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イース初期開発史の書き忘れ
小峯君と山根はどこに接点があったのか?

『イースⅠ・Ⅱ』をスタートするとき、山根は小峯君に紹介されたわけだが、実はここにナゾが一つあった。
なんせ山根はファルコムの社員としていて、小峯君は僕と知り合いだった時代は、アーケードメーカーの今でいうプランナーで、そのあとマル勝のライターだ。

どこに山根と小峯君の接点があったのか、さっぱりわからなかったのだ。

それで、前の飲み会で聞いたところ、山根も良く覚えていなかったのだけど、当時流行していた、パソコン通信経由でコンプティークが主催していたコンプネットか、それともアスキーが主催していたアスキーネットのどちらかで知り合ったはずだということだった。
今でいうなら、ツイッターかfacebookで知り合ったようなものだと考えると、そう遠くはない感覚だと思う。

ところでコメントで聞かれたことに、もうちょっと詳しく書いておく。
まず30年も昔の話であり、さらに僕が書いた文章は、今より前に書かれた文章なので、僕の記憶が書き間違いで、アーカイブスの方が正しい可能性があるのは事実だと書いたうえで、この話は僕は意図的に脚色して書いていると思う。

というのもだ。

1)山根に小峯君が電話をしたら、山根が現れたのは間違いない。
2)そして、山根は徒歩でやってきた。

ここまでは間違いない(実際にアーカイブスにある文章でも、小峯君と僕が一緒にいたという話はともかく、同じ流れになっている)。
ところが、当時、山根が住んでいたのは荻窪で、高円寺ではない。
つまり、そもそもアーカイブスの記述は場所が変えてある。
だから、少なくとも最低その点では脚色しているのは確かというわけだ。


|| 21:10 | comments (0) | trackback (0) | ||

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