2018-01-17 Wed [ 昔のこと::ハドソン関係 ]
突然思い出したので、メモとして残しておきたい、大魔界村移植時のエピソード、第三弾。
その1、その2のリンク。
ある日、アーケード版のソースを読んでいたS君が言い出した。
「岩崎さん、知ってますか? オウム面、宝箱から剣が出ないんですよ!」
「あーもしかしてクリアできないからかな?」
「だと思いますね」
言われて思ったのがソレだった。
オウム面のラスボス、オウムはでっかい台みたいなものに埋まっている5つの心臓を上と横から攻撃して倒すって、当時、流行していた地形がボスになっているタイプだった。そして剣は魔法がその場の爆発で下に攻撃できないし、ものすごく射程が短いので、下突きでは一部の弱点に届かないんじゃないかと思った。
だからクリアできないんじゃないか? と思ったわけだ。
「ホントに出来ないかな?」
言いながら、S君はスーパーグラフィックス版でデバッグモードでサクサクと剣をつけ、オウムと戦ってみた。全く届かずクリア不可能なことが判明した。
ここまでなら「ああ」で終わりなのだけど、当時の大魔界村移植チームの本当にヤバい話はここから始まる。
S君はソースを読んで、オウム面の手前で強制的に剣を捨てさせるといった処理がないことを確認すると剣をオウム面に持ち込めないか?の確認を始めたのだ。
大魔界村をプレイした人ならわかるだろうが、剣でオウム面まで行くとか全く狂気の沙汰なのだけど(検索してみたところ、剣縛りがサジェストされるぐらい狂気の沙汰扱いされている)、何度も途中で事故で宝箱から別の武器をとってしまったりといった失敗を繰り返しながら、S君は延々とプレイして、ついにオウムにまで剣を持ち込んだ。
そして、ついにオウムに剣を持ち込んだとき、本当に大喜びし、クリアできないのを確認すると、もちろんSG版の大魔界村でもそのままの仕様を残すことを決めたわけである。
と、こんなエピソードを僕の横で繰り広げながら、大魔界村は作られていたわけである。
ところでこの二人のエピソードを1988-90年前半、ハドソンの風景(2)にもちょっと書いてあるのだけど、同じ内容を少し状況を追加した上で残しておきたい。
1990年の頭に、僕は海外版イース1・2を作るために北海道に戻ってきたのだけど、このとき、大魔界村のチームはまだ移植を続けていた。
でも、年末なので一度熊本に戻っていて、それからまた北海道にやってきていたわけだ。
以下は、彼らが一度アルファに帰ったあと、僕に言った台詞。
「岩崎さん、みんなに遊んでもらったら、みんな、大魔界村やって難しい難しいっていうんですよ。こんなゲームのどこが難しいんですか、誰でも簡単にクリア出来ますよ!」
知っている人ならあり得ないと思うだろうが、本当にY君とS君は恐ろしいほどうまくて、タイムアタックをしたり、それともレバー右縛りプレイ(ボスと一部の面以外はレバーを右に入れっぱなしでプレイしる)なんかをしていた遊んでいたほどだった。
ついでに書くと、アートのメンバーもみんなめちゃくちゃにうまくなっていて、普通に2周クリアしていた。
またエピソードを思い出したら追加しておきたい。
その1、その2のリンク。
ある日、アーケード版のソースを読んでいたS君が言い出した。
「岩崎さん、知ってますか? オウム面、宝箱から剣が出ないんですよ!」
「あーもしかしてクリアできないからかな?」
「だと思いますね」
言われて思ったのがソレだった。
オウム面のラスボス、オウムはでっかい台みたいなものに埋まっている5つの心臓を上と横から攻撃して倒すって、当時、流行していた地形がボスになっているタイプだった。そして剣は魔法がその場の爆発で下に攻撃できないし、ものすごく射程が短いので、下突きでは一部の弱点に届かないんじゃないかと思った。
だからクリアできないんじゃないか? と思ったわけだ。
当時、地形そのものがボスになるR-TYPEの3面の巨大戦艦が強烈なインパクトをアーケードゲームに与えていて、こういった地形がボスになるスタイルが流行していた。
「ホントに出来ないかな?」
言いながら、S君はスーパーグラフィックス版でデバッグモードでサクサクと剣をつけ、オウムと戦ってみた。全く届かずクリア不可能なことが判明した。
ここまでなら「ああ」で終わりなのだけど、当時の大魔界村移植チームの本当にヤバい話はここから始まる。
S君はソースを読んで、オウム面の手前で強制的に剣を捨てさせるといった処理がないことを確認すると剣をオウム面に持ち込めないか?の確認を始めたのだ。
大魔界村をプレイした人ならわかるだろうが、剣でオウム面まで行くとか全く狂気の沙汰なのだけど(検索してみたところ、剣縛りがサジェストされるぐらい狂気の沙汰扱いされている)、何度も途中で事故で宝箱から別の武器をとってしまったりといった失敗を繰り返しながら、S君は延々とプレイして、ついにオウムにまで剣を持ち込んだ。
いい感じで進んでいるときに、間違って短剣を取ってしまい「うわーこんなクソ武器取っちゃった!」って叫んでいたS君を今でも覚えている(もちろん短剣はほぼ最強の武器で通常なら間違っても切り替えないw)。
そして、ついにオウムに剣を持ち込んだとき、本当に大喜びし、クリアできないのを確認すると、もちろんSG版の大魔界村でもそのままの仕様を残すことを決めたわけである。
ここらへんは当時のアーケードだなあと思う。S君のように本当に剣を持ち込んでしまう人間に対して、今なら剣を強制的にデフォルトの槍に持ち替えさせるぐらいの方法を取るところだろうと思う。
と、こんなエピソードを僕の横で繰り広げながら、大魔界村は作られていたわけである。
ところでこの二人のエピソードを1988-90年前半、ハドソンの風景(2)にもちょっと書いてあるのだけど、同じ内容を少し状況を追加した上で残しておきたい。
1990年の頭に、僕は海外版イース1・2を作るために北海道に戻ってきたのだけど、このとき、大魔界村のチームはまだ移植を続けていた。
でも、年末なので一度熊本に戻っていて、それからまた北海道にやってきていたわけだ。
以下は、彼らが一度アルファに帰ったあと、僕に言った台詞。
「岩崎さん、みんなに遊んでもらったら、みんな、大魔界村やって難しい難しいっていうんですよ。こんなゲームのどこが難しいんですか、誰でも簡単にクリア出来ますよ!」
知っている人ならあり得ないと思うだろうが、本当にY君とS君は恐ろしいほどうまくて、タイムアタックをしたり、それともレバー右縛りプレイ(ボスと一部の面以外はレバーを右に入れっぱなしでプレイしる)なんかをしていた遊んでいたほどだった。
ついでに書くと、アートのメンバーもみんなめちゃくちゃにうまくなっていて、普通に2周クリアしていた。
またエピソードを思い出したら追加しておきたい。