではないか」と書いたけれど、そのあといろいろ調べて、『イースⅠ・Ⅱ』で百田が作ったリリアの乳揺れは、ゲームでいわゆる乳揺れをさせた最初である可能性が極めて高いという結論に達したので、ちょっと調べた結果のメモを残しておきたい。
まず、百田が「乳揺れは実は『トップをねらえ』を参考にした」というので、びっくりして調べたら確かに『トップをねらえ』は1988で、参考に出来たということはわかった。
では『トップをねらえ』以前に「アニメやゲーム、特にアニメで乳揺れという表現はあったのか?」というのが次の質問になる。
『トップをねらえ』の乳揺れに話を限るなら、そのオリジナルは、製作スタッフが大きく重なる『DAICON IV(1983)』アニメに行きつく。
それが何かを参考にしたのかはわからない。
ではそれ以前に、乳揺れはあったのか? と質問をすると、もちろんオッパイってのは現実に揺れるものなので、乳揺れの表現自体は1940年代のアメリカのアニメにでもさかのぼることができるが、疑いもなく一般的な表現ではなかった。
だからアニメでオッパイは揺れないものだったし、ゲームでもオッパイは揺れないものだった。
そして何より重要なのは『トップをねらえ』以降、日本のアニメでは乳揺れという表現は急速に一般化する。
つまり88年は分水嶺で、コト乳揺れに関しては『トップ以前』と『トップ以後』にわけられる、というのが僕の得た結論だ。
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まず、百田が「乳揺れは実は『トップをねらえ』を参考にした」というので、びっくりして調べたら確かに『トップをねらえ』は1988で、参考に出来たということはわかった。
では『トップをねらえ』以前に「アニメやゲーム、特にアニメで乳揺れという表現はあったのか?」というのが次の質問になる。
『トップをねらえ』の乳揺れに話を限るなら、そのオリジナルは、製作スタッフが大きく重なる『DAICON IV(1983)』アニメに行きつく。
それが何かを参考にしたのかはわからない。
ではそれ以前に、乳揺れはあったのか? と質問をすると、もちろんオッパイってのは現実に揺れるものなので、乳揺れの表現自体は1940年代のアメリカのアニメにでもさかのぼることができるが、疑いもなく一般的な表現ではなかった。
だからアニメでオッパイは揺れないものだったし、ゲームでもオッパイは揺れないものだった。
そして何より重要なのは『トップをねらえ』以降、日本のアニメでは乳揺れという表現は急速に一般化する。
つまり88年は分水嶺で、コト乳揺れに関しては『トップ以前』と『トップ以後』にわけられる、というのが僕の得た結論だ。
ここらへんは論文になりそうなぐらい沢山のデータが出てくるのだけど、そういうのは斯界の研究者に任せたい
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2018-10-22 Mon [ Ysを作った頃 ]
約30年前に『イースⅠ・Ⅱ』を作ったとき、ハドソンのアートのバイトとして、チームに百田という男がいた。
彼は主にビジュアルの絵を 山根に言われて一生懸命、ドット打ったり、アニメ作ったり、キャラ詰めたりしていた。
その彼と数年前からfacebookで繋がっていたのだけど、なんと今日誕生日だというので思い出したのが「リリアの乳揺れ」のことだった。
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彼は主にビジュアルの絵を 山根に言われて一生懸命、ドット打ったり、アニメ作ったり、キャラ詰めたりしていた。
その彼と数年前からfacebookで繋がっていたのだけど、なんと今日誕生日だというので思い出したのが「リリアの乳揺れ」のことだった。
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2017-11-26 Sun [ Ysを作った頃 ]
コメントやらなにやらに、出来るだけお答えしておきます+書き忘れをさらに追加。
Ⅰ・Ⅱは端的に書けば、当時のファルコムの人間が考えていた1と2のストーリーを出来るだけわかりやすく、誤解なく、ゴージャスに伝えるのが目的です。
そして全体の設定を聞いて「そんなのわかるわけないだろう」というわけで、わかるようにするのは絶対の前提でした。
で、あれを入れようというのは一致していたのですが、あとはスケジュールの問題でした。
具体的なあたりは 電子書籍版の同人誌では書いていたのですが、こんな感じでした。
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イースI・IIですごいなと思ったのは、Iの廃坑のボス・ヴァジュリオンの奥の部屋が、IIの最後の最後で登場することですね。
確かにPC-88のIの時点で台座はありましたけど、あれで気付けた人はいないんじゃないかなあー?
PCエンジン版のあれは山根さんがこだわりで入れた部分なんでしょうか?
確かにPC-88のIの時点で台座はありましたけど、あれで気付けた人はいないんじゃないかなあー?
PCエンジン版のあれは山根さんがこだわりで入れた部分なんでしょうか?
Ⅰ・Ⅱは端的に書けば、当時のファルコムの人間が考えていた1と2のストーリーを出来るだけわかりやすく、誤解なく、ゴージャスに伝えるのが目的です。
そして全体の設定を聞いて「そんなのわかるわけないだろう」というわけで、わかるようにするのは絶対の前提でした。
で、あれを入れようというのは一致していたのですが、あとはスケジュールの問題でした。
具体的なあたりは 電子書籍版の同人誌では書いていたのですが、こんな感じでした。
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2017-11-25 Sat [ Ysを作った頃 ]
小峯君と山根はどこに接点があったのか?
『イースⅠ・Ⅱ』をスタートするとき、山根は小峯君に紹介されたわけだが、実はここにナゾが一つあった。
なんせ山根はファルコムの社員としていて、小峯君は僕と知り合いだった時代は、アーケードメーカーの今でいうプランナーで、そのあとマル勝のライターだ。
どこに山根と小峯君の接点があったのか、さっぱりわからなかったのだ。
それで、前の飲み会で聞いたところ、山根も良く覚えていなかったのだけど、当時流行していた、パソコン通信経由でコンプティークが主催していたコンプネットか、それともアスキーが主催していたアスキーネットのどちらかで知り合ったはずだということだった。
今でいうなら、ツイッターかfacebookで知り合ったようなものだと考えると、そう遠くはない感覚だと思う。
ところでコメントで聞かれたことに、もうちょっと詳しく書いておく。
まず30年も昔の話であり、さらに僕が書いた文章は、今より前に書かれた文章なので、僕の記憶が書き間違いで、アーカイブスの方が正しい可能性があるのは事実だと書いたうえで、この話は僕は意図的に脚色して書いていると思う。
というのもだ。
1)山根に小峯君が電話をしたら、山根が現れたのは間違いない。
2)そして、山根は徒歩でやってきた。
ここまでは間違いない(実際にアーカイブスにある文章でも、小峯君と僕が一緒にいたという話はともかく、同じ流れになっている)。
ところが、当時、山根が住んでいたのは荻窪で、高円寺ではない。
つまり、そもそもアーカイブスの記述は場所が変えてある。
だから、少なくとも最低その点では脚色しているのは確かというわけだ。
『イースⅠ・Ⅱ』をスタートするとき、山根は小峯君に紹介されたわけだが、実はここにナゾが一つあった。
なんせ山根はファルコムの社員としていて、小峯君は僕と知り合いだった時代は、アーケードメーカーの今でいうプランナーで、そのあとマル勝のライターだ。
どこに山根と小峯君の接点があったのか、さっぱりわからなかったのだ。
それで、前の飲み会で聞いたところ、山根も良く覚えていなかったのだけど、当時流行していた、パソコン通信経由でコンプティークが主催していたコンプネットか、それともアスキーが主催していたアスキーネットのどちらかで知り合ったはずだということだった。
今でいうなら、ツイッターかfacebookで知り合ったようなものだと考えると、そう遠くはない感覚だと思う。
ところでコメントで聞かれたことに、もうちょっと詳しく書いておく。
まず30年も昔の話であり、さらに僕が書いた文章は、今より前に書かれた文章なので、僕の記憶が書き間違いで、アーカイブスの方が正しい可能性があるのは事実だと書いたうえで、この話は僕は意図的に脚色して書いていると思う。
というのもだ。
1)山根に小峯君が電話をしたら、山根が現れたのは間違いない。
2)そして、山根は徒歩でやってきた。
ここまでは間違いない(実際にアーカイブスにある文章でも、小峯君と僕が一緒にいたという話はともかく、同じ流れになっている)。
ところが、当時、山根が住んでいたのは荻窪で、高円寺ではない。
つまり、そもそもアーカイブスの記述は場所が変えてある。
だから、少なくとも最低その点では脚色しているのは確かというわけだ。
2017-11-17 Fri [ Ysを作った頃 ]
某所で飲み会があった。
これがまあ山根に招待された飲み会だったのだけど、ヤツ曰く「岩崎さんのブログの俺についての行状はデタラメで、ホラだらけであり、俺が真っ当な社会人だったことを証明する飲み会」というのだから笑わせる。
これが証明できたかどうかは、飲み会に参加したメンバーの感想でも聞いて欲しいのだけど、ここに元ファルコムのメンバーがいて、さらに山根もいて、イースの初期開発史を聞くチャンスだ! と思って、イロイロと聞いてみたのが、この記事だ。
まず、なぜ山根は木屋さんと仕事をしていたのに橋本さんとのコンビに変わったのか?
なぜか?
『イース』を作る前に、橋本君は『アステカ2』を作っているのだけど、この時、山根は『ロマンシア』をやっているというのが歴史で、接点がわからなかったのだ。
で、これを聞いたところ、そもそもは山根が『アステカ2』の仕事をするはずで、実際に作業をしていた。
ところが、途中でいろいろあって、山根は『ロマンシア』をやることになった。そこで『アステカ2』を終わらせてくれたのが大浦君で、山根は大いに大浦君には感謝しているとのことだった。
そして『ロマンシア』も終わって、やることがなくなっていた山根はまた橋本君のところに戻っていた。
山根曰く「俺達はぐれものでしたから」。
そして『アステカ2』が終わった直後、山根が橋本さんのところに戻ったぐらいの時、橋本さんが88用のフルカラーの全画面スクロールを作れると豪語して、実際に作り出し、確かに動かすところまでいった。
このスクロールルーチンを使ってゲームを作ろうという話になった。
つまり『イース』になるゲームは、最初は単なるスクロールルーチンから始まったわけだ。
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これがまあ山根に招待された飲み会だったのだけど、ヤツ曰く「岩崎さんのブログの俺についての行状はデタラメで、ホラだらけであり、俺が真っ当な社会人だったことを証明する飲み会」というのだから笑わせる。
これが証明できたかどうかは、飲み会に参加したメンバーの感想でも聞いて欲しいのだけど、ここに元ファルコムのメンバーがいて、さらに山根もいて、イースの初期開発史を聞くチャンスだ! と思って、イロイロと聞いてみたのが、この記事だ。
まず、なぜ山根は木屋さんと仕事をしていたのに橋本さんとのコンビに変わったのか?
なぜか?
『イース』を作る前に、橋本君は『アステカ2』を作っているのだけど、この時、山根は『ロマンシア』をやっているというのが歴史で、接点がわからなかったのだ。
で、これを聞いたところ、そもそもは山根が『アステカ2』の仕事をするはずで、実際に作業をしていた。
ところが、途中でいろいろあって、山根は『ロマンシア』をやることになった。そこで『アステカ2』を終わらせてくれたのが大浦君で、山根は大いに大浦君には感謝しているとのことだった。
そして『ロマンシア』も終わって、やることがなくなっていた山根はまた橋本君のところに戻っていた。
山根曰く「俺達はぐれものでしたから」。
そして『アステカ2』が終わった直後、山根が橋本さんのところに戻ったぐらいの時、橋本さんが88用のフルカラーの全画面スクロールを作れると豪語して、実際に作り出し、確かに動かすところまでいった。
これについて説明しておくと、当時はスクロールすること自体が難事業で、色数を減らして(8色>4色とか)、プログラムの負荷を下げてスクロールを軽くするのが常識的だった。だから枠をつけていても、かなりの領域を自由スクロール出来るというだけで『イース』はかなりスゴかったのだ。
このスクロールルーチンを使ってゲームを作ろうという話になった。
つまり『イース』になるゲームは、最初は単なるスクロールルーチンから始まったわけだ。
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