2017-05-20 Sat [ 日記 ]
少し前にネットでの迷惑行為の話がTLに流れてきて、書いたことなのだけど、もうちょっと整理して記事としてまとめておくことにした。
自分が名誉毀損の裁判をやって一番思ったのが、裁判にはインターネット時代に合ってない所がたくさんあるってことだった。
裁判を1年やってた間、相手に攻撃が届くまで、相手はインターネットで言いたい放題。
事実無根・名誉毀損の判決で相手は黙り込んだけれど、1年撒き散らかしていた嘘八百と悪意は簡単には消せない…というか、まあ消えることはない。この消えないってのはしょうがないと諦めるしかない。
そして、こっちの受けた損害を考えたとき、それに見合う賠償金でもない。かかった時間と手間を考えれば、お金としては全く話にならないと言わざるを得ない。
正直、相場は安すぎると思った。どう考えてもお金としてはワリが合ってない。
では訴訟しない方が良かったのか?
答えは圧倒的に訴訟して良かったと思っている。
なんといおうとブログに名誉毀損が認められたという記事を載せたとき、とても精神的にスッキリした。
誰に聞かれても、曖昧なところなく「あの怪文書は事実無根で名誉毀損だって判決をもらってますんで」と言えるんだから、そりゃあスッキリだ。
また、それ以外にもブログ記事の削除や修正要求がとても簡単になった。
怪文書をベースにしている記事に対して「それは元のソースが名誉毀損が認められた事実無根のものだから削除してくれ」と言えば、ほぼ100%、即削除されるし、削除できない場合でも非表示といった対応を取られるのが当たり前になった。
数は減っていたが、下らないコメントや、不愉快なツイートを見ることもあったが、裁判で白黒ついてからは、そういうものは一切なくなった。
そんなわけで全く訴訟して良かったと思っているし、もし同じような目に余るひどいことがあったら、ためらいもなく訴訟すると決めている。
だから、誹謗中傷に悩んでいるなら「悩むより先に、ともかく出来るだけ早く法律事務所に相談しなさい」が一番いいアドバイスだと思っているし、勝てる可能性が高いと言われたら、出来るだけ早く裁判するべきだと思っているのである。
自分が名誉毀損の裁判をやって一番思ったのが、裁判にはインターネット時代に合ってない所がたくさんあるってことだった。
裁判を1年やってた間、相手に攻撃が届くまで、相手はインターネットで言いたい放題。
事実無根・名誉毀損の判決で相手は黙り込んだけれど、1年撒き散らかしていた嘘八百と悪意は簡単には消せない…というか、まあ消えることはない。この消えないってのはしょうがないと諦めるしかない。
そして、こっちの受けた損害を考えたとき、それに見合う賠償金でもない。かかった時間と手間を考えれば、お金としては全く話にならないと言わざるを得ない。
正直、相場は安すぎると思った。どう考えてもお金としてはワリが合ってない。
では訴訟しない方が良かったのか?
答えは圧倒的に訴訟して良かったと思っている。
なんといおうとブログに名誉毀損が認められたという記事を載せたとき、とても精神的にスッキリした。
誰に聞かれても、曖昧なところなく「あの怪文書は事実無根で名誉毀損だって判決をもらってますんで」と言えるんだから、そりゃあスッキリだ。
また、それ以外にもブログ記事の削除や修正要求がとても簡単になった。
怪文書をベースにしている記事に対して「それは元のソースが名誉毀損が認められた事実無根のものだから削除してくれ」と言えば、ほぼ100%、即削除されるし、削除できない場合でも非表示といった対応を取られるのが当たり前になった。
数は減っていたが、下らないコメントや、不愉快なツイートを見ることもあったが、裁判で白黒ついてからは、そういうものは一切なくなった。
そんなわけで全く訴訟して良かったと思っているし、もし同じような目に余るひどいことがあったら、ためらいもなく訴訟すると決めている。
だから、誹謗中傷に悩んでいるなら「悩むより先に、ともかく出来るだけ早く法律事務所に相談しなさい」が一番いいアドバイスだと思っているし、勝てる可能性が高いと言われたら、出来るだけ早く裁判するべきだと思っているのである。
ところで、この手の誹謗中傷で名誉毀損の判決が出ると、したり顔で「名誉毀損は事実でも認められる」と主張して、誹謗中傷が事実であるかのような主張をする人が必ず現れるが、たいていの名誉毀損は「事実無根で名誉毀損」がセットで、事実であることはとても少ない。
「事実ではない」、「事実無根で…」と記事に書かれているにも関わらず、このような主張をする人が現れるのは、元記事にすら当たらず書いているのかと不思議になるときがある。
「事実ではない」、「事実無根で…」と記事に書かれているにも関わらず、このような主張をする人が現れるのは、元記事にすら当たらず書いているのかと不思議になるときがある。