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テレビのサイズとドットのサイズ
PSアーカイブだのPCエンジンアーカイブだのVCだのXBOX LIVE ARCADE(初期にプレイした記憶があったので、今でもあるつもりで書いたらXBLAはいつ間にかベタ移植はほぼ禁止状態になっていたらしいので数のうちには入らないと考え、謹んで訂正)だのでプレイ可能な古いゲームは、あんま大画面でプレイすることはお勧め出来なくて、せいぜい高さ30センチ程度のモニタ(今だと26Vぐらい)でプレイすることをお勧めしたいワケ。

20年前、僕がPCエンジンのゲームを作っていたとき、ハドソンや雑誌ではさまざまな形で、ユーザーのテレビゲームのプレイ環境について調査していた。
その当時のゲームマシンユーザーのアリガチだった姿は以下のとおり。

1)プレイするテレビは基本的に居間にある。
アンケートでは、当時10%程度、自分の部屋にテレビがある子供がいた。これらの子供はたいていは居間のテレビのお下がりが自分の部屋に置かれていて、居間より小さいのが普通だった。

2)サイズは平均19-21インチ。
4:3なのでテレビの画面の高さはおざっぱに30センチ程度になる。ちなみに当時はだいたいテレビは27インチがほぼ最大サイズ(で、ついでに書くならとんでもないお値段だった)だったので、テレビ画面の高さの上限は42センチ弱程度だった、ということになる。

3)接続はRFコンバータもしくはビデオ端子。
RFコンバータとはゲーム画面などの出力をアナログテレビの出力に変換する仕掛け。たいてい1チャンネルもしくは2チャンネルにテレビゲームの画面を表示できた。ビデオ端子はファミコンはなし。ツィンファミコン・PCエンジン・メガドライブ・SFCでは普通に用意されていた。またSFCはS端子ケーブルもあった。

画質的にはRFコンバータは問題外に悪く、にじみやゴースト、さらにノイズまで出るのが当たり前だった。ビデオ端子はそれよりはマシだが、やはり寝ぼけた画面になっていた。そしてS端子は圧倒的に良かったが、それでも今のHDTVのHDMI接続を見慣れた人間には眠い以外の何者でもない画面だった。(眠い、というのは、ドットのエッジがシャープに立たず、ぼけること)

というわけで、20年ほど前のプレイヤーが見ていたドットを考えると、当時のゲームの解像度は縦が240ドットぐらいで、それを高さ30センチ前後のモニタで1ドットが1ミリちょっとの少しボケた画像で見るのが普通だったことになる。
で、作り手も、だいたいそんな環境を想定して、それできれいに見えるように作っていた。
そして、当時のゲーマーのあこがれは、パソコンのモニタ(14-15インチが普通だった)にRGB接続で接続し、ピシッとしたドットでゲームを見ることだった。だから、電波新聞社のXRGBシリーズは結構マニアには受けていたし、自作のRGB回路なんてものも、マニアな雑誌に載っていたりした。

さて2010現在、モニタは普通HDで、売れ筋はワイド・42型Vぐらいが一番売れているそうだ。
だから、これでドットのサイズを計算してみると、16:9のモニタで対角線が42インチ(1メートルちょっとほど)で、おおざっぱに高さは52センチほどということになる。
この画像サイズで、720pの場合は1ドットは0.7ミリ程度、1080pの場合1ドットが0.5ミリ程度。
つまりPS3やらXBOX360やらのゲームのドットは、昔のビデオゲームと比較してドット密度だけを取っても2倍以上になっていることになる。

ではここにファミコン時代のソフトを表示すると?
52センチを240ドットで割り算するので、実に1ドット2.2ミリほど。720pと比較してすら、3倍以上。
これを2メートル弱の距離で、HDMI接続で見たりすると、ギザギザどころの騒ぎではなく、もはやカクカクした「これ絵…だよね?」ってレベルの代物になりはてる。

そんなわけで、PSアーカイブだのPCエンジンアーカイブだのはたまたVCだのXBOX LIVE ARCADEだの古いゲームは、あんま大画面でプレイすることはお勧め出来ないし、PCエンジンアーカイブとかPSアーカイブは、PSPにコピーしてプレイする方が無難なわけだ。

|| 23:52 | comments (14) | trackback (0) | ||

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カーソルキーと左スティック
左利きと3DSの話がゲーム史と関わるネタになってしまったので、以下に新しくポスト。
コメントを元に、自分の記憶と合わせて、初期のテレビゲーム史・パソコン史について書いてみたい。

【コメント】
そもそもファミコン(もっと前?)の時点で方向キーは左手、ボタンは右手で扱うようになってましたが、右利きが多数派として、ボタンより方向キーのほうが精密な操作が求められるので利き手の右手で扱うほうが自然な気がするんすがどうでしょうか。
ちなみに自分はPC派だったので、カーソルキーは右手で動かしてました
| ced | EMAIL | URL | 10/11/23 21:59 | Ms7J2QpE |

初期のテレビゲームはパドルゲームばかりで右手と左手の区別はなかった。だいたいパドルコントロールは真ん中についていた。
また、少し後でも、スティックはなかった。例えばアタリのブロッケードってゲームは上下左右にヘビを動かすゲームだが、移動はレバーではなく4方向のボタンだった。
つまり、初期のテレビゲームはパドルもしくはボタンもしくは、例えばアップライト筐体についている銃型のコントローラや、潜望鏡のミラーを使ってプレイするものだった。
ではどこでスティックが一般化したのか
間違いなくインベーダーだ。
でも、インベーダーも最初はボタン操作だった。断言できる。なぜなら、僕はボタンのインベーダーをプレイしたから。一番最初に僕が見たスペースインベーダーの操作系は左に移動ボタン2つがあり、右ボタンが射撃って構成のアップライトだった。確か、当時の羽田空港のゲームセンターで見たのが最初だったと思う。めっちゃやりにく! と思ったら、次に見たときには左手がレバーのアップライト筐体になっていた。
つまり、世紀の大ヒットをとばしたスペースインベーダーは左手レバー、右手、射撃で作られていたわけだ。どうして右手が射撃だったのかというと、これは憶測でしかないが…引き金を引くのは右手だからだと思う。
当時から銃を使う系列のゲームは必ずゲームセンターにはあり(絶対に今の人は知らないだろう、レーザークレーとか…)、引き金を引くのは普通は右手なので、射撃が右手になったのは自然な流れだったと思う。



続きを読む▽
|| 01:40 | comments (14) | trackback (0) | ||

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左利きにとっての3DSの恐怖
5年ほど前、DSが発売された直後、電撃PSで下のようなコラムを書いた。

DSを触って左利きの思ったこと
 年末から年始にかけて、ご多分に漏れず僕もゲーム三昧で、年末は仕事が忙しくて、最近はあまりプレイ出来なかったFFやったり、まあ年末に出たゲームを遊んでいたのだが、その中にはDSのゲームがある。
 このDSというゲームマシン、個人的には大変に気に入っている。
 少々大きいと思うし、デザインもちょっと安っぽいと、まあ気に入らないところもあるが、タッチスクリーンの楽しさは今までにない感覚で、大変に面白いと思う。(現在での注:初代DSの話)
 個人的には『君のためなら死ねる』が実にバカらしいノリで、そこはかとなくエッチで、大変に気に入っているのだが、実は、この気に入ったソフトのある、気に入ったマシン、DSを…買おうかどうしようかずいぶん迷っていたのだ。
 というのも「DSは果たして左利きの事も考えて作ってあるのか?」が分からなかったからだ。まあ、こんな事が気になるのは、何を隠そう僕は左利きで、そしてずいぶんと左利きであることで不便を強いられてきたからだ。
 例えば、漢字の書き順は右利きの人には、いくつかの特殊な例外を除けば自然な流れで覚えられる物だが、左利きにとっては「不自然であろうと意図的に覚える」しかない代物だし、ハサミは恐ろしく使いにくいし、ドアはとんでもなく開けにくい。
 携帯電話のサイドのボタンは必ず押しにくい側についているし、片手で操作出来るのが売りのコントローラは、必ずおっそろしく使いにくくて話にならない。電車の自動改札機、定期の出し入れや、財布、およそあらゆる物が、この世の中では基本的には(圧倒的多数の)右利き用に出来ており、たまに左利き用の物があれば、それは珍しくて手に入りにくかったり、高かったり、実に不便な物なのだ。
 そんな左利きには冷たい世の中で、ゲームマシンは珍しく左利きにも優しい物だったが、そこに登場したのがDS。タッチパネルとペンが売りのゲームマシン! 「これじゃ左利きはプレイ出来ないよ」とボヤきたくなるゲームが連発されるのではなかろうか…と、買おうかどうしようか、迷っていたわけだ。
 実際のところはどうだったのかというと、少なくとも、今のところはDSは左利きに不便に出来ている気配はあまりない。あえていうなら、DSを初めて起動したときに見る設定画面が左利きには左手が画面に重なってしまうために妙に見づらい…ぐらいの物だろうか。
 これまた、考えてみれば、今のDSの立ち上げ時には、少なくとも当たり前の話で、現時点ではDSは、ウリになっているタブレットペンとタッチスクリーンをフルに使うゲームが多い。
 言い換えるなら、タッチスクリーンの全面をこすったり、叩いたりするゲームが多く、しかもその結果は上画面に出ることが多いので、あまり左利きも右利きも関係なく遊べるわけだ。
 そんなわけで、現時点では左利きにも(笑)お勧めの新しい楽しみのあるゲームマシン、DSなわけだが、本当にメーカーにお願いしたいと思うが、タブレットを使うゲームは、ボタンや方向キーを使わずにプレイ出来るようにして欲しい。
 特に方向キーを使われると、実質左利きにはプレイ出来ないゲームが出来上がってしまうので、プレイしていていらつくのは間違いないから、少なくとも方向キーとタブレットペンを同時に使うのは、絶対に避けて欲しいなあと思う。
(後略)

というわけで、一安心した5年前だったが…このあとどうなったのかというと、残念なことに、DSは左利きにとって、どんどん遊びにくいゲームマシンになっていった。
左利きは世の中ではマイノリティなので、左利き対応は「あーそういうのもあったよね」程度になっていった。ついでに書くと、WiiでもMoveでも左利きのことはケッコー考えられてない。
これは全くしょうがないと思っている。だいたい世の中の人は左利きのことなんて考えてない。それにゲームマシン特有のパフォーマンスの問題もある。左利き対応の処理は結構特殊だし、描画ルーチンやUIの奥に入り込む面倒な代物だ。脳トレブームの時代なら、DSのパフォーマンスでも考慮可能だったろうが、今のゲームでは左利き対応をする余裕がなくなってしまうのは仕方ない。

でもだ。
そのため、DSのゲームをプレイしていて、左利きがイラっとする瞬間が、はっきりあるのは事実だ。

縦持ちのソフトでは、ペンを持った左手が左のスクリーンの上を覆うので、右のスクリーンにタッチするとき、左のスクリーンは全く見えなくなる。だからラブプラスなんかキスするとき左側のハートゲージは全く見えないし、タイミングよくセリフボタンを押すのはかなり厳しい。勉強会で答えをタッチするときには確認して慎重に押さないと答えが見えないのでとても怖い。(ま、最近のゲームは縦持ちはほとんどないけれど)。
横持ちでも、タッチスクリーンの右側にボタンが置かれると、左手がタッチスクリーンを覆い、何をしているのかさっぱりわからなくなる。正直、イラっとくる瞬間だ。
これが昔の左利きまで考慮に入れた時代の作品なら、縦持ちでは上下を反転して、左側がタッチスクリーンになる仕掛けが用意されていたし、横持ちでもメニューの位置が調整された左利き用が用意されていたが、今日では残念なことにマシンに余裕はないし「プレイできないわけではない」のだから、リソースの観点から見ても、左利き対応は忘れる判断の方が正しいのは明らかだ。

でも、DSはまだ良かった。たいていのコントロールは方向キーとボタンで代用が利いたし、代用が利かない場合でも、ちょっと見にくい程度で済んだからだ。
今、僕にとって本当に怖いのは3DSだ。
3DSは左側にスライドパッドがあり、これは右側にはないインターフェースだから、絶対に代替が効かない。言い換えるとスライドパッドを使って、かつペンを使うゲームがあると、それは「左手でスライドパッドを使い、右手でタッチペンを持つ」のを実質強制される。
これは、文字を左手で書く左利きにとっては耐え難い操作系と言わざるを得ない。
ゲームデベロッパーは、左利きのことも考慮して、それは止めておいて欲しいと思うし、出来れば、任天堂には、規定でスライドパッドとタッチペンは同時に使ってはいけない、としておいて欲しいと、本気で思っているのだった。

|| 19:52 | comments (9) | trackback (0) | ||

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ゲームは○×だけでも面白い?
ある人のツイート
本来ゲームとは操作をしてその結果を楽しむものだと思うのです。最近のFFに代表されるムービーだったりグラフィックを綺麗にしていくものではないと思うのですがね、どこで間違えたんでしょうか?


から話は始まる。

これを読んでウンウンと思った人は、まるで間違っている。
これは主に金のかかった(ムービーやグラフィックが華麗な)大作を貶すときに多用される「本当に面白いゲームはグラフィックが○と×だけになっても面白い」という僕が○×理論と呼んでいるものの変形で、ゲームをプレイする人に非常に見られる俗論だ。
常々、どうかと思っていたので、簡単に反論を書いてみたい。

というわけで反論。
3Dカーレースは間違っても○Xだけでは出来ない。以上終わり。
エ? 簡単すぎる? じゃ、追加。
カーレースを例に挙げて、まずグラフィックス。
グラフィックの表現は非常に重要だ。トンネルに入ったとき目の認識が追いつかず視界が暗くなることや、外に出るときブルーミングで明るくなり、視界が失われるといったことは当然ゲームに影響を与える。これらはいわゆるHDR処理で、PS2程度のマシンでは非常に困難だ(出来ないわけではないがフレームレートなどに大きな影響を与える)。
当たり前だが、昼夜を切り替えるためにはライトの処理が出来なければならない。天候を入れたくなったら、雨や雪、さらにダートの場合のダートの処理、いくらでも必要なグラフィックス処理はある。しかも雨や雪はリアルタイムに道路に影響を及ぼすべきだ。雨が降ったら道路は反射する。水を跳ね上げて、ウォータースクリーンが出来る。
物理エンジンの問題もある。カーレースなら物理エンジンが使えるかどうかでゲームそのものが全く変わる。物理エンジンを使うと、途方もないパワーが必要で、カーレース系で中心的に使われる剛体物理(ridged physicsと呼ばれる)ですら、完璧でなく、マシンパワーもまだ全然足りない状態だ。
つまりそれなりにリアルに楽しめるカーレースを遊びたいと思うなら○や×では話にならないし、グラフィックス・計算能力のどちらもいまですら全くパワーは足りていない
これはこの手の現実をベースにしたリアルタイムシミュレーション系全てでそうだ。カーレース・フライトシミュレータ・電車などなど、シミュレータを作りたいと思うと、自動的に○や×では話にならないのは明らかだ。

全くの余談だがGT5やForzaの『バグ動画』だのと揶揄される物理挙動があるが、PS2でカーレースに関わったとき、物理エンジンの素晴らしさと難しさをしみじみ味わった人間としては、あれをバグという気はない。あれは現在のゲームで供給可能な物理エンジンの持つ限界で、いかんともしがたい。物理エンジンを真面目に作ったからこそ起こる問題だ。笑える現象なのは事実だが、あれをバグと揶揄する人間に対しては「テメエが作ってから言え」と本気で言いたくなる。


シミュレーションは除く?
除いたところで状況は変わらない。
例えばスニーキングゲームを作りたいとする。それにライトの表現を入れたいとする。ライトを壊したり消したりすると辺りが暗くなるのを利用するという設定だ。光の処理は「今のマシンですら全く完全ではない」。つまり今でもこれを見て不自然でなくゲームにするのは難しい。(それでもスプリンターセルである程度実現されていた。頑張っていたソフトである)
もちろんライトの表現など○×ではやりようがないので、作りようもないゲームだ。
うっそうと茂った森の中でドンパチするTPS作りたいなら、森が表現できないといけない。FCのグラフィックスではほぼ不可能なのはもちろん言うまでもないし、○×では当然表現できない。
カギのかかったドアを(仕込ではなく)銃で壊せるのか、それとも壊せないのか? ゲームの作りそのものに影響を及ぼす大問題だ。しかもこれはグラフィック・物理エンジンなどの双方に影響を及ぼす複雑な問題で、もちろん○×じゃ表現のしようがない。
ライトの表現も森もゲームの本質には必要ない? カギのかかった扉はカギ以外では開かないで構わない? それこそゲームをバカにした意見だ。
ゾンビがいるかも知れないダンジョンをさまよい歩くゲームでライトで照らしたところにゾンビが見えたら冷や汗なのは確かだし、森でカモフラージュしている敵を狙撃するTPSだって楽しく作れる(ピースウォーカーなんか巧妙にカモフラージュした敵を見つけると嬉しくなるぞ)。ロケットランチャーをぶっ放しても壊れないドアはどうなんだと普通は思うだろう。
そういうものが○Xで表現出来るならどうするのか説明して欲しいものだ。

と、いくつか例を挙げたけど、もう十分だろう。○×では作りようがない、表現のしようのないことがゲームには山のようにある。つまり、面白いゲームは○や×にしても面白いなんて現代コンソール/PCゲームをマジメにプレイしたことがあると思えない暴論だ。
またグラフィック「のみ」きれいにしたゲーム…とかそういう表現もおかしい。プリレンダムービーとゲーム画面で落差があると、散々文句を言われていたのだから、ゲーム画面がキレいになってプリレンダと区別がつきにくいのは素晴らしいことではないか。
(まあ今はプリレンダよりもインゲームムービーの方が主流になりつつあるけれど)
それに表現力の制限は少ない方がいいに決まっている。どんな表現も問題なく出来る状態でなにを表現するのかを選択できる方が表現をする側にとって、ありがたいのは間違いない。
もちろん、追求した結果、精細なグラフィックを作るのにやたら金がかかったり、作るのに手間がかかるようになったという問題が発生し、制作上の困難を引き起こしているのは確かだが、それはまた別の問題だ。

ところで、この○×にしても面白いゲームがいいゲーム理論は、テレビゲーム黎明期の1980年代前半まではギリギリ成り立つ論理だったと思う。
なぜなら、当時のゲームはPSG3音+せいぜいスプライト数十個、出せる色の数が64を超えれば多いほうで、2D表現以外はほぼ出来なかったし(半透明すらない!)、声なし・絵もアニメーションなんて問題外で、1枚絵程度ですら無理…という程度の表現力だ。ここで、グラフィックを全部とっぱらって○×だけにしても、結構ゲームは成り立つ。面白さの落ち方も低い。それに表現力がないから、アイディア勝負になる。

つまり、1980年代前半まではゲームの表現力が恐ろしくヘボかったから、表現力をほぼゼロにしてもゲームが成り立ったが、表現力が圧倒的に増したイマドキのゲームでゲームの面白さは○×でも構わないだの、グラフィックとゲームの面白さは一致しないなんてチャンチャラおかしいということだ。


|| 20:02 | comments (25) | trackback (0) | ||

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ソーシャルゲームとゲームデザイン
ソーシャルゲームとは何か、を考えるために、ある極端なゲームをデザインした。

■ゲーム内容
ランキングで点数を競い合う。ランキングには3種類あり、フレンドとそれ以外に分れる。またフレンド全体が一つのチームになって、チームランキングもある。

■ゲーム画面
ボタンが一つとあと、フレンドリストがある。フレンドは「ゲームに参加している人」はカラーで、参加してない人は灰色で表示される。

○ボタン部
一定間隔で押せる。 次にボタンを押せるまでの残り時間が表示される。

○参加しているフレンド
参加しているフレンドを選ぶと、フレンドゲーム画面が出る。
フレンドゲーム画面には「応援する」、「すごく応援する」、「友達の友達からポイントをいただく」の3種類のボタンがある。
一定間隔でどれかを押すことが出来る。一度に押せるのは一つ。

○参加していないフレンド
選ぶと「参加しない?」とメールを送れる。

■起こること
○メインのボタン
「ピッタリ」で押すと10点、1分以内だと9点、10分以内だと5点、それ以外は1点。点数が増えるに従って、次にボタンを押せるまでの時間が延びていく。
友達を誘い、友達が入ると、自分には100点、友達には50点が手に入る。

○応援する
相手の待ち時間が減る。待ち時間が0の場合には次の待ち時間が減る。つまり待ち時間が減る量は加算される。待ち時間が0で応援すると、自分に1点入る。

○すごく応援する
一定間隔に一人にしか使えない。ものすごく待ち時間が減る。

○友達の友達からポイントをいただく
押すと「友達の友達」がランダムに選ばれ、いただくかどうか聞かれる。名前は分からないが、相手と自分のポイント差などから計算される「戦闘力」と「防御力」で盗めるかどうか決まる。
難しいほど盗む量は大きくなる。盗める最大量は1000。


■マネタイズ
ボタンを押す時間を縮める有料アイテム・盗むときに使えるアイテムなど。

■まとめ
いわゆる「ゲーム」とされる部分は、従来のコンソールの感覚からすれば「ゲームの体をなしていない」。オンゲーから見てもそうだろう。
だが、それでもこれはゲームとして成り立つ。それはソーシャルゲームが「ゲームだけではなく、ゲームをプレイする人間まで含めたシステム」として機能するからだ。
そこまで含めてゲームを見ないと、ソーシャルゲームは理解できないと思ってる。

プレイヤーまで含めたゲームデザインが必要だと、自戒としてメモ代わりにおいておく。

|| 12:50 | comments (0) | trackback (1) | ||

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